三、消えた王女 1
黄金の光の化身のようだった。
生き生きとした感情を映す緑の瞳。うっすらと上気した頬。ふんわりと白い肌にかかる蜂蜜色の髪。
純白の衣装は華奢な肢体に沿って美しいひだを作りながら流れ落ち、膝からふわりと広がって長く後ろに裾を引いている。透ける薄絹に白い絹糸で刺繍を施し透明なビーズを縫いとめた袖はきらきらと輝き、ゆったりと大きく開いた袖口から細い手首が覗く。
アイラは嬉しそうに微笑んだ。
「よく似合っているわ」
「本当? おかしなところはない?」
「リエラは誰よりもきれいよ」
光が弾けるような笑顔を見せるリエラを、アイラは穏やかな眼差しで見つめている。
その二人の王女の傍らには、リエラ付きの侍女マティアが控えていた。ずっと渋い顔をしていたのだが、衣装を身につけたリエラの美しさに頬が緩んでいる。
ここは水蘭館の一室。アイラとリエラは、過日の約束どおり入れ替わりを決行中だ。
「リエラ。もうすぐ迎えが来るわ」
「ああ。ドキドキしてきたわ。気づかれずにできるかしら」
「大丈夫よ。もし気づかれても、こんなに素晴らしい花冠の乙女を見て怒る人なんていないわ」
真顔で淡々と言われ、リエラは頬が熱くなった。賛辞を受けることには慣れているリエラだが、アイラに面と向かって褒められるとどうしていいかわからなくなる。
「では、後はお願いね。わたくしはこれで」
「あ、待ってアイラ」
慌てて呼び止めたリエラに向かい、青紫色の瞳が問いかけるように瞬く。その瞳がぼんやりとしていかにも眠たそうに見えたので、リエラは急いで口を開いた。
「花冠をかぶせてくれる?」
「花冠?」
「アイラにして欲しいの。マティア、花冠をここに」
マティアは水盆に浮かべた日晶花の花冠をそっと白い布の上に置いた。その布ごと持ち上げ、リエラの前に差し出す。
日晶花は花冠の乙女の象徴だ。建国の王に嫁いだ春の精霊が婚姻の誓いに咲かせた花と言われており、ボーマルッカの国花でもある。杏の実ほどの大きさの花で、六枚の白い花弁を持ち、陽射しの加減で花弁の縁が金粉をまぶしたように光を放つ。
そして不思議なことに、王家の血筋が身に着けると、切り花にもかかわらず、一昼夜摘みたての瑞々しさのまま咲き続けるのだ。
そのため、王族が花冠の乙女を務める際には、最初から日晶花の冠を載せるが、王族以外の乙女の場合は、優勝者に栄誉を授けるためベールを外した時に、初めて花冠を戴くことになる。
「アイラ。お願い」
アイラを見つめる緑の瞳は真剣だ。
リエラはリエラなりに思うところがあった。説得するまでもなくあっさり承諾してくれたため話さずに済んでしまったが、今回のお願いの発端はアイラが心配だったからに他ならなかった。
リエラはアイラの婚約者となる人物のことが知りたかった。アイラを得るためには武術大会で優勝を勝ち取ることが前提なのだから、立派な若者に違いないと思う。けれど、自分の目で確かめたかったのだ。どうしても間近で見たかった。
仮にアイラが出席したとして、後でリエラがどんな方だったのかと尋ねても、リエラの知りたいことなど全部わからないで片付けるに決まっている。こういう時のアイラはまったく当てにならない。どうせアイラは興味を持たず、いい加減な対面に終わるに違いないのだ。ならば、自分で会うしかない。
シュタル王には十二人の王女が生まれた。三人が早世し、四人が国外に嫁ぎ、三人が国内の貴族に嫁いでいるので、王家に残っているのはアイラとリエラの二人だけだ。
リエラは姉たちの態度や会話から、女の幸福が夫によって大きく左右されることを学んでいた。
つまるところ、リエラはアイラに幸せになってほしいのだ。
リエラは自分が周囲にとても大事にされていることを知っている。しかしそれは、リエラが生まれつき持っていたものによるところが大きいことも自覚している。例えば、第一王妃の王女という身分。際立って美しい容姿。また、父王の寵愛も外せない理由だろう。もちろん、それだけではない人々がいることもわかっているが、完全に切り離して考えるのは難しい。
そのことが不満なのではない。むしろ当然のことであり、王女とはそういう存在なのだとリエラは思っている。彼女にとって、称讃を受け忠誠を捧げられることは日常であり特別なことではないのだ。
リエラにとってアイラは近くて遠い不思議な距離感にいる存在だ。
幼い頃のように妹と思っているわけでもない。かといって、姉という言葉で思い浮かべる顔の中にアイラはいない。幼馴染といえる従姉妹や貴族の娘たちが何人かいるが、彼女たちとも違う。
アイラとリエラは、同じであるのに違いすぎた。
リエラが生まれながらに持っている祝福の多くはアイラには与えられなかった。それなのに、アイラは幸せだという。だからこそ、リエラはその幸せを守りたかった。
アイラは花冠を取り上げると、至って簡単にリエラの蜜色の髪にのせた。素っ気無くさえ見える仕草だったが、緩やかな動きは優しく感じられた。
「ベールを」
マティアは言われるがままにアイラの手に薄く織った絹布を載せた。
ベールは上半身が隠れる代物でそれなりに大きい。だが、アイラが両手で広げるとまるで重さを感じさせずにふわりと膨らみ、リエラを覆った。
リエラの髪の金色の輝きは隠され、外からは判別がつかなくなる。
「ありがとう、アイラ」
アイラは頷いて微笑んだ。
ベールの内側からは、困らない程度に視界を確保できるので、その微笑みをリエラはしっかり記憶して、アイラの笑顔に見送られるという幸先の良さに心の中で喝采を叫んだ。そして、アイラに代わって結婚相手を見定めるという大役を立派に果たしてみせると、決意も新たに水蘭館を後にしたのである。
※ ※ ※
昼過ぎ、アイラはとても気持ち良く目を覚ました。
花冠の乙女を務めるにあたり、衣装の仮縫いだの当日の予定の確認だの、諸々の準備に時間を取られ中途半端に寝不足の日々が続いていたが、久しぶりに満足のいく睡眠が取れたので、気分はすこぶる良好だ。
「おっはよう!」
元気な声とともに、部屋の中にさあっと光が差す。眩しさに目を細めながら声のした方を見ると、大きな深緑の瞳の少年の屈託のない笑顔があった。
「おはようカタム。わたくしはどのくらい眠っていた?」
「三日とちょっとってところだよ。新記録」
さすがにアイラも驚いたのか目を瞠る。
「自分でも頑張ったと思っていたけれど、相当無理をしてたのねえ」
問題の武術大会の当日、リエラと入れ替わってからアイラはすぐに寝台に入った。何があっても起こすなと言い置いて。
「実はさ、何度も人が来るんだけど」
アイラはくすりと笑った。
「何を言いに来たのかは、想像がつくわね」
「昨日なんか扉を壊そうとまでして。全く乱暴で嫌になっちゃうよ」
「扉を?」
「もちろんそんなことはさせなかったよ。扉にも窓にも傷一ついてないし、アイラが絶対起こすなって言ったから、誰一人、近づけさせなかったよ」
褒めて褒めて、と顔いっぱいに書いてある。尻尾があったら元気よく振っていそうだ。
アイラはまず働きぶりを労ってから、疑問を口にする。
「ありがとう。おかげでよく眠れたわ。……でも、扉を壊してまで中に入ろうとするなんて、変よ。何かあったのかしら」
「わかんないけど、今も外に来てるよ。ファンナ王妃が。どうする?」
覚えている限り、リエラの母である第一王妃が水蘭館を訪れたことは一度もない。
アイラの答えはすぐだった。
「扉を開けて」
「はーい」
カタムが姿を消してまもなく、甲高い声が館に響き渡った。
「リエラ! リエラ……! どこにいるの! リエラ!」
それを聞いて首を傾げる。アイラと呼ぶのならわかるが、リエラとはどうしてだろう。
さして広くもない屋敷なので、アイラはすぐに廊下で王妃と鉢合わせた。
ファンナ王妃は、抜けるような白い肌の豊満な女性だった。もうすぐ五十代に差し掛かろうという年齢だが、加齢による変化を魅力とする術を心得ているようで、今でもしっとりとした艶麗な美しさは損なわれていない。歳を重ねたことで、気品ある堂々とした立ち居振る舞いは円熟味を増し、王妃の名に恥じない威厳を備えている。
しかし、今日は様子が違った。どこがどうと言うわけではないのだが、美しく装うことにかけては柔らかい栗色の髪から爪の先まで一分の隙もなく、衣装の皺一つに至るまで計算されていそうな完璧さが、今は感じられない。
侍女に侍従、それに何故か近衛の従士まで引き連れた王妃は、アイラの姿を見止めると明るい茶色の瞳を大きく見開き、いつもの尊大さはどうしたのかと思う様子で走り寄って来た。
「ここにリエラがいるのでしょう。そうなのでしょう? あの娘は何処にいるの?」
「お待ちください、ファンナ様。落ち着いて……リエラがどうしたというのです?」
「リエラは、ここにいないのですか?」
「はい。おりません」
ファンナ王妃は短く息を呑み、よろめいた。付き従っていた侍女が慌てて主に寄り添う。美しい顔に苦悩の色を滲ませた王妃は諦めきれぬのか、再度、問いかける。
「では、リエラの居場所を、知らぬと?」
「存じません。リエラに何があったのですか?」
王妃は青ざめた顔のまま、胸元で拳を握り締め、そして、かすれた声で告げた。
「リエラは行方不明です」




