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精霊の姫君と五人の守護者  作者: 山本みこと
精霊の姫君と五人の守護者 本編 2
39/47

十七、めぐりあわせの雨夜 1

 アイラは真っ暗な場所に立っていた。

 つい先ほどまでアイラを囲んで渦巻いていた小さな精霊たちの姿はない。

 激しい雨音がしているが、屋根と壁に隔てられた音だ。雨粒は落ちてこないし、足の下の感触も地面ではなく板張りの床のようだ。花が生けてあるのか甘い香りがした。

 建物の中らしいが、わかるのはそのくらいだ。

 カタカタと風が戸を叩く音がして、アイラは首を巡らせた。

 たすけて、と言っていた。

 ここにいったい、何があるというのだろう。

 光の乱舞に呑み込まれる直前の、メルの呼び声が耳に残っている。

 まさか、こんな形でまた離れてしまうことになるなんて――。


「今のは、なに?」


 細い声がして、アイラは右手に月長石の耳飾りを持ったままであることに気がついた。


「ミシア」

「ねえ、なにがあったの? わたしの契約した精霊は?」


 ミシアの声は不安を隠しきれずに揺れていた。アイラは小さく囁き返した。


「メルはおりません。わたくしたちだけ別の場所に移動してしまったようです」

「……」

「ミシア?」

「それで説明したつもり? さっぱりついていけないわ。もうちょっと順を追って話せないの?」


 ミシアの指摘ももっともだったので、アイラは事の起こりから話し始めた。


「わたくしは、トルーセの雛菊館という宿にメルとおりました。ミシアは夜にまた起こしてほしいと言っていたでしょう? だから、休むまえに耳飾りを渡してもらったのです。そのときです。たくさんの小さな精霊たちが現れて……ミシアにも見えましたか?」

「見えなかったけど、声を聞いた気がする。それから、すごく眩しくなって、あっちこっちからなにかに引っ張られたわ」


 語尾がかすかに震えていた。わけもわからずそんな目に遭えば、恐ろしく思うのも無理はない。


「怖い思いをさせてごめんなさい。耳飾りがわたくしの手にあったから、一緒に連れて来られてしまったのしょう」

「別に怖くなんてなかったわよ! ちょっと驚いただけ」


 ミシアは怒った声で否定して、苛立ちもあらわに続けた。


「つまりわたしはあなたの巻き添えを食ったということ?」

「そういうことになります。小さきものたちはわたくしに呼びかけていました。その力がわたくしたちをさらい、どこか離れた場所へ移動させたのです」

「離れた場所って……ここはどこなのよ」


 アイラは小首を傾げた。

 次第に目が慣れてきたおかげで、なんとなく部屋の様子がわかるようになってきた。大小の箱が積んであり、大きな壺や額縁らしきものがいくつも置いてある。棚にもこまごましたものが並んでいるようだ。


「物置でしょうか」

「そういうことじゃなくて! どこの物置かが問題でしょ!」


 じれったそうに言い放ったあと、ミシアは疑わしげに眉を寄せた。


「……まさか宿の中で客室から物置に移っただけなんて言わないでしょうね?」

「そういうことも、あるのかしら……?」

「あるの?!」

「わかりません。とにかく外に出てみないことには」

「なんでもいいから早く戻ってもらわないと困るわ。わたしは自分では動けな」

「待って」


 アイラはミシアの言葉を遮って耳をそばだてた。足音が近づいてくる。


「誰か来る」

「誰かって……なにしてるのよ! 悠長に突っ立ってないで早く隠れなさい」

「なぜ? ここがどこか教えてもらえるかもしれません」

「馬鹿ね。悪人かもしれないでしょ」


 ミシアの言うことも一理ある。アイラは部屋の隅の大きな箱の影に身を寄せてうずくまり、弾みで落としてしまわないよう手に持っていた耳飾りを左耳につけた。

 足音はすぐ近くで止まった。そっと覗き見ると、入口の戸の下の隙間から明かりが漏れている。

 すべるように扉が半分ほど開いた。床に光が差して、光源が動く。

 立派な枝付き燭台の上で蝋燭の炎が三つ揺れている。それを持つのは、長いガウンを羽織った若い男だった。首の後ろで一つに束ねた髪と、襟元の刺繍がきらきらとしている。豪華というか、派手である。

 男がこちらを向いたので、アイラは顔を引っ込めた。


「どこの鼠かね?」


 低くやわらかい声が言った。

 なぜかアイラの隠れている場所へ真っ直ぐ近づいてくる。床を踏む靴の音が、少し手前で止まった。


「出てきなさい」

「どうするの?」


 ミシアの囁きにアイラは短く息を吐いた。どうするもなにも、これ以上隠れていても無駄だろう。アイラは早々にあきらめて、部屋の隅の暗がりから足を踏み出した。


「ねえ待ってっ……」


 ミシアの慌てた声が聞こえたが、もう遅い。

 アイラは足を滑らせ、光の届く場所まで進み出た。


「責任取りなさいよ……!」


 ミシアは低い声で吐き捨てるとぴたりと口を閉ざしてしまった。

 アイラはあらためて男に視線を合わせた。

 男は大きく目をみはってアイラを凝視していた。

 暗がりから現れた少女の姿は、彼の虚を衝くに十分だったのだ。

 ささやかな灯を受けて闇に浮かび上がる色の薄い髪と肌。感情の読めない静かな表情。さらさらと揺れる薄い衣。およそ熱というものが感じられない。今にも透き通って消えてしまいそうな、生身の人とは思えぬ風情。その存在は頼りないほどに現実離れしていた。

 幻想ではないとわかっていても、男は確かめずにはいられなかった。

 少女は男の手を避けなかった。ただ、触れた瞬間ぴくりと肩が震えた。少女が嫌がらないのをいいことに、男は大胆にも白い頬に手のひらを寄せる。そこには確かな感触と体温があった。

 どこかで少女が幻であることに期待していたのか、触れられる存在であることに落胆する。同時に、手の届く存在であったことに愉悦する。

 相反する感情を引き起こすものは好ましい。彼女は大いにそれを与えてくれる予感がした。

 男の指先が少女の肩にかかる長い髪を揺らす。そして、男はわずかに目を見張った。

 契約の刻まれた品が少女の耳を飾っていた。繊弱なくせに、随分と高度な技で編まれた契約だ。見ようと思えば深部まで見通せそうなのに、ほとんど意味がわからない。読むことができないのだ。

 男は知らず唇に笑みを浮かべた。


「何者か?」

「わたくしは、アイラと申します」


 にこりともせずに少女は名乗った。声もまた心地よく澄んでいる。

 男は燭台をかざしてアイラの頭のてっぺんから足の先までゆっくり視線を動かした。

 なにからなにまで、この場にそぐわないちぐはぐさだ。

 不自然なくらいの落ち着きも、貴婦人の如き佇まいも、極めつけに、彼女の着ているものはどう見ても薄い寝衣一枚なのである。肩掛けを羽織っていることが救いといえば救いだが、はっきり言えることは、他人の屋敷に忍び込む格好ではないということだ。

 男は揶揄するように言った。


「まさか、夜這いをかける部屋を間違ったわけではなかろうに?」


 残念ながらアイラは夜這いという単語を知らなかった。しかしこの場合、それはたいした問題ではない。意味が分かったところでこの類の質問に回答することは難しい。小さきものたちが具体的にアイラになにを求めてここに送りこんだのかわからないのだから、目的を問われても答えられない。したがって、アイラはこの台詞をまるごと無視することにした。


「見逃してはくださいませんでしょうか」


 あまりに堂々と言うものだから、男は笑いを禁じ得なかった。


「虫がよすぎるのではないかねえ」

「無断で立ち入りましたことは、お詫びいたします」


 変わった娘だ。いや、不思議な娘、というべきか。


「見逃してやったら出て行くのかね?」

「その前に、こちらの部屋の様子を拝見させていただきたいのです」

「なんのために?」

「わたくしが目にすべきものが見つかるかもしれないからです」

「おもしろいことを言う」


 男は少女と話すことが楽しくなってきた。


「アイラ、と言ったか」

「はい」

「私のことはジュマと呼ぶといい。アイラはいつこの屋敷に入ったのかね?」

「それほど時間は経っていないと思います」

「ほう。ではその姿で外を出歩いていたのかね?」


 アイラは首を傾げ、わずかな間のあと思い当ったのか小さな声を漏らした。


「あ……」


 指摘されて初めて、自分が人前に出てよい姿でないことに気づいたアイラは、無意識に肩掛けを胸の前で引き合わせた。今まで寝間着で過ごす時間が長かったせいかまったく違和感がなく、すっかり失念していた。水蘭館では大目に見てもらえていたが、さすがに初対面の男性に見せるのははしたないことだと思う常識はある。

 思わず後ずさったアイラだったが、男は距離をとることを許さなかった。


「まさかここで着替えたわけではあるまい?」


 男はゆっくりと言い聞かせるように言葉を重ねた。


「今朝から雨が降りどおしなのだよ」


 男は無遠慮に顔を近づけた。


「髪も、服も、少しも濡れていないし、汚れてもいない」

「それは」


 部屋の外で不自然な音がしたのはそのときだ。雨音に混じったそれは大きな音ではなかったが、注意を引くには十分な音だった。

 男が入ってきた扉の方ではない。反対の壁の外に誰かがいる。


「おや」


 男は楽しげに笑うと、ふっと炎を吹き消して燭台を手近な箱の上に置いた。そして、再びの暗闇に戸惑うアイラの腕を強く引いた。


「……っ」


 くるりと体が半回転してアイラは背中から抱きとめられた。男の手が素早くアイラの口を塞ぎ、もう片方の腕で後ろから抱きかかえるように腰をつかまえられた。

 背中が男の体にぴたりと押し付けられ自由を制限された状態で、アイラは少しも動じていなかった。慌てることも怖がることもなく、身動きが取れないわけではないが振りほどくことは難しそうだ、という至って冷静な感想を抱いた。

 こういうところが、兄王子たちをして危機感が足りないと気を揉ませる所以である。リエラが同じ目に遭えば空気が凍りつきそうな怒りをみせるだろうに、自分への危害には呆れるほど無頓着なのだ。

 男はアイラを引きずって部屋の隅の壁を背にして立った。


「外にいるのはアイラのお友だちかな?」


 耳元で低く囁く声にかろうじて首を横に振った。

 しかし、拘束する腕は外れない。言葉にならない声を上げて騒ぐことはできそうだが、外にいる何者かの目的もわからない。人のことは言えないが、常識的には夜にこそこそと忍び込むほうが悪いに決まっている。仕方なく、アイラはなりゆきを見守ることにした。


 かたかたと小さな音が、壁にかかった垂れ幕の向こう側から聞こえる。そのうち、そこには窓があるのだとアイラにもわかった。

 かたん、とかんぬきの外れる音がした。

 窓の鎧戸が垂れ幕を押し開く。

 雨粒と一緒に風が吹き込み、垂れ幕を大きく舞い上げた。

 人影が窓枠から床に降り立つ。

 頭巾付きの短い外套からぽたぽたと水滴が落ちて床を濡らした。

 侵入者は窓を閉めることもせず、舌打ちをした。後退し、窓枠に手を掛けたそのとき、アイラの口を覆う手が強引に彼女の顎を上げさせた。


「ん……っ」


 苦しさに漏れた声に、侵入者の動きが止まる。


「誰だ?」


 誰何したのは、まだ若い少年の声だった。


「あっ!」


 男に背中を強く押され、アイラは少年の前に倒れ込むように走り出る羽目になった。


「うわっ。わっ……! ごめん。大丈夫か?」


 反射的にアイラを受け止めた少年は、律儀に謝ってアイラの顔を覗き込む。


「さて、きみたち」


 部屋の隅から投げかけられた低い声に、少年の体に緊張が走った。

 どうやったのか消えていた蝋燭に火が灯り、少年は眩しそうに手をかざして光を仰ぎ見た。


「私の屋敷になんの用かな?」

「ジュマスか……!」


 少年はアイラを自分の後ろに庇うように引き込んで、余裕の表情で笑む男を睨みつけた。その拍子に、アイラは布を被った何かに躓いた。暗くて周りがよく見えないせいもあり、アイラは体勢を崩したまま膝をついた。つかんだ布がずり落ちて、アイラの目の前に大きな楕円の鏡が現れ、甘い花の香りが広がった。

 アイラは喉の奥に悲鳴を呑みこんだ。

 ばらばらと吹き込む雨が鏡面を濡らす。もちろんその滴はアイラにもかかったが、彼女は顔を強張らせ、微動だにせず鏡の表面とそれを縁取る細工を食い入るように見つめた。

 男と少年はまだそれに気づいていない。


「少年。私の名をどこで知った?」

「あんたは有名人だからさ」

「ん? 今日は予定外の獲物ばかり引っかかると思っていたが、まさかきみが本命なのか?」


 男は少し首を傾げた。


「いまどきはこんな子どもを使うのか……」


 少年は眉間に深いしわを寄せた。男の言い分は不本意極まりなかったが、半分は当たっている。本来なら自分が関わるはずもなかった案件であることは事実である。こうなったら長居しても仕方がないしさっさと逃げるしかない。

 ちらりと開いたままの窓をうかがった、そのとき。


「これはあなたがやったの……?」


 背後から響いた声に、少年は体を硬直させた。

 なまめかしく、それでいて首筋を冷たい手で撫でられたようなぞっとする声だった。ざあざあと耳を打つ雨音が、そのときだけ遠ざかったような気さえした。

 少年は思わず身震いして振り返り、少女が自分を見ていないことに安堵と悔しさを覚えた。その凍えるような視線を向けられているのは、少年の上司が言うところの変態である。


「これは、あなたがやったの?」


 再度同じことを問われた男は、アイラの前でむき出しになっている姿見に目を止め、歓声を上げた。


「素晴らしい……! それがなにかわかるのだね?」


 男は大袈裟に目を見開き、満面の笑みを浮かべた。

 少年は男とアイラ、そして鏡を見比べて小さく呟いた。


「これが、そうなのか?」

「あぁ、なんて……」


 アイラは鏡の表面を撫で、精巧な細工の縁飾りに触れた。


「だめだ触るなっ」


 少年は慌ててアイラの手首をつかんで鏡から引き離した。


「ありがとう。でも、わたくしは平気よ」

「ほう」


 男はうっとりと笑った。


「逃がしてしまうのはもったいないかな」


 アイラは床に座り込んだまま無表情に男を見上げた。


「アイラ。私と一緒に来ないかね?」


 暗がりに響くやわらかい声はひどく優しげだ。

 しかし、どんなに甘い言葉で誘われたとしても、この男と一緒には行けない。行けないけれど、ここを離れない方がいいのかもしれないとも思う。なぜなら、アイラはここに導かれたからだ。それに、アイラが呼ばれた原因はこの鏡にあるような気がする。そうでなかったとしても、こんなひどい行いを放置しておくことなどできないと思った。


「おいでアイラ。歓迎する」


 アイラの表情に迷いを見て取った少年の行動は早かった。


「来い!」


 あっという間だった。

 少年はアイラを抱え上げて窓枠に飛び乗った。アイラより背は高いものの細身の体のどこにそんな馬鹿力が、とさすがに驚くアイラに、少年は短く告げた。


「しがみついてろ」


 言うが早いか窓枠を蹴って庭に飛び降りると、そのまま雨の中を走り出す。

 雨と風と、濡れた足音、それから少年の息遣い。聞こえるのはそれだけだ。

 この少年も、あの鏡について何か知っている。言動を思い返すに、あの痛ましくむごい鏡が忍び込んだ目的である可能性があった。あんなものを欲するなど、いったいどういう了見なのか。

 アイラは言われたとおり、少年の首にしがみついた。


 一方、残された男は、鼻歌でも歌いそうな浮かれた足取りで鏡の前に立った。

 濡れた鏡の表面が蝋燭の火を映してゆらゆらと歪んで見える。

 パリン

 男の目の前で、アイラが触れた箇所にひびが走る。

 蜘蛛の巣状に広がったひび割れは縁飾りにまで及び、裏板に広がり、ついにはすべてを粉々に砕いてしまった。

 予想外でもあり、期待通りでもあった。


「はっ、ははは! あっはははは!」


 だめだ。止まらない。

 こんなに楽しい気分になるのはいつ以来だろう。

 ああけれど、この結果を知ったらアイラは悲しむだろうか。

 男は鏡の欠片を軽く蹴飛ばした。

 今度は私が砕いてあげよう。そのときを想像すると、ぞくぞくする。


「楽しみだ――……」


 男は優しく優しく呟いた。

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