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わたしの隣、人気者しか座れないはずなのに。――陰キャ女子の平穏は、距離感バグな美少女たちに壊されました  作者: 御神常陸介寛浩(常陸之介寛浩)


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第32話 放課後の図書室は、少しだけ秘密基地みたいで

 その日の放課後、わたしは少しだけ迷っていた。


 帰る準備はもうできている。


 教科書は鞄に入れた。筆箱も入れた。机の中に忘れ物がないことも確認した。あとは鞄を持って、靴を履き替えて、いつものように玲奈さんと駅の方へ歩けばいい。


 なのに、なぜか立ち上がれなかった。


 理由は、昼休みに見た掲示カードだった。


 わたしのカード。


 玲奈さんのカード。


 朝比奈さんのカード。


 三枚並んだそれが、頭の中に残っていた。


 ――隣にいる理由は、あとから見つけてもいい。


 ――近づきたいと思うたび、相手が逃げないか少し怖くなる。


 ――まっすぐな気持ちは、ちゃんと届く形を探せる。


 全部、ただの本の紹介文のはずなのに。


 並べて読んでしまうと、まるで誰かと誰かの会話みたいだった。


 しかも、その“誰か”が自分たちに近い気がしてしまうから困る。


「ましろ?」


 斜め前から声がした。


 顔を上げると、玲奈さんが鞄を持ってこちらを見ていた。


「帰らないの?」


「……帰る」


「今、帰るって顔じゃなかった」


「顔で判断しないで」


「ましろ、顔に出るから」


「最近みんなそれ言う」


「みんなが言うなら、たぶん本当だよ」


 玲奈さんはそう言って、少し笑った。


 その笑い方がやさしかったから、余計にごまかしづらい。


 わたしは鞄の持ち手を握ったまま、少しだけ視線を落とした。


「図書室、寄ろうかなって」


「本?」


「ううん。カード」


「カード?」


「昼に見たけど、もう一回見たいというか……変かな」


 言ってから、すぐに恥ずかしくなった。


 自分で書いた紹介カードを、わざわざもう一度見に行きたいなんて、少し自意識過剰みたいだ。


 でも玲奈さんは、からかわなかった。


 むしろ少しだけ目を輝かせた。


「行こう」


「いいの?」


「わたしも見たい」


「玲奈さん、朝も昼も見たでしょ」


「でも、放課後の図書室前で見るのはまだ」


「場所と時間の違いだけじゃない?」


「違うよ。放課後は、ちょっと秘密っぽい」


 秘密。


 その言葉が、妙に耳に残った。


 玲奈さんはそれ以上何も言わず、わたしが立ち上がるのを待ってくれた。


 最近、玲奈さんは待つのが少し上手くなった気がする。


 最初の頃は、わたしが戸惑っているうちにどんどん近づいてきた。今も近い。近いけれど、わたしが言葉を選んでいるときには、ちゃんと待ってくれる。


 それが、嬉しい。


 嬉しいと言うにはまだ少し照れるけれど、嬉しい。


 教室を出ようとしたところで、後ろからみおの声が飛んできた。


「どこ行くの?」


「図書室」


「二人で?」


「……うん」


「へえ」


 みおはそれだけで、全部わかったみたいな顔をした。


「何」


「いや、放課後の図書室っていいよね。青春っぽい」


「そういう方向に持っていかないで」


「持っていってないよ。勝手にそっちに歩いてるのは二人でしょ」


「みお」


「はいはい。邪魔しませんよ。わたし今日は用事あるし」


 みおは鞄を肩にかけながら、わたしの横を通り過ぎた。


 そしてすれ違いざま、小さく言った。


「見たいものは、見に行けるときに見ときなよ」


 からかい半分かと思ったら、思ったより真面目な声だった。


 わたしが振り向く前に、みおは手をひらひら振って教室を出ていった。


 何でもわかった顔をする幼なじみは、本当にずるい。


「藤咲さんって、時々すごくいいこと言うね」


 玲奈さんが言った。


「普段が余計なこと多いから、油断したときに刺さる」


「刺さるんだ」


「刺さる」


 わたしが真顔で言うと、玲奈さんは小さく笑った。


 廊下へ出ると、放課後の校舎は昼休みとは違う色をしていた。


 昼は人の声が明るく散らばっているけれど、放課後は音が少し遠くなる。部活の声は外から聞こえるし、廊下にはまだ生徒もいる。でも、教室に残っていた熱が少しずつ引いていくような、そんな空気がある。


 図書室の方へ向かうほど、人は減っていった。


 玲奈さんと並んで歩く。


 足音が二人分、廊下に響く。


 それだけで少し落ち着かなくなるのは、たぶん放課後だからだ。


「ましろ」


「何?」


「さっき、カードもう一回見たいって言ってくれて、ちょっと嬉しかった」


「どうして玲奈さんが嬉しいの?」


「だって、わたしのも並んでるから」


「……カードがね」


「うん。カードが」


 また同じやり取り。


 でも今日は、玲奈さんの声が少しだけやわらかかった。


 図書室前に着くと、掲示板の前には誰もいなかった。


 昼休みには少し人がいたのに、放課後になると廊下は静かだ。


 だから余計に、そこに貼られているカードたちが目立って見えた。


 色のついた台紙。


 丁寧に貼られた紹介カード。


 その一角に並ぶ、わたしたちの言葉。


 朝より、昼より、放課後の光の中で見るカードは少し違って見えた。


「……本当に秘密っぽいね」


 わたしが言うと、玲奈さんが嬉しそうにこちらを見た。


「でしょ?」


「少しだけ」


「少しだけでも嬉しい」


 玲奈さんは掲示板の前に立ち、じっと三枚のカードを見た。


 わたしも隣に並ぶ。


 誰もいない廊下で、二人で自分たちの言葉を見る。


 それは思っていた以上に恥ずかしくて、でも不思議と目を逸らせなかった。


「こはるちゃんのカード、やっぱりいいね」


「うん」


「まっすぐだけど、ちゃんと相手のこと考えてる」


「朝比奈さん、たぶんすごく考えたんだと思う」


「ましろの言葉、残ってたんだね」


「そうだと嬉しい」


 自然に言えた。


 嬉しい、と。


 玲奈さんが、こちらを見る。


「今、嬉しいって言った」


「……言ったけど」


「うん」


「何?」


「いや、ましろが嬉しいって言うの、好きだなって」


 まただ。


 玲奈さんは本当に、少し油断したところに言葉を置いてくる。


 わたしは掲示板から目を逸らさないようにした。


 顔を見たら負ける気がした。


「玲奈さんは、すぐそういうこと言う」


「言いたくなるから」


「我慢して」


「少しはしてるよ」


「してるの?」


「してる。ましろに言ったら困るかなって思って、飲み込んでる言葉、けっこうある」


 その言葉に、わたしは思わず玲奈さんを見た。


 玲奈さんは掲示板を見たまま、少しだけ笑っていた。


 でも、その笑みはいつものからかうようなものではなかった。


「……飲み込んでるの?」


「うん」


「玲奈さんでも?」


「わたしでも」


 聞いたことのある返し方。


 少し前、電話の話をしたときにも似たようなことを言っていた気がする。


 わたしは、しばらく黙った。


 飲み込んでいる言葉。


 玲奈さんにもある。


 近いのに、全部は言わない。


 明るいのに、全部は見せない。


 それは少し意外で、でも今ならわかる気もした。


「……わたしもある」


 小さく言った。


 玲奈さんがこちらを見る。


「飲み込んでる言葉?」


「うん」


「聞きたい」


「今すぐは無理」


「じゃあ、いつか?」


「……たぶん」


 玲奈さんは、少しだけ嬉しそうに笑った。


「じゃあ、待つ」


「また待つの?」


「うん。わたし、待つの少し上手くなったでしょ」


 自分で言った。


 わたしは思わず笑ってしまった。


「うん。少し」


「少しなんだ」


「前よりは」


「成長した?」


「したと思う」


「ましろに褒められた」


「褒めた、のかな」


「褒めたよ。わたしがそう受け取った」


「受け取り上手」


「ましろの言葉は、ちゃんと受け取りたいから」


 また、心臓に悪いことを言う。


 でも、前ほど慌てなかった。


 胸は鳴る。


 頬もたぶん少し熱い。


 それでも、逃げたいとは思わない。


 その代わり、わたしは掲示板の自分のカードを見た。


 隣にいる理由は、あとから見つけてもいい。


 今日、また一つ増えた気がする。


 飲み込んでいる言葉を、いつか待ってくれる人がいること。


 その理由。


 図書室の扉が静かに開いた。


 中から篠宮先輩が出てくる。


 手には、貸出処理を終えたらしい本を数冊持っていた。


「あら。お二人とも」


「篠宮先輩」


 わたしたちは軽く挨拶する。


 篠宮先輩は掲示板を見て、すぐに事情を察したようだった。


「カードを見に?」


「はい。少し」


 わたしが答えると、篠宮先輩は穏やかに頷いた。


「自分の言葉が掲示されるのは、不思議な感覚ですよね」


「はい。思ったより恥ずかしいです」


「それは、ちゃんと自分の言葉だからだと思います」


 篠宮先輩の言葉は、いつも静かに入ってくる。


 わたしはカードを見たまま、頷いた。


「借りられましたよ」


「え?」


「小日向さんが紹介した本です。今日の放課後、ひとり借りていきました」


 胸の奥が、ふわっと浮いた。


「本当ですか?」


「はい。紹介カードを読んで気になったそうです」


 それは、思っていたよりずっと嬉しかった。


 自分の書いた文章が、誰かの読むきっかけになった。


 たったそれだけのことなのに。


「ましろ、すごい」


 玲奈さんが隣で言う。


「すごくはないよ」


「すごいよ」


 玲奈さんは少し強く言った。


「ましろの言葉で、誰かが本を選んだんだから」


 そう言われると、少しだけ信じられる気がした。


 篠宮先輩は続ける。


「一ノ瀬さんの紹介した本も、予約が入りました」


「えっ、わたしのもですか?」


「はい」


 今度は玲奈さんが驚く番だった。


 わたしは、思わず玲奈さんを見る。


「玲奈さんも、すごい」


「……ましろに言われると、照れる」


「さっき玲奈さんも言った」


「言ったけど」


 玲奈さんは少しだけ頬を赤くした。


 篠宮先輩は、そんなわたしたちを見て少しだけ笑った。


「二枚並べたことで、相乗効果があったのかもしれませんね」


「相乗効果……」


 玲奈さんが小さく繰り返す。


 わたしは何も言えなかった。


 相乗効果。


 なんだか、すごく正式な言い方をされているのに、妙に恥ずかしい。


 カードが並んだことで、誰かが本を手に取った。


 それは嬉しい。


 でも同時に、わたしたちの言葉が並んでいることを誰かに読まれているのだと改めて思い知らされる。


 やっぱり恥ずかしい。


「小日向さん」


 篠宮先輩がわたしを見る。


「はい」


「もしよければ、読書週間の期間中、簡単なポップ作りも手伝っていただけませんか」


「ポップ、ですか?」


「本棚に置く小さな紹介札です。カードより短い言葉で、本の魅力を伝えるものです」


 短い言葉。


 また難しそうだ。


 でも、少し興味があった。


 わたしが迷っていると、玲奈さんが隣で静かに待ってくれているのがわかった。


 急かさない。


 答えを代わりに出さない。


 ただ、隣で待ってくれている。


「……やってみたいです」


 わたしは言った。


 篠宮先輩は、少しだけ嬉しそうに頷いた。


「ありがとうございます」


 玲奈さんが隣で笑う。


「ましろ、すごい」


「二回目」


「何回でも言うよ。すごいから」


「大げさ」


「大げさじゃない」


 篠宮先輩が、今度は玲奈さんを見る。


「一ノ瀬さんも、ご興味があれば」


「わたしですか?」


「はい。小日向さんとは違う視点の言葉が出そうですので」


 玲奈さんは少し驚いた顔をした。


 それから、わたしを見る。


「……ましろ、どう思う?」


「玲奈さんがやりたいなら、いいと思う」


「ましろは、一緒だと嫌?」


「嫌じゃない」


「じゃあ、やる」


 返事が早かった。


 篠宮先輩は静かに微笑んだ。


「では、明日の放課後に少し説明します」


「はい」


 そうして、また新しい予定ができてしまった。


 少し前のわたしなら、たぶん身構えていた。


 予定が増えること。


 人と関わること。


 自分の言葉を誰かに見せること。


 どれも、少し疲れることだった。


 今も疲れないわけではない。


 でも、その疲れの中に、少しだけ楽しみが混ざっている。


 それが不思議だった。


 篠宮先輩は図書室へ戻っていった。


 わたしと玲奈さんは、もう一度掲示板を見た。


「また、予定増えたね」


 玲奈さんが言う。


「うん」


「嫌?」


「……嫌じゃない」


「そっか」


「玲奈さんは?」


「わたしも嫌じゃない」


 玲奈さんはそう言って、少しだけ楽しそうに笑った。


「ましろと一緒に、本の言葉を考えるの、楽しそう」


 また、普通に嬉しいことを言う。


 でも今日は、少しだけ返せそうな気がした。


「わたしも」


 短く言った。


 玲奈さんがこちらを見る。


 わたしは掲示板を見たまま続けた。


「玲奈さんと一緒なら、少し楽しそう」


 言った。


 今度はちゃんと言った。


 玲奈さんは、しばらく黙った。


 その沈黙が少し長くて、不安になって横を見る。


 玲奈さんは、両手で口元を押さえていた。


「玲奈さん?」


「待って」


「何?」


「今の、かなり効いた」


「効いた?」


「うん。心臓に」


「……いつもわたしがされてるやつ」


「こんなに?」


「だいたい」


「そっか。ましろ、毎回大変だったんだね」


「今さら?」


 玲奈さんが少し笑った。


 わたしもつられて笑う。


 図書室前の廊下は静かだった。


 けれど、わたしたちの周りだけ少しだけ騒がしい。


 声を大きくしているわけではない。


 人が集まっているわけでもない。


 ただ、言葉が増えている。


 飲み込んでいた言葉が、少しずつ外へ出てきている。


 放課後の図書室は、少しだけ秘密基地みたいだった。


 自分たちの言葉が貼られていて。


 誰かに読まれていて。


 次の約束が生まれて。


 そして、まだ全部は言えない言葉を、いつか言えるかもしれないと思える場所。


「帰ろうか」


 玲奈さんが言った。


「うん」


 わたしたちは並んで歩き出した。


 廊下には、夕方の光が薄く伸びている。


 その中を歩きながら、わたしは思った。


 秘密は、ひとりで抱えるものだと思っていた。


 でも、誰かと少しだけ共有できる秘密なら、こんなにもあたたかいのかもしれない。

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