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精霊の姫君と五人の守護者  作者: 山本みこと
精霊の姫君と五人の守護者 本編 2
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十七、めぐりあわせの雨夜 7

 アイラは跪いたまま、ダグとルーを振り返った。


「接点……閉じた、のか?」

「はい。恐らく」


 ルーはよろけたようにテーブルに両手をついて大きく息を吐いた。


「もーすっっげぇ緊張した……! 声が降ってきたときは終わったと思ったもんなー」

「俺たちは道端の石ころってことだろ」


 そうは言ったものの、ダグの知るジュマスは、ただの小石であっても視界に入ったら最後、わざわざ蹴散らして歩くような奴だ。


「あそこで黙らなかったらどうなってたかわかんねーけど」


 つまるところ、ジュマスはアイラしか眼中になかったということだ。

 ダグは壁に背中から寄りかかると、額に手の甲を当てて顎を上げた。ごん、と頭が壁にぶつかる。


「やたら上機嫌だったからな……後が怖ぇ」

「三日後かぁ」


 呟いて、ルーはアイラを見やった。


「あーあ。アイラ。それ、もぎ取っただろ」


 アイラは閉じていた手を、蕾がほころぶときのように少しだけ開いた。指の隙間から光が漏れる。


「わたくしはあなたの後押しをしただけです」

「そういう言い方もある、か……?」


 ルーは納得しかねる顔で首を捻っている。

 アイラは、ジュマスに対してルーが何らかの干渉を試みていたことに早い段階で気づいていた。去り際の台詞からすると、ジュマスも気づいていたのだろう。アイラは術者の手法には詳しくないが、ルーがしようとしていることには心当たりがあった。だから、アイラは最後に少しだけ手助けをしたのだ。

 アイラには、砕けた鏡が戒めに見えた。どんなに強い力が内にあろうと、アイラは未熟で無知なのだ。だが、今は、ルーの意図もわかっている。あのときとは違う。躊躇っている時間はなかった。手をこまねいていては確実に失われてしまうと思った。

 果たして、ルーは契約を読み解き、ジュマスとの接点となっていた精霊はアイラの手の中にいる。

 契約を読み解くという行為をアイラが知ったのは、ほんの数刻前のことだ。

 きっかけは、ミシアの宿る月長石に触れたことだった。

 雛菊館で、アイラはミシアを目覚めさせた。そして、月長石に映るミシアを眺めるうち、時折、模様のような文字のようなものの断片が、ふっと視界に重なってくることに気づいた。しかしそのときは、ミシアとネイテの会話を邪魔したくなかったし、不思議には思ったものの困ることもなかったので放っておいたのだ。


「あれは、なんだったのかしら?」


 ふとアイラが思い出してメルに尋ねたのは、ミシアが眠って、ミシアに冷たく突き放されて落ち込みまくったネイテも多少浮上し、やっと人心地ついてからのことだ。

 メルはアイラの瞳を覗き込んだ。


「焦点が混乱しちゃってるのかな」


 メルは自分の頬に掛かる横髪を後ろに払い、飾りの乗った耳たぶを軽く弾いた。


「それ、今も見える?」

「いいえ」

「今はどんなふうに見えてる?」

「昨夜から変わらないわ。メルとミシアを繋ぐ細い糸が見える」


 メルは微笑んで自分の目元に軽く指先で触れた。


「視覚をもっと微小な単位に切り替えるんだよ」


 アイラはまだピンとこなかった。


「視覚を切り替える……?」

「たぶん、直接触れてミシアと話すことで、自然とより深くまで入っちゃったんだね」

「わたくし、また余計なことをしてしまった?」

「そんなことないから大丈夫だよ。別に隠してるものをこじ開けたわけじゃないし。目の前に並んでるもの見るなって言っても無理だよ」

「そういうもの?」

「そういうもの。だけど、中途半端にちらちらしても鬱陶しいよね。見方を教えてあげるからやってごらん。見るコツを覚えれば見ないようにするのも簡単だから。アイラならすぐできるようになるよ」


 メルの教示に従って契約の糸を追ったアイラは、一本の糸に織り込まれた模様が幾重にも浮かび上がってくるような感覚を味わった。そうして出来上がったのは、美しく繊細な立体だ。


「何を表してるかわかる?」

「ねえ、メル。これは、契約を交わした当人以外に見せてはいけないものではないの?」

「どうしてそう思う?」


 アイラは芸術品のような契約の造形から、見上げてくるメルの顔に注視点を置き換えた。


「危ないことのような気がするの。隙になりそうな……」

「そうだね。当たってるよ」


 アイラの回答に及第点をつけたメルは微笑んで続けた。


「わざと見せつけることもあるけど、基本的には隠したほうがいいものだね。なぜなら、契約を読むことは解除につながるから。だから、読まれない契約の方が強いんだ」

「定めた条件を無視して無効にできるということ?」

「全部に当てはまる方法じゃないけどね。昨夜言ったとおり、最初に定めた条件を満たすこと。契約を履行することが一番自然な方法であることは間違いないよ。でも、読むことで解き方がわかれば、結び目を一つ一つ解いていくことでなかったことにできる契約もある。裏を返せば、他者が契約に干渉する方法ってそれくらいしかないんだよ。アイラみたいに千切っちゃうのは例外中の例外だから」


 アイラはなんとも答えようがなく、目を泳がせた。


「多少なりと知識のある者ならまず、契約の構成を見極めようとする。契約は複数の要素が絡んでいることが多い。解き方を見つけるには全体を把握することが大事なんだよ。解除するにしろ、何か仕掛けるにしろ、結果に付随する諸々の予測が立てば対処もしやすいからね」


 メルは少し声を低めた。


「もし、このミシアとの契約を最後まで読むことができれば、解除したら彼女の命がないこともわかるはずだよ。そうでなかったら、思い切りよくアイラに切ってもらってもよかったんだけど」


 アイラはそう言うメルの表情が少し引っ掛かった。尋ねようとして、しかし思い直して言葉を呑み込む。ミシアの内面に踏み込むことだ。アイラが知らなくてもいいことだろうし、ミシアも知られたくないだろう。けれど、メルは目敏かった。


「どうかした?」

「いいえ。いいの」


 アイラはメルがなにか言う前に急いで別の疑問を口に乗せた。


「あのね、メル。契約をした本人が解除することはできるの?」

「それは無理。できたら信頼性に関わるでしょ」


 その答えに、アイラは一先ず安堵した。

 少なくとも、メルが契約を途中解除することでミシアを切り捨てることはできないとわかったからだ。しかし、方法がないわけではない。第三者に解かせることは可能だからだ。メルはそれを見越して、わざと隙を残したのではないか。

 少し前のアイラだったら、思いつきもしなかっただろう。

 アイラのこととなると、精霊たちは、とかくやりすぎる――いつかのクドゥルの忠告はくっきりとアイラの中に刻まれていた。メルが戻ってきてからはさらに強く、トゥムファの守護契約が消滅し、アイラがかれらに強制力を持たなくなったからこそ、よけいに思うのだ。守られることに無自覚でいてはいけないのだ、と。

 アイラとミシアのどちらかを選ばなければならなくなったら、メルはアイラを選ぶだろう。もし、そうなったとしても、アイラはメルを責めるつもりはない。だが、見過ごせることでもなかった。


「隠しておいた方がいいものなのに、ミシアとメルの契約はどうしてそうしないの?」

「ミシアの力が弱いから」


 メルはちょっと情けなさそうな顔をした。


「隠したくてもできないんだよ。術者の契約としては失敗だって言ったよね。あれはこういう意味」


 最初から隠しておくだけの力量がないということなら、メルが故意に契約に隙を作ったのではないかという懸念は、アイラの考えすぎだったかもしれない。だが、可能性は常に心にとどめておくべきだと思う。精霊たちと共に過ごす以上、アイラが気をつけなければならないことだからだ。


「だから、わたくしに見えてしまうの?」


 メルは歯切れ悪く唸った。


「うーん、えーと……そこでアイラを基準にされると困るなぁ。アイラの場合、その気になれば相当うまく遮蔽されてても見破りそうなんだよねー。この契約の見る難易度を表すなら、術者だったら誰でも見える程度って言ったほうがいいかな」

「だから、形にはなっているけれど失敗……なのね」

「うん。でも、ね。見えることは解除の第一歩だけど、見えるだけでは解けないから。読まないとね。力ある術者の複雑で強固な契約ほど読み解くのは困難だ。その観点で言うと、僕とミシアの契約は複雑で惰弱――といえるかな」

「頼りなく見えるのはそのせい?」

「そう。術者が精霊を捕らえるというのが決まった形式である以上、ミシアの力が主体となるからね。契約を隠せないのも拘束力が弱いのも仕方がないけど、あんまり無防備なのもどうかと思ったから、造りだけは凝ってみたんだ。アイラがやろうとしたみたいに力技で切られたら意味がないけど、普通はそんなことできないからね。内容を読むのも解き方を見つけるのも結構大変だと思うよ?」


 メルは、ふふふと笑った。


「解き方がわかったら、抵抗力ないから簡単に解除されちゃうけどね」


 弱点もきちんと口にするメルは、公正で丁寧な説明を心がけてくれているのだと思う。

 昔から、メルはアイラに対して教師的な立ち位置にいることが多かった。実際、アイラの学問を主にみていたのはメルで、次に多かったのがセリムだった。

 けれど、花籠離宮で再会してからのメルは、アイラに情報を与えること――特に精霊や術者が関わることについては慎重になっているように感じた。教えたくないわけではないようで、尋ねれば答えてくれる。けれど、積極的に知識を与えようとはしていない。

 メルが言った、あるがままにしておいて。とは、そういう意味もあるのだろうか。

 アイラが必要としたときにだけ、扉を開いて、垣間見せる。


「契約を見ることと読むことは違うのね?」

「そうだね。読むならとっかかりは、ここ」


 メルの誘導は、読むというより感じとるという表現に近いもので、アイラが触れたのはほんの最初の部分だけだったが、複雑さを実感として理解するには十分だった。

 それに比べると、ジュマスとこの森の家を繋いでいた織り模様は比較的簡単な造りで、メルの言い方に倣えば、単純で強いといったところだろうか。

 ルーはそれを正しく読みとり、解除のために示した道筋は正統を学んだ者らしいわかりやすさで、アイラにとってこの一連の流れは非常に参考になった。ただ、ルーには結び目を解く力が足りていなかった。アイラはそこを補ったのだ。


「これが、契約を読み解くということなのですね」

「言っとくけど、俺は解くまでするつもりなかったからな! 少しくらいは情報がとれるかなーって、それだけ……あーもう俺の最期の置き土産にならなくてよかった……!」

「そりゃ同感だ」


 ルーはよろよろとしゃがみ込み、ダグはアイラの手の中に宿った小さな光に顔を寄せた。


「これを使って繋げてたのか」

「そのようです」

「ジュマスならこんなの使わなくても自分の力でできるだろうに」

「しかも、アイラが止めなきゃ使い捨ててた」


 ジュマスが期限を切る条件としたのは、言の葉。精霊がその言葉を仲介したとき、契約は終了し、同時に毒となる。そういう言葉だった。


「呼び戻すより消したほうが後腐れない。そういうことだろ」


 アイラは両手を揃えて手のひらを上向け、労わるように声を掛けた。


「無理をしたらだめよ。好きなところへ行くといいわ」


 浮かび上がった光はアイラの額にそっと触れ、アイラが驚いたように目を見開くと同時に消えた。


「逃がしちゃったし……」

「いいんじゃねえの? きっといいことあるってー。なんとかの恩返しってのはこういう流れで始まるのが定番だからな」

「恩返しならもう受け取りました」

「へ?」

「わたくしの連れに、居場所と無事を伝えてくださるそうです」

「なんだそれ!」


 ルーはけたけたと笑い出した。近年稀にみる緊張が解けた直後で、少々感情の箍がおかしくなっているようだ。ダグもつられたように噴き出した。


「あーっそ。そりゃすげえや」

「得したなぁ、アイラ」


 屈託ない笑い声に挟まれて、アイラは心が温まるような心地がした。

 ダグとルー、それに、ミシアがいる。こんな夜に一人きりでなくてよかったと、アイラはこの偶然のめぐりあわせに感謝した。

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