茶々視点外伝 茶々視点・①⓪④話・雄琴温泉⑨
「名乗る前に茶をいただいてしまい、無礼をお許しいただこう」
私が点てた薄茶を、座主は一息に呑みきって腕を静かに畳んだ。
法衣から立つ線香の匂いと、錫杖の金具が微かに触れ合う音。
外は凍てつく風、それでも湯気はやわらかく立ちのぼる。
「こちらがおすすめしたこと。どうぞお気になさらずに」
真琴様が穏やかに笑う。――威厳、威厳。私はわざと小さく咳払いをして合図を送った。
真琴様は一瞬だけ目を細め、背筋を正す。
「申し遅れた。拙僧、尊朝。比叡山延暦寺の座主を務めておる」
軽口で殿が返す前に、森力丸が一歩進み、声を張る。
「こちらは黒坂家当主・常陸守様にあらせられる」
殿は私の合図を汲まれたのか、胸をわずかに張ったまま、何も足さない。よし。
「座主自らの御足労、どのようなご用向きにて?」
力丸の問いに、尊朝は合掌し、ほほ笑んだ。
「西近江の新たなる領主、かつ当世に鳴る織田家軍師――その御尊顔を拝したく。それと、お近づきのしるしに贈り物を」
ぱん、と指先で軽く手を打つ。
次の瞬間、白粉の甘い匂いとともに、絹ずれの音。
派手な衣の“遊び女”が五人、音も涼しく入ってくる。
――あら、これは最悪の手土産。
力丸の手が音もなく小太刀の柄へ滑る。
私は床の間の太刀に手が届く位置へ、さりげなく座をずらした。
柳生宗矩は襖の影で呼吸すら薄い。
真琴様は――静かに息を吸い、声を落とされた。
その低さに、私の背筋がひやりとする。
「……どういうおつもりですか?」
尊朝は悪びれもせず、柔らかに手を広げた。
「都で美しさに名のある娘たちにて。黒坂様の御前へ献上仕る」
すっ、と殿の腰の扇が抜かれる。
先端が座主の視線に真っ直ぐ伸び、空気がぴんと張った。
「まだ、そのような生臭き習いから離れられぬと? 嘆かわしい」
真琴様の声音は冷たいが、刃より鋭い。
「俺は、“女”――弱きを物として扱うのが、なにより嫌いだ」
ばさり、と襖が割れて宗矩が踏み込む。
抜き身が白く光る。
私は片手を上げ、斬るな、退けと合図した。
宗矩は刃を動かさず、遊び女たちの退去だけを目で命じる。
侍女たちが静かに彼女らを伴い出ると、襖は音も立てず閉じられ、広間に静けさが戻った。
尊朝の額を、汗が滝のように伝う。錫杖の鈴が細かく震えているのは、寒さのせいばかりではあるまい。
私は膝を進め、丁寧に、しかし逃げ道を与えぬ言葉で蓋をする。
「座主さま。ここは戦と政の往還、そして“学び”と“鎮護”が共に立つ地。黒坂家が頂戴するのは、人ではなく、知でございます。もしお心づかいを賜るなら、経巻の写しや、山の水脈・薬草の目録など――民に益のあるものを」
真琴様が続ける。
「我らは城を築き、道を通し、飢える子に餅を振る舞う。物として渡される娘ではなく、明日として渡される知恵がほしい」
短い沈黙。座主の喉仏が上下し、やがて深く頭を垂れた。




