伝説のボクサーロドルフォ・マルチネス・エストラーダ「写真」
1974年3月21日、大場政夫はソワソワしていた。
「俺と試合したホセ・テオドミロ・カサスは救急車に運ばれたけど生きているでしょうか?」
「大丈夫だ!絶対生きているッ!お医者様を信じろッ!」
桑田勲氏が祈るようにそう言った。
一方病院では緊急手術をしていた。
「バイタル不安定です!」
看護師がそう言い放ち処置をしようとお医者様と何とかしようとするが手の施しようがないほど病状が進んでいた。
「全身麻酔を施すッ!」
麻酔科医がそう言うと執刀医のカルテが始まった。
手術は通常、全身麻酔下で行われる。患者の頭部を固定し、術野(手術する範囲)の消毒を行う。緊急を要する場合が多いため、迅速に準備が進められる。皮膚切開と開頭が開始された。皮膚切開とは血腫がある場所に合わせて、頭皮を大きく馬蹄形などに切開すること。開頭とはドリルで頭蓋骨に小さな穴を開け、そこから専用のノコギリ(エアトーム)を使って頭蓋骨の一部を一時的に取り外す。この取り外した骨を「骨フラップ」と呼ぶ。それから硬膜の切開と血腫の除去をスムーズに行う。硬膜切開とは脳を包んでいる一番外側の膜(硬膜)を切開して開く。すると、その下に溜まっている黒紫色をした凝固した血(血腫)が露出する。吸引と洗浄をする。吸引器やピンセット(バイポーラ)を使い、脳を圧迫している血腫を丁寧に取り除こうとするが異変に気付く。
「血腫が45mmもあります。これはもう...」
諦める看護師を尻目にお医者様は諦めずに処置を断行する。
「諦めるな!最後迄希望を捨ててはならん!」
手術は難航を極めた。何とか血腫を取り出したが後遺症の心配があった。後は生理食塩水で洗浄しながら、まだ固まっていない血液も洗い流す。止血操作も肝要だ。血腫を取り除いた後、出血点(破れた血管など)を探し、電気凝固などで確実に止血する。脳の腫れ(脳浮腫)が強い場合は、慎重に状態を確認する。閉頭(骨を戻す、または戻さない判断)だ硬膜の縫合を行う。 硬膜を再び縫い合わせる。脳の腫れがひどい場合は、人工硬膜などを使って余裕を持たせて縫う。今回は人工硬膜を使った。骨フラップの処置も行う。通常は取り外した骨を金属プレートやネジで固定して戻す。外減圧術を行う。もし脳の腫れが非常に強く、骨を戻すと再び脳を圧迫してしまうと判断された場合は、あえて骨を戻さずに手術を終えることがある。これを外減圧術と呼び、脳の圧力を逃がすための措置だ。後日、状態が落ち着いてから骨を戻す手術を行う。
1974年3月22日、何とか後日も手術をして一命をとりとめたがホセ・テオドミロ・カサスは植物状態となってしまった。
ホセ・テオドミロ・カサスの両親は大粒の涙を流して悲しんでいた。
1974年3月23日、アメリカ合衆国カリフォルニア州イングルウッドにいた41戦38勝(32KO)3敗の伝説のボクサーロドルフォ・マルチネス・エストラーダがふとテレビをつけると 大場政夫VSホセ・テオドミロ・カサスの激闘試合が放送されていた。
「日本人って雑魚ばっかりだと思っていたけど、少しは骨のある奴もいるんだな.....」
ロドルフォ・マルチネス・エストラーダは微笑んだ。次の瞬間ニュースキャスターが衝撃的な発言をした。
「それでは速報です。日本の稲妻小僧ことMasao Ohba選手がJose Teodomiro Casas選手と試合してJose Teodomiro Casas選手は植物状態となってしまったようです。顎を横から強く叩かれると、頭部が急激に回転します。これにより脳が頭蓋骨の中で揺さぶられ、脳の表面の血管(橋静脈など)が引きちぎられ、急性硬膜下血腫を引き起こします。尚Jose Teodomiro Casas選手の年齢は32歳でした」
ロドルフォ・マルチネス・エストラーダは顔を引き攣る。
「まさか日本人に人を植物状態に至らせるほどのハードパンチャーがいたとはな....」
「雑魚と言っていた日本人に怖じ気づいたのか?」
トレーナーの名匠ルピ・サンチェス(Lupi Sanchez)が話した。
「は!?怖くなんかねーし!それなら受けてやってもいいんだぜ!」
「なら俺が契約しよう」
トレーナーの名匠ルピ・サンチェス(Lupi Sanchez)が電話で桑田勲氏と話した。
「1974年7月17日(水曜日)試合で良いか?」
「良いぜ....!返り討ちにしてやるよ」
そういうと練習を開始した。
伝説のボクサーロドルフォ・マルチネス・エストラーダの瞳は闘志に満ちていた。
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