ワン・トピック Ⅲ
「―――ラルヴァス、さん!」
突然、背後から声がかかって、ラルヴァスは戸惑いながら振り向いた。
「・・・あれ?カナリアさん?なんでここに?」
「それは、えと・・・」
柱に着いた灯りがともされ、薄ら明るくなった城内の広場。その片隅のベンチに、ラルヴァスは座っていた。そしてそこに、たたた、と近づく影。
「あの・・・・・・えと・・・・・・」
少し息せき切らすアルフェドーラ家の令嬢に、怪訝そうにしながらラルヴァスはベンチの隅に寄る。そして空いた場所に座るよう促した。
「・・・どぞ」
「あ、どうも・・・」
言葉に甘えてカナリアは座ると、何か決意したように、ラルヴァスに振り向く。
「あの!」
「はい」
「ひとつ、どうしてもお聞きしたかったことがあって」
「・・・はい、なんでしょう?」
「その・・・、どうしてあの時、剣を投げたんですか?どうしてセイラさんは何も言わなかったのに、剣を投げろって言ったのが分かったんですか?」
「・・・ああ」
なんだそのことか、とラルヴァスは頷いた。
カナリアの言う「あの時」は、先日、フォーマルハウトの海賊船の上で起きたことを指している。セイラによって呼び出されたラルヴァスは、解放されたカナリアと一旦甲板から離れ、持っていたセイラの剣を投げた。それを受け取ったセイラが、ひとりで海賊たちを一網打尽にした、という一幕。
あの甲板で二人が交わした会話は、セイラがラルヴァスの名を呼び、ラルヴァスが分かったと答えた。それだけだ。それなのにラルヴァスは剣を投げた。まるでセイラがそうしろと言ったとばかりに。
「あの時セイラは俺のこと「ラル」って呼んだでしょう」
「・・・そうでしたっけ?」
「そうでしたよ。セイラは俺をラルとは呼ばないから、逆に変に思いました。そしてすぐに気づいた。あれは、”セリアお嬢様”が”護衛のラル”を呼んだんです。護衛はお嬢様の剣を持っている。何かあったらお嬢様に渡すために」
実際、エネトル家の夜会でも、立ち向かおうとしたセイラにラルヴァスは剣を投げ渡した。セリアお嬢様が危険だったから、だ。
「時々突拍子もないことし出すから頭がついていきません、セイラには」
「・・・でも分かるんですね。ベッカーさんとリクスさんが、兄妹みたいだ、って言ってました」
「――――――兄妹ねぇ」
ラルヴァスは苦笑いをする。それに構わず、カナリアは追及を始める。
「なんで喧嘩したんですか?どうして止めようとしたんですか?・・・その話のように頭の回るラルヴァスさんなら、王命に逆らうことの難しさ、分かっていると思ったんです。でもどうして、止めたんですか?」
「・・・だから、向こうで」
「そんなにセイラさんのこと、大事に思ってるなら、ギクシャクしないでちゃんと謝るべきだと思います」
夏風が吹いた。生温くて、居心地の悪い風。
ユージュという国が、昨今アルギシアでどういう認識をされているかというと、はっきり言って人による。しかし、治安が悪いのは確かだ。
一番近い隣国と国交を絶っていたアルギシアは、海を隔てるという訪れづらさから、あまり他国から人が訪れることは無かった。その他諸国と交易をしていても、基本は国内で産業を賄える。国が栄えており、教育や職が大きく広がっていれば、犯罪の形式は異なってくるし、茶飯事でもなくなる。
対してユージュという国は、まずもって国土が広い。大陸戦争時に侵攻を幾度となく行ってきた「ユージェニック・クイントス王国」は、大陸有数の大国だ。武功も技術も秀でているが、王都から離れれば離れる程、華やかさは無くなっていく。貧しさゆえに、金の集まる王都で、悪事稼業に身を染める者は多い。そしてそれが集まり、大きな組織となり、その恨みの視線が向くのは金を持ち何不自由なく暮らす人間だ。そこに地位や身分など関係は無く、王族ですら同じこと。
カナリアだって、なりをひそめた伯爵家とはいえ、貴族社会の中に立っている。それ位わかる。
「・・・私、行動と判断が苦手なだけで、これでも周りを見る能力はあると自負しています。セイラさっ、セイラが王命に頷いたのが、どれだけ苦渋の決断だったのか。さっき飛び出して行った時の顔で、すぐに分かりました。・・・ラルヴァスさんだって、それは分かったはずですよね?分かってて、止めておけって言ったんですよね?」
傷口に塩を塗り込むように・・・、とは、言えなかったが、
「流石に、それは違う」
返って来た鋭い声に、カナリアはびくりと震えた。
「・・・ああ、すみません」
「・・・いえ!続けてください」
「続け・・・、・・・はい」
どこか考えるところがあったのか、ラルヴァスは一度ためらい、たどたどしく口を開いた。
「俺は別にユージュに行くことを怒ってるわけじゃないんすよ。それは仕方ないから。でも、言動があまりにも軽かったから、釘を刺したくなっただけです。あれもこれもと求めすぎると、痛い目を見る。俺たちは見習い剣士、半人前ですらない。実戦もしたことがない。もしものとき、前に立つのはセイラで、死に近いのもまたセイラ。浮かれてんじゃねぇよって、言っただけっす」
その少し砕けた敬語からは、投げやりな感じがした。やっぱりそれだけではない気がするカナリアだったが、だんだん変わってきた雰囲気に、それ以上深追いは出来ないと悟った。
だから、本当にここに来た目的をもう果たしてしまうことにする。
「・・・セイラのこと、好きなんですね」
「・・・、はい?」
気の抜けた声が返ってきて、思わずカナリアも目を丸くした。
「え?違うんですか?」
「違うんですかというか、何でそう思われるんですかってこっちが聞きたいんですが・・・」
「じゃあ、妹みたいな感じですか?」
「全然・・・あんなの妹だったら俺人生辞めたい」
セイラがいたら「そこまで言うか」と言われているだろう。
「じゃあ姉?」
「姉要素無いし・・・」
・・・世話のかかる奴だと遠まわしに言っているようなものである。
「じゃあ、ラルヴァスさんにとって、セイラって、どういう存在なんですか?」
ぐい、と詰め寄るように訊かれて、ラルヴァスは身を引く。さっきまでの重い空気はどこへやら、顔を引きつらせたラルヴァスに鋭い気配はなく、顔が引きつっていた。
「どっ・・・同僚?」
「本当にそれだけですか?好きじゃないんですか?」
「多分カナリアさんの言ってるような感情は無いです・・・ハイ・・・」
「じゃあ私と付き合いましょう!」
もう、変な声すら出なかった。余りの急展開に、言葉がどこかに飛んでいったらしい。
「問題ないですよね?セイラのこと、別に好きじゃないんですよね?」
「まっ・・・待て待て待て待ってください、待ってちょっと理解が追いつかない、え?」
別に、ラルヴァスは馬鹿ではない。理解力はある方だ。それが混乱を極めるほど、カナリアは突拍子もないことを言い出した。
「ええと、待ってカナリアさん落ち着いて。ちょっと話聞いてください」
「・・・はい」
「まず、あの、なんでそんなことを?」
「それはまあ、私がラルヴァスさんのこと好きになったからですよ?」
「なんでまた俺・・・」
「恋愛は理屈じゃない、理由も同意もないと、ベッカーさんに言われましたよ?強いて言えば、殿下の誕生日パーティで一目惚れして、助けられたとき二度目惚れですかね」
だんだん、その喋り方や押し方が、姉に似て来た。誕生会で自信なさげにしていたかよわい女の子の姿がどこかに言っている。まさかの肉食系か?そうなのか?
「付き合っていただけませんか?」
「・・・」
ラルヴァスはその真っ直ぐな視線に、たじろぐしかなかった。沈黙が流れて、
「・・・ごめんなさい」
精一杯考えた末の言葉は、結局それだった。
「・・・・・・そう、ですよね。まだあんまり喋ったこともないのに、こんなこと言われたら困りますよね。迷惑、でしたよね・・・」
「いや別に、それはかまわないですけど・・・。お気持ちには答えられない、です」
「・・・わかりました。真剣に聞いてくださって、答えてくださって、ありがとうございます」
カナリアはドレスの裾を握り締めた。自分から言ったこととはいえ、勢いで言ったとはいえ、・・・少し刺さる。
「・・・最後に、ひとつだけ聞いてもいいですか?」
「・・・どうぞ」
「ラルヴァスさんには、好きな人、いるんですか?―――というか、いますよね?」
カナリアはもう一度、水色の瞳を見た。睨むと鋭く尖り、笑えば優しくなるその目が、カナリアを映した回数は少ない。いつだって周りを見て、仲間たちを見ている。
そして何より、遠くを見ている。
「セイラだと思いましたが、やっぱりセイラを見てるようでそんな感じじゃないんですよね。もっと遠くを見ている・・・ここにはいない誰かを、見ている気がしました」
「・・・鋭いな、カナリアさん」
「はい。人付き合いが苦手な分、人を見るのには自信があります。鋭いな、ということは、いらっしゃるのですね?」
「・・・ですね。それもまた、カナリアさんの言うような感情かは分からないですけど」
ラルヴァスは、ベンチの背にもたれて空を見上げる。もう諦めたような顔で、呟くように言う。
「忘れられない人がいる。だから気持ちには答えられません」
「・・・はい、ありがとうございます」
「でも、友人としてなら仲良くしたいですよ。アルフェドーラ家のことも協力するし」
「!・・・お気遣い、嬉しいです」
「いいえ。・・・もう戻った方がいいんじゃないですか」
「そうですね。そうします」
ベンチから立ち上がって、カナリアは礼をすると、来た時のように駆け足で去っていく。警備も手厚い城内で、馬車の止まる場所に行くのであれば、送る必要も無いかとラルヴァスは思い、またベンチへ腰掛ける。
「・・・忘れられない、人」
呟いて、深くため息をついて、背もたれに仰け反りながら。
「なんであいつで、なんでユージュなんだよ・・・このやろ・・・・・・」
言葉は夜風に流れて、誰にも届かず消えていく。
「王城の、こういう場所は初めて?」
「・・・そうですね」
適当な相槌をを討ちながら、セナ殿下の後ろをついていく。
相変わらず煌びやかな城内の廊下は、夜だというのに眩しい。いつぞやかのパーティとはまた別の場所。これでもアルフェリアは政治と軍事の城らしく、アルヴァ―リア城よりは実用的、機能的なのだとか。
まあ滅多に見る機会のない場所なので、人がいるのも構わずきょろきょろする。
「やっぱり女の子なら憧れるのか?こういうお城ーとか、お姫様ーとか」
「人によると思いますけど」
「君は?」
「城は結構好きですよ。ひとつの国を守る盾ですから、人の配置とか構造とか、高度ですし。隠し通路がありそうな場所とかすぐ探したくなります」
「・・・そーいう質問じゃないな」
「だろうとは思いますけど、人によるので」
「かなり変わってると思うけどな。はい、どうぞ」
殿下は扉の前で止まり、ノックひとつなく開いた。
「失礼します」
私は促されるままに、ひとつのソファの傍らに立つ。そして頭を下げた。
「お初にお目にかかります。アルフェリア城付き見習い剣士、セイラ・セルと申します」
「こちらこそ、お会いでき何よりよ。初めまして」
カナリアの声が金糸雀のさえずりなら、ルナ殿下の声は鈴の音だ。綺麗で、透き通っていて、どことなく可愛い。・・・現実逃避だなあ。
「初めまして。この度は姉の我儘な申し出にお付き合いくださって、ありがとうございます」
「なっ・・・なんて言い方するのよ、ルイ!」
「だってそうでしょルナ。ルナがしつこく父上に頼むから、父上も折れざるを得なかったんだよ・・・?ルナの攻め込み方、えげつないから」
「えげつなくないわよ!」
突如始まった双子喧嘩・・・喧嘩という程ではないが、言い合いに、私はただ立ち止まって待つ。殿下方がどうなのかは知らないが、私の父も双子の兄だ。お父さんとフィルさんが言い合いをしない日は無いが、その言い合いが数分で終わらなかった日もまた無い。つまり慣れている。
「ルナ、ルイ。言い合いは良いから座れ。セイラさんが座れないだろ」
「・・・ごめんなさい」
「・・・申し訳ありません」
どこまでも礼儀正しいルイ殿下と、少しぶすくれて座るルナ殿下。この間のパーティでは気を張っていたのだろうか。全然印象が違う殿下方は、幼年学校の年下の後輩たちの様に無邪気だ。なんか妹!弟!って感じ。セナ殿下がいるからか?
「どうぞ」
示された場所に私は目を丸くし、立ち止まる。
「・・・私が、セナ殿下と同じソファに座るのは、おこがましいかと」
「そんなこと全然ないわ。私たちは、セイラさんと仲良くなりたいの。距離って大事でしょう?ね、お兄様」
「・・・まあ、セイラさんが嫌じゃなきゃ、俺は別に何でもいいけどさ」
「ほらお兄様もそう言っていることだし」
私はしぶしぶ腰を下ろすことにした。本気でおこがましいとか思っているわけではない。
この、セナとか言う王子、私は苦手だ。理由はパーティの時に感じた、同族のそれ。
「でも、本当にすまない。今回のがルナの我儘なのは確かだ。王命とあれば断ることも出来なかっただろうし」
「いえ、そんな・・・」
ことなくはなかったけど、チャンスでもあるのでどっちとも言えない。
「だから言ったろ、ルナ。物も金も地位もなんでも高ければいいってもんじゃないのはお前も分かってるはずだろうって。迷惑かけてんだからちゃんと謝れ」
「・・・」
ぷう、と頬を膨らます彼女は可愛い。黒髪を結い瞳を琥珀に輝かせる彼女は、お人形さんのようなかわいらしさで、むすくれる姿ですら似合っている。
目の前にいるのは一国の王女だ。れっきとしたアルギシア王家の血を持つ人間。私はそれに囲まれている。―――のに、何故か緊張は感じない。緊張・・・というより、違和か。
「ごめんなさい、セイラさん」
「いえ、このような大役を仰せつかったこと、大変光栄に思います。自分に務まるかどうか、いまひとつ自信はありませんが、精一杯務めさせていただきます」
仮にも王族の前だ。なけなしの語彙力で敬意にを表す。上手くはないな。
「まあ、ちょっと大変な仕事だとは思うけれど、そんなに固くならなくて構わないからな。どうせ俺たちはこんな感じだ。君たちの周りも同じだろう?」
私達の、周り。
目の前に浮かび上がった人たちに、その中でひときわ目につく人間に、息を呑む。
「・・・そう、かも、しれませんね」
他愛もないやり取り。意味もない喧嘩。言い合いは日常茶飯事で、結局馬鹿みたいに一緒にいる。―――いつのまにかできていた、大切な仲間たち。
その中で、私が気を張ることなど、無い。一緒だから、怖いものも無い。
「私たちは剣で決着をつけますが」
「・・・司令官のおふたりみたいだな」
「ああ、そうですね」
お父さんとフィルさんは、ちょくちょく喧嘩をしてはそのたびに打ち合いをする。稽古をしなくたって、自分と同じかそれ以上の相手と頻繁に剣を合わせるから、腕が落ちているようには見えない。
「そういえばお兄様は、セイラさんの剣技を見たことがある?」
ふと、思い出したようにルナ殿下が口を開いた。さっきのしょんぼりはどこ行った・・・。
「無いが」
「私、ルセミア叔母様の仰るように、女性が輝くべき時代は既に来ていると思うの。今はまだ特定され幅の狭い女性の世界が広がるのだと。たくましく騎士道の世界に入られたセイラさんから、どうしても学びたかったのよ!でもセイラさんは修剣士級でしょう?私たちは見に行けないもの」
いつぞやのパーティの時のように目が輝いている。あれぇ?釘刺したはずだったんだけどな・・・、と。
だいたい、たくましく・・・騎士道の世界に?―――うん、ぜんぜん違う。
「それにしてもセイラさん、セリアさんに似ているわね。セリアさんはもう少し大人っぽい雰囲気があられたけれど。お兄様と髪と瞳の配色が似ていたから、覚えているわ」
「そりゃまあ、彼女だからな」
「え!?」
ルナ殿下は吃驚仰天と、セナ殿下を見る。・・・ああやっぱり、気づかないわけないよね。
「本当なの!?」
「・・・はい。その節は大変失礼を」
「ええ・・・」
「ルナ、気づいてなかったんだな。ルイも確信が持てなかったようだが」
「・・・うん。似てるなと思ったけど、なんか違うから」
ルイ殿下も、声こそは出さないが驚いているらしい。どんだけ腕がいいんだ、シトロワ殿下のメイクさん。私は”セイラ”としては社交会に顔を出さない前提で了承したのだ。確実に化けさせろと。顔の印象と立ち居振る舞いで、別人と言って押し切れるラインがある。普段は戦闘用の低いブーツしか履かない私が、敢えて高いヒールを借りたのは、嫌でも歩き方を変えるためだ。
「視線、身体の動かし方、口調から雰囲気。これらを少し気をつければ、外観をがらりと変えるだけで別人に思わせられるものですよ。ただ、戦闘的立ち振舞いが抜けきれないので、エネトル家の夜会で思わず暴れたのを利用して、剣を使うという設定をつけてもらいましたが」
「ベッカー従兄さんや、クーリンガーデン家のリクセンディア殿と行動していただろう?おふたりは今年の春から、見習い剣士として王城にいるから、ただパーティーに参加しているだけとは限らないと思っていた。そして女性の噂も聞かないのに、知人の女性だと言ってセリア嬢を連れていた。そのセリア嬢はさらにお付きのものを連れていた。四人といえば、春の見習い剣士試験の合格者数だ」
頭が回る。流石、セナ王子だ。特に軍部関係のことの知識はしっかりと頭に入っているのだろう。私とラルヴァスのことについては知らなかったようだが。
王子の能力を測るようで悪いが、もう少し隅々まで見ればもっと脅威だと思う。―――フィルさんからきつく言われている言葉でもある。
「それで、探りを入れようとバルコニーへ?」
「そうだ。手強かった、流石だ。驚かされたよ。”目を見れば分かる”―――、父親そっくりだな、と」
「・・・」
目を、見開いた。
「それは・・・、オーヴァ司令官がよく言われる言葉ですね」
「そう、なんですか?」
ルイ殿下が首を傾げながら、頷く。
「ええ。だからセイラさんもそう、というわけではないんですか?」
「いいえ・・・」
目を見れば分かる、というのは、ある種の比喩だ。
幼いころから、私の周りにいた大人は変わっていた。特にフィルさん。父の双子の妹だというのに、表情をころころ変えて人を乗せるお父さんとは違って、いついかなる時も無表情。どんな大変なことが起きても、どんなに楽しいときでも、悲しいときでも、眉一つ動かさない。
―――でも、目は変わる。本当は取り乱している。瞳が動く瞬間に、フィルさんの想いは分かる。
フィルさんですらそうなのだから、普通の人はことさらに顕著だ。きっとお父さんも、フィルさんに鍛えられたんじゃないのかと思う。瞳の動きで、どういう思考回路なのかを読む術を。直感に近い、いわばただの――――――、勘。
「それさえ言われなければ、セイラさんも、護衛役で傍にいたのも、見習い剣士として潜入しているのだと気づけなかった。思わずか、敢えて言ったのか、それだけでも教えてもらえないか?」
「・・・ちょっと、鎌かけてはみましたよ。それで”フェルドカーティ傍系の令嬢ではない”・・・、つまりその場に出席すべきではない人間だと気づくのか、それが味方か敵か判断できるのか。意味深めいた言い方をすれば、それの中身がたとえ本当は薄っぺらくても、疑い深くなってしまうものですから。結果、殿下は私を弾きませんでした。味方かはともかく、敵ではないと判断されたのでしょう?」
「ああ。まず俺の顔と名前を知らない時点で、完全に怪しかったけれどな」
うっ。
「令嬢じゃない、とは思わなかった。少し変わった女性もいるものなんだなと、あの言葉を聞くまでは」
ああ、口を滑らせた。今更になって後悔するけど、まあ仕方ない。
「オーヴァ司令官と、そういう話をしたことは無いの?」
ルナ殿下に問われたが、私はそっと首を振る。
「父と話す機会も少ないので・・・。何も相談せず祖父に弟子入りして、何も言わずに見習い剣士試験を受けに来ました。それくらい、父とも、フィルさんとも、込み入った話はしたことが無いんです」
「あ・・・」
しまった、という顔をされる。
お父さんたちがアルギシアの為に働いているからだろうか。アルギシア王家の人として思うところがあるのだろうか。そんなこと気負う必要はない、まずもって私が全く気にしてないのだから。
「そんなお父さんやフィルさんが好きですよ。かっこいいし。会えないのが寂しいと思ったことはありません。・・・失礼ながら、殿下方だって、そうではないのですか?」
「・・・確かにそうね」
「うん、寂しいと思ったことない」
ルイ殿下とルナ殿下が納得したようで、セナ殿下も頷いた。
彼らの父親こそ、アルギシアの第3皇子であり、軍部のトップの人間だ。住んでいる城が同じだとしても、頻繁に会えないんじゃないけど踏んだが、やっぱりそうか。
「尊敬している。親としても、国を支える人としても。―――だから泥は塗りたくない。今度のユージュの訪問が成功するるように、頑張ろうな」
「とーぜんよ、お兄様」
なんと兄弟仲の宜しいことで、三人はしかと頷いた。
「セイラさんの立ち位置はどこにするつもりなんだ?ルナ」
「そりゃまあ、傍付きも傍付き、ほぼ側近のつもりよ?」
「側近だと護衛以外にも職務が生まれてしまうよ、ルナ。それは流石に難しいでしょ」
「そうは言ってもねルイ、セイラさんのような女性の護衛が傍にいてくれたら安心だって、そういう理由でお呼びしたのよ。側近はいないけれど、傍での補佐役はいつもビユルドに任せているでしょう?それと同じように控えていて欲しいの」
「ビユルドは僕たちのいわば側近みたいな人で、小さい時から公務に同行したりスケジュールの管理をしたり、色々手伝ってくれてるんです。政務官のひとりなんだけど、ほぼその仕事ばかりなので、職の階級が宙ぶらりんになってしまってます」
私の為にルイ殿下が説明を加えてくれる。ビユルドさんは、補佐役と。
「つまり私は、ルナ殿下のお傍で万が一に備えればいいんですよね?」
「ああ。不良品のワインを見破るとかな」
双子殿下のパーティーの時の話ですか、それ。
「結局、製造過程に不良があったジュースがたまたま私たちのところに来てしまっただけだったし、そのまま飲んでも影響はないらしかったから良かったのだけれど、いつもそうとは限らないわ。その点、セイラさんは頼りにできるもの」
満足げに頷くルナ殿下に、ボケっと聞いていた私は慌てて口を開いた。
「あの、あれは一応、馴染みがあるものだったから分かっただけで、ユージュものにはそこまで詳しくありませんよ?」
「パーティーに出るのはこの間と同じレグロ地方製のものよ。ビユルドがそういうこととか、日程とか、とにかく今回の公務についての資料をそこにどっさり置いていってくれたのだけれど、読む?」
「どっさ・・・」
ルナ殿下が指差した向こうの机には、辞書ほどの厚みの紙の束があった。
「・・・少し拝見しても?」
「いいわよ。ある程度は把握してもらわなきゃいけないのだし」
ルナ殿下に許可を貰い、立ち上がろうとすると、隣のセナ殿下がそれを制した。そのまま席を離れ、資料を私の目の前のテーブルまで運んでくれた。
「あ・・・、ありがとうございます」
恐れ多いが、過ぎてしまった一瞬のことはもうどうしようもない。私は頭を切り替えて、資料へ手を伸ばした。
「あらお兄様、やっさしい」
「なかなかに重いから、・・・な?」
ルナ殿下に茶化されたセナ殿下の返答が不自然に止まり、私は顔を上げる。と、お三方が私を見て少し目を見開いていた。―――流石兄弟、似てるなぁ。――――――じゃなくて。
「どうかされました?」
「・・・そうね。セイラさん、剣士だものね」
「え?はい」
「セイラさんが資料を簡単に持ち上げたから、ちょっとびっくりしただけだ、気にしないでくれ」
「・・・・・・ああ、なるほど」
ソファーとティーテーブルは遠いため、私は資料を膝の上に乗せたのだが、その時にさほど重いとは感じなかった。そういうことを言っているのだろう。
「斬撃より軽いですから」
「それは、彼の?」
「・・・・・・まあ、そうですね」
私はセナ殿下の言葉を躱すように、資料を捲る。
「護衛のラル、ラルヴァス・ハイド修剣士。セイラ修剣士のルームメイトにして、同じスベジク教官騎士長付きの同期だよな」
「そーですね」
「彼とも一度会話したが、なかなか食えない奴だったな」
「え、お兄様、いつの間にラルさんとお話してたの!?」
「俺はパーティー会場うろうろしてたら、壁際で悲しそうに食事を見てる兵士服の人間がいたからちょっと声掛けたら、『セリアお嬢様の・・・えと、護衛?付き人?なんですかね、そういうやつです』って返されたから、こいつは面白いやつだなと思ってさ」
日程は・・・ふうん。聞いてた通り中央で二泊か。
「どんな話をしたの?」
「慣れてないのか、とか、なんてことない話を。どこからどう見ても新人兵士って感じだったが、腰に剣が二本あったのが少し気になってな。二刀流なんてそうそうお目に掛かれないだろ?自分とそう変わらないか少し年上くらいなのに、と思って尋ねてみたら、もしもの時に投げる用です、って」
「投げる?・・・投げる用の短剣とか?」
「いいや、長さは似たり寄ったり、二つとも普通の剣。俺も変に思って訊いたけど、それ以上は答えなかった。その後は食べ物が美味しそうだという話をしただけで、主人のことには一切触れないし」
「なにか尋ねなかったの?セナ兄」
「尋ねたさ。お前の主人はどういう人だ、って。そうしたら・・・」
「そうしたら?」
「・・・ま、何かしら答えてくれた」
「何かしらって何よ?セナお兄様、勿体ぶらないで」
「たい焼きはこしあんが好きな人です、だってさ」
「「・・・たい焼き?」」
ちらりと視線を向けると、双子殿下が仲のよろしいことで、同時に首を傾げる。
・・・何言ってんだ、ラルヴァスめ。
「他にあるだろうと言ったら、チーズケーキはレモンティーで食べるって。ケーキに合うからって、猫舌なのも構わずにホットを飲むくせに、ちょっとずつ飲むのに飽きて火傷しそうになる、ちょっとアホな人ですって」
人の食い方にケチつけやがって、ラルヴァス後でしばいてや、
「そういうところ可愛い人ですよ、ってさ。セイラさん」
「・・・はい?」
冊子の最後の一ページから顔を上げて、思わずセナ殿下を見る。
「妙な脚色は止めて頂きたいのですけれど、殿下」
「脚色じゃなくて、本当に言っていたけれど」
「・・・ラルヴァスなんだかラルなんだかどっちかにしろよラルヴァス」
私が悪態をつくと、カップを手に取ろうとしていたルナ殿下が、覗き込むように私を見た。
「ということは、”ラルさん”としてなら言いそうな言葉なの?」
「言いそうですね。こういう仕事のたびに、口調が物凄く軽くなります。・・・にしてはどう考えても護衛の言うことじゃない。飲むくせにって何だ”くせに”って!」
「まあまあセイラさん、どうどう。すまない、ちょっとからかった」
悪びれない言い方に、私はじとりとセナ殿下を睨む。
「―――言って無いんですよね?」
「いいや?言ったよ。一字一句間違ってないとは言ってないけど、内容に差異は無い。断言する」
「・・・そーですか。これ、ありがとうございました」
ティーテーブルに資料を乗せると、ルイ殿下が驚いたように目を見開いた。
「もう読み終わられたんですか!?」
「・・・ええ、一応」
「早っ・・・」
「高等校の先生には、この倍くらいで読む方が居ましたよ。数字だらけの経理関係の書類なんか、一瞥って感じでしたね」
「高等校・・・出身なんですか?」
「はい。アルフェリア城下地区幼年学校出身、アルフェリア高等校卒です」
「凄い・・・。上級学校は?」
「ルイ、セイラさんの年でそれは無理よ。幼年学校は7つになる年から6年間が義務なのだから」
「幼年学校から、高等校へ!?それは、本当に、凄い・・・」
「そうでもないですよ?幼年学校卒業時点で、高等校への入学資格が存在しますから。軍事分野では半分が実技ですし、外交分野では面接も含まれます。言いくるめて圧倒して印象付けて、あとはしっかり筆記を取れば誰だって受かりますよ」
「セイラさん、流石に誰だってとはいかないと思うな、あの試験問題は・・・」
セナ殿下はどこかで試験問題を解いたことがあるらしい。苦い顔をしている。ほとんど得意分野しか受験しなくていいのだから、上級学校よりずっと楽だと思うけれど。
「ねえお兄様、そろそろ夕食にしましょう?」
「ああ、そうだな。ここじゃあなんだし、ちゃんとしたところで」
「別にちゃんとしてなくていいですけど・・・・・・」
「固くならなくて大丈夫だ。どうせ俺たちしかいない」
いや、あんたら王族でしょ。
とはいえ、いまから官舎の食堂を訪ねても、残りは殆どないだろう。お言葉に甘えてご馳走になることは、むしろ嬉しい話だ。
促されて立ち上がり、扉を開く。また視界に映る煌びやかな廊下は、光は違えど高等校に少しだけ似ていた。アルフェリア城の城下町にある高等校だからアルフェリア高等校。雰囲気は似ててもおかしくない。
もはや懐かしいと思えてしまう程、過去の記憶だ。
思えばがむしゃらだった気がする。さっきはあんなことを言ったが、私だって上級学校に進学して、何か別の仕事に就くものだと思っていた。―――剣士になる筈など無かったのに。
今はもう、それが当たり前で、自分はセイラ・セルという名の剣士なのだと、心に刻まれている。
「セイラさん、こっち」
「―――はい」
私は剣士になった。野望を叶える為に。ならば、
命を賭してでも進むしかない。




