表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
精霊の姫君と五人の守護者  作者: 山本みこと
精霊の姫君と五人の守護者 本編 2
23/47

十、花籠離宮の夕べ 3

 花籠離宮はその性質上、寝室を備えた客室の数は少なめだ。とは言っても、他の離宮に比べての話なので、現状の人数で部屋が埋まるほど狭くはない。必然的に男性の出入りが多くなると考えての配慮から、クドゥルの部屋を王女たちとは少し離れた位置にする程度の余裕はあった。

 王族の三人以外は、職務と立場によってそれぞれ個室や大部屋が割り当てられているはずだが、依頼を受けてもらったことと、それによって王女の婚約者という立場になったことをクドゥルが考慮したのか、ソランには比較的上等の客室が用意されていた。身分上の序列で、当然のことながらソランの部屋の方が玄関から近く、クドゥルの部屋の方が奥まった場所にある。

 クドゥルの供として同行したソランは、クドゥルの入室を見届けてから許しを得て、自室へ下がるのが正しい作法であるのだが、おっしゃる通りここまで付き合ったのだから少しは一人で寛がせてくださいよ、というソランの言葉をクドゥルは快く了承したので、さっさと廊下で別れて宛がわれた部屋へ行ってしまった。

 よって、クドゥルのそばにはキサリだけが残った。侍女たちはそのままクドゥルの身の回りの世話をするつもりだったようだが、用事があれば呼ぶと言って下がらせた。

 簡単に手足を清めた後、一旦は居間に腰を落ち着けたクドゥルだったが、あまり寛いでいるふうではなかった。思い立ったように立ち上がってまた座ったり、気もそぞろに意味のない行動を繰り返した挙句、何度かためらった末にキサリを呼んだ。

 晩餐の席で着るクドゥルの衣服を揃えていた手を止めてやってきたキサリは、窓辺に立った主の顔を見るなり呆れたように言った。


「妹君とはいえ、もう少し時間を置かれたらどうですか?」

「まだ何も言っていないだろう!」

「仰らなくてもわかりますよ。それとも、違いましたか?」

「……違わない」


 気まずそうに視線を逸らすクドゥルに、キサリは苦笑することしきりだ。


「着いたそうそうでは、慌ただし過ぎますよ。女性の身支度は時間のかかるものですのに」


 やわらかく窘められて、しかし素直に頷きたくなかったクドゥルは誤魔化すように窓の外に顔を向けた。

 太陽は西に傾きつつあるが、まだ外は明るかった。

 上部がアーチ状になった縦長の窓が庭に面した壁に並んでおり、明るい黄緑色の葉を茂らせた細い枝が幾本も弧を描いているのが見えた。白い窓枠に切り取られた光が、瑠璃紺の小さな花器の表面をきらめかせている。

 全体的に、華美さを抑えた上品な装飾の部屋だった。曲線よりも直線の美を際立たせる構成となっており、クッションや窓の垂れ幕に使われているレースの模様もすっきりとした縦縞である。白と紺の対比が知性と高貴さを演出する室内で、クドゥルの立姿は実に様になっていた。まさに白皙の貴公子といった趣である。

 貴族の令嬢方の憧れの眼差しを集めるのも致し方なし、とキサリは思う。しかし、見た目がいくら凛々しく見えても、今、クドゥルが考えているだろうことはちょっとばかり残念な内容なのだ。仕える王子に対するものとしては失礼な感想を抱きながら、キサリはすました顔で言った。


「何かお飲み物をお持ちしましょうか?」


 クドゥルは、なんとも決まりの悪い沈黙が破られたことにほっとして頷いた。


「頼む」

「ちらっと見ただけですけど、お酒もお茶も一通りありますよ。果実水も絞れます」

「茶を淹れてくれ。濃いのがいいな」

「かしこまりました」


 キサリは軽く一礼して、お湯を沸かすため続き部屋へ向かった。

 厨房まで赴かなくとも、隣の小部屋に火を使うための簡単な設備があるのだ。水瓶いっぱいの清水に、上質な茶葉が数種類、蜂蜜や砂糖に簡単なお茶請けも揃っている。特にボーマルッカの特産品の一つである蜂蜜は、中身の色が微妙に異なる瓶がいくつも並んでいる。しかし、残念ながら蜂蜜の出番はない。

 濃いめにというときは、苦みのある茶が飲みたいということだ。

 茶葉の入った小壺には茶名を記した札が下がっている。それにざっと目を走らせて、キサリは右から二つ目の素焼きの壺を手にした。

 キサリが運んできたカップから漂う香ばしい香りに、クドゥルはちょっと嬉しそうな顔になった。


「さすがルルカ殿ですね。ぬかりのない品揃えでした」

「そうか。改めて労っておこう」


 クドゥルは香り高いお茶を味わいながら、しみじみと呟いた。


「筆頭侍女はルルカが妥当だと思うがなあ」

「え、マティア殿は降格ですか?」


 キサリは驚いて尋ねた。


「いや。そうはならないだろう。母上が相当おかんむりだったから話には出たようだが、リエラが猛反対するだろうし、女官長もマティアの係累だからね」

「仮に打診があったとしても、ルルカ殿は辞退すると思いますよ」

「確かに、彼女の性格からしてマティアを庇うだろうな」


 キサリはいぶかしげにクドゥルを窺った。


「殿下はルルカ殿を高く買っておられるようですが、いつの間に性格を把握するほど親しくなられたのですか?」

「自首された」

「は?」


 クドゥルはカップを置くと、キサリに顔を向けた。


「ルルカは気づいていたんだよ。王女たちの入れ替わり計画に。しかも、知らないふりを通しつつ綻びを繕うように不備を補っていたというから感心してしまったよ」


 キサリは驚きもあらわに大きな目をさらに大きくした。


「すごいですねぇ! リエラ様に仕える方たちは、本当に姫君の望むことを全力で叶えようとするんですねぇ」


 キサリはルルカの手腕よりも、その行為自体に感銘を受けたらしい。彼が言ったのでなければ、皮肉かと疑うところだが、キサリは素直に思うところを述べただけだろう。

 クドゥルは肩をすくめた。


「報告書には記さなかったが」

「ちょっと待ってください」


 キサリは慌てて身を乗り出した。


「どうしてそういう話を私に聞かせるんですか?」


 内々に処理されたのなら黙っていればいいものを、とキサリの顔に書いてある。

 共有する必要のある情報とは思えないというのがキサリの感想だったのだが、クドゥルの意見は違った。


「ルルカは自分だけ見逃されたと思って気に病んでいるようだから、さりげなく相談に乗ったり力づけたり励ましたりする者が必要かもしれないだろう」

「仰ることはわかります。けれど、私には無理ですよ。困ります」

「いやいや。おまえには適性があるぞ。なんといってもキサリは女性に警戒心を起こさせない」

「……褒められている気がしません」

「褒め言葉だろう。しばらく王宮に留まるつもりだし、ルルカと話す機会は増えるはずだ。気にしていてくれると嬉しいな」


 クドゥルは少しも悪びれずに残りの茶を飲み干すと、空になったカップを軽く掲げた。


「もう一杯、淹れてくれるか?」


 キサリは諦め交じりのため息をついて、カップを手盆に受けた。


「すぐに淹れて参ります」


 言葉どおりそれほど間をおかずに戻ってきたキサリは、クドゥルの前に湯気が立ち上るカップを置いた。


「殿下はルルカ殿が一人で煮詰まった挙句、実は私も知っていて手助けしました――と名乗り出てしまうことを危惧していらっしゃるのですか?」

「ルルカは言わないよ。言ったところで、益どころか害しかないとわかっているからね」

「確かに、筆頭侍女と次席侍女がそろって、となると、有難くありませんね。総入れ替えだなんて大ごとになるかもしれません」


 個人的な失態で片付けばいいが、下手をすると女官全体の質の問題になりかねない。はっきり言って好ましくない事態だ。ルルカもそのことは理解している。しかし、理屈ではわかっても良心が疼くのを止められないのは、彼女の誠実さの現れといえる。


「つまりは気持ちの問題だな」


 公明正大であることよりも、臨機応変な振る舞いが望ましいと理解しその通りに行動しながらも、マティアに対する申し訳なさと、自分が手を貸さなければ、リエラが巻き込まれることはなかったという後悔が消えないのだろう。


「わからないでもないですけど、当事者のリエラ様もマティア殿も知らないことなんですから、深刻に悩まなくてもいいと思います。特にマティア殿が知ったら違う意味でややこしいことになりそうな気もしますし、沈黙は金ですよ。それに、ルルカ殿のしたことだって、こうなったから軽率と言われるのであって、そう悪いことでもないと思いますよ。花冠の乙女はリエラ様には似合いすぎるお役目ですしね。止めるよりも協力したいと思うのも納得です。今度のことは運が悪かったんですよ。入れ替わっていなかったとしてもアイラ様が消えて事件になったでしょうし。大きな違いはないですよ」

「アイラはみすみす攫われはしないだろうが――その調子だ、キサリ。その大雑把で融通無碍な考え方! 私が同じことを言っても空々しく聞こえるのに、おまえが言うと当たり前のことのように聞こえるからすごいな」

「それは私がすごいのではなく、殿下に問題があるんです」

「とにかく誰かに話すだけで整理がつくこともあるからな。ルルカの聞き手としては、私よりもおまえの方が向いている」

「殿下の場合、別の問題が持ち上がる可能性がありますからね」

「私はリエラの侍女に手を出したりはしないぞ」

「無駄に愛想よくしないことは肝要です」


 妙に実感がこもっている。まるで警句のように重々しく唱えると、キサリは察しの良さを発揮して続けた。


「殿下のご心配はだいたいわかりました。一段落した後に、職を辞させていただきますと言われたくないのですね」

「おかしいと思ったんだ。言ってはなんだが、リエラとマティアでこうまで完璧にやれるはずがない」


 アイラとリエラの入れ替わりを成功させた影の立役者はルルカだったのだ。


「そんな優秀な人材を手放す必要がどこにある?」

「ないですね」

「失礼いたします」


 計っていたかのような間の良さで居間の外から声がかかり、キサリとクドゥルは顔を見合わせた。噂をすればなんとやら、キサリが扉を開くと、話題の女性が立っていた。


「ルルカ殿。どうなさいました?」


 キサリが声をかけると、ルルカは少し戸惑い気味に会釈をした。


「誰も控えていないようですが、何か粗相でも……?」

「ああ、申し訳ありません。私もいることですし、取次の間の小者は下がらせたのです。クドゥル殿下が離宮に来てまで堅苦し過ぎると仰るので」

「さようでございますか。殿下のお耳に入れたいことがございます。よろしいでしょうか」


 目顔で尋ねるキサリに、クドゥルは了承のしるしに頷いた。


「どうぞ。お入りください」

「恐れ入ります」


 ルルカは優雅なすり足で部屋の中へ進んだ。


「リエラは大丈夫か?」

「はい。少しお休みになると」

「そうか。ルルカには改めて礼を言う。短い時間でよくここまで整えてくれた。主流の品ではないのに、好みの茶葉が揃えられていて驚いたよ。さっそく味わっていたところだ」

「もったいないことでございます」

「それで、私に話したいこととは?」


 ルルカの優しげな焦げ茶の瞳が聡明な光を浮かべて瞬いた。


「ソラン様がアイラ様のお部屋にいらっしゃるのは、クドゥル様のご指示によるものでしょうか?」


 クドゥルの顔色が変わった。


「なに?」

「小間使いが、ソラン様をアイラ様のお部屋へご案内したと申しております」


 クドゥルは思わず立ち上がった。さすがに驚いた表情のルルカに向かって、クドゥルは鋭い声を発した。


「アイラの部屋はどこだ?」

「黒檀の間にございます」


 聞くや否や、クドゥルは部屋を飛び出した。離宮の間取りは頭に入っている。


「殿下!」


 すぐさまキサリが追いかけ、ただ事ではない様子にルルカも後に続いた。

 クドゥルに廊下を全力疾走しないだけの分別は残っていたらしく、一応、その動きは歩くという表現の範疇に収まってはいたが、ルルカは完全に置き去りにされている。

 クドゥルは床を蹴る勢いで大股に歩を進めながら、どうしてここまで慌てるのかと妙に冷静な部分で考えた。焦って駆け付ける必要はないのではという思いが頭をかすめる。

 アイラを通して精霊たちに釘をさせた時点で、十中八九、ソランの身の安全は確保されたと思っている。アイラの婚約者の座を掴み損ねた誰かが、諦め悪くソランを狙うことはあるかもしれないが、それはまた別の話だ。

 最初からクドゥルが案じていたのは、ソランが自力で対処できないであろう精霊がらみの危険で、今は二人が会っても危急の事態にはならないはずだ。再会したアイラのそばに精霊の気配はなく、その理由については詳しい説明を聞けずじまいだったので多少の不安は残っているが、この焦燥の源は別のところにある気がした。

 口説いてみるかという、昨夜のソランの軽口を真に受けたわけではない。けれど、その時に感じたもやもやとした不快さに似ている。その奥にあるものを自覚したくないというか、自覚してはまずい感情であるという漠然とした予感が思考を鈍らせ、答えがはっきりと形になる前に、クドゥルは黒檀の間に辿り着くことができた。

 勢いのまま扉を開けた。

 クドゥルの客間と同様、廊下から入ってすぐ居室という造りではない。ちょっとした調度品を置いた空間があって、組木細工の通路が奥へ続いている。

 奥の部屋から感じる気配に、クドゥルはいっそう表情を険しくした。緊張と警戒もあらわに居間に入ったクドゥルは、目の前の光景に声を失った。

 アイラを左腕に抱えたソランが、剣を構えていた。

 その剣とアイラが、同じ銀色の光を帯びている。

 青鈍色の重たい垂れ幕が風をはらんで、ぶわりと膨らんだ。大きくうねり、宙に翻る動きは不自然にゆっくりとしている。庭から風に乗って入り込んだ薄い黄色の花びらが、上へ下へと室内を舞い踊っていた。


「ソラン――!」


 アイラが鋭く呼んだ。

 ソランの剣が唸りをあげて振り下ろされる。

 聞いたことのない、けれど何かがぶつかりあったと思しき音が響いた。

 アイラが右手を開いて前へ突き出した。

 痺れるような振動と衝撃がクドゥルにも伝わる。

 アイラとソランに相対して、精霊の気配を感じる。覚えのない気配は、剣呑な殺気を隠そうともしない。


「このまま、押し返します」


 アイラが言うと、ソランはアイラの肩を強く抱いて、彼女の突き出した腕に倣うように剣を水平に構えた。

 妙な構えだと思った。上段からの相手の剣戟を受けるにしては、腕が前方へ伸びすぎている。

 カタカタと家具が震えだす。正面からの凄まじい圧に、クドゥルは背中を壁に押しつけられ、愕然とした。手も足もまったく自由にならない。

 アイラとソランはかわらずその場に踏みとどまっている。剣を支える以上の力がソランの腕に込められているのを見て取り、なるほどあれは盾の役割をしているようだとクドゥルは考えた。そして、逃げる術さえ失った自分が完全な足手まといだということまで一瞬で思い至り、無防備に飛び込んだ軽率さに臍をかんだ。

 ただ見ていることしかできないクドゥルを嘲笑うかのように、眼前で繰り広げられる非現実さの度合いはますます高まっていく。

 ふわりと部屋中の家具が浮き上がった。

 大きな棚から細々とした調度品の数々、水の塊までが浮遊し、舞い散る花びらが空中でぴたりと静止した。

 アイラの細い体を包むように、揺らめく青い焔が見える。


「だめだっ」


 甲高い声が矢のように空気を切り裂いた。見知らぬ少女が疾風のごとくクドゥルの前を駆け抜けた。裾の長い水色のドレスの、後ろで結んだ白いレースのリボンがひらりと翻った。

 浮いていた家具が鈍い音を立てて床に落ちる。幾つかの陶器やガラスは転がったり砕けたりして高い音をたてた。自由を取り戻した花弁がひらひらと床に降り積もる。

 クドゥルには見えないせめぎ合いに乱入した少女は、精一杯両手を広げてアイラを庇っていた。

 少女はアイラよりも二つか三つ年下に見える。つまり、子どもだ。けれど、その態度はずいぶんと堂々としたものだった。勇気を振り絞っているようにも、虚勢を張っているようにも見えない。立腹している、という表現が的確だろう。


「もう、好きにはさせないよ」


 少女の淡い金色の髪が、風もないのに空気を含んでふわりと広がった。

 可愛らしい声と釣り合わない気迫のこもった口調で言った。


「退くなら、見逃す」


 クドゥルを縛っていた力が唐突に消失した。たたらを踏んで転ぶのを堪え、はっと顔を上げる。さっきまで確かにあった精霊の気配がきれいさっぱりなくなっている。

 だが、替わって現れたのは、よく知った気配。それは、常にアイラのかたわらにあったものに間違いなかった。

 どう見ても生身である少女の中にそれを感じて、クドゥルは異母妹の顔色を窺った。

 アイラは喘ぐように息を継いで、ようやく短い単語を発した。


「メル」


 少女は振り向いて、にっこりと笑った。その瞳は、きれいな春の空の色をしていた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ