茶々視点外伝『安土屋敷での“御方様仕事”』編・①⑦⑦話・第五話 贈り物は口ほどにものを言う
花見のあと数日が過ぎると、安土の黒坂屋敷には静かな賑わいが生まれた。
静かな、というのは声が少ないからではない。
むしろ、台所も表の間も控えの座敷も、朝から人の出入りが絶えぬ。だがそれでも騒がしく感じぬのは、皆が大声を上げているのではなく、ひそやかな気遣いと目配せの中で動いているからだ。
そして、その賑わいの中心にあるのが――贈り物であった。
「御方様、またひとつ届きましてございます」
午前のうちに桜子がそう告げ、少しして梅子が別の包みを運ばせ、さらに昼を過ぎる頃には桃子が「今度はお菓子なのです」と目を輝かせてやって来る。
次から次へと届く包みは、反物、菓子、乾物、香、器、季節の果実、珍しい茶葉に至るまで実にさまざまだった。
花見の礼。
春の挨拶。
安土へ戻られた黒坂家への近況伺い。
表向きの名目はいかようにも立つ。
だが私は、そうした包みをただの礼物としては見ていなかった。
誰が、何を、どの頃合いで寄越したか。
それはつまり、その家が黒坂家をどう見ているか、そのまま言葉なく置いていくものだからである。
私は表の間の隣に設けた控えの座へ座し、届いた包みを一つずつ前へ並べさせていた。
「まず帳面へ」
そう言うと、梅子がすぐに筆を取り、几帳面な字で記していく。
「はい。羽柴家、菓子折一。前田家、越中絹一反。佐々家、干し鮎二折……」
梅子の字は癖がなく、実に読みやすい。
こういう記しは後で見返す時にものを言う。誰がいつ何を寄越したか、奥向きの記録は家の記憶でもあるのだから、雑であってはならぬ。
桜子は包みを開ける前に紐の結びまで見ていた。
「御方様、こちらの反物、前田家の物ですが、表の包みは質素に見せて、中はかなり上等にございます」
私は目を向けた。
「松殿らしいですね」
前田松。
あの方は、いかにも豪勢に見せつけるような贈り方はなさらぬ。だが、よく見れば格が分かるものを寄越してくる。
“我が家はこれだけのものを出せます”と声高に示すのではなく、“気づく者には気づくように”置いてくるのだ。
私は反物の艶を指先で確かめた。
「これは、すぐには返しすぎぬ方が良いでしょう」
「急がぬのですか?」
桜子が問う。
「急げば、“こちらが重く受けた”と見えることもあります。松殿は、私がどう受けるかまで見ておられる。礼は尽くす。ですが慌ててはなりません」
「承りました」
桜子は頷き、その包みを別の場所へ分けた。
贈り物には、品そのものの値だけではない意味がついている。
たとえば軽い菓子なら、気安い挨拶の延長。
反物や香木なら、少し踏み込んだ距離。
器であれば“座敷を知る家”としての共感。
それをどう受けるかで、こちらもまた“この家とはどこまで近づくか”を返しているのだ。
だから、奥方の仕事とは、笑って茶を出すことばかりではない。
見えぬところで家の格を調整することでもある。
私はそのことを、ここ数日でようやく骨身に沁みて感じ始めていた。
「御方様、こちらは羽柴家からの菓子にございます」
今度は桃子が、小さな歓声を抑えきれぬ顔で差し出してきた。
包みを開くと、春らしい色合いの菓子がきれいに詰められている。
「綺麗なのです……」
「見惚れるのはあとにしなさい」
「はう」
桃子はしゅんとしたが、それでも目は菓子へ釘づけだ。
だが、その桃子の“目を奪われる”という反応も、あながち侮れぬ。贈り物とは、受け手の心をどう動かすかでもあるのだから。
「羽柴家は、やはり人の喜ぶものをよう知っておられますね」
私がそう言うと、梅子が帳面から顔を上げた。
「ねね様らしゅうございます」
「ええ」
ねね様の笑顔が脳裏に浮かぶ。
柔らかく、親しげで、だが奥深い。
あの方が選ぶ品は、下品にはならぬが、受け取った者の心へすっと入る。いかにも“家の奥を知る女”の贈り方だ。
私はその菓子を見ながら、返すべき品を考えた。
羽柴家へは、重すぎず、軽すぎず。
気の利いた物が良い。花見の礼の返しであれば、春を惜しみつつ次の季節を思わせるようなもの――。
「桜子、羽柴家へは後日、香と茶を合わせて返します」
「香と茶、にございますか」
「ええ。ねね様へは“座敷を知る家として受け取っております”という返しが一番よい」
桜子はその意味を考えるように一瞬黙り、すぐに頷いた。
「承りました」
こうして女たちと実務を噛み合わせていく時間が、私は少し好きになってきていた。
大津ではもっと、生活そのものを立てるための忙しさがあった。湯のこと、台所のこと、城内の女たちの距離。
けれど安土では、整えたものの上へさらに“意味”を乗せていく忙しさがある。
それは難しい。
だが難しいからこそ、やり甲斐もあった。
昼をまたいで、さらに包みが届く。
佐々家からは塩気の強い干し鮎。
これは実用の気配が濃い。見栄えよりも“家で使うものとして受け取れ”という類だ。
森家からは、見た目には控えめながら質の良い白布。
これは実直な礼の返しと見てよい。
細川家からは香の包みが一つ。
香は軽そうでいて、実は相手の座敷感覚を見て出すものだ。ゆえに、雑には扱えぬ。
私は一つひとつ、見て、置き分け、返しの格を考えた。
桃子がだんだん目を回し始める。
「御方様……贈り物が多すぎるのです……」
「まだ序の口です」
「これで、ですか」
「花見のあととはそういうものです」
桃子は「はうう」と情けない声を出したが、私は笑わなかった。
こういうところで笑ってしまえば、贈答が“ただ面倒なもの”に見える。
違うのだ。これは家と家とが、表立たぬところで距離を測るための手だ。
梅子は疲れも見せず帳面をつけ続けていた。
その几帳面さは本当に頼もしい。
「梅子、手は疲れていませんか」
「少しだけ。ですが、後で見返した時に分からなくなる方が困りますので」
私はその答えに満足して頷いた。
「その通りです。記録は雑にしてはなりません」
すると横で、桜子が小さく言う。
「御方様は、こうしたこともよう見ておられるのですね」
私は少しだけ笑った。
「私一人で見ているのではありません。あなたたちが目となり、手となっているのです」
「それでも、どの家へどう返すかなど、私はまだ怖うございます」
「怖くて結構です」
私はそう返した。
「怖いと思うから、軽々しく返さぬ。軽々しく返さぬから、家は保たれます」
桜子は、少し考え込むような顔をした。
この娘は、実務をただの雑務とは見ない。見ないからこそ、こうした話をするとよく吸う。
その時、表で取次の声がした。
来客ではなく、使いの者が贈り物を置いていったらしい。
私はその気配を聞き分けながら思う。
安土では、女の戦は静かだ。
槍も抜かず、声も荒げず、ただ包みを寄越し、茶を受け、礼を返す。
だがその一つひとつの中に、家格があり、距離があり、思惑がある。
男たちが城で政をするなら、女たちは屋敷で家の値をやり取りしているのだ。
私は帳面の脇へ置いた包みの山を見た。
先ほどまではただの品物に見えたものが、今はそれぞれ違う顔を持っている。
前田家は“軽くは見ていない”と示す。
羽柴家は“やわらかく近い”を置く。
佐々家は“実を知っている”を見せる。
どこも、口ではなく品で語っている。
贈り物は口ほどにものを言う。
それどころか、時に口より雄弁だ。
日が傾く頃、ようやくその日の分の仕分けが終わった。
私は肩を少しだけ回した。
座っていただけのようでいて、妙に体が固まる。
これもまた、剣や馬とは違う疲れ方だ。
桃子は最後まで反物を名残惜しそうに見ていたが、梅子が帳面を閉じ、桜子が包みを蔵へ回す順を整えると、屋敷の中にもようやく一段落した空気が流れた。
「御方様」
桜子が言う。
「はい」
「こういう日々が続くのですね」
「ええ」
私は頷いた。
「安土では、こうして家の格を少しずつ整えていくのです」
桜子は深く頭を下げた。
梅子も、桃子も、それぞれに神妙な顔をしている。
私はその三人を見て、静かに思った。
これが私の戦なのだ。
花見の席で笑みを浮かべたあと、その笑みの続きをここで保つための戦。
家と家との距離を測り、真琴様の評判を傷つけず、黒坂家の奥を軽んじられぬよう整えていく戦。
そしてそれは、誰にも派手には見えぬ。
見えぬからこそ、きちんとやる者が要る。
私は立ち上がり、山のように積まれた包みの減った座敷を見渡した。
奥方の仕事とは、笑って茶を出すことだけではない。
見えぬところで家の格を調整することでもある。
そのことを、私はこの日、ようやく自分の仕事として胸へ落とし込んだのだった。




