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精霊の姫君と五人の守護者  作者: 山本みこと
精霊の姫君と五人の守護者 本編 2
32/47

十三、兆し 3

「単独で動いてるっぽいね」


 メルは前置きなく言った。


「大雑把な方角で言うと、東から来て東へ去ったそうだけど、今はどこにいるかわからない。あんまり近寄りたくない感じがしたって言ってるから、まだあきらめてないと思う」


 アイラはゆっくり首を傾げた。

 メルにとっては自明の理でも、アイラにはなぜそれが理由になるのかわからなかった。ソランも同様だったらしく、彼は言葉にして説明を求めた。


「どうしてその、あー、小さい連中? に嫌われると、あきらめないことになるんだ?」


 問われて初めて解説が必要なことに気づいたらしく、メルはええっとー、と呟きながら唇に指を当てた。


「なんていうかな。僕たちって、自分の感情に存在そのものが影響を受けやすいんだよ。この辺にいるような小さいものたちは敏感だからね。あの子たちが敬遠するってことは歪みや濁りが生じているってことなんだ。アイラも何か感じたんじゃない?」


 アイラは少し考えてから口を開いた。


「……圧迫感があって、少し気持ちが悪いような感じがしたけれど、でも、彼自身が一番それを感じているように見えたわ。メルの言う歪みや濁りが原因なら、それは周囲よりも自分にこそ害があるものではないの?」

「当然だね。本人もわかってる。良くない影響が出るほど思い詰めて、それでも行動に出たってことは、意志は固いと思うよ」

「それにしちゃあ、お嬢ちゃんが出てきたらあっさり退いたな」

「勝ち目がないと思ったんじゃないかな?」

「あんたの方が強いのか?」


 メルは軽く肩をすくめた。


「その場で実力を察したっていうより、相手が僕だったから退いた部分が大きいと思うけどね」

「メルだから?」

「そう。知名度」

「あんたは力ある精霊として名が通ってるってことか」

「うん」


 メルはかぷりとアイラに渡されたオレンジに噛みついた。


「それでもあきらめはしねえ?」

「昨日も言ったけど、まだまだこっちにも隙はあるからね。今は様子をうかがって僕たちがどの程度使えるか計ってるというのと、作戦練り直してるところかなーって」

「実際のところ、あの場でやりあってたら勝てたのか?」

「単純な力勝負だったら勝てなかったねえ」


 ソランは肩を震わせて笑った。


「昨日のあれははったりか」

「まあね。でも、あの場は向こうが引き下がると思ってたよ? 僕が万全じゃないことはこの姿を見れば一目瞭然なのに、強気で出られたら何かあるんじゃないかって疑うでしょう。あとは、まさかアイラに本格的に抵抗されるとは思ってなかったろうし、僕が間に合ったのも予想外で、それで慌てたってのもあるかな。アイラは本当によく持ちこたえたよ」

「わたくしはただ必死で……。自分が何をしたのかよく、わからないのよ」


 あのとき、アイラはソランを守らなくてはと思った。そして、自分に殺気を向ける精霊にも、こんなことはさせたくないと思った。その後は、トゥムファの祭司を相手にしたときと同じで、体の奥にある力が勝手に反応した。


「今はそれでいい。深く考えないであるがままにしておいて」


 アイラはもの問いたげな様子だったが、黙ってうなずいた。


「なあ。仮に、昨日の段階であんたが本来のかたちだったら、どうなってた?」

「あの場で捕まえてるよ」


 メルはあっさりと言った。


「だから、アイラは早く他の四人に会いたいだろうけど、みんなを迎えに行く前に僕の方を先になんとかしたいんだよね」


 ミシアの身体のままでいることの不利益を考えると、先にこちらを片付けてしまった方が後々のためだ。


「わたくしもその方がいいと思う。できるだけ関係ない人は巻き込みたくない」


 アイラは耳飾りの中の少女を見ていた。メルもちらりとネイテを見やって、そうだねと呟いた。


「わたくしを襲った精霊は、メルの知っているひとだったの?」

「どうして?」

「なんとなくなのだけれど」

「半分当たり。昨日初めて会ったけど、噂くらいは聞いたことあるね。ゼラあたりは面識があるんじゃないかな」

「ゼラが……」


 機嫌よく笑う顔が脳裏に浮かんだ。アイラを抱いて空に上がるのはいつもゼラだった。気持ちよさそうに若草色の目を細め、アイラの髪を散らす風をたしなめて、軽快に笑う。耳元で囁く声は楽しげで、奔放にはねた黒髪の先が頬にあたってくすぐったい。頭に巻いた青布の端が風にひらひらと翻る。ゼラの周りに吹く風はいつも高く清んでいた。今も、変わらず彼のそばに風は吹いているだろうか。


「メルが言ったようにゼラが閉じ込められていて自由に動けないのだとしたら、昨日の精霊は関係あるのかしら?」

「なんとも言えないね」

「……そう」


 アイラは手元に視線を落とした。


「ちょっと気になったんだがよ。あんたがしたのと同じ方法で向こうが情報を得ることはねえのか?」

「もちろんそういうこともあるよね。こまかいのはどこにでもいるし、基本的に噂好きだ。ただ、さっきも言ったけど、向こうはこの子たちにとってあんまりいい感じがしないようだから、情報を得る手段としての効率は良くないだろうね。なにしろ避けられているわけだから」

「口止めはできねえってことか」

「今は一応、こっちの音が周りに漏れないようにしてるよ」

「へえ?」

「ネイテの声が大きかったせいもあるけど」

「わたしですか?!」


 いきなり引き合いに出されたものだから、メルの言葉を証明するように大きな声を出してしまった。


「離宮まで届きそうな声だったよね」

「そうね。びっくりしたわ」

「アイラ様まで……すみません必死だったんです」

「まあそれは冗談として」


 ふふふとメルに笑われて、ネイテは反応に困って口をパクパクさせた。


「なんにしろ、こういう小さい精霊の耳目を完全に塞ぐのは現実的じゃないね。この子たちの中で噂になるようなことをしなければいいんだよ。アイラは目立たないようにしたし、あとはなるべく派手なことしないでいれば、小さいものたちの興味は惹かないと思うから」

「そう言えば昨日もそんなことを言ってたな。目立ち過ぎだとか、元に戻っただとか。なんか変わったか?」


 何気なく訊いただけなのにメルが真顔で見返したものだから、ソランはちょっとたじろいだ。


「……なんか変なこと言ったか?」

「そうなんだ。反応がないからおかしいとは思ったんだよ」


 メルは一人で納得して二度三度頷いた。


「ソラン。初めて会ったときのアイラと、今のアイラが同じに見えるんだね?」

「同じ人間なんだから同じに見えるのは当たり前だろう」

「クドゥル王子はいい仕事するなあ」

「はあ?」


 メルは空色の瞳をくるっと動かして含み笑いをした。


「君を、選ぶなんてさ」

「メル?」


 アイラはメルが喜ぶ理由がわからず、ほんの少し眉を寄せた。


「普通は媒体にされたらもっと疲労するはずなのにやけにぴんぴんしてるし、単に頑丈なだけかと思ったけど」

「媒体?」

「って、俺が?」

「昨日、アイラの力を受けて剣で精霊の攻撃を跳ね返してたでしょう。ああいうこと」


 メルはにっこりと笑った。


「完璧な受動体質だね。ちょうどよく敏感でちょうどよく鈍感だ」

「さっぱりわかんねえよ」

「わかんなくても平気――あ」


 メルはふいっと木々が開けた斜面の方へ顔を向けた。


「出立だ」


 アイラはすぐさま立ち上がって離宮の見える場所まで移動した。

 王宮へ戻る一行が馬車を中心に隊列を組んでいる。


「メル」


 アイラは後ろを振り返った。


「ネイテのことをお伝えしておきましょう」

「わたしの、ことを……?」

「誰にも言ってこなかったのでしょう?」

「そうだね。一言断っておいた方がいいね」


 メルはアイラの隣に並ぶと、ちょっと背伸びしてアイラに何か言った。

 どうやって知らせるのだろうという疑問よりも、顔を寄せ合って話す姿のかわいらしさに気を取られたネイテは、なんだかほんわかした気分になってぼーっと二人に見入ってしまった。

 二人の少女には現実離れした浮遊感が漂う。涼やかな風と色のない光が彼女たちを包んでいるようで、眺めているだけで癒される。まさに眼福である。

 着飾った貴婦人たちとは違う美しさが新鮮で、ネイテは状況も忘れて観賞に没頭した。


「あれを見送ったら、俺たちも行くからな」

「へぇい……!」


 声が出た瞬間、しまったと思った。

 ぼんやりしていたところに急に声を掛けられたものだから、慌てて変な返事が飛び出した。ソランの顔が笑いをこらえて奇妙に歪んでいる。


「いいですよう。笑ってください」

「すぐ周りを忘れちまうんだな」

「すみません」


 身を縮めたネイテは、食事のあとがきれいに片付いていることに気づいて、ますます肩をすぼめた。


「姉さん。その前掛けは外しとけよ」

「あああはい。そうですね」


 ネイテは王宮小間使いのお仕着せのままだった。王宮付きだとは分からなくても、どこかのお屋敷の召使であることは一目でわかる。街中のお使いならおかしくないが、街道を行くには少し奇異な格好だ。

 ネイテは急いで前掛けを取った。真っ白い前掛けは、夜歩きの代償としてあちこちに汚れがついてしまっている。


「あの……ずっと徒歩で行くのでしょうか。アイラ様は足がお辛いのでは」

「トルーセまでなら姫さまの足で歩いても今日中には着くさ」


 ソランが口にしたのは、王都セイランのほぼ真北にある街の名だった。トルーセは王都から北へ向かう湖山街道の最初の宿場町であり、逆に南へ行く旅人の多くは王都へ入る前にトルーセで宿を求める。ちなみにアイラとリエラが保護されたミバは、方角としては王都の北西なので少し方向が違う。

 ネイテは具体的な旅の計画を何も知らないことに今更ながら気づいて不安になった。だいたい、なぜ精霊が身体から出るために遠くへ出かける必要があるのだろう。ミシアが弱っていて起こせないだけなら回復を待てばいいだけのことなのに。


「あのぅ。ミシアさんに身体を返すと言っていましたけど、どこへ行って何をするのでしょうか?」

「北へ向かって、人探しだとさ」


 ネイテはおうむ返しに聞き返した。


「人探し?」


 ますます意味が解らない。


「俺も詳しいことは知らねえが、そいつを探すことが身体を貸す条件だったんだとさ。だから、その約束を果たさないことには精霊は身体を出られないそうだ」

「そ、そんなあ……どうしてそんな条件……」

「さあなあ。よっぽど会いたい男なんだろ」

「男?! どどどどんな関係の?!」

「だから詳しいことは知らねえんだって」


 ソランも離宮を出てここまで来る間にかいつまんで聞いただけだ。内容は主に男の特徴についてで、ミシアとの関係はよく知らない。


「ミシア嬢が起きたら存分に聞いてくれ」


 ソランは荷物の入った袋を持つと、メルとアイラのほうに歩いて行った。メルが顔だけ振り返って何か言い、ソランは二人の背後から彼女たちの手元を覗き込むように少し体を屈めた。

 メルが閉じた両手を開く。


「ふええっ?」


 ネイテの口から調子はずれの声が漏れた。



 ※   ※   ※



 花籠離宮を発ってすぐ、羽音が聞こえた。

 見上げると小さな鳥影が一つ、低空に弧を描いている。

 クドゥルは予感がして手綱を引いた。

 白い小鳥が舞い降りてくる。このままだとぶつかる――と思ったが、小鳥はクドゥルの頭上で姿を変えた。ひらりと広がる白い手巾。差し出した手の上にそれはふわりとかぶさった。

 短い一文が記されていた。


『しばらくネイテをお預かりします』


 署名がなくともわかる。アイラの字だ。

 クドゥルは手巾を丁寧に畳んで、懐にしまった。

 視線を感じたが、無視して再び馬を進める。さすがに面と向かって説明を求めてくる者はいない。大方は目の錯覚として片付けるだろう。しかし、もう少し、目立たない方法はなかったのだろうか。

 ふっと息を吐いたクドゥルの口元は、かすかな笑みを含んでいた。

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