茶々視点外伝『大津城帰還政所”』編・②⓪⓪話・第十一話 御方様、奥方衆に冬を語る
秋が深まると、女たちの会話は自然と冬へ向かう。
夏の間は、水のこと、風のこと、暑気払いのことを口にしていた奥方衆も、霜の気配が夜ごと濃くなる頃には、薪、炭、味噌、干物、塩、そして年越しの蓄えのことばかり話すようになる。
それはつまり、家を預かる者たちが皆、先の寒さを胸の内で量り始めたということなのだろう。
その日、私は大津城の一室を開けて、小さな茶の席を設けた。
大きな催しではない。
呼んだのは、これまで何度か顔を合わせ、軽口ばかりでは済まぬ相手だと分かっている奥方衆ばかりである。
秋の実りが見え始めた今、城の中がどう冬を迎えるつもりか――それを、言葉にしすぎず、しかし見せるべきところは見せる。そういう場にしたかった。
床の間には、色づき始めた枝を低く置き、その脇へ稲穂をほんの少しだけ添えた。
豊かさを見せつけるのではなく、きちんと秋を受け取っていると伝わる程度に。
火鉢は客の裾へ熱が強く当たりすぎぬ位置へ。
茶は濃すぎず、菓子は甘みを控えたものを。
冬を語る席に、春のような浮つきは要らぬ。
「御方様、皆様お揃いにございます」
桜子が静かに告げる。
私は一度だけ座敷全体を見渡し、頷いた。
「通しなさい」
奥方たちは、それぞれ柔らかな笑みを浮かべて入ってきた。
だが、その目はやはりよく動く。
火鉢の位置、花のしつらえ、茶器の格、侍女の足運び。そうした細部を見ながら、この城の“冬支度の気配”まで読もうとしているのだろう。
挨拶を交わし、茶が一巡した頃、一人が口火を切った。
「大津は、安土よりも風がきつうございますでしょう。冬支度も早めでございましょうな」
私は茶碗をそっと置いた。
「ええ。湖からの風は、城の中に入ると骨まで冷えます」
「やはり」
「ですから、薪も炭も、ただ多く積めばよいのではなく、どの部屋へどう回すかまで見ておかねばなりません。火鉢が一つ増えれば、湯の減り方も変わりますし、湯が増えれば薪の減りも変わります」
向かいの奥方が、少し感心したように笑った。
「御方様は、そういうところまでよう見ておられるのですね」
「見ねば、冬は越せません」
私は穏やかに答えた。
「城とは、戦のためにあるものと思われがちですが、まずは人が冬を越す場所でもございます。兵が寒さで弱れば槍も立ちませんし、女中が病めば台所も回りません」
その一言で、座の空気が少しだけ変わったのが分かった。
戦の城。
それは誰もが口にする。
だが、“人が冬を越す城”という言葉は、奥方衆の耳には別の重みで入るのだろう。
「まこと、その通りにございます」
年長の奥方が頷いた。
「うちでも、冬はまず味噌と塩の具合を見ます。足りぬと分かれば、それだけで女たちの顔が曇りますゆえ」
「味噌は、冬の心でございます」
私がそう言うと、何人かが小さく笑った。
「味噌が切れれば、汁の味だけでなく、家の空気まで荒みます。塩も、干物も同じこと。大きな戦が起きずとも、味噌桶が軽くなるだけで、女は冬の終わりまでを考え始めます」
「たしかに」
「よう分かります」
相槌が重なる。
私はそこで、さらに一歩だけ踏み込んだ。
「ゆえに、この秋は蔵の中身だけでなく、人の心の方も先回りして整えておかねばなりません。薪を十分に見せびらかす必要はございませんが、乱れなく回る気配は必要です」
「乱れなく回る気配……」
細川縁の奥方がその言葉を繰り返した。
「ええ。余っていると吹聴すれば、人はかえって欲を出します。ですが、乱れていないと感じれば、無用に慌てません」
私はそう言いながら、先日、井戸端の女たちの声を拾わせたことを思い出していた。
人は、不足そのものより、不足するかもしれぬという曖昧さに怯える。
だからこそ、城の内が落ち着いて回っていると見せることが、どれほど大事か。
「大津城は、よう整っておりますものね」
別の奥方が言った。
「賑やかではあっても、慌ただしい感じがございません」
その“賑やか”の一言に、私は少しだけ笑みを深くした。
誰も露骨には申さぬが、この城の中には母上様も、お初も、お江もいて、女たちの気配が濃い。
それを、ただの騒がしさではなく、“整っている賑やかさ”として見せていくのが、私の役目なのだ。
「女が多い城ですから」
私が軽くそう返すと、何人かが口元を隠して笑った。
「ですが、多いだけでは家になりませぬ。誰がどこを見るかが定まって、ようやく冬を越せる城になります」
その言葉を発した時、私は障子の向こうに、人の気配を感じた。
お初である。
私は気づかぬふりをした。
この席へは出さなかった。まだ、お初にはこのような座へ出るより、少し離れて空気を聞く方がよいと思ったからだ。
だが、あの子がこうして障子の向こうで聞いているのは分かっていた。
それでよい。
今はまだ、聞いて学ぶ位置で十分なのだ。
席は、やがて冬支度の細かな話へ移っていった。
「御方様は、干物はどうなされて」
「魚は早すぎれば味が落ちますが、遅れれば風が厳しくなります。ですから、塩の入りを見ながら順を決めます」
「炭は」
「火鉢のためだけにございません。湯殿、台所、病人が出た時のための控えも見ております」
「味噌は」
「桶の減り方を秋のうちに見て、冬の汁の濃さを決めます」
こうした話を、男たちは案外軽く見る。
だが女たちにとっては、どれも切実で、実務で、家の力そのものだ。
だからこそ、こういう席で何をどう語るかによって、相手の家の見え方も変わってくる。
私は相手の顔を見ながら、言葉を少しだけ強くした。
「大津城は、戦の城である前に、人を守る城でありたいと思うております」
座が静まる。
「兵を守る。女を守る。子を守る。冬を越す者たちを守る。そうでなければ、春を待つ力も失います」
その言葉に、奥方衆は一人、また一人と静かに頷いた。
先ほどまでの“冬支度の相談”が、いつの間にか“この城の在り方”を見定める場に変わっていた。
私はその変化を感じながら、茶を口へ運んだ。
大津城は、まだ若い城だ。
人も、仕組みも、完全に熟れてはいない。
けれど、その若い城に、こうして冬を語れる座があること自体が、黒坂家の根になっていくのだろう。
やがて茶会が終わり、奥方たちはそれぞれ満足そうな顔で帰っていった。
「本日はようございました」
「大津城の冬支度、よく分かりました」
「御方様の采配に、学ぶことが多うございました」
そうした言葉を聞きながら、私はただ穏やかに一礼した。
褒められたから嬉しいのではない。
こちらが見せたかったもの――“この城はちゃんと人を冬へ渡すつもりで動いている”という気配が、たしかに伝わったと感じられたことが、何よりの手応えだった。
客を見送り、表の間へ戻ると、障子の陰からお初が現れた。
「……よく喋るわね、姉上様」
その第一声がそれであったので、私は思わず笑ってしまった。
「聞いていたのですね」
「聞こえてきたのよ」
「聞くつもりでいたのでしょう」
「別に」
お初は、少しだけ視線を逸らした。
「でも……」
「でも?」
「ああいうふうに、冬のことまで“家の顔”にするのね」
私はその言葉に、小さく頷いた。
「ええ。女たちにとって、冬支度はそのまま家の力の見え方になりますから」
お初はしばらく黙っていたが、やがてぽつりと言った。
「姉上様、ほんとに御方様になったのね」
その言い方は、からかいでもなく、羨みでもなく、ただ少し驚きの混じった実感のように聞こえた。
私はすぐには返事をしなかった。
御方様になった。
その言葉は、自分で言うには大きすぎる。
だが、少なくとも前よりは、女たちの前で“家”を語れるようになったとは思う。
「まだ、なりきれてはおりません」
私は静かに答えた。
「ですが、冬を越させる座を作るのも、御方様の役目なのでしょう」
お初は何も言わず、ただ一度だけ頷いた。
その顔を見ていると、この妹もまた少しずつ、この城の“女の役目”というものを覚え始めているのだと分かった。
囲炉裏の火は、今夜も穏やかに燃えているだろう。
蔵の米も、味噌も、塩も、まだ乱れなくある。
女たちはそのことを知り、そして知らぬ者にも安心の気配が伝わっていく。
私は障子の向こうに広がる秋の夕暮れを見ながら思った。
この城は、戦のためだけに立っているのではない。
春を待つために、冬を越すために、人の暮らしを抱えて立っている。
そのことを、ようやく私自身の言葉で語れるようになったのかもしれない。




