十七、めぐりあわせの雨夜 4
巻き込まれた部外者にどこまで話すべきか、また教えてよいかということは、非常に曖昧だ。
術者が職業の一つ――特殊な、という形容詞はついたが――として世間に認識されなくなって久しい。
最初のきっかけはともかく、隔絶は術者側が意図的に仕向けたことで、長い年月をかけて無理なく自然に彼らは表舞台から姿を消していった。彼らは滅んだのではなく、今でも独自の共同体を築いて確かに存在しているのである。
術者以外でそれを知る者はごくわずかだが、アイラのような能力の高い知覚者は自然と知ってしまうことが多い。実際、アイラは術者が実在すること自体には少しも驚いていない。彼女にとっては既知の事実であったということだ。
アイラのように、こちら側に近い人間に術者たちは寛容である。同類への親しみからか、劣った者への軽視からか、あるいはその両方か、往々にして簡単に正体を明かしてしまう傾向がある。規範としては好ましくはないが、現実的には目くじらを立てることではないという空気が大勢を占めるためだ。
術者のいうところの知覚者とは、通常の閾値を外れた波長をとらえることのできる感覚の持ち主を指す。だから、たいていの場合情報源は精霊で、術者の管理の範囲外のことなので規制は不可能ということも関係している。
どちらにせよ、術者は知覚者から術者の存在が漏れることをあまり警戒していない。絶対数が少ない上、様々な理由から口外しない確率が高いことを知っているし、万が一問題となっても対処できると考えているからだ。
だから、これまでの会話が許容の範囲内であることは確かである。それ以上となると、躊躇うところがないわけではないが、二人の気持ちは教えてやりたいほうへ傾いていた。
「いいかなあ。言っちゃっても」
「本人に会って興味惹いちまってるし、少しは知っておいたほうがいいだろ」
ジュマスのような存在が外に知れ渡るのは有り難くない。が、知ることで自衛になれば、たぶん、いくらかマシ。そんな思いが背中を押している。
ルーはアイラに向き直ると口を開いた。
「ジュマスははぐれ術者。違法行為の常習犯で、逃亡中の手配犯」
「有り余る才能を思いつきと気紛れで、自分の楽しみと碌でもないことへの探究のためだけに使う人でなし」
端的なルーの台詞に比べると、ダグのほうはずいぶんと私情が入った感じのする人物評である。どちらにしろ、お近づきになりたくない種類の人間であることは確かだ。アイラはつい、咎めるように言ってしまった。
「そのような危険な人物のいる屋敷へ忍び込んでまで、鏡が欲しかったのですか?」
「前調べでは無人のはずだったんだよ。それなのに部屋に入った途端、消したばっかの蝋燭の匂いがして焦った」
「だからすぐに出て行こうとなさったのですね。けれど、たとえ留守であっても危険なことに変わりはありませんでしょう?」
「多少のことは仕方がないよ。それが仕事だからね」
「お仕事、ですか?」
「そ。犯罪者を取り締まるのが仕事」
アイラはぱちぱちと瞬きをした。なんというか、意外だ。
「それは正規の機関なのでしょうか」
少年たちは苦笑した。
「ジュマスにも『こんな子ども』って言われたしな」
「術者社会でちゃんと公的に認められた機関だよ」
「それは失礼いたしました」
結局は自己申告なのでなんの証明にもならないが、ことさら疑うべき要素もない。アイラが思ったのは、正規の捜査機関だとしたら、ずいぶんお粗末で乱暴な手段だということだった。それとも失敗したからそう感じるのだろうか。それはともかく、彼らが犯罪を取り締まる側だという前提で考えるなら、鏡を持ち出そうとした理由は絞られてくる。
「では、あの鏡はお仕事の関係上必要なものということですか?」
「今のところ、重要参考物件てとこかな」
「つまり、あの鏡のようなやり方は許されているわけではないのですね」
「おそらく」
「おそらく?」
「俺は見てもわからなかったって言ったろ」
「不思議なのですけど、目的の品がどれなのか判断できないのに忍び込んだのですか?」
「本当なら、持ち出して検証したかったんだ」
「あの部屋にあったものを全部持ち出すつもりだったのですか?」
ダグは、まさかと笑いながら手を振った。
「選別できる道具は持って行ったよ。対象に近づけると反応するんだ。で、それはばっちり反応したんだが、ごちゃごちゃと色々置いてあっただろ。有効範囲内にあったのがアイラのいう鏡だけかどうか自信がないんだな。つまり、別の品に反応した結果かもしれない」
「有効範囲とは?」
「一咫くらいかな」
ダグは人差し指と親指を直角に広げてみせた。
アイラは眉をひそめた。なんだろうその中途半端な距離感は。直接触れ合わせるとか、もっと明確な基準にできなかったのだろうか。
「というわけで、間違いないのはあの場所に違法品があったことだけ……――なんて、いろいろケチをつけたけど、アイラの言う通りなら、あの鏡に禁止されてる術式が使われてる可能性は高いと思う」
「うん。なんか、あぶない匂いがぷんぷんする」
内なるものを縛り、命令を刷り込み、服従を強要し、害為すもの――と、先ほどとアイラが言ったのは、術式の骨格のようなものだ。これだけでは具体的な内容は不明である。すなわち、どんな命令で、何に対してどのような害を与えるか、というようなことがわからない。不穏な雰囲気は濃厚だが、断定はできない。
鏡はなんの変哲もない品に偽装されていた。施術者は痕跡を丸ごと隠してしまっている。だから、アイラのしたことは、例えるなら、濃い霧で覆われた家の外観を遠目に言い当てたようなものなので、充分驚きに値するのだが、内部の情報がないので、どんな人物がどんな暮らしをしているのか明確に想像できないのと似ている。
「さっきは呪うものだって言ってたよな。命令を刷り込んで服従を強要する、だっけ?」
「あれは呪縛です」
アイラは奥歯を噛みしめた。
契約と同じで、見ればわかるとメルが言った意味がわかった。目にした瞬間、これが呪縛なのだとわかった。
しかし、ダグもルーも要領を得ない顔をしている。そう言えば、術者は呪縛という言葉は使わないともメルは言っていた。では、あのときアイラが見たものを、どんな言葉で伝えればよいのだろう。
「――あの子たち、奪われて、削がれ、て」
声が震えそうになり、目を伏せた。
「変質してしまっていた……、無惨なありさまでした。なんのためにあのようなことを……」
今まで乱れることのなかったアイラの声が細く揺れていて、ちゃんと動揺することがあるのだと、少年たちは妙なところで安堵した。しかし、続いた言葉に彼女以上に動揺した声を出すことになる。
「命令のすべては見えなかったけれど、よくないものに決まっているわ。苦しんでいた。とても」
「ま、待った!」
アイラはゆっくりと、俯きがちだった顔を上げた。
「すべては見えなかった?」
「てことは、一部は読み取れた?!」
「はい」
平然と頷かないでほしい。
「ちなみに、どういう命令が……?」
「わたくしに読み取れた言葉は、投影。侵入。殺傷。誘惑。映したもの、触れたものを対象として、発動確率は無作為」
「うわぁ……びっくりー」
棒読みだった。ルーの声には諦めが混じっている。もう、いちいち驚くのも馬鹿らしい。アイラの証言を総合すると、ルーとダグがここ三か月というものずっと探していた品の特徴とほぼ一致する。
ルーは首を振りながら乾いた声で笑った。
「なんかもう」
「いったい何者だよ……」
ダグの知っている限りでは、アイラが鏡に接していた時間はごく短かった。これはもう、分析とか解読とかいう知識や技術の問題ではなく、そういう能力なのだと理解した方がいいような気がする。
「まだ、判断に不足ですか?」
「いえいえ。間違いなくお縄になります」
「所持だけでも問題だ」
あれを合法だと言われたら術者の良識を疑うところだった。アイラは胸をなで下ろすと同時に、少年たちに向かって謝った。
「申し訳ありません。わたくし、お二人は利用するために鏡を欲しているのかと思っていました」
アイラは律儀に頭を下げたが、少年たちはどうでもよさげだった。
「別にいいよ。そう思われても仕方がないところもあるし」
「状況からしたら、俺たち盗みに入った泥棒だしな」
ダグとルーは、気の抜けた顔でなんとなく残っていた白湯――今となってはただの湯冷ましを飲み干した。
「というわけで、あれはこっちで回収するから」
「はい。お二人の事情はわかりました。どうぞお話し合いの続きをなさってください。わたくしは、さきほどのお屋敷に戻ろうと思います」
ルーは呆気にとられ、ダグは苦い顔でテーブルを叩いた。
「なんでそうなる! ジュマスのことだから、俺たちに居場所が割れても逃げ出さないで悠々としているかもしれない。自分から捕まりに行ってどうするんだ」
「捕まるつもりはございませんが、確かめたいこともありますし、もう一度お会いできるならそのほうがいいと」
「馬鹿なこと言うな。俺の話聞いてたか? あいつには近づくな」
「それはできません」
アイラはきっぱりと言った。
「もちろん、お二人のお仕事の妨げとならぬよう気をつけます」
「あのねアイラ。そういう心配もしてないとは言わないけど、それだけで言ってるんじゃないんだよ?」
「もしかして、俺たちが頼りなくて任せておけないと思ってんのか。確かに今は二人しかいねえし、手薄に見えるかもしれねえよ。けど、指示をもらって行動してるからさ。逐次、報告上げてるし、状況に応じて応援も来る。わかるだろ?」
「わたくしはお二人のことを頼りないとは思っておりませんし、存分に取り締まっていただきたいと思っております」
「だったら、アイラはジュマスのところに行くべきじゃないよ」
「アイラは偶然居合わせただけなんだろう? 気になるとは思うけど、これ以上関わらない方がいい。ちょっと遠くて大変かもしれないけど、一人で帰れる、よな?」
「偶然ではありません」
「――はい?」
「あなたと居合わせたのは偶然かもしれません。けれど、わたくしはあの場所にいるべくしていたのだと思います。ですから、どうかお気遣いなく」
アイラがまた意味の分からないことを言いだしたものだから、ダグはさすがに疲労感を覚えた。尋ねる口調もどこか投げやりになる。
「なんか根拠でもあんのか?」
「わたくしはあの場所に運ばれたのですから、そういうことなのでしょう」
「理屈になってねぇし。とにかく、こっちにも都合があるんだって」
それはそうだろう。彼らには彼らの立場というものがある。だからこそ、アイラはこれ以上話を続けても意味はないと思った。
ダグとルーを困らせているという自覚はある。彼らがアイラにこれ以上首を突っ込んで欲しくないと思っていることもよくわかった。けれど、その通りにするかといえば話は別だ。少年たちに思惑があるように、アイラにもアイラの都合がある。
「そうですか。わかりました」
そう言うアイラの顔つきに、ダグとルーはなんとなく嫌な予感がした。
「お二人は任されたお役目を果たしてください。わたくしはわたくしに求められたことを致します」
アイラは言うが早いか立ち上がった。
「お世話をかけました」
「アイラ?」
アイラは一礼すると踵を返した。
「ま、待った! どこ行くんだよ?」
「なにする気だ?!」
ルーは今にも外に出て行こうとするアイラに駆け寄って押しとどめた。ダグも慌てて扉の前に立ちふさがった。
「放してください」
「行かせられるか!」
「アイラ。だめだ」
「邪魔をしないで。もう、遅すぎるくらいなのに」
アイラはルーの腕を振り払い、距離を取った。彼女を追って伸ばしかけたルーの手は、中途半端な位置で止まる。なぜか、触れてはならないと咄嗟に思った。
アイラから表情が消えていた。近寄り難い冷たい雰囲気が彼女を包み、少年たちを拒絶していた。
「――通してください」
アイラの声がわずかに低くなった。それだけのことなのに、気圧される。ダグとルーはどうぞお通りくださいと言いそうになり、ダグは苦し紛れに叫んだ。
「だからっ、あれ一つじゃないんだって!」
無表情だったアイラの顔に表情が戻った。
「なんですって?」
「こっちにはこっちの計画ってものがあって、引っ掻き回されるのは困るんだってば。今日の失敗だって痛いっていうのにこれ以上は頼むからやめてくれ」
ほとほと困り切って力なく訴えるダグの声は、ほとんどアイラの耳に届いていなかった。
「あんなものがいくつもあるというの……?」
恐ろしい。想像もしたくない。けれど、それが事実なら、やはり、原因はそれなのだ。それが呼ばれた理由に違いない。アイラは確信し、きっと眦を険しくした。
「ますます猶予はありません。すぐに確かめなければ」
「無茶だ!」
「だから駄目だって!」
「だって……っ、こうしている間もあの子たちは苦しんでいるのに!」
初めてアイラは声を荒げた。




