十三、兆し 2
すっと背筋を伸ばしメルと向き合うアイラの横顔を、ネイテはじっと見つめた。
王宮では暁の館にいたものの接する機会はなく、花籠離宮でも同様だったので、アイラとは全くの初対面だ。
しかし、噂は耳にしていた。そこで聞きかじったアイラの特徴が、あまりよろしくない評判に影響されつつ統合されていった結果、ネイテの中のアイラ像は、髪は喪の色のくすんだ灰白で病人のような青白い肌をした人嫌いの陰気な姫、となった。
しかし、実際会ってみると、アイラはネイテが想像していたような人物ではなかった。まず、外見からして見るのと聞くのとでは大違いだ。
確かに、アイラはネイテが見たこともない色合いをしていた。皮膚の下の血の色をまったく感じさせない雪のような白い肌は、ネイテの知る肌の白さとは一線を画する。髪の銀色は水晶の輝きを散らしたようで、俗に銀髪と言われる色の抜けた髪色とは別物だ。
体温を感じさせない硬質さのせいか、その姿はどこか作り物めいて映る。
それはネイテに限ったことではなく、初めてアイラに会った者はほとんどが同じような感想を抱く。血の通わぬ人形のような色素の薄さは異質だ。浮き立つ春の風景画に雪の結晶をひとつだけ描き足したような違和感がある。
しかし、不快感や嫌悪感を抱かせる類のものではない。少なくともネイテには、嘲笑されるほどみっともない容姿とは思えなかった。身にまとう色彩が見慣れないだけで、十分に美しい清雅な姫君だ。
意外だったのは外見のことだけでない。アイラに人から敬遠されるような暗さはなく、むしろ穏やかで温かく、優しかった。
ただ、ネイテの知る王族の女性たちとはずいぶん違ったことも確かだ。ファンナ王妃やリエラ王女は近寄り難いくらい美しく自信に満ちて、いつも中心で華やかに輝いていた。比べるとアイラはとても控えめに、ひっそりとそこにいる。
ネイテは最初、アイラがいることにすら気づかなかった。けれど、一度正面から向き合うと忘れがたい印象を残す。不思議な静けさに包まれた、独特の雰囲気に引き込まれる。その声はとても心地よく響き、ネイテはいつの間にか耳を傾けてしまっていた。
そして、アイラもまた、ネイテの話を取るに足りないものとは思わず、真剣に聞いてくれた。そんな彼女だから、正直に今の自分の思いを伝えて一生懸命お願いすれば、頼みを聞き届けてくれるのではないかと思った。
「アイラ様」
ネイテは思いつめた顔でアイラを呼んだ。
「どうしたの?」
「わたしも一緒に連れて行っ」
「駄目だよ」
「無理だ」
メルとソランは最後まで言わせず却下した。
ネイテはむっとして鼻を鳴らした。アイラに願い出たのに、横から口を挟んで素気無く断る態度が癇に障った。
「どうしてですか? 途中でミシアさんが目を覚ますかもしれないし、わたしはできるだけ早く彼女と話がしたいんです」
「ネイテ。あなたには言わなかったけれど、あまり安全な旅ではないかもしれないの。だから」
「だったら尚更です。ミシアさんの身体に何かあったら困ります。わたしは彼女から離れませんよ。ずっとついていてお守りします」
ネイテにとって、ナリサは胸に刺さった棘だ。長い間、じくじくと後悔と自己嫌悪の痛みを与え続けてきた苦い記憶。
そのことは、アイラも話の端々から何となく察していた。
「ナリサという方は、あなたにとって本当に大切な方なのね。でも、あなたは来ない方がいいわ」
「なぜですか?!」
「ネイテ。相手は精霊なの」
「せい、れい?」
「そうよ。精霊に襲われるかもしれないの」
「どどどどうして?」
「理由はわからないわ。でも、わたくしが敵視されていることは間違いないの」
「そ、そんな」
「だからな、ミシア嬢の身体は中にいる精霊が守る。あんたがいると、守らなきゃならねえもんが増えて結果的にミシア嬢の危険も増すんだ」
ネイテは明らかにうろたえたが、頑固だった。
「でも、でも、わたしはもう、手を離したらいけないんです。だめなんです。逃げたらだめ……」
「ネイテ」
「だ、だって、わたしのせいで……!」
ネイテははっとして口をつぐんだ。
それから、強張った顔で、けれど強い口調で言った。
「わたしは戻りません。あなたがたと行きます」
「駄目だ」
「いやです」
「だから」
「絶対について行きます」
「わかったわ。一緒に行きましょう」
「ありがとうございます!」
「姫さん?!」
アイラは渋面のソランを見上げた。
「ソラン」
「なんでしょうか?」
ソランは投げやりに返事をした。
「あなたは反対?」
じっと下から見つめられ、ソランは顔をしかめた。意識してそうしないと、つい甘い顔をしそうになる。
「反対ですよ」
「でしたら、あなたは残りますか?」
ソランは耳を疑った。
「なんだって?」
「ネイテが一緒なら、あなたに来ていただく必要はなくなるわ」
「どういう意味です?」
「メルがあなたに同行を頼んだのは、わたくしとメルの二人連れより、保護者がいた方がいろいろと都合がいいからだと聞いたわ。その役目はネイテができるでしょう?」
アイラが何を考えてネイテを連れて行くと言い出したのか察したメルは、少し申し訳なさそうな顔でソランを見た。
ソランは頭が痛くなってきた。筋が通っているようで根本的におかしい。
「そもそも俺は、彼女を連れて行くことに反対してるんですがね」
「でも、ネイテは意思を変えるつもりはないようよ。置いていったら、わたくしたちを探して追いかけてくるでしょう」
ソランはそれこそ勝手にさせておけばいいと思ったが、メルは諦め顔だった。
「そうだよねえ。アイラは放っとけないよねえ……」
「あんたまでなに言ってんだ……」
「あのっ、わたしは! わたしは危なくたって構いません。そんなの関係ないです」
かたくなに意見を変えないネイテに、ソランは疲労感から息を吐いた。
「あんた一人のことで済めばいいが、そうはいかないだろう」
「ええ。ですから、ここで別れましょう」
ソランは、今度は本気で顔をしかめた。そのくらい、アイラの発言は不快に響いた。しかし、アイラは表情一つ変えず続けた。
「ネイテを伴うことで危険にさらされる可能性が高くなるとあなたは考えているのでしょう? あなたはメルに頼まれて一緒に来てくださっただけですもの。同行していただくのは申し訳ないわ」
ソランは自分の身がかわいくて反対しているのではない。こういう言い方をされるのは心外だった。
加えて、無理に付き合うことはないからここでお別れしましょう、という実にあっさりした態度に、ソランは苛立った。そして、これしきのことで腹を立てている余裕のない自分に、また苛立ちが募った。
「俺とはここで別れて、そこの姉さんを連れて行くのかい?」
「はい。それが良いと思います」
「へえ? どうしてそう思う?」
「ネイテはわたくしたちと一緒に行くことを強く望んでいます。ミシアと離れたくないという理由があるからです。ですけど、あなた自身には、わたくしたちとどうしても行動を共にしなければならない理由はないのでしょう?」
そばで見ていたメルは、助け舟を出すべきかどうか少し迷っていた。
さっきは成長したと思ったが、やはりまだまだアイラは鈍感だった。
クドゥルに大切に想われていることは自覚したようだが、ソランの好意には気づいていない。やはり、アイラへの売り込み期間の長さの差――年季が違うということだろうか。ソランがアイラを気に入って同行を承知したことに気づいていれば、さすがにこういう展開にはなっていないと思われた。
ある意味、いつも通りのアイラである。そして、アイラの言うことは間違いではないのだ。ちょっと方向がずれているだけで。
ソランもアイラの理屈に一応は頷いた。
「そうだな。俺には理由がない」
「はい」
「それでも、ここで置いて行かれるのは納得いかねえな」
アイラにしたら予想外の答えだったのだろう。問いかけるように首を傾げた。
ソランは皮肉気に口の端を上げた。
「ただ、姫さんが俺を邪魔だと思ってんなら、ここでさよならだ」
「そんなことは思っていません」
アイラは驚いて否定した。
「わたくしの申し上げたことが、そう聞こえたのでしたら、謝ります」
アイラの声が小さく細くなる。メルは風向きが変わったことを感じて、傍観者に徹することにした。ネイテはというと、ソランとアイラを交互に見やって疑問符を飛ばしていた。
「わたくしは、あなたに迷惑ばかりかけています。こちらから頼んでおいて勝手を言うようですが、ここで離れたほうがあなたのためだと思います」
ソランにもやっと、これはアイラなりの気遣いだったのだとわかった。わかった途端、機嫌が直るのだから、現金なものだ。
「迷惑だなんて思ってねえよ」
「でも」
アイラは口ごもった。
「気兼ねだの遠慮だのはおいといて、あんたは俺にどうして欲しいんだ?」
アイラは戸惑っていた。
出会いがまずかったのか、知り合ってからそれほど時間が経っていないのに、ついソランには気を許してしまう。
ソランが同行するとメルから聞いたとき、このままずるずると巻き込んでしまっていいのだろうかと申し訳なかった。けれど、安心する気持ちがあったことも確かだ。
「……あなたのなさりたいように」
「俺は姫さまの言うとおりにしたいと言ったら?」
わざわざこんな言い方をしたのは、先ほどからの扱いに多少の不満が残っていて、もう少しぐらい困らせても許されるだろうと思ったからだ。
「どうしたい? 姫さんの望むようにしてやるよ」
アイラはなんだかおかしな方向に話が滑っているような気がしたが、後に引けない雰囲気である。
「正直なところを聞かせてもらおうか。姫さんが俺にいてほしいのかほしくないのか、単純だろう?」
「わたくしは……」
そんな二者択一を迫られたら、答えは一つしかない。
こういう場面で嘘がつけないのは、アイラの長所であり弱点である。
「わたくしは、ソランにいてほしい」
ソランはそれは満足そうに目を細めた。
ネイテはこそこそとメルに耳打ちした。
「あのう……お二人はどういった関係なんですか?」
ネイテが疑問に思うのも無理はなかった。最初から最後まで主従の枠に収まっていない。それどころか、口説いているように聞こえなくもない。
メルは精一杯真面目な顔を作って教えてやった。
「ソランはアイラの婚約者です」
「そうだったんですかあ……」
ネイテは感心すると同時に納得した。そういうことなら、第三者は口を挟まないのが賢明である。
「だいたいな、こっちの姉さんがいるからって俺をクビにするのは早計だ。この姉さんはそれほど旅慣れちゃあいねえだろう? それにな、わかりやすい護衛がついてるほうが、面倒事は減ると思うぜ?」
アイラは目を見張った。
「ネイテも、連れて行っていいの……?」
「どうせ譲る気はねえんだろ。中心は姫さんだ。俺は従うだけさ」
ネイテがわかりやすい歓声を上げた。
「わたし、一生懸命、お二人のお世話をさせていただきます」
「ありがとう。でも大丈夫よ。自分のことは自分でできるわ」
「うん。アイラも僕もそんなに手をかけることはないと思うけど、立ち位置はそれでお願いしようか。だって、母娘にも姉妹にも見えないよねえ」
「恐ろしいことを言わないでください。わたしはお供の女中で結構です!」
ネイテは大袈裟に恐縮し、両手を顔の前で振りまわして訴えた。
身についた言葉遣いや立ち居振る舞いは、なかなか隠せるものではない。
離宮を出るにあたり、メルはアイラに保護者が必要だと説明したが、本当の問題は、年齢よりもアイラが庶民の娘に見えない点にあった。
身なりだけ変えても不自然なだけだ。よけいに目立ってしまう。
堂々とどこぞのお嬢さまを装って、護衛の一人くらいつけている方がよほど自然で安全である。その観点から言えば、供に女性が付き従うのも悪くない。
話がまとまったところで、ソランは、ネイテの乱入ですっかり脇に追いやられていた件を思い出した。
「それより、襲ってきたヤツについて何かわかったのか? 情報収集、してたんだろ」
「あ、ああ。えーと、そこそこ」
「聞いておいた方がいいか?」
メルはちょっと感心したようにソランを見上げ、微笑んだ。
「そうだね。整理する意味もあるし、話しておこうかな」
だったら早いとこ済ませてもらおうかとばかりに、ソランはメルの正面にどかりと座った。
その横にアイラとネイテが並んだが、途端にネイテの腹の虫が鳴って、一同は顔を見合わせた。
「すみません……」
「一晩中起きてたならお腹も空くよね。ちょうどいい頃合いだし、一緒に朝ごはん食べようか。大丈夫。ネイテの分くらいあるから」
顔を赤くして謝るネイテにそう言って、メルは袋を探って持ち出してきたパンと果物を取り出した。
最初、ネイテは給仕に徹しようとしたが、それには皆が難色を示した。
「こういうときは決まりごとは忘れて、一緒にいただいた方がおいしいわ」
「この食事で給仕してもらうようなことって、ないよね」
「腹を鳴らしながら横で見てられたら食った気がしない」
三人三様の言い方で押し切られ、ネイテはメルに差し出されたパンを恐る恐る受け取った。ふと横を見ると、アイラがオレンジを切り分けていた。食べやすいよう実と皮の間に切れ込みを入れる手つきは慣れたものだ。おそらく、ネイテがするよりずっと早くてきれいだ。
なにやら居たたまれなかったが、仕方がない。ネイテはいろいろ考えるのはやめて、食べることに専念することにした。




