十八、夜明けまで 1
アイラを奥の部屋へ連れて行ったルーが戻ってきたので、ダグは手を休めて顔を上げた。
「平気そうだったか?」
「黙って出て行ったりしないから、ご安心ください。だってさ」
「いや確かにそれもそうなんだけどな、そうじゃなく」
ダグは言いながら、丸めた何かをルーに放った。宙で掴んだそれをルーはひらひらと振って広げた。五本の指が別々に入る形をしたそれは、手袋である。
「じゃあなにさ~」
「きっとこんな汚いとこでなんか、寝たことないだろ」
「わりと平気そうだった」
「へえ?」
「まともな寝具はないからくるまって適当にその辺で――て上着を渡したら、平然と受け取ってこの辺りでよろしいでしょうかと確認してくるくらいには」
「なんか、ほんとに動じない子だな」
怒らないまでも困惑くらいはされると思った。
ダグとルーはほんの数日ねぐらにするだけの場所に快適性など求めなかったから、屋根があるだけ野宿よりはましという程度の認識でいる。先に休むようにとアイラに言ったものの、当然、客を泊めることなど想定していない。
「見るからにいいとこのお嬢さまなのに。やっぱり、変わってるよな」
「あれは、もはや変人の域に入ってるだろ」
ルーは手袋をつけるとダグの横に並んでしゃがみ込んだ。
カチャ、カシャン
金属の擦れてぶつかる音が響く。
ダグとルーは慎重な手つきで破片を一枚一枚並べていく。
二人が拾っているのは、ジュマスが褒美と称して落としていったアレである。
「これ、どうせなら完品で欲しかったよなあ」
ルーは未練がましげに言った。さんざん話題にしていたものが文字通り降ってきたのだ。できることならこんな状態になる前にお目にかかりたかった。
「そりゃそうだが、壊れちまったもんは仕方ねえよ」
ダグは手袋を嵌めた指先で破片の縁をついとなぞった。
手袋をしているのは、単純に手を切らないようにということのほかに、素手で触れることへの抵抗があるからだ。今はもうなんの力もないとアイラは言っていたが、ジュマスが手を加えた品である。気持ちが良くない。
「壊れたんじゃなくて、壊したんだろ。しかもアイラが壊したって……どうなってんだよ」
ルーは二つの破片の縁同士が合うかどうか順番にくっつけてみながらぼやいた。
元どおりの形に復元できれば、すべての欠片がそろっていることになる。ため息の出そうな作業だが、確認は必要だ。
ジュマスとの接点が切れたあと、破片の山を前にして、屋敷で自分が触れたものと同一物だと断言したのはアイラだった。
それを聞いたルーは興味津々で覗き込み、ダグに尋ねた。
「これがダグとアイラが見た鏡だって? 割れてる、つーか、砕けてるけど」
屋敷に入らなかったルーは実物を見ていない。判別のしようがないのは当然だが、ダグも難しい顔で首を振った。
「わかんねえ。石戻すからちょっと待て」
「同じものです」
アイラは静かに同じ台詞を繰り返した。腕輪の鑑別石を初期状態に戻すため、袖を捲りかけたダグの手が止まった。
「よくわかるな」
「根拠は?」
アイラは心なし表情を翳らせた。
「説明はできませんけれど、わたくしが触れた鏡だとわかるのです。ただ、お持ちの道具が違法品に反応するものなら、変化はないと思います。今はなんの力もない壊れた鏡にすぎませんから」
ルーとダグは顔を見合わせた。
「じゃあ、まあ、やってみるぜ?」
透明に戻した石を近づけたダグは肩をすくめた。
「反応なし。装飾の感じなんかは俺が見たのとよく似てるし……同じものと言われればそんな気もするなあ」
さっきは意味のわからなかった二人のやりとりが脳裏に浮かんだ。
鏡はどうなったのか、とアイラは尋ね、ジュマスは答えた。
とても静かで美しく、強かった。だからかね。足りなくて、溢れてしまったよ――と。
「壊れたのはアイラのせいなのか?」
「――はい。わたくしが壊しました」
わずかな間はあったものの、アイラの答えは明快だった。
答える彼女の雰囲気から何かあるのだろうことは想像がついたが、そこを二人が追求しなかったのは、いろいろ飽和状態だったせいだ。早い話が棚上げしたのである。
そんなやりとりがあったことを思い出しながら、ダグは眉を寄せて裏板部分と格闘しつつ答えた。
「たぶん、事故みたいなもんだったんだろ」
「俺もアイラが望んでやったとは思ってないぜ? そうじゃなく――……まあいいか。ここでおまえと言い合ったって答えは出ねぇし」
ルーは途中で言い掛けた疑問を口にするのをやめた。
アイラは謎に満ちている。知識欲と好奇心を大いに刺激しておいて、当の本人はと言えば、無防備で、無警戒で、危なっかしくて、隙だらけだ。それでいて、肝心なところへは踏み込ませない。
気にするなと言うほうが無理だ。しかし、彼女自身に関心を持ち過ぎないほうがいい。
上がどういう判断をするにせよ、アイラが重要な鍵であることは間違いないだろう。きっと、情を移すと碌なことがない。その点では自分よりダグのほうが心配だった。
ルーにしてもダグの気持ちはわからないではない。自分と同じ年頃の少女に冷たい態度はとりづらいというだけでなく、アイラには不思議な引力がある。
端的に言えば、欲しくなる。
例えば、心細げに瞳が揺れたとき、静かな気迫に気圧されたとき、澄んだ声に熱が宿ったとき、何かを持っていかれる。そして、その代わりなのか、彼女の眼差しや声や、秘密を、手に入れたいと思うのだ。その瞬間が自分にも確かにあったことに、ルーは舌打ちしたくなった。
「アイラは眠れたかな……」
ダグがぽつりと呟いた。
「さぁな。それはそうと、中継できたのか?」
「あ? ああ。返事があったからな」
ルーがジュマスとの接点を形成する契約に干渉を試みたように、ダグも何もしていなかったわけではなく、ジュマスとの会話を上司に流していた。持たされていた緊急信号を応用したため双方向とはいかなかったが、こちらの音は届いていたはずだ。
改めて向こうからダグに指示が入ったのは、少し前のことだ。
「アイラを休ませたってことは『待機』か?」
ルーはダグに尋ねた。先ほどまでアイラと一緒だったのではっきりと確認できなかったのだ。内容によっては聞かせられない話になると思ってのことだが、そんな配慮は不要なほど、ダグの答えは簡潔だった。
「そうだ。動くなとさ」
「それだけか?」
「それだけだ」
「のんびりしてんなぁ」
「一存で下手な指示は出せねえんだろ」
「今頃大騒ぎだろーなー」
他人事のようにルーが言うと、ダグは少し眉を寄せた。
「俺たち外されっかな」
「どうだか。とにかく、早くこれやっつけちまって少しは寝とこうぜ。朝までにはまた連絡あるだろ」
ルーは破片を並べながら、眠そうに眼を擦った。
※ ※ ※
部屋の奥の壁際に身を寄せて、暗闇の中うずくまったアイラは、耳元の月長石に触れた。ほどなくして、ミシアの声が聞こえた。
「戻れたの?」
「いいえ。まだ、メルのところには戻れそうにありません」
アイラが小声で答えると、ミシアは苦々しげに言った。
「説明して」
「どこまで見ていましたか?」
「わたしが知ってるのは、あなたが誰か来ると言って物陰に隠れたところまでよ」
「すぐに眠ってしまったのですね。やはり、わたくしが月長石から手を離したため、と考えるべきでしょうか」
「わたしが知るわけないでしょ。でも、他の理由は思い当たらないわね」
触れている場所が台座では意味がないらしい。今のところミシアが起きているためには、アイラが直接ミシアの宿る月長石に触れていなければならないようだ。
「承知しました。最初からお話しいたします」
アイラは頷いて、今夜の出来事を話し始めた。
普通は、いきなり精霊や術者を出されても困惑する。だが、幸いにもミシアはメルという精霊と契約しており、その手のことに免疫があった。
一通りの話を聞き終え、細かいことはともかく現状を理解したミシアは、これみよがしな長い溜息をついた。
ミシアがいい顔をしないことは当たり前だと思っていたので、アイラは当然の反応として受け止めたが、続いた台詞は予想外だった。
「急いで片づけてよね」
口調はきついが、それはアイラの選択を容認するものだ。
「――ありがとうございます」
「どうしてそこでお礼が出てくるのよ」
「叱られると思っていたものですから」
「言っとくけど、激励なんかじゃないわよ」
「はい」
「わたしにとっては、余計な寄り道でしかないんですからね」
「でも、関わることを許してくださった」
ミシアはしばらく沈黙していたが、思い切ったように口を開いた。
「あなたが持ってる何かの力が眠ってたわたしを起こしたんだって、そのくらいわたしにだってわかるのよ」
「はい」
「だからよ」
「わたくしに借りがあると、おっしゃりたいのでしょうか」
「借りとか恩なんて知らない。でも、事実として、わたしを生かしてくれたのはあなたでしょ」
「結果だけみればそうですが……偶々、良い方向に働いただけです。ミシアを目覚めさせようと思って触れたわけではありません」
「わたし、覚えているもの」
ミシアはふて腐れたように言った。
「呼んだら応えたじゃない。もちろんそれはあなたが勝手に応えたのであって、わたしは頼んでなんていないけど!」
アイラはおっとりと首を傾げた。
「わたくしを呼んだのですか?」
「そ、そうよ」
「でも、ミシアは眠っていたのでしょう?」
「理屈なんかわからないわよ。でもそうなの!」
少なくとも、ミシアはそう感じたということだろう。それを否定するつもりはない。アイラもまた、月長石の煌めきに呼ばれた気がしていたからだ。だが、そもそもミシアがなぜそんなことを言いだしたのか、アイラにはわからなかった。
「わたくしがミシアを起こしたことと、今回のことと、関係があるのですか?」
「なかったらわざわざここで話さないわ」
「どう関係しているのでしょう?」
「察しが悪いわね! わたしだけ助けてもらったら、寝覚めが悪いでしょ!」
アイラは驚いた。まさか、ミシアが自身と小さな精霊たちの境遇を重ね合わせるとは、思いもよらないことだった。その上、自分だけが救われたと良心の疼きを覚えるなど、ずいぶんと突拍子もない思考のように感じる。
「ミシアがそこに罪悪感を抱くことはないでしょう? だって、状況が全く違います。それにあなたを助けたのは、メルですもの。わたくしは少し手を貸しただけで」
「あなたに助けを求めた精霊と、わたしは同じよ。だって……」
アイラが小さな精霊たちの作り出した渦に呑み込まれたとき、ちょうど目覚めかけていたミシアは、アイラを呼ぶか細い声を聞いてしまった。だから、助けを求める声の主が、自分と同じものを見たのだとわかってしまった。
もがくのに疲れてしまって、冷たくて暗い場所で諦めていたのに、手を伸ばさずにいられなかった温かい光。
ミシアがその温もりを呼んでしまったのは、物の弾みみたいなものだ。うまく釣り上げられた挙句に自分の生き汚さを見せつけられたようで、素直に喜びたくなんかなかった。とどめは、救い手がアイラだったことだ。一片の迷いもなくメルが優先順位の一番にあげた少女だとわかって、わずかにあった感謝する気持ちなんか吹き飛んだ。ずるい。ひどい。あんまりだ。
そんなことを思う自分がちゃっかり助けられておきながら、向こうは放っておけばいいなんて傲岸なことは、さすがに言えない。
ミシアはやけになったように一息に喋った。
「あなたが気づいて応えてくれなかったらきっとわたしは助からなかった。あの精霊は五分五分だなんて言ってたけど、あんまり成功率が低いとわたしが契約しないと思ったんでしょ。本当はもっと分が悪い賭けだったのよ。ううん。負けが確定してたと言ってもいいくらい」
「なのに、契約なさったのですか?」
「そうよ。悪い?」
「いいえ」
アイラは澄んだ声で即答した。
「ああ。それはそうよね。わたしが契約に同意したおかげで早々に再会できたんですものね。よかったこと!」
居丈高に言い放ったミシアに、アイラは真顔で頷いた。
「はい。ですから、同じ理屈でわたくしもあなたに申し訳ないと思っています」
アイラはメルに会えたが、ミシアはまだグレイに会えていない。だから、はばかるところがあるのだというアイラの台詞を、ミシアは鼻で笑った。
「口でなんと言ったって、あなたはわたしを後回しにするんでしょ」
「はい」
「あなたねぇ……口ごもるとか取り繕うとかしたらどう?」
「言いわけをするのは失礼かと」
「ご立派ね」
わかりやすい嫌味は、精一杯の虚勢を張っているようにしか聞こえなかった。
「ミシア」
「なによ」
「わたくしはあなたのことをよく知りません。それはあなたも同様でしょう。ですから、警戒は当然だと思います。心を許すことが無理なのもわかります。けれど、それほど威嚇なさらなくても……あなたは不本意でしょうけれどこれから数日は二人きりなのですから、ずっとそうでは疲れてしまいます」
「そうよね。わたしが疲れて弱ったら、あなたはいつまでもわたしに力を分けなきゃならないものね。それは申し訳なかったわ。いいわよ。弱るにまかせておけば」
自分を蔑んでいるかのような荒んだ声に、アイラを眉をひそめた。
「ミシア――あなたは、本当はグレイに会いたくないのですか?」
なぜ、そんなふうに思ったのか、アイラにもわからない。だが、その直感はまったくの的外れではなかった。なぜなら、答えるミシアの声が弱く震えたからだ。
「わたし、は……」
ミシアは、心のひだの裏側を引っ掛かれたような痛みを覚えて、隠していた不安がそろりと顔をのぞかせるのを止められなかった。
「わたし……」
「ミシア?」
胸の奥からせりあがってくる何かを、ミシアは息を止めて押さえつけようとした。
「……っ、わから、ない」
会いたいとか、会いたくないとか、そんな気持ちはいくら探しても見つからない。
「わからないわよ。そんな、こと」
会わないほうがいいのだろう。わかっている。会いたいなんて、思うはずがない。
「でも……」
ミシアは切っ先に首筋を寄せるような怖さに震えて、言葉を切った。
アイラがそっと、ミシアの言葉をなぞる。
「でも」
答えを知りたくて促す響きではなかった。力づけるのでもない。ただ静かに、繰り返しただけの声だった。そこには好奇も危惧もなく、先入観も偏見もない。中立という意図さえ感じられない態度は、泰然としているようでどこか幼く、真摯に耳を傾けていることだけが伝わった。
「あの、人に」
心の底に凝ったものが滑り出る。
「グレイに会えないくらいなら、死んだほうがいい」
ああ。どうして。
そんなふうに考えてしまうことが、嫌だった。嫌で嫌で、でもどこかに喜びがあった。
始まりは、確かに優しい想いだけだった。浮き立つような苦しさがくすぐったくて、酔ったような高揚に頭の芯が揺さぶられた。今ある彼への執着がその名残なのだと思うと、自分で自分を叩き落としたくなる一方で、なにがしかの傷が心に残っている証明のようで愛しくなるのだ。
自分のろくでもなさに漏れた吐息は嗚咽のようにも聞こえ、ミシアは空虚な脱力感に襲われた。
なんて馬鹿なのだろう。どうして捨てられないのだろう。なぜ、こんな。
「――――……ミシア……」
自分を呼ぶ声が、ひどく遠くに聞こえた。
「な、に……?」
「ミシアが望んだことだったのですね」
「――なんの、こと?」
脈絡が読めず、ミシアは訝しげに尋ねた。
アイラは答えた。
「この契約に命を懸けることを」




