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精霊の姫君と五人の守護者  作者: 山本みこと
精霊の姫君と五人の守護者 本編 2
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十七、めぐりあわせの雨夜 2

 しばらく走ったところで、アイラを抱えた少年は足を止めた。さすがに息が上がっている。

 アイラは、少年の肩越しに自分たちがたった今出てきたであろう屋敷の黒い塊を見た。高台に建つ大きな屋敷のようだが、それ以上のことはわからない。


「ダグ」


 雨音に紛れて、少し離れた場所から声がした。低めの女性のような、声変わりしきっていない少年のような、性別を判じかねる声だった。


「うまくいったか?」


 黒い人影が水を撥ねる足音とともに近づいてくる。少年と同様に頭巾付きの外套という出で立ちのようで、その背後には大きな動物の気配というか、息遣いがあった。

 少年はアイラを腕から降ろし、その人に駆け寄った。


「ルー!」


 様子から察するに、ここで落ち合う予定だったようだ。二人の体格に差はなく、こういう暗い場所で並ばれると見分けがつかなくなりそうだ。

 雨降る夜闇の中でそれだけのことが見て取れるのは、アイラが無意識に精霊に近い視界を確保しているためである。だから、不自由なく動く少年たちは不自然なのだが、アイラはそのことに気づいていなかった。

 ルーと呼ばれた人物はアイラを見て戸惑った声を上げた。


「えっ、まさかそれ……?」

「違う。失敗だ」

「失敗って、いや、じゃあなんでおまえっ、その子は何?!」


 頭巾の奥の顔は見えなかったが、ずいぶん慌てている。その口調や動きから、やっぱり女の人ではなく、男の子みたいだとアイラは思った。短いやり取りだが、気心の知れた同年代の友人同士に見える。


「とにかく戻るぞ!」


 少年は会話をぶった切って、アイラの手を引き黒い大きな影に近づいた。予想に違わず、馬が二頭並んでいた。片方は真っ黒で、もう片方はいくらか薄い体色をしているようだった。少年は黒馬の鼻づらに顔を寄せ、たてがみをひと撫でする。なにか言っていたようだが、アイラには聞き取れなかった。

 騎乗した少年は、馬上からアイラに手を差し伸べる。その際、アイラがためらいも見せずに身軽く背に座ったので、ちょっと驚いたようだったが、なにも言わずに馬を走らせ始めた。

 軽い速歩で二頭の馬が泥道を進む。雨の夜、能く馬を操る少年たちの腕前も相当だが、従順に従う馬たちも素晴らしい。

 ゆるやかな坂道を下り、小さな集落の脇を抜け、木々がざわめく森へ入る。馬の足取りは並歩に変わった。道はつけられているようだが、条件が悪すぎる。もし張り出した枝でもあった日には転がり落ちるだけでは済まないかもしれない。


「降りたほうが……?」


 アイラの呟きを拾った少年は、ぎゅっとアイラの肩を抱き寄せた。


「大丈夫」


 轟々と風の音が耳を塞ぐたび、枝が揺れて大粒の水滴が降りかかる。

 やがて、木々が拓けた場所に建つ一軒の家屋の前で、少年は手綱を引いて馬を止めた。小屋と言うほど貧相ではないが、格別に立派というわけでもない。要するに、農家の一家が住んでいそうなごく普通の石造りの家だ。

 悪路を運んでくれた感謝を込めて、アイラは馬の首筋を二度三度と撫でた。

 少年の手を借りて馬から降りたアイラは、強い風に吹かれて身を縮めた。さすがに体が冷えてしまっている。

 少年は馬の手綱を連れに預けると、アイラの腕を引っ張って家の中に入った。それから火種を取って戸口に掛けてある油筒の芯に火を点け、ばさりと頭巾を後ろに払った。暗い色の髪が現れて、少年は前髪をかき上げた。濡れた外套を脱いで戸口の横の木釘にかけながらアイラに言った。


「ちょっと待ってろ」


 戸口の灯りから油皿の灯芯に火をもらい、覆いのついた台に乗せた。それを持ってアイラを立たせたまま奥へ駆け込んで行く。

 アイラは顔に張り付く髪を払った。全身びしょ濡れなものだから、至るところからぽたぽたと水が落ちてくる。足元に水たまりができそうだ。髪を絞っていいものかと考えていると、戻ってきた少年が乾いた布をアイラに放った。


「ありがとうございます」


 少年はすぐに踵を返し、今度は部屋の隅にしゃがみ込んだ。部屋の真ん中にあるテーブルが邪魔で、そこに何があるのかよく見えない。外套を着ていたとはいえ、彼も濡れているだろうに何をしているのだろうと思いながら、アイラは顔を拭い、髪を押さえた。渡された布をひとまず置いて、背中にへばりつき腕に絡んだ肩掛けを引きはがす。よくぞ落とさずにいたものだ。

 ぐっしょり水を吸った肩掛けを手に、アイラはその扱いに少し困っていた。桶でも貸してくれたらその上で一絞りするのだが。


「少し、よろしいですか? これを」


 話しかけられた少年は振り向いて、固まった。あまりにわかりやすく表情が変わったので、アイラは思わず言いさした言葉を止めた。

 このとき、彼は初めて、正面からまともにアイラを見たのだ。

 戸口で燃える灯火を受けて、アイラの全体的に白っぽい姿が温かみを帯びて照らし出されていた。はっきり言って、目のやり場に困る状態だった。つまり、濡れた衣が肌に張りついて、透けている。

 ぼんやりとした明かりの中でも、少年の顔がみるみる赤くなったのがわかった。


「どうかなさいました?」


 少年ははっとして目線を上げた。つまり、それまでは視線が顔より下方にずれていたわけだ。

 首筋に張りついた一筋の銀の髪。その先からしたたる雫を追うように動いた視線の意味を、アイラはまだよくわかっていなかった。

 ともあれ、硬直状態から脱した少年は無言でまた奥へ消えると、今度はたらいと衣服を手に戻ってきた。


「着替えたら呼べよ」


 あらぬ方を向いたまま少年は言い、なんとなくぎこちない動きで再び家の奥のほうへ戻って行った。

 アイラは少年の態度が腑に落ちなかったが、言われたとおり着替えようとして、手を止めた。

 彼が逃げ出した理由がわかった。

 これは恥ずかしい。

 アイラが両手で顔を覆って長い息を漏らしたころ、そこから壁一枚隔てた隣の部屋で、少年――ダグは壁に頭を打ち付けたい衝動に駆られていた。

 びっくりしたびっくりしたびっくりした。

 心臓がばくばくいっている。

 だってあんなきれいで、なめらかな……ちがうちがうそうじゃない!

 さっき見たものが脳裏に浮かびかけて勢いよく首を振った。

 思い出したらダメだ。すごくダメな気がする。

 さっきまでまったく意識していなかったことがにわかに気になりだして、顔が熱くなった。

 ぶつかってきた彼女を受け止めたときの軽さ、とか。鏡から引き離したときの細い手首、とか。抱き寄せたときの感触、とか。触れたときの感覚がやけに生々しく、鮮明によみがえってくる。

 この腕の中にあった、やわらかくて、華奢な――……。


 ガタン、ゴトッ


 ダグはびくっと体を震わせた。何かがぶつかったような物音は、少女のいる表の部屋からした。次いで驚いたような声が聞こえたので、急いでそちらへ戻ると、脱ぎかけの服を押さえた少女とルーがいた。反射的に顔を背けたところへ、ルーの叱責が飛んでくる。


「ダグ! この馬鹿っ」


 そう言えば、こいつがまだ外にいたんだった。

 家に入って女の子が半裸でいたらそりゃあ驚くだろう。しかし、驚いたあとに余裕をかませるほどの経験値はなくても、ダグのように狼狽えるほどかわいい性格はしていないルーだった。


「こんな場所で着替えさせるな」


 ルーは外套も脱がずに勢いよくダグの首に腕を絡ませると、奥へ引きずって行く。


「おまえさあ、なんであんな入り口で女の子を着替えさせるんだよ」


 ルーは外套から袖を抜いて軽く畳むとひとまず部屋の隅に置いた。


「ルーを痴漢にするつもりは」

「誰が痴漢だ」

「はぁ。うん。ごめん」


 もごもごとダグが謝ると、ルーは仕方なさそうに肩をすくめた。


「俺はさ、いいもの見たなー得したぜ。くらいなもんだし。いいけどさあ」

「得したって……」


 ダグは呆れた顔で呟いた。しかし、そう言われると何をどこまで見たのか気にならなくもない。肩と腕は素肌だった、し、背中、も……。と、ついつい記憶をさらってしまう。


「ダグだって見たいだろー?」

「は? そ、そんなことは!」

「大きな声出すな。なにおまえ。女の子嫌いなの?」


 ルーは笑いながら返答に詰まったダグの髪をかき回すようにして拭いてやった。


「俺たちも着替えちまおうぜ。泥だらけだよ。あーあ。あとで床も掃除しないとなー」


 ぼやきながら長靴を足から引っこ抜く。ダグもそれに倣って濡れた服を脱ぎながら尋ねた。


「ヒボシとネシュは?」


 ダグが口にしたのは、雨の中を厭うことなく走ってくれた馬の名である。ダグとアイラを乗せた方をヒボシ、ルーを乗せた方をネシュネーといった。ルーはその世話をしていて遅くなったのだ。


「元気だよ。体拭いて、餌足しといた」

「そうか」

「それで、あの子はなに?」

「知らない。屋敷に入ったらいたんだ」


 ルーは渋面になって慎重に問いかけた。


「なんで連れてきたんだ?」

「なんとなく」


 ルーの冷たい視線を感じて、ダグは付け足した。


「そうした方がいいような気がしたんだ」

「おまえという奴はぁ」


 がつん、とルーの拳がダグの頭に当たった。


「いでッ」

「なんとなくでなんでもかんでも拾ってくるな!」


 そう言われると、ダグとしては心当たりがあるので強く言い返せない。


「けど」

「けど、なんだよ」

「誘う声が、嫌な感じに嬉しそうで……」

「声?」

「だからジュマスがあの子に」

「おいダグ」


 ルーは真顔でダグを見つめた。


「なんだよ」

「ジュマスがいたのか?」

「そう! いたんだよ!」


 ダグは身を乗り出した。


「あいつ出かけてるんじゃなかったのかよ」

「つまり、ダグ。おまえはやつと」

「鉢合わせた」

「よくまあ無事で」


 ダグはちょっと悔しそうな顔をした。


「相手をするまでもないってことじゃねえの? 俺だって、逃げることしか考えてなかったし」

「あーあ。今回も収穫なしかあ。またくたびれ損てことかよ」

「そうでもない。見てみろ。曇った」

「本当か?!」


 ダグは左手を油皿の火に近づけた。手首につけた細い腕輪に嵌め込まれた小さな石は、屋敷に入るときは透明だった。それが、すっかり黒ずんでしまっている。


「十三箇所目にしてやっと当たりを……!」


 喜ぶルーに対して、ダグは冷静だった。


「当たりかどうかはまだわかんねーだろ。あの部屋に裏のブツがあったことは確かなんだろうが、それがケルゼリエに出回ってるのと同じかどうかわかんねーもん。持ち出せなかったから調べようがない。それらしきのを一個しか見てねーし」

「うう。なんつーか、中途半端な結果に……。これって、おまえらにはがっかりだよーってため息つかれる展開?」

「腹立つけどそうだろうなあ」


 嫌そうに言うダグに、ルーが問いかける。


「どうする?」


 ダグは負けん気の滲む強い声で言った。


「報告は上げるとして、このまま帰りたくねえ」

「賛成」


 すかさずルーが声を上げ、二人はそうこなくっちゃよ、とばかりに口の端を上げて瞳を見交わした。


「もう一度行って持ち出せると思うか?」

「見つかったのにいつまでも同じ場所に置いておくかな」

「普通は移動するな」

「でも、こっちのことを見くびってくれてるだろ」


 ルーがそう言ったとき、部屋の出入り口近くで軽く一回、壁を叩く音がした。二人はかなり本気で驚いて、音のした方へ勢いよく顔を向けた。

 この部屋に扉はない。以前はあったのかもしれないが、ダグとルーがやってきたときには枠しかなかった。その四角く開いた場所に少女が立っていた。着替え終わったようで、ダグが渡した男物の服を身に着けている。寸法が合わないところは、袖と裾を折り上げたり帯で締めたりして調節したようだ。


「よろしいですか?」

「あ、ああ」


 話に夢中で途中からうっかりいることを忘れていたのは自分たちが悪い。けれど、近づいてくる足音はおろか、彼女が故意に音をたてるまで、まるで気配を感じなかった。警戒とまではいかないが、二人は釈然としない顔で探るような視線を向ける。

 少女は部屋へ入ろうとはせず、変わらぬ落ち着いた声で返した。


「服をお貸しくださりありがとうございます」

「いや。そんなのしかなくて悪いな」

「いいえ。十分です。お湯が沸きましたけれど、どうしたらよろしいでしょう?」

「湯?」

「あ。そうだ。俺、火にかけてたんだった」


 思わぬアイラの姿に動転して逃げ出す前、ダグは部屋の隅に切った炉に炭を熾していたのだった。ボーマルッカは気候が温暖とはいえ、雨に打たれれば熱いものを飲みたくなる。


「とりあえず、向こう行くか」

「そうだな」


 二人は少女から目を逸らさずに言葉を交わす。少女は了解のしるしにかお手本のような会釈をし、軽やかに身を翻したので、ダグとルーは急いで彼女の後を追いかけた。

 少女は元居た部屋に戻ると、たらいを持って振り返った。


「服を干せる場所はありますか?」

「へ?」


 ダグが間の抜けた声を返したが、ルーは笑顔で答えた。


「あっちの土間に紐を張ってあるから、掛けられるよ。でもその前に」


 ルーは少女の手から濡れた服の入ったたらいを取り上げた。


「もっと大事なことがあるだろ。座って」


 少女は逆らわなかった。示された椅子を見て、素直にその隣に立つと頷いた。


「わたくしも教えていただきたいことがございます」

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