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ヒリスは願う1

 父は戦争狂いだった祖父を殺し自ら王座につき、ヴァルトス国との戦いに終止符を打った。ヴァルトス国と和平条約を結び、ヴァルトス国が長きに渡り返還を求めていた土地を返し、傾きかけた国を立て直した。


 周りの人は父のことを聖人と称えた。


 そんな父には心の底から愛する人がいた。母だ。父は母のことを誰よりも愛していた。


 だから母を失ったあの日。


 父は心の底から絶望し………壊れてしまった。


「ああ! アリー、ここにいたのか!」


 父は母と同じ色を持った俺を母と思い込んだ。俺は何度も違うと言ったが父の耳には届かなかった。おかしくなってしまった父に俺は恐怖を抱き逃げ出した。それに激怒した父が俺の両足首を切り落とした。


「アリー、これからもずっと私の傍にいておくれ」


 激痛にもがき苦しむ俺を見下ろしながら父は悲しみと狂気が入り混じった笑みを浮かべた。


 自ら歩くことが出来なくなった俺は車椅子生活を余儀なくされ、母のために建てられた離宮で父の愛する「アリー」となった。どんなに母と同じ色の髪を伸ばしても、父が「愛する君のために作ったんだ」と渡してくる綺麗なドレスを身に纏っても、男がドレスを着ているだけという歪な姿にしかならなかった。


「アリー、私の愛しい人」


 でも父にはその歪さが分からない。もう父の心の中には愛する母だけで息子の存在はなくなってしまっていた。寂しかった。何度「母ではない」と言おうとしたが、あの時の豹変した父の顔が思い浮かび声に出すことができなかった。いつも優しい笑みを浮かべる父が今はただただ怖かった。


 徐々に精神を擦り減らしていった俺の前にあの子が現れた。父を同じ……いや、オルディウス帝国の王族の色を受け継いだ子……クロム。


 十年前、父が側室として迎え入れたオルタス公爵令嬢が生んだ子ども。でもそれは表向きの話。本当は亡き祖父が踊り子と関係を持ち、クロムはその踊り子の孫として生を受けた。時折子どもではなく孫に特徴が現れると聞く。


 クロムの手の平の傷を手当てして以来、彼は俺の前に姿を現すようになり、その度に俺は「ここに来てはいけない」と彼を本殿に帰した。


 父は母との思い出を色濃く残したこの離宮を、必要最低限の人以外出入りすることを堅く禁じていた。中でも父は自分と同じ色を持つ者……クロムをここから遠ざけたがっていた。


「私はあの男の血を色濃く受け継いでいる。あいつも私と同じだ。この血は呪われている。だから何に執着するのか分からない。ああ、どうか、どうか私の愛しい君でないことを願う」


 父は俺の膝に縋りつきうわ言のように何度もそう言った。呪われた血というのは一体どういう意味なのかわからなかった。父はただ「この容姿がその証だ」と言うだけだった。


 クロムがここにいると父が知れば、どんな行動を起こすか分からない。そのこともクロムに伝えるがクロムはそれでも俺の前に何度も姿を現した。


「家族ってなに?」


 どこからともなく現れたクロムは感情の籠らない声音で俺に問う。クロムは俺と一言、二言交わすとそれで満足するのか去って行く。


(家族………)


 俺は左手薬指に嵌められた飾り気のない銀色の指輪に触れた。父が母に送った結婚指輪に似せて作られたものだ。父と歪な関係となった俺にはもうどう答えればいいのか分からなくなってしまった。


”ずっと私の傍にいておくれ„


 父の悲しみと狂気が入り混じった笑みが浮かぶ。


「ずっと、傍にいる……こと、かな」


 目を伏せ呟くように答える。その時、俺は気付かなかった。クロムがじっと俺の左手薬指に嵌められた銀色の指輪を見ていたことを。



 母の為に父が建てたガラス張りの温室は冬の間、真っ白な花で埋め尽くされている。雪を見てみたいと言った母のために、父が南国からこの花を取り寄せ雪に見立てたのだ。母亡き後も冬になるとこの花一色に染まる。


 その真っ白な花が真っ赤な血で汚れていく。俺は目の前に立っている彼女を見上げた。父が側室として迎え入れたカルミーナ妃が憎悪に満ちた目で俺を見下ろしていた。彼女の手には血に染まったナイフが握られている。彼女の後ろで侍女と護衛騎士が戸惑いと困惑の表情を浮かべているのが見えた。


(……ああ、これが俺に対する天罰か………)


 いつもここで父とお茶をしていた。それは母が生きていた時からずっとそうしていた。今日もその筈だった。だが父に急用が入り遅れることを告げられ、代わりに現れたのがストールを羽織った彼女だった。


 彼女の姿を見た瞬間、「ついにこの時が来たのか」と悟った。


 彼女は俺の元まで来ると言葉もなく俺に襲い掛かり、その勢いで車椅子が横転し俺と彼女は花壇へと倒れ込んだ。周りがざわめく。


「………ッッ!」


 腹部に鋭い痛みが走り俺は彼女を押し退け、脇腹に触れると手のひらが赤く染まった。


「お前がっ! お前がっ!」


 彼女は叫びながら俺に覆い被さり、ストールの下に忍ばせていたナイフを何度も俺に振り下ろした。咄嗟に腕で顔を覆うと腕や腹部に幾度となく鋭い痛みが走った。


「おやめくださいっ!」


 護衛騎士の声と共に俺に圧し掛かっていた重みが消える。


「あああああっ! 離しなさいっ! 離しなさいよっ! 無礼者っ!」


 彼女の甲高い声が温室に木霊する。俺は両腕と腹部の激痛に耐えながら地面に肘をついてのろのろと上半身を少し起こした。彼女は自分を止めた護衛騎士の腕を振り払い俺を睨み付けた。


「 下級貴族の分際で私からあの人を奪ってっ!! 私のほうが、お前よりずっと、ずっとあの人に相応しかったっ!」


 はー、はーと彼女は肩で息をしながら「あの女の息子は」と言葉を続けた。


「その忌々しい姿であの人を騙した挙げ句、あれにも媚びを売って」


 血に染まったナイフを握り締める彼女の手が怒りで震えていた。あれとはクロムのこと……なんだろうか。


「貴方なんかあの女そっくりに生まれてこなければよかったのよ……」


 吐き捨てられた言葉と共に俺は一面に咲く白い花の上に倒れ込んだ。遠退いていく意識の中で、遠くに佇んでいるクロムの紅い瞳と目が合った。


 ふいにクロムに別の誰かの姿が重なった。でもそれが誰なのか……分からなかった。


(ああ………)


 俺は震える唇を開いた。


「……ベルム」


 口から吐き出された言葉は俺の知らない誰かの名前だった。




 再び意識を取り戻した俺は酷く混乱した。


(なんで? どうして?)


 四番目の異母兄……セザール兄さんに耳を塞いでいた両手を掴まれ無理やり引き剥がされる。


「女と同じ色を持つ息子をその女に仕立てたのさ」


 耳元で囁かれた言葉で脳裏に悲しみと狂気が入り混じった笑みを浮かべた父の顔が浮かび、あの時の恐怖と足を失った痛みが鮮明に蘇った。


 俺の心臓が激しく鼓動し、息が荒くなっていく。


(どうして、どうして、どうして)


 涙が溢れ出し頬をつたう。目の前にある肖像画の男性……父の隣に掛けられた次代帝王の肖像画には俺の記憶よりもずっとずっと大人びた姿の……クロムがいた。


「おかえり、 ヒリス」


 俺は声にならない絶望の叫びをあげた。


 なんの因果だろうか。それとも罰か。


 俺はオルディウス帝国の帝王の六番目の子供として生まれ変わっていた。


 同じ姿、同じ名で。


「面白い話を聞かせてあげよう」


 放心する俺の耳に嬉々とする声が届く。


 とあるお城に一人の王子がいました。王子はいつも孤独でした。王と王妃は王子を決して見ようとしませんでした。


 ある日のこと。孤独な王子の前に悪魔が現れてこう言いました。


“あそこにある秘密の部屋に面白いものがあるよ„と。


 その秘密の部屋は王に絶対近づいてはいけないと言われている場所でした。ですが王子は悪魔に誘われるままにその秘密の部屋にいきました。


 秘密の部屋には一人の青年がいました。


 青年はとても優しい人でした。


 王子は青年に会いたくて何度も秘密の部屋に行きました。


 王子にとって青年は自分の孤独を埋めてくれる存在でした。

 

「……だが王子のその行動が悲劇を起こした」


 王子が秘密の部屋に行っていることを知った王妃は青年を殺したのです。


 自らの手で。


 青年を失った王子は心の底から絶望しました。


「絶望した王子の前にあの時の悪魔が現れてこう言った」


 後ろから顎を掴まれた無理やり上向きをされた俺の目に、覗き込むようにこちらを見下ろしている彼の歪んだ笑みが映る。


「青年に会いたいか、と。……王子は頷きこう言いました」



 ”もう一度会いたい”と。



 

 明かりのない薄暗い部屋の中、ガラス窓から庭を見下ろしていると扉の開く音が聞こえた。


 そちらのほうに視線を向けると、入り口に漆黒の髪に紅い瞳の青年……二番目の異母兄であるルシウス兄さんが立っていた。


 その姿にあの日、離宮で初めて出会った時の彼の姿が重なる。


 俺は車椅子を動かしてルシウス兄さん……いや、あの子のほうに身体を向けた。


「クロム……」


 その名を口にすると彼の赤い瞳が揺れた。彼はゆっくりとした足取りで俺の傍まで来ると、絨毯の敷かれた床に両膝をつき俺を見上げてきた。


 俺は彼の血の気のない真っ白な頬を震える手でそっと撫でた。脳裏にセザール兄さん(あの人)の話が蘇る。


 孤独な王子の話。そして王子が悪魔に願ったこと。


(……悪魔なんて……お伽噺の中だけの存在だ)


 生まれ変わりだって……あるはずがない。


 彼は自分の頬を撫でる俺の手をとり薬指に嵌められた銀色の指輪にキスを落とした。


「………ヒリス兄さん、僕はあなたとこうして家族になることをずっと願っていました」


 クロムは俺を見上げ、少年のように笑った。


 だが、俺はヒリスとして、クロムはルシウスとして生まれ変わり、こうして再び出会った。


 クロムの願いによって。




 クロムがどうやってこの生まれ変わりを引き起こしたのか。セザール兄さんが言っていた悪魔というのは本当にいたのか。それらを調べたくても車いすの上、三階にいる俺は一階にある書庫に行くことは不可能だった。


「……クロム、教えてほしい。俺たちはどうやって生まれ変わりを?」

「セルヴォス家の血がそれを可能にした」


 意を決してクロムに問うと、クロムはあっさりと答えた。だが答えの意味が分からない。


「どう、いう……」


 「どういう意味だ?」と言おうした時、クロムの手が俺のほうに伸びてきて俺はビクッと肩を跳ね上げた。クロムに足を切り落とされて以来、彼に対し底知れぬ恐怖を抱いてる。父と同じ……。


「兄さんが知る必要はない」


 クロムの体温のない手が俺の頬を撫でる。


「兄さんはただ僕の傍にいるだけでいい。これからもずっと……」


“これからもずっと私の傍にいておくれ„


 俺を見下ろす感情のない赤い瞳があの時の父の歪んだ眼差しと重なりぞくりと背筋が震え、それ以上問うことが出来なくなってしまった。


(……父さんはどうなったのだろうか)


 父のこと、そしてカルミーナ妃のことをクロムに聞きたかったが、クロムの顔を見る度、狂気に満ちた父を思い出し恐怖で声がでなかった。それが何度も起こり、いつしか俺は声を失った。


「あは、声が出せなくなったって?」


 セザール兄さんがふらりと部屋に姿を現した。嬉しそうに顔を歪めながらこっちに近づいてくる彼に、俺は自分の膝の上に置いた手を無意識にぎゅっと握った。記憶を思い出して以来、俺はセザール兄さんに対して恐怖を抱いてる。


 彼が得体の知れない存在のように感じて……。


「ルシウス兄さんが悲しんでたぜー?」


 セザール兄さんは俺の伸びた髪に触れた後、近くにあった椅子を引き摺ってきて俺の前に腰を下した。


「ああ、そういやお前、ずっとあいつのこと気にしてたよなぁ」


 ビクリと俺の肩が跳ね上がった。あいつというのはきっと彼のことだ。捕虜として連れてこられてきた銀色の髪に青い目を持った青年……ヴァルトス国の皇太子、ベルナルド・アレニウス・ウォーガン。


 ベルナルドが捕虜としてここに連れて来られたと知った時、彼に会いたいという衝動に駆られ、人目を盗んで彼に痛み止めの薬草を渡し続けていた。


 なぜ彼に会おうと思ったのか、なぜあんな行動を取ったのか……今でも分からない。


 ただ、彼に……ベルナルドに死んで欲しくなかった。


(ただ生きてて……ほしかった)


 だけど俺はある日を境に彼の元へ行くことが出来なくなった。


「今やあいつはすっかりルシウス兄さんの母親と俺の母親のいい性欲処理のお人形さんになっちまってな。薬漬けにされて廃人寸前だわ。あは」


 あの日のことが脳裏にありありと浮かぶ。


 小さな窓から漂ってきた甘ったるい匂い、女性の声、そしてぐぐもった……彼の声。


 恐る恐る中を覗き目に入ってきた光景に俺は一瞬理解が出来なかった。不意にこちらに背を向けていた金色の長い髪をした女性が仰け反りひと際甲高い声をあげ、俺はびくりと大きく肩を跳ね上げその場から逃げ出した。そして部屋に逃げ帰ってきた俺はその場で吐いた。あの光景がなんなのか理解した俺は、それ以来怖くて彼の元へ行くことが出来なくなってしまった。


 俺のせいなのか?

 俺が生きててほしいと願ってしまったから?


「………ツッ!」


 いきなり顎を掴まれ俺は痛みに顔を歪めた。いつの間にかセザール兄さんがすぐ目の前に立っていて俺の事を楽し気に見下ろしていた。


「あいつ、お前がルシウス兄さんに足を切り落とされて歩けなくなったって言ったら、俺のことを殺さんばかりに睨んできたわ」


 自分の瞳が揺れ動いたのが自分でも分かった。痛み止めの薬草を渡すことぐらいしか出来なかった存在なのに……。


「ああ、いい事を思いついた! あいつの目の前でお前を犯せば、どんな反応をするだろうなぁ?」


 スカートの上から太ももを撫でられ、ぞわりと嫌悪感が全身に走った。力任せにセザール兄さんをつき飛ばそうとしたが、それよりも早く彼は俺から身体を離した。


「あは、俺に男を抱く趣味なんてねぇよ」


 セザール兄さんは両手を軽く上げて言った。


「せいぜいあんたはここであいつが舌を嚙み切って死なないことを願ってるんだな」


 セザール兄さんはゲラゲラ笑いながら部屋を出ていった。


(……ああ、お願いだ……)


 俺は震える手をぎゅっと握りしめた。


(誰でもいいから、彼を………ベルナルドをあそこから連れ出してくれ……)


 どうか、どうか……お願いします。


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