四、行方 1
『王女の様子は?』
『薬が効いて、よく眠っている』
『しかし、まだ到着されないとはどういうことだ』
『それが、国境でちょっとした騒動があったらしい。そのせいで出国が遅れたと連絡があった』
『騒動?』
『心配するな。我々には関わりないことだ。駆け落ち者が国を出ようとしたところで婚約者に追いつかれ、心中騒ぎを起こしたとか』
『人騒がせな話だ。それで到着は?』
『夜にはいらっしゃるはずだ。それまではここで待つしかあるまい。我々が王女を連れてこの国を出るよりも、あの方にお越しいただく方が危険が少ないからな』
この貧相な小屋に運び込まれてすぐ、まだ眠っていると思ったらしく枕元で交わされた会話を思い出して、リエラは表情を暗くする。その場で問いただしたかったが、ひどく体が重く、目も開かなければ声も出なかった。今思えば、薬の効果が消える過程だったのだろう。
男たちの口調は『あの方』との主従関係を匂わせるもので、単純な営利目的の線は薄いように思われた。さらに、『あの方』とは他国の人間である可能性が高い。
鎧戸の隙間から零れる光はまだ明るいが、夜になれば『あの方』とやらがやって来る。
その時、自分はどうなるのだろう。
不安で、押し潰されそうだった。
拉致されてから、この小屋に着くまでの記憶は曖昧だ。移動の間はほとんど眠らされていたし、起きている時も頭に靄がかかったようで、動くことも考えることもすべてが面倒だった。だから、どのくらい時間が経ったのかもわからない。自分の状況さえよくわかっていなかったから、危機感も恐怖もなかった。
けれど今は違う。頭ははっきりしているし、体も動く。だからこそ、怖くて怖くてたまらなかった。
(お父さま、お兄さま、お願い。早くわたくしを見つけて……! 助けて!)
そうリエラが願った頃、彼女に一番早く辿り着きそうだったのは、助けを求めた父でも兄でもなく、三ヶ月違いの異母姉だった。
そのアイラはというと、武術大会の会場――フェウマロウナの丘にいた。リエラが姿を消した場所に行けば足跡を追えると言われたためだ。
その言葉通り、メルとゼラは到着してすぐ、リエラ王女が何者かの手によって連れ去られたのは間違いないと口をそろえて断言した。
「セリムとギルは行かなくていいの?」
「私はあまり情報収集に向かないものでね」
「ギルも?」
「俺が行くと邪魔になる」
「ギルは私と違って能力の問題ではなく、相性が悪くてね。この国は春だろう?」
「あ、なんとなくわかったわ。冷やすのは得意だけれど、暖めるのは苦手ですものね」
物心ついたころ、彼らは自分たちが精霊と呼ばれるものだと教えてくれた。彼らについてそれ以上の詳しいことは知らないが、それぞれ属性があることは遊び相手をしてくれる中でなんとなく感じていた。メルの作った光玉を捕まえると、ギルが氷に閉じ込めてくれたり、ゼラは紙吹雪を操って見せてくれたりした。ここまでアイラを抱いて空を飛び、送ってくれたのもゼラだ。
(カタムは確か、お花を咲かせるのが上手だったわね……あと土で本物みたいに動く動物を作ってくれて……)
アイラは少し離れた場所でそれぞれ虚空を見上げ、何事か話している三人に目をやった。今まではっきりと意識したことはなかったが、メルは光、ゼラは風、カタムは土か植物に関係した精霊ということだろうか。確かにギルよりも春との相性は良さそうだ。
アイラの目には、薄く透けた無数の何か小さなものが三人を取り囲む様子が見えていた。何故かわからないが、アイラは昔からそうしたものを見る目を持っていた。
(あの小さきものたちがリエラの行方を知っていてくれると良いのだけれど)
「大丈夫だ」
アイラは瞳を瞬かせてギルを見上げた。漆黒の双眸が真っ直ぐにアイラを見つめていた。
「メルとゼラに任せておけば間違いない」
表情は変わらなくても確かに感じる温もりに、ふっと肩から力が抜けるのを感じた。そうして初めて自分が緊張していたことに気づいたアイラは、ギルの気遣いがとても過保護なものであるように思えて面映ゆかった。
「そうね。それに、カタムも」
「まだ経験不足だ。遊ばれている」
そう言われて見れば、カタムの周囲のものは、まとわりついてみたりくるくる飛び回ってみたりと忙しない。
「そう言うな。あれでもアイラのためにと張り切っているのだから」
苦笑しながらも庇う気遣いを見せたセリムの声に、カタムの高い声が重なる。
「聞こえたよっ。どうせみんなみたいに名が通ってないよーだっ」
両手を上げて飛び跳ねるカタムに、メルが近づいて声を掛ける。その手前ではゼラが軽く片手を上げて集まってくれた小さなものたちに礼の意を示している。
「どうやらうまくいったようだ」
セリムの言葉は戻ってきたメルによって肯定される。
「リエラ王女は元気にしてるよ。危害を加えるつもりはないみたいだ」
アイラはか細い息を漏らし、祈りを奉げるように瞳を閉じた。今のところはという注釈がつくことはわかっていても、かすかな吐息には抑えきれない安堵があり、青白い影を落として震える睫毛には、だからこその焦りがあった。
「今はどこに?」
「半分壊れた古い城。ザンカのルト城だ」
ゼラがアイラの手を取り、優しく抱き寄せた。
「必死で探してる連中に、教えてやれよ」
途端、強い風に包まれる。
速い……!
いつもの比ではなかった。アイラは思わず目を瞑る。
そして、風の音が止み。
アイラはゆっくりと目を開けた。
「……クドゥル様?」
青い目をいっぱいに見開いて立っているのは、確かに第四王子クドゥルだった。筒状に丸めた紙を持った手が中途半端な位置に上がったまま固まっている。開いたままの口から、闖入者の名が零れ落ちた。
「――――――――アイラ」
次の瞬間、呆れたような面白がるような笑みがクドゥルの顔に広がった。
「驚いたな。いきなり窓から飛び込んで来るなんて、どういう趣向だい?」
「どうしてクドゥル様が? まさか、ここはセイロッドなのでしょうか」
常になく強引に運ばれた場所で、現在留学中のため王宮にいるはずのない人物の姿を見つけ、アイラは軽く混乱した。
「ここは青の館だよ。私は三日前に戻ってきたんだ」
ボーマルッカ王家では、王女は生母の館に一緒に住まうが、王子は王宮内に自分の館を所有し父母とは別々に起居するのが慣わしだ。青の館は第四王子クドゥルに与えられた館だった。
アイラが青の館に足を踏み入れたのは初めてだ。見たところ、談話室のようだった。四角形ではなく、円形に近い多角形の部屋はずいぶんと広い。濃い茶色とやわらかい緑で統一された家具は落ち着いた中に清々しさを感じさせる。
金箔を押した背表紙が並ぶ天井までの大きな本棚。精緻な彫刻の美しい飾り棚。立派な額縁の中には、今にも小川の流れる音が聞こえてきそうな花咲く水辺を描いた絵が収められていた。少しずつ意匠の異なる肘掛け椅子や長椅子やテーブルが、それぞれ三人から五人が座れる程度の四つの固まりを作り、絶妙な位置関係に配置されている。テーブルの上には卓上花が飾られ、菓子器らしき小箱も置かれている。
クドゥルは手近のテーブルに持っていた巻紙を置き、アイラのそばに歩み寄った。
シュタル王を若返らせたような容貌のクドゥルは、アイラやリエラより六つ年上の二十一歳。第一王妃ファンナを母に持つ、リエラの同母兄だ。そして、アイラを正統な王女として扱い、リエラと分け隔てなく接する貴重な人物だった。リエラばかり可愛がる父母を見ているせいか、ともするとアイラのほうをより気にかけているようにさえ見える。
ファンナ王妃は王女を三人、王子を二人産んでいる。末のリエラと姉王女たちは二十近い年の差がありアイラは顔さえ知らないが、王子二人とは比較的親しくしている。
皮肉なことに、最もアイラを嫌っているだろうファンナ王妃の五人の子の内三人が、アイラに好意的なのである。リエラとクドゥル、そして第二王子ミリュウ。言うなれば、アイラは父王を含めたこの四人としか、個人的な付き合いはない。そして、アイラの中での位置付けが明らかに他と一線を画すのが、その内の二人、父王とリエラだった。
たかが四人だが、王妃にしてみれば腹立たしいことこの上ない顔触れだ。そしてぶつけどころのない怒りは必然的にアイラに向かうことになる。
その辺の事情を知っているクドゥルは、あえてからかいを込めた明るい口調で二人が入れ違った幸運を指摘した。
「私が一人のときでよかったな。もう少し前だったら母上と鉢合わせていたぞ。――いや、もう八つ当たりされた後だったか」
そう言いながらクドゥルはアイラの手を取り、側にある椅子に掛けるよう促した。そこへ腰を下ろしたアイラは、クドゥルが隣の席に着くのを待ってから口を開いた。
「ファンナ様からリエラのことを伺いました。クドゥル様、リエラは無事ですわ」
希望や願いではなく確信している口調に、クドゥルの視線が強さを増しアイラに注がれた。真意を問うかのような眼差しに頷いてみせる
「リエラの居場所がわかりました」
「…………かれらが、そう言ったのかい?」
「はい。リエラはザンカのルト城にいます。壊れかけた古い城だと聞きました」
クドゥルはくだくだと説明を求めて時間を無駄にはしなかった。
「わかった。少し待っていてくれ」
そういい置いて、席を立つ。
その対応の早さを見て、ゼラが情報を渡す相手としてクドゥルを選んだ理由がわかった。
アイラは陰で怪魔憑きの姫と言われることがあるが、それはいわゆる悪評の一つでしかない。真偽の定かではない噂につく尾ひれの類と思われている。魔物を操るとか、怪しい植物を栽培しているとか、本当に信じている者は皆無、とまでは言わないが、ごく少数だ。『生母の身分が低い奇行の目立つ姫』というものが王宮の人々の共通した認識だった。そうでなければ、いくら持参金が豪華になったとしても、夫に立候補する人間はもっと少なかったろう。
アイラが時に不思議な力を使うこと知っているのは、王家にごく近い人々に限られる。さらに精霊たちのことまで知っているのは、たった三人しかいない。第一王子ヒュダト、第二王子ミリュウ、そして第四王子のクドゥルである。
その三人の中で、身軽に動けてなおかつアイラの話をきちんと聞いてくれる人物となると、クドゥルになるわけだ。
クドゥルは控えの間へ続く扉を開け、侍従に何事か指示を出してから戻ってくると、座っているアイラと視線の高さを合わせるように身を屈めた。
「ありがとう、アイラ。それから、かれらに感謝していると伝えてほしい」
「はい」
頷いて、ほんの少しだけ表情を緩めた。
アイラは、リエラと入れ替わったこと自体には反省も後悔もしていなかったが、そのために対応が遅れたことは申し訳ないと思っていた。また、これまでにない過密な予定をこなした直後だったとはいえ、よりによってリエラの大事に三日も眠り続けてしまうとは、自分で自分が情けない。多量の睡眠を要求する体に今までこれといって不満を感じたことはなかったが、初めて苛立ちを覚えた。役に立たないだけならまだしも、捜査を混乱させてしまったようなものだ。
けれど、こうして捜索の手助けができたことで、その気持ちが少しだけ慰められた。リエラの元気な顔を見るまでは心配なことに変わりないが、場所が特定できたことで追い詰められたような胸の痛みが少しだけやわらいだことも確かだ。それは、リエラは無事だという彼らの言葉に帰するところも大きい。
ふと、心労のあまり倒れそうな様子だったファンナ王妃が頭に浮かぶ。それは、メルの指摘した一方的な仲間意識の表れかもしれなかった。
「ファンナ様が少しでもお休みになれるとよろしいのですけれど。とても辛そうなご様子でしたから」
「いっそのこと寝込んでもらえたほうが静かでいいんだが」
薄情なことをかなり本気で言うクドゥルに、アイラは困ったように青紫色の双眸を瞬かせた。
「母上は、ずいぶんとひどいことを言ったようだ」
「いいえ。そのようなことはありません」
クドゥルは短く息を吐いて、アイラの銀色に輝く髪に触れた。笑みの消えたクドゥルの顔には、やはり疲労の色がうかがえた。
「アイラにはかれらがいるから、滅多なことにはならないと自分に言い聞かせていたが、心配したよ」
そっとすくい取った一房が手の中を滑り抜けていく。クドゥルはその感触を惜しむように空になった掌を握り込んだ。
「無事でよかった……」
囁くように小さな、安堵と感謝の込められた言葉。
見上げると、クドゥルの青い瞳がある。父王と同じ色だが、宿る感情はずいぶん違う。クドゥルに見つめられると、アイラはくすぐったい気分になるのだ。
いつもあまり感情を表さないアイラの口元が、かすかに綻ぶ。
アイラは精霊たちの前ではよく笑顔を見せるが、他では滅多に笑わない。アイラの笑顔遭遇率二位のクドゥル――ちなみに一位はリエラである――にして、高い希少価値をつけているくらいだ。思いがけぬ僥倖に、クドゥルも思わず微笑みを浮かべた。
「今更だが、ずっと眠っていたのか?」
アイラは隠しても仕方のないことなので正直に答えた。
「はい。申し訳ありませんでした」
「謝らなくていい。しかし、以前は長くても一日だったろう? どこか悪いのではないだろうな」
「いいえ。最近、少しばかり無理をして起きていることが続いたものですから、そのせいだと思います」
「ならばよいが」
そこへ扉の外から声がかかり、先ほどの侍従が顔を覗かせた。取り次いだ覚えのないアイラを目にして一瞬奇妙な顔をしたが、口を開いたときには元の顔に戻っている。
「リムド様がいらっしゃいました」
「ありがとう。通しくれ」
自分の役目は終わったと判断したアイラは、退出しようと立ち上がりかけたところをクドゥルに止められた。
「まだ話がある。すまないが、ここにいて欲しい」
急いで水蘭館に戻る理由もないので、不思議に思いながらももう一度椅子に座り直す。
「失礼致します。お呼びにより参上致しました」
少し間を置いて、アイラの知らない男性の声がした。声自体はよく響く豊かな低音だったが、感情を抑えた口調は少し堅苦しい印象を与える。アイラは入り口の扉に背中を向けた位置になるので、姿は見えない。
「早かったな。ああ、そこでいい。私がそちらへ行こう」
「近くまで来たところでした。妃殿下との話が長引いていらっしゃるようでしたので、そろそろ助けに入る頃合かと。杞憂だったようですが」
クドゥルはわざわざアイラから離れて話し始めたので、異母妹を紹介する気はないようだった。アイラも挨拶する必要を感じなかったので、大人しく待つことにする。
「アイラ」
声がすぐ近くから聞こえた。一瞬遅れてギルの姿が現れる。唐突な呼びかけには慣れているので驚かなかったが、話しかけられたことには驚いた。精霊たちは、アイラが誰かといるときに声を掛けることはあまりない。ましてや、形を取ることは非常に珍しい。
「戻るぞ」
「え?」
「クドゥルにそう言って来い」
「だめよ。聞いていたでしょ」
アイラは小声で答えた。
「こちらにも事情がある」
「どんな事情なの?」
「後で話す」
ギルはアイラの腕を引っ張って、強引に立ち上がらせた。足がテーブルにぶつかり音を立てる。クドゥルがそれに気づいてこちらを見た。
「どうした?」
振り返ったアイラの目に、クドゥルともう一人、濃紺の近衛騎士の制服を来た男性の姿が映った。かなりの長身だ。クドゥルより十歳くらい年長だろうか。
二人が並ぶと、まるで光と影のように違いが際立った。その騎士は黒々とした髪と灰色の瞳の持ち主で、金髪碧眼のクドゥルと好対照をなしている。また、優しげだが一癖ありそうなクドゥルに対し、実直で精悍な印象がある。
その対比がアイラの記憶を刺激した。以前にもこの組み合わせを見たことがあるような気がする。しかし、はっきりと思い出す前に耳元で急かす声に邪魔された。
いったい何をそんなに急ぐのだろうと思いながら、アイラはギルの望む言葉を口に乗せた。
「クドゥル様、わたくしは戻らねばなりません。申し訳ありませんが、お話は次の機会に伺わせていただけないでしょうか」
「それは困る」
即答された。あまりにきっぱりした拒否にアイラが口ごもっている隙に、クドゥルはリムドとの会話を切り上げる。
「では、今話したようにやってくれ」
「かしこまりました。至急確認致します」
リムドはクドゥルに礼をとった後、アイラに視線を移した。ふっと微笑んだ灰色の瞳は意外にも温かい。リムドはアイラにも丁寧に辞儀を正し、談話室を出て行った。




