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精霊の姫君と五人の守護者  作者: 山本みこと
精霊の姫君と五人の守護者 本編 2
35/47

十五、離散 1

 ソランが玄関扉を開けると、カコンカコンと乾いた音の鐘が鳴った。だが、誰も出てこない。

 ここは、トルーセの中心街からほど近いところにある、庭付きの小さな一軒家である。


「シュリ! いるか?」


 一応、呼んでみたが返事はない。ソランは諦めて勝手に中へ入ることにした。どの部屋も扉が開け放してある。居間に誰もいないことを確かめて、寝室の左隣の部屋を覗いてみた。当たりだ。

 家主は窓辺に置いた寝椅子の上にだらりと仰向けに寝転がっていた。

 ソランとは違う意味で堅気には見えない男であった。日焼けしていない肌と女が嫉妬しそうなきれいな顔。極めつけに艶やかな黒髪が枕の上でうねっている。

 室内は庭に面した大きな窓から差し込む光で明るかった。窓は格子戸と板戸の二重になっていて、外側の板戸だけが開け放されており、心地よい微風が入ってくる。

 その爽やかさがなんとも言えず嘘っぽくなるのは、中心で惰眠をむさぼる男のせいである。投げ出した長い手足は気怠げで、着崩した服は退廃的だ。


「シュリ。起きてんだろ」


 寝椅子の上の人物はうっすらと目を開けてソランを流し見た。口元がかすかに笑んで、ゆっくりと寝返りを打った。


「よぉ」


 片頬を枕に押し付けたまま、明るい茶色の瞳が笑っている。


「お姫様が無事でよかったねえ」

「気づいてたか」

「誰が集めた情報整理してそっちに上げてたと思ってんのよ」


 リエラ王女の一件でクドゥルはソランの持つ情報網も利用した。ソランが青の館に留め置かれていた間、リムドが紅雲亭に出入りしていたのはそのためでもあった。ソランへの信用が前提としたあったことはもちろんだが、そのくらい事件当初の手詰まり感と焦燥は大きかったのだ。

 トルーセは王都に近く、北からの旅人が集まる町だ。必然、その方面の情報が入りやすい。探す人物がリエラ王女だということは伏されていたが、シュリの立場なら粗方の事情は推察できる。


「おまえにも世話んなったな」

「それが俺のお仕事ですよ」


 シュリはかったるそうに身を起こしながらあくびをした。真っ直ぐな髪がさらさらと肩から背中へ落ちていく。


「んで、王子様のお守りは終わったのかい?」

「まあな」

「めでたく自由の身ってわけだ」

「そっちはまだ継続中だ」


 シュリはぶふっと吹き出した。


「じゃ、なに? まだ、王女の……?」


 よほどおかしかったのか、シュリは背を丸めてひとしきり笑っていた。


「おまえさん、相変わらずわけのわからんことやってるねえ」


 ようやく笑いが収まったシュリは、前髪をかき上げた。


「そっちこそ、相変わらず引きこもってんのか」

「ちゃあんとご近所づきあいはしてるよ。隣のご隠居さんとは話も合うし楽しいよ」


 どこか胡散臭い笑顔のシュリに、ソランはため息交じりに言った。


「たまには店にも顔出してやれよ」


 店とは、ソランがトルーセに出している酒場のことだ。シュリにはその管理も任せていた。

 ここへ来る前、ソランは先にそちらに顔を出している。

 シュリさんは滅多にこっちに来てくれないんですよ。そう言った従業員の口調は、不満というより残念そうだった。なにがどうしたのか、シュリは従業員たちに慕われている。初顔合わせのときの突っかかりようを思えば嘘のようだ。よく懐かれたものである。

 あきれたようなソランの視線を受けて、シュリは瞳を細めて悠然と笑んだ。


「俺は通うより通わせたい派だから」


 そういう問題ではないと思うが、実際、シュリへの定期報告係は人気らしく、従業員の間で当番を決めるくじ引きだの賭けだのが異様な盛り上がりを見せていることをソランは知っていた。

 これはもう、懐かれたというより手懐けたというほうが正しいかもしれない。


「まあいいけどよ」


 シュリにはシュリのやり方があるのだろうし、現にそれでうまく回っている。


「じゃ、俺ぁ帰るわ」


 シュリはぽかんとして目を見開いた。


「帰る……って、おまえ何しに来たのよ?」

「顔を見に来た」

「それだけ?」

「それだけだが?」


 奇妙なものを見るような目で見つめられ、ソランはなんとなく自分の方がおかしいことをしてしまったような気にさせられ、目を逸らした。


「近くまで来たからよ」

「……そーかい」


 シュリは何気ない風を装って窓の外に目を向けた。ソランという男は、時折こういう不意打ちをする。


「この通り元気にやってるよ」

「みたいだな」


 素っ気ない口調が照れ隠しだとわかって、ソランは口元を綻ばせた。

 何かをやらせておかないとどこまでも沈んでいきそうで、あれもこれもと無理やり押し付けたようなものだが、良かったと思う。本人の言うとおり、そこそこ元気にやっているのだろう。


「そろそろ行くわ」

「またいつでもどうぞ」


 シュリはひらひらと手を振った。もういつもの人を食った調子に戻っている。


「っと、そうだ」


 帰りかけたソランはふと思いついて足を止めた。


「一ついいか」

「なによ?」

「ダードスィル織物んとこの娘の話、なんか流れてきてるか?」


 王都東オトヤ区流鈴通りの織物商バガデの娘ミシア。

 クドゥル王子に娘の身元を確認されたメルはそう答えた。

 店の名はダードスィル織物。上流階級相手の高級織物店だ。

 その場では思い出せなかったが、ミシアの名に聞き覚えがあったのは、彼女の婚約話が界隈でちょっとした噂になっていたからだ。

 たいして期待してはいなかったが、シュリはすぐに思い当たったらしい。


「ああ。男と逃げちまった娘なあ」

「男と逃げた?」

「駆け落ちってやつ?」


 目を丸くしたソランを見て、シュリはくすくすと笑った。


「大胆なことするよねえ」

「誘拐の間違いじゃねえのか?」

「バガデはそう主張するさ。でも、世間の見方は駆け落ちで決まりだろうよ」


 ソランは得心がいかず首を捻った。ソランの知っているミシアは十を一つ二つ越えたくらいにしか見えない。婚約ならまだ有りだが、駆け落ちするには幼すぎるのではないか。


「女ってのはあの年で駆け落ちしちまうのか。すげぇな」

「そうか? 十七だろ?」

「十七?」

「うん。十七歳」

「あれで?!」


 ソランは本気で驚いた。十七歳ということはアイラ王女より年上だが、とてもそうは見えない。童顔にもほどがある。いや顔だけではないから発育不良というべきか。

 ソランの反応が大袈裟だったので、シュリは少し興味が出たらしい。


「おまえ会ったことあんの?」

「ああまあちょっとな」

「ちなみに幾つくらいに見えたのよ?」

「十一、ニ。いっても十三」


 シュリは微妙な顔をした。


「なくはないかね」


 成長期である十代の年の差は大きいとはいえ、そのくらいなら許容範囲だといえなくもない。


「俺が年齢を勘違いしてるか、おまえさんが人違いしてる可能性もあるけどさ」

「人違いなあ」


 ソランが人違いをしているというなら、これ以上駆け落ちしたというミシアの話を聞いても意味はない。

 だが、メルがあの場面でわざわざミシアの身元を偽る理由がない。あの精霊は言えないなら言えないというだろう。最初から娘の方が偽りの名前を名乗っていたらお手上げだが、それをここで確かめるのは不可能だ。

 ソランはしばし考えて尋ねた。


「駆け落ち娘はどうなった? 見つかったか?」


 ミシアが連れ戻されて元気でいるなら別人で決まりだが、果たしてシュリの答えは逆の可能性を示唆していた。


「ヒッティで追手に追いつかれて心中騒ぎを起こして重体」


 ソランは眉を寄せて深々と息を吐いた。

 駆け落ちの結末としては最悪に近い。


「死んではいねえんだな?」

「早馬が一度走ってったきりでね。詳しいことはわからんのよ。そのお遣いさんが馬を替えるときにちょろっと漏らして行ったのさ。生きてはいるが、いつ容体が変わるかわからないとね」


 このあたりで、ソランは人違いの線を考えるのをやめた。

 シュリの話によれば、駆け落ちした娘は北の国境で心中未遂の末、死にかけた。

 メルによれば、危篤の娘は精霊を宿すことで助かって、男を捜して北へ向かっている。

 二人とも、王都の織物商バガデの娘ミシアだという。これで無関係であるはずがない。

 もしかしたら、目覚めたミシアがいまごろアイラたちを前に同じような話をしているかもしれない。こんな話を聞いたネイテがどんな反応をするのか想像すると、つくづく宿に残らなくてよかったと思う。


「男の方は?」

「さて。生きてるのか死んでるのか、逃げちまったとか、捕まったとかいろいろでね。現場とここじゃあ距離があるし、事件の内容が内容だ」


 身内は隠したがるし、他人は面白おかしく脚色して語りたがるだろう。


「こっちから人をやらねえと、はっきりしたことはわかんねえってことか」


 しかし、これだけでもミシアの持つ面倒くさそうな背景はなんとなく想像がつく。


「なに? 気になるんなら調べとくけど?」

「娘のことはいい」

「相手の男?」

「そうだ」


 シュリは寝椅子から足を下ろして座り直すと、ゆっくりと足を組んだ。


「ソラン」

「なんだ?」

「娘の駆け落ちを知ったバガデは、秘密裏にあちこち捜させてた」

「そりゃそうだろうな」

「うちにも依頼はきたんだよ」

「セイランでなくこっちにか?」

「王都で動くと目立つとでも思ったのかね」


 シュリが腹が立つほどきれいに意地悪く口の端を上げるのを見て、ソランは壁に寄りかかって腕を組んだ。


「受けなかったんだな」

「まあ偉そうでね。ありゃだめだわ」

「おまえの依頼人になり損ねたわけだ。で?」

「とにかく、バガデはけっこう必死になって捜してたのさ。金も人手も使って。それでも、国境まで逃げられた。これってさあ」


 シュリは意味ありげに言葉を切った。


「協力者か……」


 雲が出始めたのか少しばかり暗くなった室内に、ソランの呟きははっきりと響いた。


「そ。いたかもね……って話。それも、ずいぶんと手際のいいのが」

「話がきな臭くなってきたな」

「これからもっと煙ってくる」


 続きを催促する眼差しに、シュリは軽く顎を反らした。


「相手の男ってのがさ、よくいる小悪党でね。行商して歩きながら、あっちこっちで小さい盗みとか詐欺とかやってる感じの。それとー、あの婚約話を繋げるとー……? ほらね。いやあな感じがするよねえ」

「あっちもこっちも、婚姻に金が絡むと碌なことにならねえな」

「世の中そんなもんでしょーよ」


 シュリは組んだ膝の上に片肘を突いて顎を支えると、ゆるりとソランを見やった。


「どうしますかね、お客さん。こっから先は有料となりますが?」

「おまえな……」

「冗談だよ。おまえさんから金もらったってつまんないし。その男を捜してんの?」

「まあな」

「役人に捕まってるか、とっくに始末されてるんじゃないかねえ」

「くたばってたら会えねえよなあ」

「そりゃそうだ」

「まあ、ちょいと気にかけててくれや」


 ソランは首の後ろを撫でながら軽く言った。


「そんなんでいいのかい?」

「人捜しのほうではあんまり当てにされてねえからよ」

「ふうん。いつまでいんの?」

「わかんねえ。とりあえず今晩は雛菊館にいる」


 シュリは目を丸くした。


「なんでまたそんなお高いとこに……似合わねえ」

「ほっとけ」


 ソランは苦笑した。自分一人なら絶対に泊らない宿である。アイラたちの身なりが身なりなので、安宿に連れて行くわけにはいかなかった。とはいえ、もう少し格下の宿でも十分なところ、あえて雛菊館を選んだ理由を考えるとため息の一つもこぼれそうになる。

 困ったことに、つい甘やかしたくなるのだ。


「なに一人でにやにやしてんの」

「あ?」


 シュリは後ろに両手をついて少し体を倒し、ソランを斜に見上げた。


「宿でお楽しみが待ってるわけ?」

「そうだったらわかりやすくていいんだけどよ。勝手が違っていけねえな」


 やはり楽しそうなソランの顔をシュリは探るように見つめた。

 ミシアの話のときとは明らかに顔が違う。お気に入りを見つけたのだとシュリにはわかった。そして、ソランの場合、得てしてそれは厄介ごとにつながっている。

 気づかなかったことにするべきかシュリは少し迷ったが、好奇心に負けた。


「今度は何に首を突っ込んだ?」

「最初に言ったろう。継続中だって」


 シュリは声を低めた。


「おまえのお連れさんて、そうなの?」

「そういうこった」


 軽く肯定されて、シュリは額を押さえた。


「せめてはぐらかしなさいよ」

「おまえなら構わねえよ」


 シュリは長い息を吐いた。


「一つわかった。おまえさん、まんざらでもないわけだ」

「なかなか面白い体験をさせてくれる姫さんだよ」


 それは、粉うことなきソランの本心だった。



 ※   ※   ※



 夕方から曇り始めた空は、暗くなるにつれて雲の厚さを増していった。

 ソランは暗い夜空を見上げて足を速めた。案の定、いくらも行かないうちにぽつりぽつりと雨が降り始めたが、本降りになる前に宿に着けたのでずぶ濡れにはならずにすんだ。

 門を通った時点で出迎え係が姿を見せ、たいして濡れてもいないのに、女中がすぐさま雫を払いにくるところなど、さすがに高い料金を取るだけのことはある。

 ソランは案内を断って一人で部屋へ向かった。階段を上り、客室の扉に手を掛けようとした瞬間、大きな縦揺れが建物を襲った。揺れは一度きりで、地面が一気に沈んだような感覚に体勢を崩したものの、ソランは倒れずに踏みとどまった。いくつかの悲鳴が聞こえたが、室内からではない。

 反射的に周囲を見回したが、見える範囲で蝋燭が落ちたりもしていない。ソランは扉を開けて部屋の中に飛び込んだ。建て付けは歪まなかったようで、部屋の扉は簡単に開いた。

 あれほどの揺れだったにもかかわらず、室内の様子に乱れはない。

 あの感じには覚えがあった。

 地震と似ているが違う。

 目に見えない圧力が一気に放たれ、通り抜けて行く感覚。

 昨日、体験したばかりの精霊の力だ。

 ソランは誰もいない応接室を走り抜け、そして、声もかけずに主寝室の扉を開けた。

 メルが寝台の足元に立っていた。

 他に人の姿はない。殺気も感じられない。


「おい。何が」


 メルは蒼白な顔でソランを見た。


「アイラが連れてかれた……!」

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