たとえ君が
「お母さん、何か勘違いされているようです」
「勘違い? 何をおっしゃっているんですか? 結衣と別れてくれるんですよね?」
「別れます。過去の結衣とは――」
「過去の結衣?」
「これから私は、今ここにいる結衣と一緒に生きていこうと思います」
「――――」
母親は口をポカンと開けて唖然とした顔をしていた。
「結衣、あなたは私が誰なのかもわからないし、あなたの目に写る私はあなたとっては、ただのもの同然かもしれません。それでもいい。私はあなたと一緒にいたいんです。あなたの傍にいさせて下さい。そして、私の傍にいて下さい」
私は、テレビ画面を無表情で見つめている結衣の前に立ち、そう言った。
「――――」
もちろん、答えなど返ってくる訳などなかった。
「上城さん、それではあなっ――」
「いいじゃねえかよ。上城って人の好きなようにさせてやれば! どうせこんな何の役にも立たない人形同然の人間に、いずれ嫌気がさすに決まってる」
母親の話に割って入ってきたのは、結衣の弟の正志くんだった。彼は廊下で私と母親の話を聞いていたようだ。
「コラッ!? またそんな言い方して。お姉ちゃんに謝りなさい!」
「謝っても仕方ねえよ。どうせ俺らの声なんて聞こえてねえし、何も考えてねえんだから、どんなにヒドイことを言ったって構わねえだろ!」
「正志、あんなにお姉ちゃんに面倒見てもらっていたのに――」
結衣の母親は、テーブルの上にあった手拭いで顔を覆って泣き始めてしまった。
「初めまして、私は上城と申します。あっ、初めてではありませんでしたね。1度電話でお話しましたもんね?」
「おっ、俺じゃねえよ」
「どうしてあの時、お姉さんがいないと?」
「だから俺じゃねえって!」
「大好きなお姉さんの彼氏から電話がかかってきたから、嫉妬したんですか?」
「はぁ? 誰が嫉妬なんかするか! あれは姉ちゃんに頼まれたから言ったんだよ!」
「なるほど、そういうことだったんですね」
「あっ!?」
彼は、あからさまに〝しまった〟という顔をした。
「お母さん、結衣さんとのお付き合いを許して頂けますか?」
「私は、結衣と20年以上も一緒にいたからわかるんです。あの子は上城さん、あなたの人生を自分の不幸な人生に巻き込みたくないと思ってるはずです。本当に大切な人、愛した人だから幸せになって欲しいと心から願っているはずです」
結衣と話が出来たならば、確かに母親と同じことを言ったであろう。でも母親自身が全てそれを望んでいる訳ではないのは、話を聞いていて直ぐにわかった。
「お母さん、これを預かってもらってもいいですか?」
「えっ!? これって――」
「はい」
「こんな大事なものを預かる訳にはいきません」
「大事なものだから、お母さんに預かっていて欲しいんです。お願いします」
私は、それを結衣の母親に向かって差し出し頭を下げた。受け取ってもらえるまで、頭を上げるつもりはなかった。それは佐伯家に来る前に立ち寄った区役所でもらい、記入を終えたばかりの婚姻届けだった。しばらくの間、沈黙が続いた。
「本当にいいんですか?」
「もちろんです」
「わかりました。お預かりします」 「よろしくお願いします」
私の覚悟を全て理解してもらえたとは思っていない。でも、私の結衣に対する気持ちが本物であることは理解してもらえたと信じたい。
「結衣をよろしくお願い致します。でも、もっ――」
「何もおっしゃらなくていいです。お母さんの言いたいことはわかります。でも、それは私には必要のない言葉です。私は結衣を生涯愛し続けますから」
「うぅ――うぅぅ――」
結衣の母親は、その場に膝をついて泣き崩れていた。うしろから視線を感じたので振り向くと、母親を無表情でジッと見つめる結衣の姿があった。泣き声に反応したらしい。




