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精霊の姫君と五人の守護者  作者: 山本みこと
精霊の姫君と五人の守護者 本編 2
26/47

十一、侍女の職分 1

閑話……のような回、になったかもしれません。

最初から最後まで、ほぼルルカの話です。

 テラスに出ていたクドゥルたち四人を、急ぎ整えた白百合の間へ案内した後、ルルカはリエラの部屋へ向かった。

 黒檀の間における一連の騒ぎの直後にも、ルルカは一度リエラの部屋へ顔を出している。部屋が離れていたこともあり、幸い、リエラは何も気づいていなかった。

 その時、リエラが夕食の献立についての要望を口にしたので、ルルカは厨房へその旨を言伝てたのだが、その返答がリエラの部屋付き侍女へ届いている頃合いだったので、どうなったか聞いておこうと思ったのだ。

 しかし、彼女の当ては外れた。リエラ付きの侍女によれば、使いにやった小間使いのネイテはまだ戻らないとのことだった。


 ネイテは暁の館の小間使いの中では古株で、ある分野においてはファンナ王妃からも深い信頼を得ているが、あまり気働きのできる性分ではない。機転が利くとは言えない彼女が離宮出張組に入ったのは偶然の重なった結果で、ルルカが指名したわけではなかった。

 何か問題でもあったのかと厨房へ向かったルルカは、その途上でちょうどネイテと行き会った。というか、裏向きへ続く扉を開けたらネイテがいたのだ。

 表側より格段に少ない蝋燭の明かりの中でぼーっと立っている姿に、ルルカは思わず一歩後ろに下がってしまった。ネイテは少し頬骨が目立つ骨格で、陰影が増して余計迫力があったせいもある。

 ルルカには意味もなく突っ立っているように見えたかもしれないが、ネイテもずっとここで佇んでいたわけではない。一瞬早くルルカが扉を開けただけのことだ。その証拠に、ネイテの右手は不自然な形で差し出されたまま固まっていた。


「ルルカ様!」


 ネイテは慌てた様子で手を引っ込めつま先をそろえて直立すると、ぺこりと頭を下げた。と思ったら、一度止まった頭がぶんと音でもしそうな勢いで上がった。

 ひょろりと細くて背が高いネイテがそうした角ばった動きをすると、滑稽さが増す。

 頭を勢いよく上下させたせいか、ほつれて落ちてきた黒髪をこれまたピシッと四本そろえた指で撫でつけた。

 女性らしい柔らかさや華やぎに欠ける動きは、彼女が勤め始めた当初から少しも変わらない。侍女と小間使いを一緒にはできないが、ネイテは王宮にいる年数だけ数えればルルカより長く、年齢も上だ。王宮――まして暁の館に仕え、洗練された所作や優雅な立ち居振る舞いの手本には事欠かないはずであるのに、その方面での成長が皆無ということは、もはや才能がないとしか思えなかった。


「戻るのが遅くなりまして申し訳ございませんでした。献立はご希望のものをご用意できるそうです。それから一名分増えても問題ないとのことでした」


 ネイテは一息に言ってけほ、と小さく咳をした。


「そう。それはよかったわ。あなた、何か厨房に迷惑をかけたのではなくて?」


 ルルカには、ネイテの姿が少し前に伝言を頼んだときよりくたびれて見えた。白い前掛けがくしゃっとなっているし、深緑色の服が白っぽく汚れていて、胸元のリボンは傾いていた。

 ネイテの細長い首をかくりとうなだれる。


「はい……調味料の入れ物を落っことしてしまい、びっくりして飛びのいたところで卵の入った籠をひっくり返して転びそうになって粉を振るっていたところにぶつかって……」


 連鎖的に失敗を重ねる見本のような話だ。

 しかし、失態を隠さず正直に話すところは評価できる。それに、こうわかりやすくしょんぼりされると、強く叱ることがかわいそうに思えてくる。


「料理長にはわたくしからも謝罪しておきます。周囲に気を配り、落ち着いた行動を心がけなさいね。一度戻って身だしなみを整えていらっしゃい」

「はい。申し訳ありませんでした」


 ネイテと会えたことで急ぎ厨房へ行く必要はなくなった。料理長への謝罪は諸々の用事が片付いた後にさせてもらおう。

ルルカはそこでネイテと別れ、来た道を戻り黒檀の間へ足を運んだ。

 居間の扉は大きく開け放たれており、不自由ない程度の控えめな数の明かりが灯った室内には、キサリの姿があった。黄昏の薄暗さと蝋燭の炎の加減か、金茶色の巻き毛がいつもより濃い陰影に染まっている。

 彼は居間に入ってきたルルカに一瞬驚いたようだったが、すぐに明るく笑いかけた。


「どうです? 少しはましになったでしょう?」


 見渡して、迅速な仕事ぶりにルルカは満足を覚えた。

 もう日も暮れることであるし、清掃と簡単な整理だけでよいという申し付けどおり、汚れた敷物は取り払って床は清められおり、散乱した小物は片づけられ、大きな調度品は隅に寄せてある。それらを点検し処分なり補修なりの手配をするのは明日でよいだろう。


「掃除に来たみなさんも最初は唖然としてしまいましてね。まあ無理もないですよね」

「キサリ様にはお手数をおかけいたしました」

「いいえ。お気になさらず」

「先ほど、殿下方を白百合の間へお連れいたしましたが、しばらく人払いをと。夕食は予定通りお召し上がりになるそうですので、支度が整いましたらお声をおかけいたしますと申し上げて参りました」

「わかりました。ありがとうございます」


 最初から夕食は少し遅めの時間にする予定だったので、まだ間があった。

 ルルカは改めてゆっくりと視線をめぐらせた。ゆらゆらと、黒光りする床に小さな炎が映るさまは美しかった。

 ルルカの唇から息が漏れる。今までが慌ただしかったせいか、訪れた静寂にふっと気が緩んだ。


「――ルルカ殿も大変でしたね」


 ありふれた短い労りの言葉は温かい共感に満ちていて、ルルカは思わず本音を漏らした。


「ええ。あのときは本当に驚きました」


 ソランがアイラの部屋にいると聞いて飛び出して行ったクドゥルを追いかけ、最後に黒檀の間に入ったルルカは、荒れ果てた室内の様子に棒立ちになった。

 そんな状態でもルルカの目と耳は状況把握のためにすぐさま周囲の情報を拾い上げた。


「あれはアイラの客人だ。いや、訪ねてくることは知らなかったが、大丈夫だ。間違いない」


 ルルカのすぐ隣りでは、クドゥルが興奮気味な警備兵に噛んで含めるように言い聞かせている。奥の方にはソランと、その隣にほとんど隠れて見えないがおそらくアイラ、それに淡い金の髪に水色のドレスの少女がいて、何か言葉を交わしていた。

 それだけ確かめると、ルルカは素早く居間の外へ出て扉を閉めた。この場において、最も建設的な行動だった。

 この場にこれ以上の衆目を集めるのはどう考えても好ましくない。少なくとも部屋を荒らした騒動は一段落しているようだった。差し当たりの危険はないと思っていいだろうと考えながら、ルルカは組木細工の通路を戻って廊下へ出た。

 騒ぎを聞きつけてちらほら人が集まりつつある。

 室内の物音が外に漏れたせいではなく、九割がた水色のドレスの少女のせいだった。

 門番を気絶させ敷地内へ入り込んだのを皮切りに、追う警備兵を置いてきぼりにする速度で黒檀の間までの最短距離を走り抜けたらしい。それを目撃した者たちが、あっちだこっちだと集まってきたのだ。

 ルルカも途中、少女とそれを追いかける警備兵に追い越されている。

 例えば侵入者が武器を持った男だったならまた違っただろうが、可愛らしい少女だったため物見高い好奇心が勝っている様子で緊迫感はない。


「静まりなさい」


 ルルカは毅然とした態度で召使たちを見渡し、クドゥルが警備兵に言った通りのこと告げた。


「彼女はアイラ王女殿下のお客人です」


 召使たちは一斉にざわめいた。驚きと呆れが半々、それに少しの非難といったところだろうか。


「何か行き違いがあったようです。騒がせてしまいましたが、案ずることは何もありません。仕事に戻りなさい」


 人騒がせなと顔をしかめる者、それをまあまあと宥める者、気が抜けた様子で苦笑する者、反応は様々だったが、上つ方の事情に首を突っ込むのは御法度だというのが共通の認識である。みな逆らわず仕事場に戻って行く。その中にアイラ王女に付けた侍女の姿を見つけ、ルルカは咄嗟に呼び止めた。


「レフィア様」

「はい」


 レフィアはすぐにルルカの前に来て軽く膝を曲げた。

 藁色の髪を編みこんでまとめた髪型が良く似合う、物静かな娘だ。


「アイラ殿下にはお部屋を移っていただくことになりました。急ぎ、白百合の間を整えていただきたいのです。お願いできますか?」

「かしこまりました」


 表情はかすかな疑問を浮かべていたが、レフィアは理由を尋ねることなく頷いた。

 それからルルカは再び室内へ戻ったが、彼女に注意を払う者は誰一人としていなかった。

 扉近くでは、少女を追いかけてきた警備隊長がまだクドゥルと話していた。


「わかっている。侵入されたのはおまえたちの落ち度ではない」

「殿下。我々は殿下がたをお守りするためにいるのです。ここで何があったのかも調べる必要があります。またあのように不審な者をおそばに近づけるのは納得いたしかねます。あの娘は普通ではありません。門番を昏倒させた上、飛ぶように身軽で――」

「職務に熱心なのはよいことだが、あの娘に対してそれを発揮する必要はない」

「しかし」

「あの娘の非常識な能力については他言無用だ。ここで見聞したことについても同様だ。ああヒュダト兄上に隠す必要はないぞ。私からも報告しておく。ご苦労だった。また話を聞くかもしれんが、今は持ち場に戻れ。引き続き警備を頼む」


 警備隊長はまだ言い足りない様子ではあったが、クドゥルはよく話を聞いた方だろう。命令だと言って有無を言わさず追い出さなかった分、彼らの気持ちを汲んでいる。

 ルルカは静かに扉を開け、警備兵たちが退出するのを待って扉を閉めた。


「クドゥル様。多少騒ぎになっておりましたが、アイラ様のお客人と説明し仕事に戻らせました。今は落ち着いてございます」


 クドゥルはほっとしたように笑った。


「ありがとう。助かるよ」

「このことはリエラ様には」

「言わなくてよい。必要があれば私から話す」

「かしこまりました。アイラ様には至急替わりのお部屋をご用意いたします」

「ああ。頼む」


 できることなら多少なりと事情を説明して欲しかったが、クドゥルは短く言い置いて足早にアイラのほうへ行ってしまった。つい未練がましくその背を目で追った先では、クドゥルがソランからアイラを引き剥がしていた。こんなときだが、妙になごむ光景である。

 ソランの影に隠れていたアイラの姿が現れて、ルルカは軽く目を見開いた。

 アイラ王女はあんなにきれいだっただろうか。存在感がまるで違う。いつまでも眺めていたくなる優美さに、ほうっと感嘆の息が漏れた。

 突然に美しくなる女はいる。恋をして、母となって、または生きがいを見出して、心の充足や情熱が外見に表れて輝きを増すのだ。だが、それだけが理由と考えるにはあまりに劇的にすぎる変化であった。

 何が彼女を変えたのかと疑問に思ったが、ぼんやり見惚れているわけにもいかない。他にやるべきことがある。


 ルルカは室内の様子を再び眺め渡し、見る影もなくぐちゃぐちゃになった有り様に、先ほどとは全く逆の意味でため息がこぼれた。家具を動かしたり壊したりするのはやろうと思えばできる。しかし、ここにはアイラとソランしかいなかったわけで、不可解極まりなかった。

 仮に、別に犯人がいたとしても謎ばかりが深まっていく。どうやって見咎められることなく侵入し逃亡したのか、何のために部屋を荒らしたのか。これだけのことをしたのだから、決して短くなかったであろうそのあいだ、アイラとソランはどうしていたのか。クドゥルが捜査を命じないのは何故なのか。

 考えれば考えるほどわからなかった。

 重たい棚は倒れて中身が散乱し、大きな額縁は落下し、テーブルを囲んでいたはずの長椅子や肘掛け椅子はそれぞれあさっての方向を向いて横倒しになり、小卓はひっくり返って花瓶は割れている。外から吹き込んだと思しき大量の花弁が散乱し、砕けた水差しの欠片は水滴を乗せて光っているし、その近くに落ちているクッションは水を吸ってぐっしょりだ。

 ルルカには、次第にそれが人の手によるものというよりは、通常ならざる力が働いた結果のように見えてきて、背筋が冷たくなった。

 無意識に身震いしたルルカは、埒もない恐れを振り払うようにぴんと姿勢を正した。一人で思い悩んでも始まらないし、王子たちをいつまでもここで立ち話させておくわけにもいかない。とりあえず、場所を移す必要がありそうだった。

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