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茶々外伝・②②⑧話『関東の乱』編・第八話 御方様の茶会、女たちの戦

 戦は、槍や刀ばかりで行われるものではない。


 それは、真琴様が関東へ向かわれてから、私が何度も思い知らされたことだった。


 前線から戻った負傷兵を受け入れた日の翌々日、大津城へ一通の文が届いた。

 差出人は、安土に屋敷を持つ大名家の奥方衆である。


 表向きは、地震後の大津城の見舞いと、真琴様出陣中の労い。

 けれど、文面の行間にはもっと別のものがあった。


 ――黒坂家は、殿が不在でも乱れていないのか。

 ――病み上がりの真琴様を戦へ出し、奥は揺れていないのか。

 ――関東の乱で黒坂家がさらに重くなる中、御方様はどれほど家を支えられるのか。


 それを見に来たい、ということだった。


 文を読み終えた私は、しばらく黙っていた。


 横にいた桜子が、そっと声をかける。


「御方様」


「ええ」


「お断りなさいますか」


「いいえ」


 私は文を畳んだ。


「お迎えします」


 桜子の目が少しだけ動いた。

 反対するつもりではない。ただ、今の城の忙しさを思えば無理もない反応だった。


 地震後の修繕はまだ終わっていない。

 関東からの報せは日々入り、負傷兵の手当ても続いている。

 真琴様は不在。

 私自身も、ゆっくり眠れているとは言いがたい。


 それでも、断るわけにはいかなかった。


 奥方衆というものは、ただ茶を飲みに来るわけではない。

 座敷の埃を見る。

 女中の足運びを見る。

 出される菓子の格を見る。

 主人不在の家で、御方様がどれほど落ち着いているかを見る。


 そして帰ってから、それを言葉にする。

 よくも悪くも。


 だから、ここで逃げれば、それだけで大津城の空気は軽く見られる。


「茶会を開きます」


 私は言った。


「大きくはありません。奥方衆だけの小さな席にします」


「承りました」


「ただし、見せるものはきちんと見せます。大津城は乱れていない。城下も、蔵も、湯も、奥も、整っている。そう伝わる座にします」


 桜子は深く頭を下げた。


「はい」


 私は、文を机の脇へ置いた。


 戦の場に私は行けない。

 けれど、こちらにもこちらの戦がある。


 笑顔で迎え、茶を出し、花を整え、相手に安心と警戒を同時に持ち帰らせる。

 それが、奥向きの戦なのだろう。


 茶会の支度は、その日のうちに始めた。


 まず座敷である。


 地震で傷んだ箇所は、すでに応急の直しをしてある。

 だが、客を入れるとなれば話は別だ。

 見せてよい傷と、隠すべき傷がある。


「桜子、この柱の傷は隠さなくてよいです」


「よろしいのですか」


「ええ。完全に無傷であるように見せる方が、かえって嘘くさい」


 私は柱へ手を添えた。


「ただし、手入れされていることは分かるように。布で磨いて、傷の周りの土埃を残さないで」


「承りました」


「梅子、菓子は華やかすぎぬものを。今は戦時です。贅を競う席ではありません」


「では、干菓子と、薄い餡のものを少し」


「それでよいです」


「桃子」


「はいです」


「反物を出しすぎないこと。客の目を喜ばせるのと、浮ついて見えるのは違います」


「は、はいです」


 桃子は少しだけ残念そうだった。

 美しい布を並べるのが好きなのだろう。

 けれど今回は、華やかさより落ち着きが大事だった。


 そこへ、お江がひょこっと顔を出した。


「私も手伝う?」


「手伝う前に、何を手伝うつもりですか」


「えーと……場を明るくする係?」


「それは最後の手段です」


「ひどい」


 お江は頬をふくらませたが、すぐに座敷を見回して言った。


「でもさ、少し明るい方がよくない? 全部きちんとしすぎると、なんか怖いよ」


 私はその言葉に、ふと手を止めた。


 お江の言い方はいつも大雑把だ。

 けれど、時々こちらが見落としているものを拾う。


 たしかに、今の座敷は整えすぎると、まるで喪のように見えるかもしれない。

 戦時だから華美を避ける。

 けれど、避けすぎれば、今度は黒坂家が疲れ切っているようにも見える。


「……そうですね」


 私は少し考えた。


「花を少し変えます」


「花?」


「はい。春らしさを少しだけ入れましょう。浮かれず、沈みすぎず」


 お江は得意そうに笑った。


「ほら、私も役に立った」


「調子に乗らぬように」


「はーい」


 言いながら、もう乗っている顔だった。


 花は、梅の残りと若葉を合わせることにした。

 散り際の白い梅を一枝。

 その脇へ、まだ柔らかな青を添える。

 地震も戦も越えながら、それでも春へ向かっている。

 そう見える花にしたかった。


 生けながら、ふと池坊専好の言葉を思い出した。


 花を生けるとは、心の並べ方を見ること。


 今なら、あの言葉が以前より少し分かる。

 私は今、花だけではなく、この城の心まで並べようとしているのだろう。


 茶会の前日、お初が座敷へ来た。


 最初はただ通りかかったふりをしていた。

 だが、敷物の位置や花を見ているうちに、だんだん顔が真剣になっていく。


「姉上様」


「何です」


「この花、もう少し右じゃない?」


 私は黙って花を見た。


「理由は」


「左に寄りすぎてる。席へ入った時、傷のある柱へ先に目が行く」


 私は少しだけ驚いた。


 その柱の傷は、あえて隠さぬと決めた。

 けれど、お初の言う通り、花の位置のせいでそこへ目が行きすぎる。


「なるほど」


 私は花入れを少し右へ動かした。


「これでどうです」


「うん。見えるけど、目立ちすぎない」


「よく見ていましたね」


「別に」


 お初は、いつものように視線をそらした。


「ただ気になっただけ」


 その“気になっただけ”が、お初の強みなのだろう。

 この妹は、人の顔だけでなく、場の違和感もよく拾う。

 おそらく本人は、まだそれを自分の役目とは思っていない。

 けれど私は、いつかこの目が大きな力になる気がしていた。


「お初」


「何」


「明日の茶会、あなたも控えに」


「私も?」


「ええ。表へ出すわけではありません。けれど、奥方衆の顔を見ておきなさい」


「顔を?」


「あなたは、顔を見るのが上手です」


 お初は少しだけ困ったような顔をした。


「そんなことない」


「あります」


「姉上様、最近そうやって勝手に人の役を決める」


「御方様ですから」


「そう言われると腹立つ」


 その言い方がいつものお初で、私は思わず笑った。


「腹を立てながら、明日は見ていなさい」


「……わかった」


 お初は渋々頷いた。

 けれどその顔には、わずかに緊張も混じっていた。


 茶会の日、空はよく晴れていた。


 晴れすぎているほどだった。

 戦時の茶会には、曇りより晴れの方が難しいこともある。

 光が強いと、座敷の隅の埃も、客の視線も、何もかもはっきり見える。


 私は早めに支度を終えた。


 衣は華やかすぎぬ色。

 しかし地味すぎてもいけない。

 黒坂家の御方様として、疲れて見えてはならぬ。

 かといって、夫が戦に出ている時に浮かれて見えるのも論外だ。


 鏡の前で最後に襟を整えていると、お江が後ろから覗き込んできた。


「姉上様、きれい」


「急にどうしました」


「いや、なんか今日、怖いくらいちゃんとしてる」


「褒めているのですか」


「褒めてる」


「怖いは余計です」


 お江は笑った。

 その笑い方に少し救われる。


 お初は控えの間にいた。

 緊張しているのが見え見えなのに、本人は平気な顔をしている。


「お初」


「何」


「無理に喋らなくてよいです」


「わかってる」


「でも、見すぎて相手に気取られないように」


「それは……頑張る」


 私は少しだけ笑った。


「それで十分です」


 やがて、奥方衆が到着した。


 顔ぶれは派手すぎないが、軽く見ることも出来ない方々だった。

 安土で顔を合わせたことのある奥方もいれば、初めて直接言葉を交わす者もいる。

 皆、表向きは柔らかな笑みを浮かべている。

 けれど目は、やはりよく動く。


 座敷へ通すと、最初に床の花へ視線が向いた。


「まあ、よい花でございますこと」


 一人が言った。


「梅の名残に、若葉でございますか」


「はい」


 私は穏やかに答えた。


「地震のあとも、戦のさなかも、季節は進みますので」


 その言葉に、奥方衆の何人かがわずかに目を動かした。


 狙いすぎてはいけない。

 だが、何も伝えぬ座では意味がない。

 この花は、大津城が傷を抱えながらも春へ向かっているという、静かな印だった。


 茶が出る。

 桜子の足運びは落ち着いていた。

 梅子の用意した菓子は控えめだが品がある。

 桃子は少し緊張していたが、今日は余計な飾りを出さずに済んでいる。


 最初の話題は、やはり地震のことだった。


「大津も、さぞ大変でございましたでしょう」


「ええ」


 私は頷いた。


「ですが、城下の者たちがよく踏ん張りました。今は水と蔵を見ながら、少しずつ落ち着きを取り戻しております」


「御方様ご自身が城下へお出になったとか」


「必要がありましたので」


 私はそれだけ答えた。


 自慢にしてはならない。

 けれど、隠す必要もない。

 御方様が城下へ出る家。

 それをどう見るかは、相手に任せればよい。


 次に話題は、自然と真琴様へ移った。


「常陸様は、関東へ」


「はい」


「病み上がりと伺いましたが」


 来た、と思った。


 問い方は柔らかい。

 だが、その奥には確かに探りがある。

 黒坂家は、病み上がりの殿を止められぬ家なのか。

 奥はそれをどう受け止めているのか。


 私は茶碗を置き、静かに答えた。


「まだ完全とは申せません」


 座が、ほんのわずかに静まった。


「ですが、あの方は、必要な場へ立つことをお選びになりました。ならば私は、帰る場所を整えて待つだけにございます」


 奥方衆の視線が、私へ集まる。


 私は続けた。


「外で働く者がいるなら、内を乱さぬ者も要ります。黒坂家では、今それぞれが己の持ち場におります」


 それは、用意していた言葉ではなかった。

 口にしてから、自分でも少し驚いた。

 けれど、それが今の私の本音だった。


 奥方の一人が、ゆっくりと頷いた。


「よいお覚悟でございますね」


「覚悟というほど、立派なものではございません」


 私は少しだけ笑みを作った。


「日々、見落とさぬようにしているだけです」


 その返しに、座の空気が少しやわらいだ。


 お初が、控えの間からこちらを見ているのが分かった。

 その視線の意味は、あとで聞かなければ分からない。

 だが、今はそれでよい。


 茶会は、滞りなく終わった。


 奥方衆は帰り際、それぞれ言葉を残した。


「大津は落ち着いておりますね」


「賑やかだと伺っておりましたが、芯が通っております」


「常陸様も、さぞ安心なさることでしょう」


 どれも社交辞令ではある。

 だが、悪くない。

 少なくとも、“殿不在で乱れている”という印象は持たれなかったはずだ。


 客を見送り、座敷へ戻ると、私はようやく少し肩の力を抜いた。


 お江がすぐに駆け寄ってくる。


「終わった?」


「終わりました」


「勝った?」


 私は思わず笑った。


「茶会に勝ち負けはありません」


 お初が横から言う。


「いや、今日は勝ったでしょ」


 私はお初を見た。


「そう見えましたか」


「見えた」


 お初は、少しだけ不満そうな顔をしながらも続けた。


「みんな、探りに来てた。でも帰る時には、“大津は大丈夫”って顔してた」


 私はその言葉に、深く息をついた。


 それなら、今日の席は意味があった。


「あなたも、よく見ていましたね」


「……姉上様に言われたから」


「ええ。助かりました」


 お初は、例によって褒められると居心地悪そうに目をそらした。


「別に」


 その“別に”を、お江が真似する。


「べーつーにー」


「お江」


「だって似てた」


「似せなくていい」


 そのやり取りで、ようやく座敷にいつもの空気が戻った。


 私は床の花を見た。


 梅の名残と若葉。

 傷を隠しすぎず、けれど荒れたままにもせず、春へ向かう城を見せる花。

 今日の私たちには、あれでよかったのだろう。


 夜、私は一人で食事の間へ戻った。


 茶会のあとの座敷には、まだわずかに香と茶の匂いが残っている。

 戦の最中に、私は今日、笑って茶を出した。

 奥方衆と腹の探り合いをし、花の位置ひとつで家の印象を整え、言葉を選んで真琴様の不在を支えた。


 それは、戦場の働きに比べれば小さなものかもしれない。


 けれど、今日の茶会で一つだけ分かった。

 大津城は、外から見られている。

 真琴様の名が上がるほど、その留守を預かる私たちも見られる。

 ならば、ここで乱れぬこともまた、黒坂家の戦なのだ。


 私は囲炉裏の火を見つめた。


 真琴様。

 あなたが外で戦っておられる間、こちらでも戦はございます。


 笑顔で茶を出し、傷を花で整え、不安を言葉で包み、城を乱れぬように見せる。

 それは静かな戦です。

 けれど、私は今日、その場に立ちました。


 そう心の中で告げると、少しだけ背筋が伸びた気がした。

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