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クラスの完璧美少女は、僕にだけ壊れてみせる。―重すぎる愛に選ばれた、僕の初恋―  作者: 翡翠


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第22話 文化祭は、普通の恋と異常な恋が一番見えやすい

 文化祭当日の朝、校舎はまだ開場前だというのに、すでに浮ついた熱を帯びていた。


 廊下には色紙の飾りが吊られ、教室の扉にはそれぞれの出し物の看板が貼られている。どこを見ても、昨日までの学校とは少し違う。非日常というほど大げさではないが、確実に“いつもじゃない日”の空気があった。


 佐伯直人は、自分のクラスの教室前で立ち止まり、小さく息を吐いた。


 今日は忙しい。

 文化祭の当番、備品の確認、呼び込み、途中で雑用も入るだろう。


 それなのに、頭の片隅には別のことがずっと居座っている。


 昨日の準備室。

 指先が触れた一瞬。

 嫌ではない、と答えてしまったこと。


 文化祭で二人きりになる時間などそうそうないはずなのに、そうであってほしいような、逆にそうじゃないと困るような、妙な気分だった。


「佐伯、おはよ」


 背後からひよりの声がして振り向く。


 ひよりはすでに文化祭用の腕章をつけていた。髪もいつもより少しだけ整えていて、制服の着こなしもどこか気合いが入って見える。


「おはよう」


「今日、午前は一緒のシフトだよね」


「たしかそう」


「じゃあ逃がさないから」


 冗談めかして言う。

 でも、その目は少しだけ本気だ。


 文化祭の日は、学校全体が“誰と一緒にいるか”を浮き彫りにしやすい。

 ひよりもそれを分かっているのだろう。


「逃げるって何だよ」


「比喩」


 そう言って笑った時、教室の中から澪が出てきた。


 クラスの装飾確認をしていたらしく、手にはガムテープとハサミ。いつもの整った顔に、今日は少しだけ文化祭仕様の華やかさがある。たぶん他の女子に頼まれて、軽く髪を巻かれているのだろう。


 一瞬、直人は見とれた。


 その視線に、澪が気づく。

 ほんのわずかに目を細める。

 けれど表情はすぐに、いつもの“感じのいいクラスメイト”のものに戻った。


「おはようございます」


 ひよりに向けて。

 そのあと、ほんの少しだけ声音を下げて。


「おはよう、佐伯くん」


「……おはよう」


 たった一言。

 でも、その間に流れるものはいつもより濃かった。


「二人とも、午前シフトですよね」


 澪が穏やかに言う。


「うん、そうだけど」


 ひよりが答える。


「忙しくなりそうですね」


「だね」


 会話はそれだけ。

 だが、ひよりはすぐに察した顔をしていた。


 澪は今日は、表向きには何もしないつもりなのだ。

 その分、視線と空気だけで存在感を残しにくる。


 午前のシフトは思った以上に忙しかった。


 クラスの出し物は展示と軽い体験型を組み合わせたもので、来客対応が途切れない。ひよりは明るく案内役をこなし、直人は説明補助や列整理、たまに裏方を回る。


 こういう時、ひよりは本当に強い。

 空気を読むのも、人を捌くのも、自然にできる。

 クラスの誰といても明るいままでいられるし、その明るさが無理に見えない。


「佐伯、こっちお願い!」


「ああ」


 呼ばれればすぐ動ける。

 そのテンポも、文化祭の喧騒の中ではかなり相性がよかった。


「助かった」


 ひよりがぽんと肩を叩いてくる。

 軽い接触。

 普通の距離。

 その自然さに、直人は一瞬だけ“これが普通なんだろうな”と思う。


 思った直後、教室の反対側にいる澪と目が合った。


 澪は別の女子と一緒に来客対応をしている。笑顔も声も、誰に向けても感じがいい。けれど目が合ったその一瞬だけ、彼女の視線は明らかに直人の肩のあたりを見ていた。


 さっき、ひよりに叩かれたところだ。


 その視線の意味を、直人はもう読めてしまう。


 嫌だったんだろうな、と思った。


 午前のピークが少し落ち着いた頃、乃愛が一年のクラスの腕章をつけたままやって来た。


「佐伯先輩!」


 やはり明るい。

 悪気がなく、真っすぐすぎる。


「お、来たか」


 直人がそう返すと、乃愛は嬉しそうに顔を上げる。


「うちのクラス、少し空いたので見に来ました!」


「暇そうで何よりだな」


「今だけです!」


 そう言いながら、かなり近い位置まで来る。

 その距離感は相変わらず危うい。


「これ、うちのクラスの割引券です。よかったらあとで来てください」


 小さな紙片を差し出される。


「……いいのか、そんなの」


「いいんです。先輩には」


 その言い方がまた危うい。

 直人がどう返すべきか迷った瞬間、横から静かな声が入った。


「七瀬さん、今、持ち場離れて大丈夫ですか」


 澪だった。


 表情は穏やか。

 声も柔らかい。

 けれど、タイミングは完璧すぎる。


「えっ、あ」


 乃愛が一瞬だけ詰まる。


「うち、今は大丈夫で」


「先生、見回り多いですよね」


 澪が続ける。


「さっき一年の方もかなり見てたので」


「……あ、そうでした」


 乃愛の勢いがわずかにしぼむ。


 そのままでは失礼だと思ったのか、乃愛はすぐに割引券を直人の手に押し込んだ。


「佐伯先輩、またあとで!」


「あ、うん」


 乃愛は走るように去っていく。


 残った空気に、ひよりが小さく吐息を落とした。


「はい出た」


 ぼそっと呟く。


 直人は何も言えなかった。


 澪はそれ以上乃愛のことには触れなかった。

 ただ、何でもなかったように来客対応へ戻っていく。


 正しい顔をした介入。

 それが一番怖いのだと、ひよりが何度も言っていた意味が、今日はやけに分かりやすかった。


 昼休みを兼ねた休憩時間、直人は校舎裏の自販機前で一息ついていた。


 人混みから少し外れると、ようやく呼吸が落ち着く。文化祭の空気は嫌いではないが、ずっと中にいるとさすがに疲れる。


「いた」


 振り向くと、ひよりだった。


 腕章を外しながら近づいてくる。


「ちょっと休憩」


「お疲れ」


「そっちもね」


 二人で自販機の横のベンチに座る。

 文化祭の喧騒は少し遠く、ここだけは学校の裏側みたいに静かだった。


「楽だね」


 ひよりが小さく言う。


「何が」


「こういうとこだと、普通に話せるから」


 その言葉に、直人は少しだけ息を詰めた。


 普通に話せる。

 それはたぶん、澪といる時にはもう少し違う意味になる。


「さっきの見た?」


 ひよりが聞く。


「乃愛ちゃんのやつ」


「見たよ」


「やっぱり入るんだなあ、って思った」


 苦笑気味にそう言う。


「しかも、ちゃんと正しい顔して」


「……」


「ずるいよね、ああいうの」


 責めるというより、確認みたいな声音だった。


 直人はしばらく黙っていたが、やがて口を開く。


「でも、前よりは抑えてる」


「分かってる」


 ひよりは頷く。


「分かってるから余計に厄介なんだよ。成長してるんだもん」


 その言い方に、少しだけ笑ってしまう。


「成長って」


「だって前なら、裏で何かしてたかもしれないじゃん」


 それはたしかに、否定しきれなかった。


 ひよりは缶ジュースを手の中で回しながら、少しだけ視線を落とす。


「ねえ、佐伯」


「ん?」


「私、普通に一緒にいたいだけなんだよ」


 その言葉は、文化祭のざわめきよりずっと静かに響いた。


「分かってる」


「うん。でも、それをちゃんと言いたかった」


 ひよりは顔を上げる。


「誰かを管理したいとか、奪いたいとかじゃなくて。ただ、楽しい時に楽しいって言えて、また会いたい時にまた会いたいって言いたいだけ」


 それは本当に、普通の恋の言葉だった。


 重くない。

 でも軽くもない。

 相手を縛らず、それでも自分の好意はまっすぐ置く。


 それがどれだけ健全で、どれだけ強いか、直人にも分かる。


「……うん」


 直人がそう返すと、ひよりは少しだけ笑った。


「だから、ちゃんと考えてね」


 それだけ言って、ひよりは立ち上がる。


「次、持ち場戻る」


「ああ」


「あと、今日はもう一個だけ言う」


 ベンチから離れかけて、ひよりが振り返る。


「文化祭の日、無意識に誰探してるかって、かなり本音だから」


 その一言を残して、ひよりは去っていった。


 直人はしばらくベンチに座ったまま動けなかった。


 無意識に誰を探しているか。

 その問いに対する答えは、もう薄々分かっていたからだ。


 午後の自由時間が始まると、校舎の人の流れはいっそう増えた。


 クラスの当番を少し離れた直人は、廊下を歩きながら何度も視線を彷徨わせる。

 別に目的地がないわけではない。

 それでも、気づけば人混みの中に澪の姿を探してしまう。


 やめようと思っても、目が勝手に追う。

 そのことに気づいて、ひよりの言葉が胸に刺さる。


 誰を探してるかって、本音。


 廊下の角を曲がったところで、ようやく澪を見つけた。


 クラスの展示を見に来た他クラスの生徒に説明している最中だった。

 完璧な笑顔。

 落ち着いた声。

 誰が見ても感じがいい。


 でも、説明が終わって相手が離れた瞬間、澪は顔を上げ、まっすぐ直人を見た。


 まるで、最初からそこにいるのを知っていたみたいに。


「……」


 言葉はない。

 ただ目が合う。


 その一瞬だけで、直人の中の何かが決まってしまいそうになる。


 やっぱり、自分は彼女を探している。

 人の多い文化祭の中で、一番見つけると落ち着くのは澪の姿だ。


 その事実が、かなり重かった。


 夕方、片づけの時間が始まると、直人は疲れを感じ始めていた。


 それでも最後まで雑用は残る。机を戻し、飾りを一部外し、明日の動線を確認する。クラス全体が少しだけくたびれている中で、澪だけはやはり崩れない。


 いや、崩れないようにしているだけなのかもしれない。


 片づけが終わった頃には、ひよりも乃愛ももういなかった。


 直人が教室の後ろでガムテープの残りをまとめていると、澪が静かに近づいてきた。


「今日は、かなり疲れましたね」


「そりゃな」


「でも」


 少しだけ目を細める。


「途中で、私のこと探してましたよね」


 直人は思わず手を止めた。


「……見えてたのか」


「分かります」


 やはりそう返す。


 もう否定するのも面倒だった。


「ひよりにも言われた」


「何て」


「文化祭の日に無意識に誰探してるかは、本音だって」


 澪はその言葉を聞いて、一瞬だけ息を止めたように見えた。


「それで」


 静かな声で聞く。


「どうでしたか」


 質問の意味は明白だった。

 誰を探していたか。

 それが誰だったか。


 直人はしばらく黙ってから、ようやく答える。


「……お前」


 その一言だけで十分だったらしい。


 澪の目が、わずかに揺れる。

 喜びと安堵と、少しの恐さみたいなものが一度に浮かんだ。


「そうですか」


 小さく、それだけ言う。

 でも、その声は少しだけ震えていた。


「文化祭って」


 澪が続ける。


「普通の恋と異常な恋が、一番見えやすい日なんだと思います」


「異常って自分で言うのか」


「自覚はあります」


 少しだけ笑う。


「でも、今日の佐伯くんを見てると、少しだけ安心しました」


「何が」


「私の方がちゃんと気になるみたいなので」


 その言い方が、澪らしくて、重くて、でも嬉しそうで、直人はまた何も言えなくなる。


 文化祭は、普通の恋と異常な恋が一番見えやすい。


 そして今日、直人はそのどちらに自分の心が向いているのかを、かなりはっきり見せつけられてしまっていた。

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