ホセ・テオドミロ・カサス「絵」
大場政夫は自室で自身の過ちを悔いていた。
「俺がもう少し手加減してやればベニー・ロドリゲス選手は死なずに済んだかも知れないのに....」
桑田勲氏が諭す。
「それは違うぞ...今回の事故は仕方のないことだったんだ。政夫のせいじゃない....」
大場政夫は哀しみに打ちひしがれた。
「だって俺のせいじゃないですか!俺が殴ったから彼は死んだッ!」
「政夫のせいじゃない!ベニー・ロドリゲス選手からはアンフェタミンの陽性反応が出たそうだ。これは防げなかった事故なんだよ!これからはドーピング検査を徹底させるように俺も上に連絡するッ!だから元気出せッ!」
桑田勲氏の激励により大場政夫の精神状態は安定した。
1973年11月22日ホセ・テオドミロ・カサスはテレビを観て驚愕した。
「それでは速報です。日本の稲妻小僧ことMasao Ohba選手がBenny Rodriguez選手と試合してBenny Rodriguez選手は死亡してしまったようです。殴られた瞬間に首が大きく振れ、椎骨動脈が破裂してくも膜下出血を起こしました。死因は外傷性くも膜下出血です。尚Benny Rodriguez選手の年齢は33歳でした。」
ホセ・テオドミロ・カサスは ベニー・ロドリゲスと親友だった。自室で哀しみに打ちひしがれるホセ・テオドミロ・カサスにマネージャーのWillyが来て宥めてくれた。
「ホセ....!哀しいのは分かる。だけどこれも運命なんだよ!」
ホセ・テオドミロ・カサスは怒りに震えた。
「あんたに俺の何が分かる!ベニーは俺の親友だった。ボクシングしていて外国人で唯一ベニーだけが内気な俺と一緒にスパーリングしてくれたんだ!あれからよくベニーと電話した。それなのに俺は何一つ恩を返せないまま逝ってしまったんだ。俺はベニーの仇を討つ!そのMasao Ohba選手を俺がのしてやる!」
Willyは提案する。
「それなら今からMasao Ohba選手と試合出来るかどうか電話で連絡する。」
そして試合が決まった。
「今日から118日後の1974年3月20日水曜日に日本大学講堂(日大講堂)で試合を受けるそうだ。」
ホセ・テオドミロ・カサスは復讐に燃えていた。
「待ってろ!Masao Ohba!俺がお前を血祭りにあげてやるッ!そしてベニーの仇を討つ!」
その声はどこまでも哀しげでやる気に満ちた声だった。
一方その頃大場政夫はランニングをしていた。
(日課の中でランニングが一番好きだ。ランナーズハイになると、とても気持ちが良い...)
ジムに戻る頃桑田勲氏から話があった。
「そういや政夫君は強いボクサーなら誰でも試合を受けるとこの前言ってたから、1974年3月20日水曜日に日本大学講堂(日大講堂)で試合を受けることになったけどいいよね?今なら取り消し出来るけど、どうする?」
「試合を受けるに決まっているじゃないですか!」
大場政夫は二つ返事で承諾した。
「それではこのビデオを観てくれ!」
そう桑田勲氏が呼び掛けると映っていたのはホセ・テオドミロ・カサスが圧倒的なパンチで相手をのす場面だった。
「勝者、赤コーナー!ホセ・テオドミロ・カサスゥウウウウ!」
「何てハードパンチャーなんだ....!」
大場政夫は驚きを禁じ得なかった。
「彼の名はホセ・テオドミロ・カサス。メキシコ人だ。」
「へぇ~!この前のフランシスコ・ビジェガス選手みたくプエルトリコ人とメキシコ人のハーフで二重国籍を持っているというケースは考えられますか?」
「そんなのどうでも良いだろ!」
桑田勲氏は諫めた。
「兎に角奴の右ストレートには注意しろ!」
「理解しました。」
大場政夫の情報吸収力は凄まじい!彼の大躍進は止まらない...!
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