茶々視点外伝 茶々視点・①⓪⑤話・雄琴温泉①⓪
尊朝は茶碗を置き、額の汗を拭いながら深々と頭を下げた。
「……大変失礼いたしました。これほどの叱責を受けようとは。しかもあなたが怒りの言葉を発した刹那、私は不動明王のお姿を見た気がいたしました」
私は畳ににじむ湯気を見つめつつ、扇を握る手の力をゆるめる。先ほど遊女を供されたとき、胸の奥にせり上がった嫌悪はいまだ消えていない。女を物として差し出す――それだけは、私も、そして真琴様も許せぬ。
真琴様は、わずかに口許をゆるめて失笑された。
「不動明王……私は武甕槌大神の御力をお借りする術は学んでいます。そのせいかもしれませんね」
鹿島の神――。以前から噂に聞くその名が室内の空気をひやりと引き締める。尊朝は眼差しを伏せ、ことさらに丁寧な声で続けた。
「鹿島の神の使いというお噂は耳にしておりましたが……まことでしたか。大変失礼ながら、新領主様のお心根を“試させて”いただきました」
試す、という言葉に、私は思わず問い返していた。
「試す?」
尊朝はまっすぐこちらを向く。
「浅井の姫君殿。浅井の殿様は、良き縁を得よと極楽で願われたようですな」
「この時節に父の名を持ち出すは無礼。言葉をお慎みなさいませ」
胸の内で火がぱちりと弾け、叱責が自然に口を突く。尊朝は小さく肩をすくめた。
「これまた叱られてしまいましたか。しかし、欲にまみれた荒武者の多い世に、このような方がなおおられたこと、嬉しく存じます」
真琴様は姿勢を正し、静かに座り直された。私も扇を膝に置き、息を整える。
「尊朝殿。私は比叡山延暦寺を“監視”する役目を帯びて大津城主を命じられました。けれど、攻め込む気などさらさらありません。延暦寺は都の鎮護の霊山。本来の修行に立ち返り、国家安泰を祈る姿を取り戻されるなら、織田信長公が再び火を放つことはないでしょう。あの方は破天荒に見えて、実のところ、誰よりも真面目なのです」
障子越しに射す冬の白い光が、真琴様の横顔の線をくっきりと浮かび上がらせる。言葉は熱く、しかし一語一語が澄んでいる。私は、その背に寄り添う風のように黙して聴いた。
「……比叡山に火を放つ第六天魔王を、信じよと?」
尊朝の声には、なお棘が残る。真琴様はわずかに首を振られた。
「寺が武士のように武装し、自分たちに都合の良い者だけを匿う――それが仏の道ですか」
尊朝は言葉を失い、畳の目を見つめる。
「なすことが戦国大名と同じなら、比叡山は寺ではなく“城”。その城を攻めただけの信長公を、ただ責めるのは道理ではないでしょう」
「……ぐ、ぬぬ」
尊朝の喉が鳴る。室内の気が、さらに澄む。
「『前後際断』。過去は変えられません。けれど、これからの比叡山が本来の姿に立ち戻り、修行に励み、民の救いの場を目指すなら、私はむしろ力を合わせ、良い国造りに携わりたい。いかがですか」
禅の語だと聞いたその四文字が、胸の内に静かに落ちる。過去に縛られないということは、父の名を出されても揺らがぬ、ということでもある――そう思うと、熱かった胸が少しだけ冷えた。
尊朝はなおも汗を拭い、うなずいた。
「……至極まっとうにて、返す言葉がございません」
「ならば山へ戻り、まずは説得を。力丸」
呼ばれて、力丸が一歩進み出る。
「尊朝殿はお帰りだ。丁重に、山裾まで黒坂家の兵でお送り申せ」
「はっ。すぐに手配いたします」
尊朝は畳に手をつき、深く、深く頭を垂れた。その礼に、私も扇をたたんで静かに会釈する。
尊朝は深々と頭を下げて部屋を後にした。




