茶々視点外伝 茶々視点・①⓪⑥話・雄琴温泉①①
尊朝が去るや、張りつめていた気がふっと緩み、真琴様は「ひと風呂浴びてくる」と湯殿へ向かわれた。
襖の向こうに湯のはぜる音、檜の香り。
残された部屋に、私の吐く息だけが白く落ちる。
入れ替わるようにお初がするりと入ってきて、小声で言う。
「……あいつ、比叡山の座主相手に、ひるみもしませんでしたね、姉上様」
「それが真琴様です。義父上にも平気で物を申すお方。もう、その胆力が身についてしまわれたのでしょう」
お初は唇を尖らせ、わざとらしく肩をすくめる。
「女を物みたいに扱うのが嫌い、って言いながら……姉上様以外に三人も囲ってますよね?」
桜子・梅子・桃子の名が、障子に当たる冬陽のように頭に浮かぶ。
私は扇を畳にそっと置いて、静かに首を振った。
「お初、勘違いなさっているわ。真琴様は、あの三人に指一本触れていません」
「本当に?」
お初の目がわずかに丸くなる。
「本当です。真琴様は三人を大切にし、三人はそれに応えるように働き、慕っている。主従を越えて――家族として」
「家族、ですか。広い……広すぎる心です、姉上様には。私には到底まねできません」
吐き捨てるようでいて、どこか拗ねた声。
そのまま踵を返し、襖がすっと閉まる。障子越しに、お初の足音が廊下の角で途切れた。
入れ替わりに、お江が顔だけのぞかせ、猫のように目を細めた。
「マコ、人を物みたいに扱うの、本当に嫌いだもんね」
「……あなたも聞いていたのですか?」
「え、だってマコの叱り声、廊下までだだ漏れだったよ。もう宿中の噂。『若い軍師が座主を相手に一歩も引かず』ってね」
私は額に手を当て、ふっと笑う。
「不都合はありません。むしろ都合がいいくらいかもしれません」
「姉上様がそう言うなら、まぁいいや」
お江はきびすを返し、ぱっと頬を綻ばせる。
「さて、私はまたマコとお風呂で遊んでこよ~っと」
「お江、走らないで――」
と言い終わる前に、ひらひらと袖だけが見え、軽い足音が廊下の向こうへ吸い込まれていった。
檜の香りが、ふたたび部屋に満ちる。
私は扇を握り直し、胸の奥でひそかに誓う――“家族”と呼んだ者たちを、必ず守り抜く、と。




