虚ろの鎧と、憂いの娘②
俺は、鎧だ。今までも鎧だったし、これからも、鋳溶かされて坩堝の中のどろりとした溶鋼になるまでは、鎧のままであるだろう。
さて、ある日、彼女は言った。
「わたし、結婚することになったわ」
「そうか。おめでとう」
すぐにも祝福の言葉を述べたのだが、--彼女にはそれが、いたく不満であったらしい。俺の足をつま先ですくい、浮いたところを引き寄せたかと思うと、そのまま背負い投げられた。
なんでも、後に聞いたところによると、東洋の武人が使うバリツという技なのだそうだ。
俺は背中から床に落ち、なんとも派手な音とともに、四肢を床に散乱させた。--頭部は壁のほうまで転がっていき、磨き上げられた樫の硬い壁にぶつかって、からりと乾いた音を奏でた。
「なんで、そんなこと言うの」
彼女は目から、とめどなく透明な液体を流す。顔を真っ赤にして、それを何度も手のひらで、刺繍の施された紫色のドレスの袖でまでもぬぐう。
それを止めるべく手を伸ばしーー彼女の頬に触れてから、俺は気づく。
この指では、彼女の涙はぬぐえない。
俺の手の冷たさに、--金属の温度に、彼女がはっと顔を上げる。湖みたいな澄んだ瞳は、驚きに見開かれていた。
「あなたは、平気なの。--その、わたしが、他のひとにーー」
「?」
掴むべき衣服も着ていない俺の肘を、彼女は細い指でつかんだ。
「--その」
彼女が何を言おうとしているのか、俺には皆目、見当がつかない。
「平気なの?」
兜の隙間をのぞきこむ彼女はーー不思議そうでもあり、むくれているようでもあり。
「お前が、男とケッコンすることか?」
「ええ」
平気だ、と答えたら、このまま溶鉱炉に蹴り落されるような気がした。
いや、ここは、屋敷の中ではあるのだが。
俺は考えた。
考えて、そして、挙句に問うた。
「お前は、鎧が好きなのか?」
一瞬、目を瞠った彼女はーー次の瞬間、今まで見たことも無い、優しい笑顔でほほえんだ。
「ええ。好きよ」
俺に無い筈の心臓が、どこかで跳ねた。
***
見合いとやらが行われ、彼女の意向で、その席に俺も飾られることになった。
ギギィと執事が扉を開け、入ってきたのは、絵に描いたような美青年であった。
ーーこれなら安心だ。
何やらよくわからないが、俺はひどく安堵していた。
彼女はきっと彼を気に入るだろう。
そして、彼も、あんなに気立てのいい娘を好きにならないはずがない。
よく清潔にされた、仕立ても趣味もいい服。優雅な所作。
話す言葉はなまりがなく、その声は、天上の音楽でも聞いているかのようだ。
ーー正直、こんな完璧な人間を作ってよかったのかと、神を問いただしたくなったくらいだ。
俺は鎧だ。--どうしようもなく、鎧だ。
メイドに磨かれて、周囲の景色を映して、静かに静かに飾られている。--それだけのモノだ。
だから、彼と彼女の会話を静かに聞いていたし、時折上がる笑い声が心に刺さってもじっとしていた。いつもより完璧に見える給仕たち。
いつもよりよく笑う彼女。そして完璧な青年。
何も不都合はない。
何も。
だから、俺はただ、静かに立ち尽くしていた。自分が動けることも忘れて。
***
月が綺麗だった。
黒々とした森の上には、満ちる前の、月。あと数日で満月なのだろう。
俺はあてもなく、森の中を進んでいた。
鎧なのだから、食べる必要もない。眠る必要もない。呼吸する必要すら、ない。
「あなたは何者なの?」
いつか尋ねた誰かの声が、俺のがらんどうの中で反芻されている。
「俺は」
何者なのだろう。何者かになれたのだろうか。
彼女は俺を必要としない。
ーーただ。
俺の空虚な何かが、痛みを訴えるニンゲンのように、ずきずきと痛んで止まないのだ。
夜の森の生き物たちが、俺の視界を足早に駆けーー、かと思うと、不思議そうに立ち止まったりする。フクロウの嘆くような声。羽音。自分が森の土を踏みしめる音。
どこまででも、行こう。
ーー自分が何者か、分かるまで。
「……、何故、泣いている?」
彼女の声が、俺の意識の中に響く。
「俺は」
鎧だ。--ただの、鎧。
「意気地なし」
ふと、声が聞こえて顔を上げれば、白い外套とフードの、怪しげな人物がそこにいた。
「人間は、一生の間、本当には何者にもなれない」
「彼女は彼の花嫁で、俺は鎧だ」
怪しげな魔法使いは鼻で笑った。
「誰かに押し付けられた肩書きに、一体どんな意味がある?」
「貴様には分からんのだ」
魔法使いの目が剣呑に光る。
「--何を?」
「誰かの幸せを願ったことなど、ないのであろう? 俺は、彼女に笑っていてほしい。そのためなら、何でもする」
「彼女は泣いている」
「すぐにまた笑えるようになる!」
魔法使いは、小さく笑った。
「ヒトの姿を、やると言ったら?」
「--なに、を」
「願えばいい。望めばいい。手の届くものも、届かないものも。欲しいなら、願えばいい」
「--ッ!」
鎧の手は、痛みを感じない。俺が打った針葉樹の幹が、みしりと鳴った。
「--やめろ」
ああ、きっとこの魔法使いは悪魔なのだ。ヒトを誘惑するという。
***
「取引成立、だな」
「ええ、そうね」
魔法使いがつぶやくと同時、木の陰から、小柄な鎧が姿を現した。
「?!?!?」
混乱する俺に、女性物の鎧は一礼した。
「初めまして、鎧さん。それとも、こんばんわ、かしら」
「な、な、な…っ?!」
なぜ、彼女が鎧になるのだ。
彼女は俺の腕をとり、耳元でささやく。
「大好きよ、鎧さん」
「ちょ、ちょっと待て何かおかしい!!」
魔法使いはニヤリと笑う。
「おかしくないだろ。今や、二人とも鎧なんだから。遠慮なく幸せになれよ?」
「何をどう幸せになれというのだ?! 第一、鎧と鎧がいちゃついてどうなる?! 鎧の夫婦なんて、聞いたことがないぞ!!」
「じゃあ、地上初の鎧カップルだな。おめでとう」
なにがめでたいのだ?! 彼女の幸せはどうなった?! 俺は、俺は。
「ただの鎧、なんだろ?」
ああ、魔法使いッ、その妙な笑顔をやめろ!
満ちる前の月は、今や中天に差し掛かり、ーー俺を笑っているのだか、祝福しているのだかーーもはや、分からなかった。
Thanks for Reading !




