7.迎え
父親が病院へ来たのは、翌日の夕方だった。
来実は病室の窓際に座り、ぼんやり駐車場を眺めていた。
灰色のスーツ姿を見つけた瞬間、胸の奥が少しだけ冷える。
父親は疲れた顔をしていた。
でも心配しているというより、仕事帰りに役所へ寄った人みたいな空気だった。
「体調は」
病室へ入るなり、それだけ聞かれる。
「大丈夫」
「そうか」
会話が終わる。
父親は来実の点滴をちらりと見たあと、すぐスマホを確認していた。
仕事のメールだろうか。
「後で精神科の先生から話があります」
看護師がそう説明すると、父親は「ああ」とだけ返した。
面談室は静かだった。
精神科医、父親、来実。
三人だけ。
「今回ですが」
精神科医が穏やかな声で話し始める。
「解離症状を伴った大量服薬で、かなり危険な状態でした」
父親は黙って頷く。
「以前から自傷やODも続いています。希死念慮も慢性的です」
「はい」
「家庭内での見守りが難しい状況も含めて、こちらとしては精神科での入院治療を提案したいと考えています」
その瞬間、父親の表情がはっきり変わった。
「入院は困ります」
間髪入れなかった。
来実は反射的に視線を下げる。
ああ、と思った。やっぱり。
「ですが、再発リスクはかなり高いです」
「うちで面倒見ますので」
「お父様、お仕事で不在の時間も多いと伺っています」
「高校生ですから、四六時中見る必要はないでしょう」
精神科医が少し黙る。
「今回、お父様と連絡が取れない時間も長く——」
「出張中でした」
父親は遮るように言った。
「仕事ですので」
面談室の空気が少し硬くなる。
「学校も普通に通えてますし」
父親は続けた。
「本人も行きたいと言っています。皆勤なんでしょう?」
精神科医の視線が来実へ向く。
「来実さん自身は、どう考えていますか」
来実は少しだけ迷って、それから笑った。
「私は……学校行きたいです」
「今の状態でも?」
「はい」
「また同じことが起きる可能性があります」
「でも新学期なので」
来実はへらっと笑う。
「さすがに初日から休みたくないです」
精神科医は何か言いかけて、やめた。
父親が腕時計を見る。
「とにかく、入院は必要ないと思います」
「必要ない、というより」
精神科医は静かに言う。
「必要でも受け入れられない、ではありませんか」
一瞬だけ空気が止まった。
父親の表情がわずかに険しくなる。
「……娘はちゃんと学校へ行っています」
その言葉が、妙に冷たく響いた。
ちゃんと。普通に。問題なく。
来実は急に、自分が“成績表”みたいだと思った。
皆勤だから大丈夫。通学できるから大丈夫。笑えているから大丈夫。
「ご迷惑おかけしました」
気づけば、来実は先に頭を下げていた。
空気を終わらせたかった。
これ以上、揉めてほしくなかった。
「もう大丈夫なので」
笑う、いつもの顔で。
「ちゃんと薬も飲みます」
精神科医は来実を見ていた。
何かを言いたそうに。
でも結局、静かにカルテを閉じた。
病院を出る頃には、外はもう暗くなっていた。
父親は駐車場へ向かいながら言う。
「社会に出たらもっと大変なんだから」
来実は返事をしなかった。
「薬はちゃんと管理しろ」
「……うん」
「次は困る。これ以上迷惑をかけるな」
“心配”ではなく、“困る”、”迷惑”
その言葉が、妙に胸に残った。
車に乗り込む。
エンジン音。カーナビ。赤信号。
来実は窓の外を見ながら、ぼんやり思う。
死にたかったわけじゃない。
でも、生きて帰ってきた感じもしなかった。




