二、怪魔憑きの姫 1
アイラは、人よりも睡眠時間を多く必要とする。
もちろん多少は我慢できるが、長くは続かない。少し無理をすると、凶悪なまでの眠気に苛まれる。睡眠をとらねば誰でも眠いものだというが、それとは違うのだとアイラは本能的に識っていた。
無理に起き続けていると、眠らなければならないという脅迫的な思いに捕らわれる。体の奥で何かが軋んで、警告を発する。もはや、本人にもどうにもできない睡眠欲求であった。
だから、それを承知の上で一切を無視した父王からの呼び出しは、心から歓迎できるものではなかった。二ヶ月に一度あるかないかの対面が、客観的に見て多いのか少ないのかアイラには判断がつかない。
そもそも、会えることを無邪気に喜べるほど打ち解けた親子関係ではない。そのぎこちない関係を変えたいとアイラは思う。変化は関わることから始まるのだということも分かっている。だが、いざ父に会うとなると気が重い。願っていながら機会を掴むことに消極的とは情けない限りなのだが、実際のところ緊張による気疲れはかなりのものだった。
呼び出した父のほうにもこれといった用事があるわけではないのだ。そうそう会話も続かないので、詩を朗読させてみたり、琴を演奏させてみたり、他愛もないことで時間は過ぎていく。
どう考えても、お互いに楽しんでいるとは言い難い。それなのに、何故わざわざ一緒に過ごす時間を設けるのか、わからない。
今日もわからないまま、アイラは父の前で代わり映えのしない挨拶をする。
「クシュナ・ユリ・アイラ、お呼びにより罷りこしました」
娘を迎えて、ボーマルッカ王国国王イリタ・イスニ・シュタルは鷹揚に頷いた。
シュタル王は五十代半ばになるが、知的な印象を与える細面の顔は若々しく、癖のある濃い金髪は豊かさを保っている。絹張りの肘掛け椅子に端然と座した姿は、たいそう見栄えがよい。
「おまえも、変わりないようだな」
シュタル王は楽しげに笑ってみせた。しかし、切れ長の青い瞳は上辺の表情を完全に裏切っており、娘を見やる眼差しはひどく冷めていた。視線が、アイラを検分するかのようにゆっくりと動き、顔の上で止まった。
「おまえの婚礼の儀を執り行う」
唐突に告げられた意外な言葉に、青紫の瞳がわずかに見開かれる。
――婚礼
頭の中で単語を反芻するものの、まったく実感が湧かない。一方で、抵抗や反発も感じなかった。王族の婚姻とはそうしたものだと、当人の意思より優先されるべきものが多々あるのだということくらい、アイラも知っている。そして何より、そう、何より大事なことは、父がそれを望んでいるということだ。
緊張が少し和らいだような気がした。安心したというのも変な話だが、心境としてはそれが一番近かった。
「承知致しました。仰せのままに」
アイラの声に動揺はなく、落ち着いていた。考えるまでもなく正解は一つしかないのだ。間違えようがないということは、気が楽だった。
作法どおりに頭を下げると、癖一つない銀の髪がさらりと肩を滑り落ちる。そのまま、幾分長めの間を置いたがシュタル王からの応えはなく、アイラはゆっくりと顔を上げた。
シュタル王は背もたれに寄りかかり、少し顎を上げてアイラを見ていた。
二人の間に、沈黙が流れた。
その静寂はあまり居心地が良いものではなかったが、アイラにはそれ以上言うべき言葉が見つからず、人形のように突っ立っていることしかできなかった。
「――それだけか?」
質問の意味がわからず見つめ返したアイラに、シュタル王は刺のある視線を向けた。
「昔から少しも変わらんな。己のことであろうに、よくそこまで無関心でいられるものだ」
苛立ちを含んだ声は、シュタル王の機嫌が下降したことを示していた。
間違えようのない簡単な答えのはずだった。父は命じ、アイラはそれに頷いた。その何が悪かったのかわからなかった。だから、どうしたらいいのかもわからない。わかっているのは、また、失敗したということだ。
それでも何か言おうとしたが、胸の辺りが重くつかえて言葉が出ない。怖いのだ。また、馬鹿なことを口走って、今度こそ『いらない』と言われるのではないかと怖くてたまらない。
「アイラ」
「――はい」
「おまえは嫁ぐのだ。それがどういうことか、わかっているのか?」
「はい」
「とてもそうは見えぬから尋ねたのだがな」
「それは……本当にわかっているとは言い難いかもしれませんが、立場は弁えております」
「ほう。どう弁えているのか、聞きたいものだ」
アイラは一瞬ためらって、しかし間を開けず口を開いた。
ここで黙っては、余計に父を不機嫌にすることくらい察しがついた。だからといって、気の利いたことが言えるはずもなく、アイラにできたのは思うところを正直に答えることだけだった。
「血統だけが、わたくしの唯一の価値だと」
「堂々と偽りを申すな」
まるで切り捨てるように否定され、アイラは驚いて声を飲み込んだ。
「王族の誇りすら持たぬ者が、白々しい。血統だけが価値とはよくぞ言ったもの。さんざん王女であることを疎かにしておきながら、唯一の価値などとさも大事なもののように言われたところでそのような言葉、今さら誰が信じられようか」
「わたくしは……」
アイラは力なく父を見つめた。
いつもいつも、うまくいかない。頑張って喋っても伝えたいことが伝わらない。いったいどうしてなのだろう。
「わたくしは、そのようなつもりで申し上げたのではございません」
シュタル王はどこか警戒するような視線を娘に向けた。
「血統が唯一の価値と考えているのはわたくしではありません。周囲のわたくしに対する評価を申し上げたのです」
「……それがおまえの言う、立場を弁えるということか?」
「はい」
「それでよいのか?」
「良いも悪いもありませんでしょう。単なる事実です」
「単なる事実」
シュタル王は蒼い双眸に皮肉げな光を宿し、確認するように繰り返した。
「さして重要ではない、ただの事実というわけか」
「はい」
実際、それはどうでもいいことだった。王宮中の人間に軽んじられ嗤われようと、気味悪がられようと、興味がない。アイラの感情は動かない。父王だけが、アイラの心を不安にさせる。父王の振るう刃だけがアイラの心に届くのだ。
こんなふうに。
「おまえは昔から可愛げのない冷めた子どもだったな」
アイラは震えそうになった指先をぎゅっと握りこんだ。可愛げがなく冷めていると、そう思われるようなやり取りだっただろうかと考えるが、よくわからない。
シュタル王は疲れたように俯いて、額を押さえた。
「王女であることにしか価値を見出されない。空しいことだと思わぬか」
アイラはぱちぱちと目を瞬かせた。意味がさっぱりわからなかった。顔も知らぬ他人にどう思われるかなど、気にしたこともない。
娘の物分りの悪さを嘆くようにシュタル王は首を振った。
アイラは今度こそ見捨てられるのではないかという不安に駆られ、焦って考えをめぐらせた結果の思いつきを恐る恐る口にした。
「お父さまは、わたくしに王女の称号を許したことを後悔しておいでなのでしょうか」
シュタル王はぎゅっと眉間にしわを寄せた。
「なぜ、そう思う?」
声が一段と低くなった。怒気さえ孕んでいるように聞こえて、アイラは身を強張らせた。
「……申し訳ございません」
「謝罪が聞きたいのではない。答えぬか」
「わたくしは……」
「聞こえぬ」
怖くて顔を見ることができない。このまま回れ右して逃げ出してしまいたかった。けれど、実際にできるかというとそこまでの勇気はない。追い詰められたアイラは視線を落としたまま半ば自棄になって一息に喋った。
「先ほどお父さまのおっしゃった通りです。王族としての務めを軽んじ疎かにしたと。責められたとしても仕方のないことです」
思い切って顔を上げ、続けた。
「義務を果たさず、王女としての権利を主張するつもりはございません。お父さまがご不快ならば、称号は返上致します。わたくしには必要のないものです」
リエラは生まれながらの王女だがアイラは違う。王妃を母に持たない庶子であるアイラは、国王の宣下を受けて初めて王女と認められる。男子と違い女子は無条件で王女宣下を受けるので、誕生の儀式の一つに組み込まれているのだが、厳密に言えば国王の子として承認されることと、王族としての宣下を受けることはまったくの別物だ。アイラにとって重要なのはシュタル王の子であることなので、王女の称号に執着はない。
「王女の身分など惜しくもないと言うのだな」
微妙な言い回しが気になったが、アイラは頷いた。
シュタル王はつまらないものでも見るように瞳を細めた。
「返上の必要はない」
素っ気無いくらいの調子だった。
「おまえには、王女の地位でいてもらう」
そう言うと、ずっと立ったままの娘に座るよう促した。アイラは作法どおりに謝意を表す礼をとり、椅子に腰を下ろしてから顔を上げた。シュタル王は改めて背もたれに寄りかかると、不満げに息を吐いた。肘掛けの上に置いた右手の人差し指が、ゆっくり上下し、コン、コン、コン、と、音を立てた。
「血統だけが唯一の価値との言、小賢しくはあるが、ある意味では正しい評価だな。しかし、その一点で他のすべての欠点を相殺できると思っているのか?」
ともすると嘲弄とさえ取れる指摘だったが、アイラには言われるまでもない当然すぎる疑問に聞こえた。
すなわち、あのような王女を妻にするなど気が知れないというわけだ。
王族の婚姻は政略の道具となる。だが、自分にはその価値があるかどうかさえ怪しいと思っていただけに、婚儀を執り行うという父王の言葉は意外だった。かといって、それ以外の理由で自分が婚姻を望まれる理由も思いつかない。
アイラは一応王女ではあるが、王家の中でほとんど無視されている存在であるため、発言力などないに等しい。以上の理由で持参金も期待できない。母親の実家という後ろ盾もないので援助もなければ人脈が広がるわけでもない。
ないない尽くしである。
それだけではなく、眠り呆けの王女、怪魔憑きの姫などと噂されている――らしい。
出来損ないの王女というよりは人として欠陥品と言われているようなものだ。
「欠点を相殺できるか、と問われれば、わたくしにはわからないとしか申し上げようが……」
「わからない?」
父の声がわずかに低くなったのを敏感に感じて、アイラは早口に弁解した。
「わたくしがそれを秤にかけたところで無意味でしょう。その判断をなさるのは、いえ、なさったのは、この婚姻を決めた方々です。そして、それが決まったのならば、王女の身分をもって、他のすべてに目を瞑るという判断がなされたと考えるしかありません」
どれだけ粗略に扱われていようと、王女は王女。王の娘という肩書きが物を言うこともあるのだろう。
「では、どんな男ならおまえを妻に迎えることを承諾すると思う?」
アイラはシュタル王の質問の意図を測りかね、返答に迷った。
「どうした? 答えよ」
急かすシュタル王の青い瞳から、鋭さが少しだけ和らいだように感じられ、その変化がアイラを落ち着かなくさせた。自分の中で答えは出ている。しかし、それは口にしても良いことなのだろうか。
「アイラ」
名を呼ばれ、アイラは思い切って言った。
「王族の姫の夫としては見劣りのする方であれば」
「遠まわしな表現だが、言いたいことはわかる。つまり、身分が低い、行状に問題がある、身代が小さい、年齢が釣り合わないということもある。だが、なぜ王である私が敢えて娘をそのような相手に嫁がせなければならない?」
「こちらにも思惑があれば別です。政略的に意味のある婚姻ではあるけれど、王族の姫の夫としては見劣りする相手。先方もそれを自覚しているから、わたくしで納得したのでは?」
言葉が過ぎたかもしれないと思ったが、今更やめることもできず、ほとんど勢いだけでアイラは口を動かした。
「いくら繋がりを持つことでこちらに利があるとしても、既に婚約者のいるリエラは論外ですし、従妹や姪たちも進んで嫁ぎたいとは思わないでしょう。けれど、わたくしは構いません。お父さまも、わたくしならば惜しくはありませんでしょう」
シュタル王は突き刺さるような視線を向けた。
「つまり、王家と姻戚になることだけが目的の婚姻だとしても構わないと言いたいわけか」
「はい」
即答すると、シュタル王は奇妙な顔でアイラを見つめ、やがて不機嫌な顔でため息をついた。
「立派なことだ」
とても褒めているようには聞こえなかった。
アイラは迷った末、声が震えそうになるのを抑えながら、訴えた。
「わたくしは無理をしているわけではありません。本当です」
「知っている」
シュタル王の青い瞳が忌々しげに娘を見やった。
「おまえのそうしたところが気に触る」
アイラは唇と噛んだ。
まだ、大丈夫。と、自分に言い聞かせる。このくらいは、いつものことだ。
血の気の引いた顔を強張らせる娘に、シュタル王は投げ遣りに言った。
「おまえの嫁ぐ相手は、決まっておらん」
アイラは目を瞬かせた。
「相手がいないのでは嫁げません」
「いないのではない。立候補する者が多すぎて選びかねておるのだ」
アイラはあまりの胡散臭さに眉を寄せた。
求婚者が多すぎるとはなんの冗談かと思う。考えられない事態だ。
「わたくしに選びかねるほど多くの求婚者がいるとは初めて聞きます」
「そうであろうな。だが、事情が変わったのだ」
楽しいことでも思い出したかのように、シュタル王は小さく笑った。
「お父さま……いったい何をなさいましたの?」
「私はただ、そなたの母親と交わした約束を果たすだけだ」
「…………どんなお約束です?」
「十六になったらレヴィエナ小領を授けること」
アイラはあきれて溜息をついた。
「無茶苦茶です」
レヴィエナは一代限りの拝領地である。ボーマルッカでは、主に女性王族のためのそうした領地が幾つもあるが、その中でもレヴィエナは別格だ。後ろ盾のない姫が体面を保てるようにと与えられる小さな土地とは違い、レヴィエナ領主という称号自体が王女としての格の高さを表している。本来、アイラが拝領できるような領地ではないのだ。
「レヴィエナはもともとおまえの母のものだ。娘に譲りたいという願いはおかしなものではなかろう」
「お母さまのお心は嬉しく思います。けれど、わたくしに管理できるとは思えません」
「領地の経営には専門の者を遣わせる。王女の直轄地とはそういうものだ。レヴィエナは持参金ではない故、それは降嫁しても変わらぬ」
アイラはわずかに首を傾げた。
「結婚しても経営に関われぬ上、夫の財産にもならないのでは、レヴィエナはわたくしの配偶者の利益にはならないのではありませんか。わたくしに求婚された方々はそのことをご存じないのでしょうか」
「そのようなことは周知の事実だ。もちろん子に相続できぬこともな。だが、領主に税収として納められる分に関しては曖昧でな。差配はおまえの心ひとつ。レヴィエナは豊かな領地だ。それだけでも莫大な金額になる。おまえを妻にすればそれを自由に使えると考えるのは自然なことであろう。家を継げぬ長男以外の子弟にとってはさぞ魅力的に見えたであろうな」
「みなさま、いろいろ考えているのですね」
素直に感心するアイラに、シュタル王は片眉を上げた。もどかしさと不機嫌さの入り混じった表情で言った。
「こうして私と度々対面していることも公にした。王太子をはじめ、ミリュウやクドゥルといった王子たちがおまえを可愛がっていること、またリエラとも非常に親しい間柄であることも存分に吹聴させた。私がレヴィエナを与えるとしたことも合わせて、おまえに対する見方も変わったようだ」
アイラは呆気に取られて父を見つめた。
多少の誇張はあるものの嘘ではない。嘘ではないが、この話を聞いた者が期待することをアイラは一切できないし、するつもりもない。まして、父がそれを許すはずがない。これは、一種の詐欺ではなかろうか。
だいたい、そうまでしてアイラの価値を高める意味がわからない。そう思った矢先、シュタル王が遠い目をして呟いた。
「あれは、おまえのことをずいぶん案じていたからな」
わずかに寂しさを滲ませた穏やかな声を耳にした瞬間、アイラの胸にすとんと答えが落ちてきた。つまりは母への義理立てなのだ。
「お父さまは本当に、お母さまにお甘い……」
「あれに似ても似つかぬおまえが生まれたときはがっかりしたものだ。長じれば少しは似るかと思ったが…………だめだな。あれは――ユラナはもっと美しかった」
なまじ女児だったために、期待を裏切られてよほど落胆したのだろう。何度も聞かされたその台詞を、アイラは無表情に受け止めた。
「実の娘のおまえよりも、リエラの方があれに似ておる」
「わたくしもそう思います」
「最もあれの血を濃く受け継いでいながら、面差しも何もかも、一つとしてユラナを思い出させるものがない。目の前にして、あまり愉快なことではないな」
「……」
「それでも、おまえが私の可愛い娘であることに変わりない」
可愛い娘――その言葉を素直に喜べないことが寂しくて、そっと瞳を伏せる。
父が、何を思ってそう言うのかわからない。
わかるのは、異母姉妹たちに向かって同じ言葉を口にする時とは明らかに違うということ。彼女たちに向けられるのは温かで優しい裏表のないきれいな想い。それは愛情だとすぐにわかった。だが、肝心の自分に向けられる感情は、名前を付けるのが難しくてよくわからない。よくわからないが、同じものではないのだから、愛情以外の何かだと思うと、深く考えるのが怖かった。
母が自分を身篭った時の状況を考えると、アイラの存在は障害以外の何者でもなかったろう。人知れずいなかったことにされても不思議はなかった。
父は、そんな自分に最初に居場所をくれた人だ。その人にはっきりと憎しみや嫌悪を見てしまうのが怖くて、真っ直ぐ見ることができない。嫌われているなどと自覚したくない。
それは一種の自己防衛だ。知らなければ傷つかない。気づかなければ痛くない。アイラが自身に向けられる感情に鈍感なのは、心を守るためにそうする必要があったからだ。
誰にどう思われようと気にしない。気にする前に知ろうともしない。無意識の段階で見ようとも感じようともしない。
しかし、皮肉なことに原因となった父に対してだけ、それは完璧ではなかった。
言葉の一つ一つに感情が揺れて、知りたくないと思いつつ、どう思われているのか気になって、愛して欲しいと望んでしまう。
いつか、姉妹たちと同じように呼んでくれはしないかと、期待して。
だが、そのために何をすればいいのかわからない。なんと言えばいいのかわからない。
『なぜ、おまえのような娘が生まれたのか』
それが記憶にある一番古い父の言葉だ。吐き捨てるような声が、今でもはっきりと耳に残っている。
『忌々しい』『不愉快だ』『見苦しい』と、苛立たしげに言いながら、決定的な否定の言葉は口にしない。だから、どこかで期待してしまう。はっきり『いらない』と言ってもらえればいっそ諦めがつくのに、何故、突き放しておきながら中途半端にそばに置くのか、わからない。
伏せた睫毛を震わせる娘に、シュタル王は完璧な微笑みを作って続けた。
「そこで、今日は可愛い娘のおまえと夕食を共にしたいのだが」
「夕食、ですか」
心なしか声が上擦った。
「お忙しいのではありません?」
「近頃は公務もほとんどヒュダトに任せておる。おかげで私は暇なものだ」
「そう、ですか…………」
今現在、朝起きてからは二刻半というところだろうか。これから夕食を済ませるまではたっぷり三刻はある。どうしたことか、今日はいつもより余計に構ってくれる気になっているらしいので、長引く可能性は大きい。
『眠いなどと言うものではない。見苦しい』
そう言われたのは、ずいぶんと前のことだ。
その時、幼心に決めた。これから先どんなに眠くとも、父の前では一片たりともそんな様子を見せたりはしないと。最初の動機は褒められたいという可愛らしいものだったのだが、今では単なる意地であった。その意地を張り通せるか、いささか自信がない。
父のそばで眠ってみたい――それは幼いころからの夢の一つだったが、正反対の努力をしている自分が、少し、情けなかった。




