表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
クラスの完璧美少女は、僕にだけ壊れてみせる。―重すぎる愛に選ばれた、僕の初恋―  作者: 翡翠


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

27/31

第27話 必要にされたいんじゃない。もう、お前がいい

 水曜日の朝、佐伯直人は目覚ましが鳴る前に起きた。


 最近ずっとそうだったが、今日は少しだけ質が違った。眠れなかったわけではない。むしろ、いつもより深く落ちていた気さえする。その代わり、目を開けた瞬間からはっきりした感覚が胸の中に残っていた。


 もう、誤魔化しきれない。


 昨日一日、榊原澪が“普通のクラスメイト”としてしかこちらに接してこなかっただけで、あれほど落ち着かなかった。朝の挨拶だけ。余計な一言もない。先回りもない。帰り道も別。たったそれだけなのに、日常の輪郭がずれているようだった。


 必要にされないのが寂しいだけだ。

 そう思おうとして、無理だった。


 必要にされたいなら、他の誰かでも埋まるはずだ。

 でも昨日、自分が失くした気がしていたのは、もっと具体的で、もっと澪そのものに結びついた感覚だった。


 机の横で振り返ってくること。

 言いすぎるくらい気にかけてくること。

 嬉しいと、怖いくらい素直に言うこと。

 少し重すぎる愛情を、器用に隠しきれないこと。


 あれがないことが、嫌だった。


 キッチンへ行くと、母はもう起きていた。


「珍しいね、早い」


 コーヒーを淹れながらそう言う。


「最近ずっとだろ」


「最近ね。何か学校楽しいの?」


 その問いに、直人は一瞬だけ手を止めた。


 楽しい。

 それもたぶん、嘘ではない。

 いや、正確には学校そのものではなく、その中にいる特定の一人のせいで、というべきかもしれない。


「まあ、文化祭終わったし」


 曖昧にそう返すと、母はふうんとだけ言って、それ以上は聞かなかった。


 その距離感に救われる時もある。

 でも今朝は、逆に少しだけ物足りなかった。


 自分の内側に起きている変化に、誰も気づかない。

 気づかなくて当然なのに、そういうところまで読んでくる相手を知ってしまったせいで、余計にそう感じるのかもしれない。


 教室に入ると、澪はすでに席にいた。


 昨日と同じ。

 前方の席、静かな横顔、整った空気。


 目が合う。


「おはよう、佐伯くん」


「……おはよう」


 やはり、それだけ。


 でも今日は、その一言だけで胸がきつくなることはなかった。

 代わりに、もっと別のものが静かに固まりつつある感じがした。


 席に着くと、ひよりが後ろから小さく机を叩く。


「顔、昨日よりマシ」


「そうか?」


「うん。代わりに、何か決まりかけてる顔してる」


 鋭い。

 相変わらず、嫌になるくらい鋭い。


「……そんな分かるか」


「分かるよ」


 ひよりは少しだけ笑ったあと、声を落とす。


「昨日、ちゃんと考えた?」


「考えた」


「で?」


 直人はすぐには答えなかった。


 答えはかなり近いところまで来ている。

 でも、それをひよりに言うことは、ひより自身を傷つけることでもある。


 その逡巡を見て、ひよりは小さく息を吐いた。


「私に気を遣って濁すなら、それでもいい。でも」


 少しだけ視線を和らげる。


「自分にだけは濁さない方がいいよ」


 その一言は、妙にまっすぐだった。


 一時間目が始まっても、直人の頭の中にはその言葉が残っていた。


 自分にだけは濁さない。


 たしかにそうだ。

 ひよりへの遠慮や、澪への警戒や、いろんな理由で言葉にするのを避けてきた。

 でも、自分の中でだけでも認めなければ、この先ずっと半端なままだ。


 昼休み、ひよりは珍しく自分から声をかけてこなかった。


 少し離れた席で友人と話している。

 ただ、時々こちらを見る。

 それは確認の視線ではなく、待つ視線に近かった。


 一方で、澪は今日も静かだった。


 前の席で、必要な時だけ周囲と話し、自分には朝の挨拶以外ほとんど何も向けてこない。


 その静けさが、やっぱりきつい。


 気づけば、直人は前の席の背中ばかり見ていた。

 黒髪の流れ方、ノートを取る肩の動き、休み時間にペンを持ち替える指先。

 見ていたいと思ってしまう。

 それはもう、ただの承認欲求では説明できない。


 五時間目が終わったあと、ひよりが直人を呼んだ。


「ちょっとだけ、いい?」


 その声で、教室の空気が少しだけ変わった気がした。

 澪も一瞬だけこちらを見る。

 でも、何も言わない。


 ひよりに連れられて行ったのは、特別棟へ続く渡り廊下だった。

 ここ最近、二人きりで話す場所として何度も使っているせいで、妙に意味が出てしまっている。


「今日で最後の確認ね」


 ひよりがそう言う。


「何の」


「私が聞くの」


 直人は黙った。


 ひよりは壁にもたれ、腕を組んだままこちらを見る。

 その顔に無理な明るさはなかった。


「昨日の佐伯、かなり答えに近い顔してた」


「……」


「だから、もう聞く」


 少しだけ間を置く。


「必要にされたいんじゃなくて、榊原さんだから離れたくないって、思ってる?」


 その問いは、避けようがなかった。


 ひよりは最初から、ずっとそこを見ていたのだ。

 必要にされる快感に流されているだけなら、まだ間に合う。

 でも、相手そのものを欲しがっているなら、それはもう別だと。


 直人は、しばらく何も言えなかった。


 ただ、答えは胸の奥にはっきりあった。


 昨日、澪がいない一日を過ごして感じた空洞。

 それは“必要にされない寂しさ”ではなかった。

 もっと個人的で、もっと名前を持った欠落だった。


「……思ってる」


 ようやく、そう言う。


 自分の声が思ったより静かで、逆にその本気さが分かった。


「もう、たぶんそこは誤魔化せない」


 ひよりは目を閉じて、一度だけ深く息を吸った。


 泣くかもしれないと思った。

 でも彼女は泣かなかった。


「そっか」


 短い一言。

 その中に、理解と、痛みと、少しの諦めが全部入っていた。


「……ごめん」


 直人が言うと、ひよりは首を振る。


「謝らないで」


「でも」


「だって、ちゃんと答えてくれたんだから」


 それから、少しだけ笑う。


「私、薄々分かってたよ。文化祭の日に、誰探してるか見たあたりから」


 ひよりの笑い方は、いつもの軽さより少しだけ弱かった。

 でも、無理に壊れた顔を見せないところがひよりらしかった。


「普通に考えたら、私の方が安全なんだろうなって思ってた」


 ぽつりと続ける。


「一緒にいて楽だし、変な先回りもしないし、誰に見られても説明つくし」


「……」


「でも、そういうのって理屈じゃないんだね」


 直人は何も言えなかった。


 理屈ではない。

 まさにその通りだった。

 ひよりの方が正しい。健全だ。選びやすい。誰に見せても問題ない。

 それでも、心が向いてしまう先は別だった。


「私さ」


 ひよりは少しだけ視線を落とす。


「ちゃんと好きだったよ」


 その一言が、直人の胸に強く刺さる。


「知ってる」


「うん。じゃあ、いいや」


 ひよりはそう言ってから、顔を上げた。


 少しだけ目が赤い。

 でも、泣いてはいない。


「一個だけ、最後に言う」


「何」


「選ぶなら、ちゃんと最後まで選んで」


 その声は、優しいのに逃げ道がなかった。


「中途半端に優しくして、結局誰も幸せにならないのが一番嫌い」


 それは、たぶんひより自身の願いでもあった。


 直人はゆっくり頷く。


「……分かった」


「うん」


 ひよりは小さく笑う。


「じゃあ、私はもうこれ以上は言わない」


 そこで一歩だけ引く。


「でも、もし榊原さん泣かせたら、普通に殴るから」


「物騒だな」


「冗談半分」


 そう言って、ひよりはくるりと背を向けた。


 その背中が思ったよりまっすぐで、直人は余計に胸が痛んだ。


 ひよりが渡り廊下の向こうへ消えたあと、しばらく動けなかった。


 必要にされたいんじゃない。

 もう、お前がいい。


 言葉にすれば、たぶんそうだった。


 澪だから、気になる。

 澪だから、いなくなるのが嫌だ。

 澪だから、あの重さも、危うさも、全部ひっくるめて見てしまう。


 そこまで認めてしまうと、次にやるべきことは一つしかない気がした。


 教室へ戻ると、澪はまだいた。


 前の席でノートをしまっている。

 直人が入ってきたのに気づくと、一瞬だけ目を上げる。

 その目にはまだ、距離があった。


 当然だ。

 自分が引かせたのだから。


「……澪」


 名前で呼ぶと、彼女の手が止まった。


「はい」


「今日、帰り」


 そこまで言って、一度言葉が詰まる。

 でも、もう止まる理由もなかった。


「少し、時間あるか」


 澪は数秒、直人を見ていた。


 驚いている。

 でも、すぐには喜ばない。

 たぶん、また期待して傷つくことを怖がっているのだろう。


「あります」


 小さく、そう答える。


「じゃあ、あとで」


「……はい」


 それだけで充分だった。


 ひよりの言う通りだ。

 選ぶなら、ちゃんと最後まで選ばなければいけない。


 そして今の直人には、その方向しかもう残っていない気がしていた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ