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茶々外伝・②⑤①話『常陸国城代』編・第5話 国人衆、御方様を試す

 常陸の水を見て、鹿島港の人々の顔を見て、私は少しだけこの国の輪郭を掴み始めたつもりでいた。


 けれど、それは本当に“少しだけ”だった。


 水は、暮らしを見せる。

 港は、人の働きと不安を見せる。

 では、国人衆は何を見せるのか。


 その答えは、土浦城の広間へ入った瞬間に分かった。


 彼らは、こちらを見に来たのではない。


 試しに来たのだ。


 その日の朝、政道から国人衆の挨拶願いが出ていると聞いた時、私はすぐに「通しなさい」と命じた。


 政道は一瞬だけ迷う顔をした。


「御方様、人数が少々多うございます」


「何人です」


「主だった者が五名。供を入れますと、かなり」


「挨拶に五名」


「はい」


「挨拶だけで済むと思いますか」


 私が問うと、政道は静かに首を振った。


「済まぬかと」


「でしょうね」


 私は手元の筆を置いた。


 初評定のあと、私が水や港を見て回った話はすでに常陸の中に流れている。

 若い御方様が城代の座に座った。

 しかも、上座に座るだけではなく、井戸を見に行き、港で荷役や船大工に話を聞いた。


 それを面白がる者もいるだろう。

 珍しがる者もいる。

 だが、国人衆にとってはそれだけでは済まない。


 この女は、どこまで口を出すのか。

 どこまで見抜くのか。

 どこまで裁けるのか。


 そこを確かめに来る。


「広間を整えてください」


「承知しました」


「お初を呼んで」


 政道が少しだけ目を上げた。


「お初様を、でございますか」


「広間の外で構いません。人の顔を見てもらいます」


「……承知しました」


 政道はもう、それに疑問を挟まなかった。

 先日の評定以来、お初の目が役に立つと分かってきたのだろう。


 桜子には、茶と座のしつらえを任せた。

 華美にしすぎず、しかし軽くも見せない。

 城代として会うのだから、奥方衆の茶会とは違う。だが、ただ硬いだけでは相手の言葉も硬くなる。


 お江は、当然のように自分も見たいと言い出した。


「姉上様、私も広間の外ならいい?」


「駄目です」


「なんで!」


「今回は、あなたが黙っていられる相手ではありません」


「黙れるよ」


「昨日、港の船大工の前で“鉄甲帆船ってお腹すくのかな”と言いましたね」


「船がいっぱい荷物食べるから、つい」


「そういうところです」


 お江は不満そうに頬を膨らませた。


 お初が横から言う。


「あんたがいると、話が船の食欲に逸れるのよ」


「船は食べないって分かってるもん」


「分かってるなら言わないの」


「お初姉様、最近ずっと正論」


「昔からよ」


「それは違う」


「何ですって?」


 私は二人のやり取りを止めるように軽く手を上げた。


「お江は、今日は桃子と奥で待機です」


「桃子ちゃんと?」


「はい。国人衆の供の者たちが奥向きの荷や台所を覗かぬよう、そちらを見ていなさい」


「え、私も役目あるの?」


「あります」


 お江は一瞬で機嫌を直した。


「分かった! 奥を守る!」


「守るというより、騒がないことが第一です」


「そこから?」


「そこからです」


 お江は「はい」と答えたが、どこまで分かっているかは怪しい。

 ただ、役目を与えられた時のお江は、意外と張り切る。張り切りすぎることもあるが、何も与えないよりはよい。


 昼前、国人衆が土浦城へ入った。


 五人。


 それぞれ家名も持ち、土地も持ち、古い縁も持つ者たちである。

 彼らは真琴様へはすでに挨拶を済ませていた。今日は城代である私へ、改めて顔を合わせに来たという形だった。


 最初に入ってきた男は、痩せた頬に細い目を持っていた。名を大堀左馬助という。

 二人目は、腹の出た年嵩の男で、声が大きい。下妻七郎兵衛。

 三人目は無口で、若いが目つきが鋭い。額田兵庫。

 四人目は寺社との関わりが深いという、石岡弥五郎。

 最後の一人は、港へ米を運ぶ道筋に領地を持つ、鹿島郡の土豪・海老沢源内。


 いずれも、礼儀は正しい。


 正しいが、頭の下げ方には微妙な差があった。


 私へ深く頭を下げる者。

 真琴様の方を一度見てから下げる者。

 下げる時間がわずかに短い者。

 そして、笑みを作りながらも目だけがこちらを値踏みしている者。


 私は、それらを一つずつ見た。


「茶々にございます」


 私は穏やかに名乗った。


「本日は、よくお越しくださいました」


 大堀左馬助が、代表するように口を開く。


「城代様におかれましては、常陸入り早々より、井戸、港と御自ら御覧になられているとか。まこと、御熱心なことでございます」


 褒め言葉の形をしている。


 だが、声の奥には含みがあった。


 女が井戸端を歩き、港で男たちに声をかけている。

 珍しさ。

 軽い皮肉。

 どこまで本気なのかという試し。


 私は笑みを崩さなかった。


「知らぬ土地を預かる身です。見ずに済ませられるほど、常陸は軽い国ではございません」


 左馬助の細い目が、ほんのわずかに動いた。


 下妻七郎兵衛が、豪快に笑った。


「いや、さすが黒坂様の御方様。お言葉が強い」


「強いだけで終わらぬよう、努めます」


「これはこれは」


 男たちは座に着いた。


 茶が出る。


 桜子の動きは静かだった。

 座敷の空気は張っているが、茶の湯気だけが柔らかい。

 この柔らかさがあるだけで、言葉の刃は少しだけ鞘に入る。


 私は、相手が切り出すのを待った。


 案の定、最初に出たのは単なる挨拶ではなかった。


「実は、城代様に一つお耳に入れたきことがございます」


 左馬助が言った。


「申してみなさい」


「我ら常陸の古き者ども、新しき黒坂家の御政に従う所存にございます。ただ、土地には土地の古き筋目がございます。そちらを御存じなく、新しき御法ばかりで裁かれますと、かえって乱れが生じることも」


 来た。


 古き筋目。


 その言葉は便利だ。

 守るべき慣習も含まれる。

 だが、誰かに都合のよい縄張りや、ごまかしや、長年見過ごされてきた不公平も、その言葉の中へ隠せる。


「古き筋目は、軽んじるつもりはありません」


 私は答えた。


「ただし、古いというだけで正しいとは限りません。どのような話でしょう」


 七郎兵衛が身を乗り出した。


「まずは田境でございます」


「田境」


「はい。昔より、我が家と隣村との間で境の認識が異なっておりましてな。黒坂家の新城普請に伴い、材木や人足の割り当てが見直されると聞き、この機に正すべきかと」


「正す、とは」


「本来、我が方に属する田が、隣村の扱いになっているのでございます」


 私はすぐには答えなかった。


「本来、と申す根拠は」


「古き言い伝えにございます」


「文書は」


「古いものは失われております」


 早い。


 あまりに早く文書が失われた。


 私は茶碗を置いた。


「では、隣村の言い分は」


「それはもちろん、向こうは自分たちの田だと申しましょう。しかし、長年の混乱でございますので」


「隣村の者は、今日は来ていますか」


 七郎兵衛は、少しだけ言葉を詰まらせた。


「いえ。本日はまず、我らが筋目を」


「相手のいない場で、土地の境は決めません」


 広間が静まった。


 七郎兵衛の顔に、ほんの少し不満が浮かぶ。


「しかし城代様、急ぎの普請に関わること」


「急ぎだからこそ、間違えてはなりません」


 私は静かに言った。


「田境は、田だけの話ではありません。年貢、人足、用水、村同士の面子、すべてに関わります。片方の言い分だけで決めれば、あとで必ず火種になります」


 七郎兵衛は黙った。


「古い文書がないなら、寺の記録、村の年寄の記憶、過去の年貢帳、用水の分け方を見ます。隣村の者も呼びなさい。現地も見ます」


「現地まで、でございますか」


「見ずに境を決める方が不思議です」


 お初が広間の外で聞いていたら、きっと今ごろ小さく頷いているだろう。


 次に口を開いたのは、石岡弥五郎だった。


「では、寺社領につきましても、同じように御覧になるので?」


「話によります」


「ある寺社領と百姓地の境にて、これまた古き取り決めがございます。寺は自領と申す。百姓は父祖伝来の畑と申す。黒坂家の御代となりましたこの機に、白黒を」


「寺の文書は」


「あると申しております」


「百姓側は」


「口伝のみと」


「寺の文書を持ってきなさい。百姓側の年寄も呼びなさい」


 弥五郎が少し笑った。


「口伝を、文書と同じ座に置かれますか」


「同じとは申しません」


 私は彼を見た。


「ですが、文書は書ける者の手に残ります。百姓の暮らしは、畑の畝と人の記憶に残ることもあります。どちらかだけを見れば、見落とします」


 弥五郎の笑みが薄れた。


 私は続ける。


「ただし、口伝だけで寺社領を崩すこともしません。双方を聞きます」


 ここでも、即断はしない。


 彼らはたぶん、私に即断させたいのだ。

 そして、それを利用する。

 あるいは、即断できずに困るところを見たい。


 だが、私は困ってよい。


 分からないことを分からないまま決めるより、困って調べる方がまだよい。


 三つ目は、港へ運ぶ米の通行料だった。


 海老沢源内が低い声で言う。


「鹿島港へ米を運ぶ道は、我が領を通ります。古くより通行料を取っておりますが、黒坂家の御荷が増えれば、道も傷みます。その分、少し上乗せを」


「どの程度ですか」


「荷一つにつき、従来の二分増し」


「黒坂家の荷だけですか。それとも、港へ向かう商人や百姓の荷も」


「道は同じでございますので」


 つまり、全体を上げたいのだ。


「道を直す費用に充てるのですか」


「もちろんにございます」


「ならば、これまでの通行料の帳面を出しなさい」


 源内の目が少し動いた。


「帳面」


「はい。これまでいくら取り、どこを直したのか。道のどの箇所が傷み、どれほど人手が要るのか。上乗せを求めるなら、まずそこを見ます」


「そこまで細かくは」


「細かくなければ、人は納得しません」


 私ははっきり言った。


「黒坂家の鉄甲帆船が鹿島港へ入ったことで、荷は増えます。道も使います。必要なら費用は考えます。ですが、便乗して通行料を上げることは許しません」


 源内の顔が硬くなった。


 周囲の国人衆の何人かが、わずかに目配せをした。


 今の言葉は、少し強かったかもしれない。

 だが、ここは曖昧にしてはならない。


 港の荷は、常陸全体の血のようなものだ。

 そこへ勝手に余計な関を作れば、黒坂家が入ったことで民の荷が重くなる。


 それは避けねばならない。


 額田兵庫は、ほとんど喋らなかった。


 だが最後に、新城建設に出す材木の割り当てについて短く問うた。


「我ら山方の者には、材木の負担が重うございます。だが、城は必要。御方様は、どこまで取るおつもりか」


 その問いには、皮肉より現実の重みがあった。


 私は兵庫を見た。


「必要な分は、取ります」


 広間の空気が少し動く。


「ただし、山を潰す取り方はしません。来年以降の薪や建材まで奪えば、国が痩せます。山の者、普請方、政道を交えて、切る場所、残す場所、運ぶ日数を決めます」


 兵庫は、じっと私を見た。


「御方様は、木のことも御覧になると?」


「私は木の良し悪しをすべて知る者ではありません。だから、知る者を呼びます」


「知らぬ、と仰る」


「知らぬことを知っているふりをして、山を荒らす方が怖いでしょう」


 兵庫は、初めて少しだけ口元を動かした。


「……それは、確かに」


 五人の中で、この男が一番言葉少ないが、一番こちらを見ている気がした。


 話が一通り終わった時、広間には少し妙な空気が漂っていた。


 国人衆は、期待していたものを得られなかったのだろう。


 私が即座に裁いて誰かの言い分を認めることもない。

 困って真琴様へ助けを求めることもない。

 古い慣例に押されて頷くこともない。

 逆に、女だからと感情で断じることもない。


 すべて、持ち帰らせる。

 文書を出せ。

 相手を呼べ。

 現地を見る。

 帳面を出せ。

 知る者を呼べ。


 相手からすれば、面倒な城代だと思ったに違いない。


 それでよい。


 常陸国城代が面倒な女であることは、早めに知っておいてもらった方がよい。


 左馬助が、細い目で私を見た。


「城代様は、なかなか慎重であらせられる」


「軽々しく決めれば、後で困るのは常陸の者たちです」


「では、本日持ち込んだ話は、いずれも御裁きいただけぬと」


「今日この場では裁きません」


 私は言った。


「ですが、放置もしません。政道、今の件をすべて記録し、それぞれに必要な者、文書、現地見分の日取りを組みなさい」


「承知しました」


 政道がすぐに頭を下げる。


「皆さまにも、それぞれ準備していただきます」


 私が五人を見回すと、彼らは一斉に頭を下げた。


「承知仕りました」


 声は揃っていた。


 だが、その揃い方にはまだ硬さがある。


 試しに来た者たちが、逆に試される側へ回ったのだ。

 面白くはないだろう。


 それでも、これが最初である。


 国人衆が下がったあと、私はしばらく広間に残った。


 緊張が解けると、肩にどっと重さが来る。


 桜子が静かに茶を差し出した。


「御方様」


「ありがとう」


 一口飲むと、ようやく息が入った。


 すると、広間の外からお初が入ってきた。


「終わった?」


「ええ」


「面倒な人たちだった」


「そう見えましたか」


「うん。特に通行料の人」


「海老沢源内」


「あの人、道の話をしてる時、港の荷じゃなくて別の誰かの顔を見てた」


「誰を」


「大堀って人」


 私は目を上げた。


「左馬助を?」


「うん。たぶん、通行料の話は一人で考えたんじゃない」


 政道がすぐに反応した。


「それは、少し調べる必要がございます」


「お初、よく見ていましたね」


 私が言うと、お初はいつものように顔をそらした。


「別に。目に入っただけ」


「その目に入っただけが、助かります」


「……そう」


 お江も遅れて顔を出した。


「姉上様、終わった? 奥は守った!」


「騒ぎませんでしたか」


「ちょっとだけ」


 桃子が後ろから小声で言う。


「お江様は、国人衆の供の方に“常陸のお菓子は何が美味しいですか”と」


「お江」


「だって聞いただけ!」


「それは奥を守ることとは違います」


「でも、情報収集!」


 政道が咳払いをして、笑いをこらえた。


 お初が呆れた。


「お菓子の情報を収集してどうするの」


「常陸を知る!」


「姉上様の政っぽく言わないで」


 私は思わず笑ってしまった。


 緊張で固まっていた胸が、少しだけほどける。


 こういう時、お江の軽さは本当に厄介で、ありがたい。


 その日の夕方、真琴様に報告した。


 田境。

 寺社領。

 港への通行料。

 人足負担。

 材木の割り当て。


 どれもその場では裁かなかったこと。

 文書、帳面、現地見分、相手方の呼び出しを命じたこと。

 そして、お初が海老沢源内と大堀左馬助の目配せに気づいたこと。


 真琴様は、最後まで黙って聞いていた。


「茶々」


「はい」


「それ、かなり面倒な対応だよ」


「分かっております」


「でも、正しい」


 私は少しだけ息をついた。


「正しいかどうかは、まだ分かりません」


「いや、少なくとも初手としてはいい。即断してたら、たぶん誰かに利用されてた」


「そう思いました」


「国人衆って、土地のことになると本当にしぶといからね」


 真琴様は少し苦笑した。


「でも、今日の件で分かったと思う。茶々は、簡単には判を押さない城代だって」


「面倒な女だと」


「そう。最高に面倒な城代」


「褒めておられますか」


「かなり」


 私は少しだけ笑った。


 真琴様は続けた。


「国を治めるには、すぐ斬るより、すぐ決めない方が強い時がある。今日の茶々はそれをやった」


「私は、分からぬことを分からぬまま決めたくなかっただけです」


「それが大事なんだよ」


 その言葉は、胸に残った。


 夜、私は今日の記録をまとめた。


 五人の名。

 持ち込まれた問題。

 必要な文書。

 呼ぶべき相手。

 現地を見る日取り。

 お初の観察。

 政道に調べさせること。


 記録を書きながら思う。


 国人衆は、たぶんまた来る。

 今日で終わりではない。

 むしろ、今日から始まる。


 彼らは私を試した。

 そして私は、彼らを少しだけ知った。


 田境の話を持ち込む者。

 寺社の文書を盾にする者。

 通行料を上げようとする者。

 材木の負担を恐れる者。

 そして、裏で目配せをする者。


 常陸は、水だけでも、港だけでもない。


 人の思惑が絡む国だ。


 私は筆を置いた。


 怖さはある。

 だが、今日の怖さは、以前のものとは少し違う。


 知らぬものが怖いのではない。

 少し見えてきたからこそ、怖い。


 けれど、それなら見続ければよい。


 私は記録の端に、小さく書き添えた。


 即断せず。されど放置せず。


 それが、今日の私が得た答えだった。

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