茶々視点外伝 茶々視点・①③①話・大津城の晦日
真琴様の上洛を見送った後、城に残った家臣たちと餅つきを行い、神棚に奉納した。
臼のそばは、蒸した米の湯気と、搗きたての餅が放つ甘い匂いで満ちている。
杵が落ちるたび、どん、と腹に響く音がして、冬の澄んだ空気の中に不思議と温もりが増していく。
「よいしょ!」「はっ!」「よいしょ!」
掛け声は揃っているのに、合いの手が少しずつずれていくのが黒坂家らしい。
――そして、搗き手の力が強すぎて、餅が杵に絡みついて離れない。
「……殿がいたら『餅も休ませろ』とか言いそうね」
私が小さく呟くと、近くにいた兵が「ははっ」と気まずそうに笑った。
主がいないだけで、空気が少し軽い。軽いけれど、寂しさはその裏にちゃんと張り付いている。
丸めた餅を白木の折敷に乗せ、神棚へ。
さらに、鬼門と裏鬼門に当たる場所に祀られた小さなお社にも餅を奉納し、しめ縄と榊、御神酒を新しいものに替える。
大手門には門松が飾られ、青い松葉が冬の空に凛と映えた。
「……これでよし」
私は一つひとつ、目で確かめ、手で触れて、粗がないか確かめた。
ただ置いた、ただ替えた、ではない。
主の留守を預かるとは、こういう細かなところで“怠けていない”と示すことでもある。
その様子を見ていた桜子が、控えめに言う。
「御方様自らなさらなくても、私どもがいたしますのに……」
「あなたたちのことは、もちろん信頼しているわ。でも、やはり見回らないとね。主の留守を預かる身ですから」
口にしてから、少しだけ胸が痛んだ。
“留守を預かる”。――言葉にすると、真琴様がいない事実が、よりはっきり形になる。
桜子が首をかしげる。
「陰陽師の御主人様の城だから、でございますか?」
「……そうね。真琴様は、神仏を大切にいたしていますから。……さ、それより町の者に配る餅のほうは順調かしら?」
話題を変えると、桜子はすぐに笑みを戻す。
「はい、もちろんでございます。蒲生様のお手配で滞りなく」
「そちらは任せて良いようね」
町へ配る餅。――施しというより、“福のお裾分け”だ。
真琴様がいたら「独り占めは良くない」などと、さも当たり前の顔で言うだろう。
だから私は、それを当たり前にしてみせたい。黒坂家の“当たり前”として。
居室に戻り、一息ついていると、お初が入ってきた。
いつもより声が低い。
「あいつがいないと、静かですね」
「もう、お初。そういう言い方はやめなさい」
叱ってはみたが、私も同じことを感じていた。
城が静かなのは、足軽たちに家へ戻ることを許したからだ。正月くらい、家族と過ごさせたい。
その分、城の警護は最低限。――本丸からは出ないよう、口を酸っぱくして言ってある。
「それに城が静かなのは、足軽たちに家へ戻るのを許したからです。城の警護は最低限にしているの。だから本丸からは出ないように」
「お江は母上様のところなので、ご安心ください。……しかし、手薄にして良いのですか?」
お初の不安は、顔に出さない分、言葉に滲む。
「草を多く放ちましたから。町の声はすぐ届きます。不審なことがあれば登城太鼓で、一刻ほどで兵は集結します」
「なら良いのですが……」
歯切れの悪い返事。
見せたほうが早い、と私は思った。
手元の鈴を、ちりん、と鳴らす。
澄んだ音が冬の空気に溶けた、次の瞬間。
庭に、二十名の“庭師”と“奥女中”が、音もなく現れ、片膝を付いた。
「お呼びでしょうか、御方様」
あまりにも揃いすぎた動きに、私は一瞬、笑いそうになる。
この者たちが普段は箒を持ち、桶を運び、火鉢に炭を足していると思うと――城の“日常”は、どれほど堅牢なのだろう。
「お初が城の守備を心配しているから呼んだのよ。許して頂戴」
「御懸念の払拭のためなら、いつでもお呼びくださいませ。では、私どもは配置に戻ります」
言い終えるや否や、忍びは風のように散っていった。
庭が元の静けさに戻ると、お初は目を細めて言う。
「……庭師や奥女中まで忍びだったのですね?」
「そうよ。だから本丸は心配ないわ。正月くらい兵たちにも家族と過ごしてもらいたいじゃない……真琴様なら言いそうなことを、実践したのよ」
「なるほど……確かに、あいつ……真琴はそういうとこ、気にしますものね」
「必要最低限は守備兵を残して、町の屋敷に帰したのよ。餅を持たせて」
「その気遣いが忠誠心に繋がる……黒坂の兵は一致団結いたしますね」
「まだ募ったばかりの兵です。早く、まとまったものにしなければなりませんから」
お初は少し言いづらそうに、けれど真っ直ぐに問う。
「姉上様は、戦が続くと思われているのですか? そして真琴も出陣すると」
私は、曖昧には答えられなかった。
真琴様の知識と才覚が、戦を早く終わらせる力になるのは確かだ。
――けれど、終わらせるために、戦の渦中へ呼ばれることもある。
「織田の軍師として、真琴様は必ず大きな戦に出るときがくるわ」
「姉上様の心配が当たらねばいいのですが」
そう言って、お初は庭の先を見ていた。




