十六、春雷姫の形見 2
アイラは一種の先祖がえりだ。
ボーマルッカ王家と、トゥムファの祭司家。父母双方から、人間に混じった精霊の血を濃く受け継いでいる。アイラの波長はひどく精霊に近い。
「守護者殿――……」
ノエの声が聞こえる。
祭司の守護者。トゥムファの守護精霊。
それが、最初の娘によって自分たちに与えられた呼び名であった。
「あなたは、守護すべきものをはき違えておられる。既に、血統を守る義務は消え失せたというのに」
淡々と響く言葉は、事実には違いない。
最初の娘と精霊によって秘匿された契約の印をその身に抱いてアイラが生まれたとき、遠からず、トゥムファの血筋が精霊の加護を失うことは決定づけられた。アイラは最後の契約者となるべくして生まれ、そうなった。
実際には、それは当初に定めたものとかけ離れたかたちでなされたのだが、思えば、相克する二つの特性を併せ持つがゆえに、誕生のときからアイラは変則的な存在であったのだ。
「契約は解かれた。あの娘は自ら命綱を断ったのだ」
それも一つの理屈だろう。
だが、メルがアイラを見限る理由にはなりえない。
「長く繋がれすぎてお忘れか。我らがなにゆえ、あなたがたを監視者として差し出したのか」
忘れてなどいない。けれど、きみがそうやって僕たちを責める。それもまた、身勝手ではないのかな……? そして、アイラは、たぶんきみを――。
メルは小さく呻いて瞼を上げた。
今、意識が飛んでいたな、とため息をつく。まだ袖が乾いていないところをみると、気を失っていたのは短い時間だと思われた。眩暈はおさまっているが、気を抜くとまた寝てしまいそうだ。それはさすがにまずい。
ゆっくり立ち上がったメルは、脇腹に走った痛みに顔をしかめた。もしや、打ち身ですまずに骨にひびでも入ったのか。
「あーあ。ミシアに怒られる……」
身体に傷をつけたうえ、居候を増やしてしまった。
暗闇の中、メルはふらふらと廊下へ続く扉の前に辿り着くと、向こう側に声を掛けた。
「ネイテ。入っていいよ」
「はい! 失礼します……!」
間髪入れずに返事が返り、扉が開く。光が差し込み、暗がりの中のメルを照らした。
「ぎゃあっ」
ネイテは飛び上がって悲鳴を上げた。その反応はひどくないかと思いながら、メルはネイテの隣に知らない顔を見つけて首を傾げる。やけにきれいな顔をした男は、片袖を赤く染めた少女を前にしながら呑気な声で言った。
「あらら~。けっこうやられたねえ」
虎目石のような瞳がゆるりとメルをとらえる。
色気のある男だと思った。気だるげな態度の裏側に、一見したところのなよやかさとは無縁の、迂闊に触れたら痛い目をみそうな凄みが見え隠れする。自分の娘が引っ掛かったらまず間違いなく、あれだけは絶対にやめておけと諭す種類の男だ。
いったい何者なのかと、メルは問いかけるようにネイテを見上げた。しかし、説明を求めるメルの視線にネイテはまったく気づかず、まるで掴みかかる寸前のように上げた両手をわななかせ、同じ音を繰り返した。
「お、お、おおお」
「お?」
「お怪我を……!」
ネイテが真剣なのはよくわかるが、メルは小さく笑ってしまった。こう言ってはなんだが、どうして動きの一つ一つが滑稽に映るのだろう。ネイテの存在はなんというか、とてもなごむ。
「おーい」
男は一つにくくった長い黒髪を揺らして顎をしゃくった。
「とりあえず中に入んな。ここの旦那にはいろいろ目をつむってもらってるんだ。なるべく目立たないようにするのが礼儀ってもんでしょうよ」
男はネイテの背中を軽く押しながら、当然のように部屋に踏み込んできた。仕方なく、メルは数歩後ずさって道を譲る。もう一人、男のあとから部屋に入った若者は、用意よく手燭を掲げ、いくつかの蝋燭に灯を入れた。
どうやら困らない程度の明かりを確保したところで、長い髪の男は部屋の扉を閉めてメルの腕を指差した。
「診せてごらん」
警戒するというよりも、メルは純粋な疑問を瞳に浮かべて男を見た。
「誰?」
「ソランに後を頼まれたもんでね。来てやったのよ」
「そうなの?」
メルの傍らに跪いたネイテにちらりと目をやると、彼女は大きく頷いた。
「ソラン様は『シュリ』を寄こす、と言い置いて行かれました。それが、こちらのお方、です」
ネイテにだけ任せるのは心配だという気持ちはわからないでもないが、気のまわる男だ。
雛菊館を出たソランはシュリに会い、事後を頼まれた彼がここにいる、ということは、思ったより気を失っていた時間は長いのだろうか。
軽く眉を寄せたメルに、男はくすくすと笑った。
ソランが悠長なことをしたとも思えないので、シュリに多くを話したとは思えない。だから、メルやネイテのことはほとんど何も聞いていないはずだが、そのわりに対応が落ち着いているというか、余裕がある。
「納得できない?」
「ううん。いかにもだと思うよ」
「なにが?」
「ソランのともだちって感じがする」
シュリは嫌がっているような笑いをこらえるような奇妙な顔をした。
「あー、まあいいか……。じゃ、腕、出して」
「いいよあとで」
シュリの再度の要求を、メルは素っ気なく断った。それを聞いたネイテは血相を変えてメルの手を握った。
「だめですよ! こんなに血が!」
「切れれば血ぐらい出るよ。もう止まってる」
「そういう問題ではありません! ミシアさんの体なのに!」
憤慨したネイテは、いつの間にか手にした鋏でメルの服の袖を切りだした。
「どっから出したの?」
「シュリ様が応急処置の一式をお持ちくださったので」
「ソランが一応用意しとけってさ」
よく見れば、ネイテの横に蓋の開いた四角い鞄が置かれている。さっきから何か横でやっていると思ったらこの中を漁っていたらしい。
顕わになったメルの二の腕の外側には、切り傷が一筋、斜めに走っていた。他に擦過傷のようなものも見受けられる。されるがままにネイテに腕を預けて、メルはシュリを見上げた。
「そっちの人は?」
「これは俺の連れ。荷物持ちが必要でしょ」
シュリは少し離れて控えている若者を指して言った。メルは意味が解らず不思議そうに聞き返した。
「なにそれ?」
「宿に話はつけといたから、うちにおいで」
気軽なお誘いのような口調でいて、その実、決定事項を口にしているような印象を受けた。
「……いいの?」
「いいよー」
聞き返すと、いい具合に力の抜けた答えが返ってきた。
初対面の、見るからに面倒事に関わっていそうな者たちを預かることへの緊張感が、全く感じられない。気負いもなく、心配するでもなく、熱心に誘うでもない。ついでに、相手の了承を得ようという意思もないようだ。
「そう。わかった。お世話になります」
メルはあっさりと頭を下げ、シュリは満足げに口に端を上げた。
その笑みに、断ったところで強制的に連れていかれただろうという予想の正しさを確信する。
「素直な子は好きだよ。あんた、ちゃんとした手当はうちでするから、今は適当にやっときな」
ネイテは奇妙な顔で固まった。
「テキトウ、ですか……?」
黒スグリのような小さな丸い目がわかりやすく助けを求めている。シュリは思わず見つめ合ってしまってから、額を抑えて息を吐いた。
「わかった。俺が代わる。あんたは持ってくものまとめてきな。ほれ行った行った。あ。おまえもいっしょに行って手伝っておいで」
シュリはネイテに連れてきた若者を付けて追い払い、メルの腕の傷を布きれで押さえてからかうように言った。
「まだ止まってねえよ」
「ほっといてもじきに止まるし、同じことだよ」
「そういう言い方もあるかねえ」
シュリにも大騒ぎするほどの怪我ではないとわかっている。簡単に傷口を縛ってたずねた。
「左の脇腹は?」
「わかる?」
「庇って動いてりゃあね」
「大丈夫。シュリの家に行ってからでいい」
「りょーかい。ちょっと待ってな」
シュリは立ち上がってネイテのいる奥の部屋へ消えたが、手にケープを持ってすぐに戻ってきた。
「下まで歩けるかい?」
「歩けるよ」
「上等だ」
シュリがメルの肩にケープをかけて留め具をかけるに至って、メルは呆れと困惑の混じった声で言った。
「甲斐甲斐しいね」
「これでも面倒見はいい方よ?」
「へえ?」
「ま、ソランに任されたしね」
シュリはおかしそうに笑った。
「外に馬車をつけてある。早いとこ行こうか。あいつらもすぐに来る」
きみは、僕たちのこと、どこまで知ってる? 口から出かけた疑問を呑みこんで、メルはありがとう、とだけ口にした。
込み入った話はもうちょっと後にしたい。いろいろ限界だ。
重たい体に鞭打って宿の外に出ると、雨は激しさを増していた。シュリに連れられて馬車に乗り込んだメルは、ネイテが隣に座ったのを確認したところで、言葉少なに告げた。
「少し、眠るね」
深く眠って、力の回復を待つ。力が戻れば、傷は治せる。
閉じた瞼の裏に浮かぶのは、輝く銀の髪と揺れる青紫の瞳の少女だ。
アイラ。今、どうしてる? どこにいるんだい?
ノエは捕まえたけど、また、別の怖いのが……アイラは怖いとは思わないかもしれないけど……怖いと思って逃げることもときには大事な……あれ? なんかおかしいな。とにかく、あまりアイラの力は使わせたくないんだよね。なるべく目立たないで待っててよ……ああ、でも、無理かなあ……。
「メル様……」
「やせ我慢も限界ってところかねえ」
そんな声が聞こえた気もするが、定かではない。




