ヒリスは願う2
「嬉しいか?」
俺の目の前で椅子に腰かけて笑う男……セザール兄さんから視線を反らし、俺は窓の外を見た。
数日前、ベルナルドは仲間たちの手によって救出された。
「間違いなく報復しに来るだろうな。あ、そもそも使い物になるか? あれ」
報復しに来ると言いながらも、その口調はまるで他人事だ。
「それよりも面白い話をしようか。そうだなぁ………例えば、人間に自分の力を与えた愚かな神と、愚かな神から力を授かったせいで神に近い存在となった男の話とか」
俺は眉間に皺を寄せ彼のほうを見た。話の意図が見えない。俺の疑問に気づいてるはずなのに彼は素知らぬ顔で話し始めた。
孤独な貴族の少年が一人の治癒神と出会い、いつしか二人は友人と呼べる仲となった。しかし貴族の少年が青年へと成長した時、青年のいる国の王様に対して貴族たちが反乱を起こした。その反乱軍に青年も加わっていた。治癒神はその争いの成り行きを見ているしかなかった。
「だがそいつが死にかけた時、治癒神は禁忌を犯した」
治癒神は自分の力を青年に与えたのだ。
「禁忌を犯した治癒神は罰として両足首を切り落とされ、天から追放された」
もう痛みを感じなくなった筈の両足首がずきずきと痛み出した。
「天から追放された神は長くは生きられない。存在が消える前に愚かな神は願った。青年に会いたいと………天にではなく悪魔にな」
どくりと心臓が跳ねる。
「優しい、優しい悪魔はその願いを叶えてやった。……まぁ、そいつに会う前に神は死んだがな」
頭がズキズキと痛み出し、頭を抑え踞った。
「あは、力を与えられたそいつは実に哀れなものだった。神の身勝手さによってそいつは王に祭り上げられた。そいつの意思など無視してな」
頭上から笑いを含んだ声が降ってきた。
「……ッッ!」
顎を捕まれ乱暴に上を向かされた。こちらを見下ろす緑色の目が愉快そうに笑う。
「そいつの特徴的な容姿も、新たな歴史を刻むには丁度良かっただろうなぁ」
はっ、はっと息が浅くなっていく。
「銀色の髪に青い目。……ヴァルトス国の王族と同じ……な」
そこで俺の意識が暗転した。
目の前に壮年の男が立っていた。とても美しい人だった。
男の冷え切った青い目が地面に座り込む俺を見下ろす。
「貴方のせいだ……貴方が私にこの力を与えたから……」
感情のない声音に背筋が震えた。
「私は………」
男は握っていた剣を掲げた。男の頬に一筋の涙が流れ落ちる。
「私は王になどなりたくなかった」
そう言って男は俺を目掛けて剣を振り降ろした。
「……………ッッッ!!!!」
バッと目を覚ますと視界に薄暗い天井が入り込んだ。心臓が早鐘を打ち、全身汗でびっしょりだった。咄嗟に切り付けられた胸元を弄った。………切られた様子はない。恐る恐る視線だけであたりを見渡すとそこは見慣れた寝室だった。壮年の男の姿はどこにもない。
(……ゆ……め……?)
夢にしては余りにも現実過ぎて、自分は確実に死んだと思った。あれが夢だと分かり全身から力が抜けた。
(確か俺は……)
セザール兄さんの話を聞いて、なぜか気を失って……。
(? 思い……出せない)
あの人が何を話したのかまったく思い出せない。
「兄さん」
「………ッ!」
不意に聞こえてきた体温のない声に、ぎくりと肩が跳ね上がった。声のするほうを見るとクロムがベッドに腰かけて俺のことを見下ろしていた。暗闇と同化していた上に気配をまったく感じなかったから、全然気づかなかった。
「兄さん」
クロムが身をかがめ俺に顔を近づける。暗がりの中でもはっきりと浮かぶ紅い目に恐怖が沸き起こり、無意識に胸元にある手をぎゅっと握った。
「兄さんの家族は僕だけで、僕の家族は兄さんだけだ」
囁かれた言葉の意味が分からず困惑していると、クロムは立ち上がり寝室から出ていった。
城内に鳴り響く警報魔導具のけたたましい音と共に聞こえてくる爆発音を俺は他人事のように聞いていた。
(彼……なんだろうか……)
明かりのない部屋で一人、車椅子から窓の外を見ていた俺の脳裏に、かつて捕虜となっていたヴァルトス国の王太子殿下……ベルナルド・アレニウス・ウォーガンの顔が浮かんだ。
徐々に爆発音と喧騒がこちらに近づいてくる。
俺は車椅子を動かし、ルシウスが使っている机の上に置かれた洋紙と羽ペン、インク壺を膝に置いて、窓際にある小さな丸テーブルの上にそれらを置いた。ペン先にインクを付けて洋紙に短い言葉を綴る。
"ありがとう。ヴァルトス国の希望の光"
この襲撃が彼によるものかどうかなんて分からない。そしてここが落城するのかどうかも……。
(これは俺の自己満足でしかない)
洋紙の端にインク壺を置き、バルコニーに出ると煙の匂いが鼻を突いた。手すりに手を置き身を乗り出す。暗い中、遥か下のほうに地面が見えた。
(俺がやろうとしていることは王族として間違っているだろう……)
情けない王族だと笑われるだろう。いや俺が王族だと気づくまで時間がかかるかもしれない。もしかすると王族とすら気づかないかもしれない。
手すりの上に乗り上げる。その時不意に爆風なのかそれともただの強風なのか、風に煽られて身体が大きく傾き咄嗟に手すりを強く掴んだ。
落ちそうになった恐怖に心臓がバクバクと跳ね上がる。
(これから死のうとしているくせに……)
死への恐怖に震えている身体に苦笑した。
(………簡単に死ねるだろうか)
痛い、だろうか……。
脳裏に浮かぶのは父に切り落とされた足の痛み、カルミーナ妃に何度も切り付けられた痛み、そしてクロムに不要だと切り落とされた足の痛み……。
(また誰かに刃を向けられるぐらいなら……)
自ら命を絶ったほうがずっと……ずっとましだ。
「ああ、できるのであれば……」
生まれ変わりなど二度と起きないことを願う。
「それは出来ない相談だなぁ」
「……っっ!」
すぐ背後から声が聞こえ振り返ろうとした瞬間、トン…と背中を押された。宙に舞う身体。ゆっくりと離れていくバルコニー。そのバルコニーからこちらを見下ろすセザール兄さんの楽しそうな顔。彼につき飛ばされたんだと理解した瞬間、俺の身体は地面に叩きつけられた。
*************
床の上に横たわるルシウスを見下ろす。
(なぜ……)
俺は肩で息をつきながら困惑を隠せなかった。我が国ヴァルトス国を奪還するためオルディウス帝国に攻め込んだ。そしてこの王の間でルシウスと対面し剣を交えた。
ルシウスとの力の差は歴然だった。一瞬の隙をつかれすぐ目の前まできたルシウスに死を覚悟した。……が、ルシウスが一瞬何かに気を取られたかと思うと俺から距離を取った。
「にいさん?」
ルシウスの感情のない紅い瞳が微かに揺れ動いた。そして次の瞬間ルシウスは剣の刃を自分の首に当て、何の迷いもなく自分の首を切り裂いたのだ。
突然の自決。
「殿下っ!」
俺と一緒にきた騎士の一人が俺の元に駆け寄ってきた。
「お怪我は?」
「……ない」
俺は息を大きく吐き出し、震えてる手で自分の首に触れた。心臓が激しく鼓動している。
(……生きて、いる)
あの時、ルシウスが何かに気を取られてなければ俺は確実に死んでいた。その恐怖を振り払うように俺は頭を振り、剣についた血を振り払って鞘に納めた。
まだすべては終わっていない。現帝王や他の王族たちを探すため俺は王の間を後にした。
数刻後。オルディウス帝国の城は落城した。だが、戦果は決していいとは言えなかった。ヴァルトス国の数少ない騎士たちの半分と大帝国カリバヴィバルドの兵士たちを多く失った。……幼少期から護衛として傍にいてくれたイグリート卿もアイザックと相打ちとなり亡くなった。
現帝王と二人の妃たちは隠し通路に潜んでいたのを見つけ始末した。三人目の妃は王家の墓所で死んでいるのが見つかった。
俺が捕虜の時傷の手当をしてくれた王女は助けようと思った。……が、彼女の悪趣味な部屋を見た瞬間、その考えは消えさった。彼女の死後、その部屋からサファイアの瞳の眼球が入った瓶が発見された。それが誰のものなのか嫌でも分かった。
最後の王子……セザールだけはどこを探しても見つからなかった。
「……殿下、あのこれを……」
騎士の一人が俺の元にやってきて、困惑しながら一枚の小さな用紙を差し出してきた。
"ありがとう。ヴァルトス国の希望の光"
どくりと心臓が跳ねる。脳裏に浮かんだのは牢屋の小さな格子窓から痛み止めの薬草を渡してきた謎の人物の姿。
『…………ヴァルトス国の希望の光。心を強く持て、決して屈するな』
その人物が言った言葉。
「これを……どこで」
「東側の部屋で……。バルコニーに車椅子があって下を見たら……、その、女性の恰好をした少年が地面に倒れ……殿下!?」
気づけば俺は駆け出していた。正確な場所なんて知らない。だが、俺の脚はまるで何かに吸い寄せられるようにその方向へ一直線と向かっていった。
「殿下!?」
東側に行くとそこにいた騎士たちが、突然現れた俺に驚いた。その彼らの足元に横たわる一つの影。俺はふらふらとその影の傍に歩み寄った。
そこには肩より伸びた赤茶色の髪に、藍色のドレスを身に纏った少年の姿があった。
俺は少年の傍に膝をつき顔を覗き込む。少年はまるで眠っているかのようだった。俺は少年の足元のほうに視線を向け、スカートを少しだけたくし上げると、足首から下を失った足が露わになった。周りで息を吞む気配がする。
『あいつ、ルシウス兄さんを怒らせてさぁ、二度と歩くことができなくなったんだ』
セザールという男の言葉が脳裏に浮かぶ。
「お前……なのか?」
俺は再度、少年の顔を見た。答えなど返ってこない。少年の頬に雫が落ちる。気づけば俺は静かに涙を流していた。なぜ自分は泣いているのか分からなかった。ただどうしようもなく心がぽっかりと穴か空いたような気がした。
俺は少年の身体を優しく抱き上げ立ち上がった。
「で、殿下?」
「彼を連れて帰る」
俺の行動に困惑する騎士たちに静かにそう告げて、俺はその場を離れた。
後日。あの少年がオルディウス帝国の今は亡き帝王の六番目の子供だということが判明した。本来であれば他の王族と共に葬るべきなのだが、彼の亡骸だけは俺がかつて使っていた皇子宮の庭の隅に埋葬した。
ルシウスはどういうつもりで異母兄弟である彼を、自分の妻にしたのだろうか……。奴の行動が分からない。
(……はっ、分からないのは俺もか)
彼が……ヒリスが眠っている墓へこうして毎日のように足を運んでいる。地図上からオルディウス帝国がなくなり、ヴァルトス国の復興に向けて日々寝る間も惜しんで仕事をしているというに、あの日……ヒリスと対面して以来、虚無感に苛まれ続けている。
「どうしてだろうな……。お前とは碌に話したこともないというのに……」
お前を救えなかったという後悔ばかりが浮かぶ。
(もし……)
もし、願いが叶うというのであれば……。
「もう一度、会いたい」




