表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
1355/1365

茶々視点外伝『大津城帰還政所”』編・②⓪⓪話・第十一話 御方様、奥方衆に冬を語る

秋が深まると、女たちの会話は自然と冬へ向かう。


 夏の間は、水のこと、風のこと、暑気払いのことを口にしていた奥方衆も、霜の気配が夜ごと濃くなる頃には、薪、炭、味噌、干物、塩、そして年越しの蓄えのことばかり話すようになる。

 それはつまり、家を預かる者たちが皆、先の寒さを胸の内で量り始めたということなのだろう。


 その日、私は大津城の一室を開けて、小さな茶の席を設けた。


 大きな催しではない。

 呼んだのは、これまで何度か顔を合わせ、軽口ばかりでは済まぬ相手だと分かっている奥方衆ばかりである。

 秋の実りが見え始めた今、城の中がどう冬を迎えるつもりか――それを、言葉にしすぎず、しかし見せるべきところは見せる。そういう場にしたかった。


 床の間には、色づき始めた枝を低く置き、その脇へ稲穂をほんの少しだけ添えた。

 豊かさを見せつけるのではなく、きちんと秋を受け取っていると伝わる程度に。

 火鉢は客の裾へ熱が強く当たりすぎぬ位置へ。

 茶は濃すぎず、菓子は甘みを控えたものを。

 冬を語る席に、春のような浮つきは要らぬ。


「御方様、皆様お揃いにございます」


 桜子が静かに告げる。

 私は一度だけ座敷全体を見渡し、頷いた。


「通しなさい」


 奥方たちは、それぞれ柔らかな笑みを浮かべて入ってきた。

 だが、その目はやはりよく動く。

 火鉢の位置、花のしつらえ、茶器の格、侍女の足運び。そうした細部を見ながら、この城の“冬支度の気配”まで読もうとしているのだろう。


 挨拶を交わし、茶が一巡した頃、一人が口火を切った。


「大津は、安土よりも風がきつうございますでしょう。冬支度も早めでございましょうな」


 私は茶碗をそっと置いた。


「ええ。湖からの風は、城の中に入ると骨まで冷えます」


「やはり」


「ですから、薪も炭も、ただ多く積めばよいのではなく、どの部屋へどう回すかまで見ておかねばなりません。火鉢が一つ増えれば、湯の減り方も変わりますし、湯が増えれば薪の減りも変わります」


 向かいの奥方が、少し感心したように笑った。


「御方様は、そういうところまでよう見ておられるのですね」


「見ねば、冬は越せません」


 私は穏やかに答えた。


「城とは、戦のためにあるものと思われがちですが、まずは人が冬を越す場所でもございます。兵が寒さで弱れば槍も立ちませんし、女中が病めば台所も回りません」


 その一言で、座の空気が少しだけ変わったのが分かった。

 戦の城。

 それは誰もが口にする。

 だが、“人が冬を越す城”という言葉は、奥方衆の耳には別の重みで入るのだろう。


「まこと、その通りにございます」


 年長の奥方が頷いた。


「うちでも、冬はまず味噌と塩の具合を見ます。足りぬと分かれば、それだけで女たちの顔が曇りますゆえ」


「味噌は、冬の心でございます」


 私がそう言うと、何人かが小さく笑った。


「味噌が切れれば、汁の味だけでなく、家の空気まで荒みます。塩も、干物も同じこと。大きな戦が起きずとも、味噌桶が軽くなるだけで、女は冬の終わりまでを考え始めます」


「たしかに」


「よう分かります」


 相槌が重なる。

 私はそこで、さらに一歩だけ踏み込んだ。


「ゆえに、この秋は蔵の中身だけでなく、人の心の方も先回りして整えておかねばなりません。薪を十分に見せびらかす必要はございませんが、乱れなく回る気配は必要です」


「乱れなく回る気配……」


 細川縁の奥方がその言葉を繰り返した。


「ええ。余っていると吹聴すれば、人はかえって欲を出します。ですが、乱れていないと感じれば、無用に慌てません」


 私はそう言いながら、先日、井戸端の女たちの声を拾わせたことを思い出していた。

 人は、不足そのものより、不足するかもしれぬという曖昧さに怯える。

 だからこそ、城の内が落ち着いて回っていると見せることが、どれほど大事か。


「大津城は、よう整っておりますものね」


 別の奥方が言った。


「賑やかではあっても、慌ただしい感じがございません」


 その“賑やか”の一言に、私は少しだけ笑みを深くした。

 誰も露骨には申さぬが、この城の中には母上様も、お初も、お江もいて、女たちの気配が濃い。

 それを、ただの騒がしさではなく、“整っている賑やかさ”として見せていくのが、私の役目なのだ。


「女が多い城ですから」


 私が軽くそう返すと、何人かが口元を隠して笑った。


「ですが、多いだけでは家になりませぬ。誰がどこを見るかが定まって、ようやく冬を越せる城になります」


 その言葉を発した時、私は障子の向こうに、人の気配を感じた。


 お初である。


 私は気づかぬふりをした。

 この席へは出さなかった。まだ、お初にはこのような座へ出るより、少し離れて空気を聞く方がよいと思ったからだ。

 だが、あの子がこうして障子の向こうで聞いているのは分かっていた。

 それでよい。

 今はまだ、聞いて学ぶ位置で十分なのだ。


 席は、やがて冬支度の細かな話へ移っていった。


「御方様は、干物はどうなされて」


「魚は早すぎれば味が落ちますが、遅れれば風が厳しくなります。ですから、塩の入りを見ながら順を決めます」


「炭は」


「火鉢のためだけにございません。湯殿、台所、病人が出た時のための控えも見ております」


「味噌は」


「桶の減り方を秋のうちに見て、冬の汁の濃さを決めます」


 こうした話を、男たちは案外軽く見る。

 だが女たちにとっては、どれも切実で、実務で、家の力そのものだ。

 だからこそ、こういう席で何をどう語るかによって、相手の家の見え方も変わってくる。


 私は相手の顔を見ながら、言葉を少しだけ強くした。


「大津城は、戦の城である前に、人を守る城でありたいと思うております」


 座が静まる。


「兵を守る。女を守る。子を守る。冬を越す者たちを守る。そうでなければ、春を待つ力も失います」


 その言葉に、奥方衆は一人、また一人と静かに頷いた。

 先ほどまでの“冬支度の相談”が、いつの間にか“この城の在り方”を見定める場に変わっていた。


 私はその変化を感じながら、茶を口へ運んだ。


 大津城は、まだ若い城だ。

 人も、仕組みも、完全に熟れてはいない。

 けれど、その若い城に、こうして冬を語れる座があること自体が、黒坂家の根になっていくのだろう。


 やがて茶会が終わり、奥方たちはそれぞれ満足そうな顔で帰っていった。


「本日はようございました」


「大津城の冬支度、よく分かりました」


「御方様の采配に、学ぶことが多うございました」


 そうした言葉を聞きながら、私はただ穏やかに一礼した。

 褒められたから嬉しいのではない。

 こちらが見せたかったもの――“この城はちゃんと人を冬へ渡すつもりで動いている”という気配が、たしかに伝わったと感じられたことが、何よりの手応えだった。


 客を見送り、表の間へ戻ると、障子の陰からお初が現れた。


「……よく喋るわね、姉上様」


 その第一声がそれであったので、私は思わず笑ってしまった。


「聞いていたのですね」


「聞こえてきたのよ」


「聞くつもりでいたのでしょう」


「別に」


 お初は、少しだけ視線を逸らした。


「でも……」


「でも?」


「ああいうふうに、冬のことまで“家の顔”にするのね」


 私はその言葉に、小さく頷いた。


「ええ。女たちにとって、冬支度はそのまま家の力の見え方になりますから」


 お初はしばらく黙っていたが、やがてぽつりと言った。


「姉上様、ほんとに御方様になったのね」


 その言い方は、からかいでもなく、羨みでもなく、ただ少し驚きの混じった実感のように聞こえた。


 私はすぐには返事をしなかった。

 御方様になった。

 その言葉は、自分で言うには大きすぎる。

 だが、少なくとも前よりは、女たちの前で“家”を語れるようになったとは思う。


「まだ、なりきれてはおりません」


 私は静かに答えた。


「ですが、冬を越させる座を作るのも、御方様の役目なのでしょう」


 お初は何も言わず、ただ一度だけ頷いた。

 その顔を見ていると、この妹もまた少しずつ、この城の“女の役目”というものを覚え始めているのだと分かった。


 囲炉裏の火は、今夜も穏やかに燃えているだろう。

 蔵の米も、味噌も、塩も、まだ乱れなくある。

 女たちはそのことを知り、そして知らぬ者にも安心の気配が伝わっていく。


 私は障子の向こうに広がる秋の夕暮れを見ながら思った。


 この城は、戦のためだけに立っているのではない。

 春を待つために、冬を越すために、人の暮らしを抱えて立っている。

 そのことを、ようやく私自身の言葉で語れるようになったのかもしれない。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
【書籍版案内】 13巻2026年2月25日発売 i1090839 i928698 i533211 533215 i533212 i533203 i533574 i570008 i610851 i658737 i712963 i621522 本能寺から始める信長との天下統一コミカライズ版☆最新情報☆電撃大王公式サイト i533528 i533539 i534334 i541473 コミカライズ版無料サイトニコニコ漫画
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ