大場家の食卓「写真」
1975年7月13日(日曜日)大場政夫は昨日KO勝利出来なかったことに悲しんでいた。
「政夫君、そんなに悲しんでいたって何にもならないよ。」
桑田勲が宥めるが効力を持たない。
「だって俺は人生をやり直して全ての試合でKO勝利したかったのに出来なかった。俺は自分の信念に負けたんだ。」
「チミは何を莫迦なこと言っとるんだ。引き分けになっただけ良いではないか!それにファイトマネーも4万ドル(当時のレートで1,200万円)貰えたから良かったではないか!」
「お金よりも大事なボクシングに対する情熱を少し失ってしまった。少し自分探しの旅に出ます。」
そう言い残すと大場政夫は出て行った。大場政夫の向かった先は東京都足立区本木町(荒川の近く)にある実家だ。母親である大場 はなさんに会いに行った。
「政夫お帰り~~~~!」
大場 はなさんは温かく政夫を迎え入れてくれた。
「ごめん俺引き分けになってしまった。飯も喉を通らないほど落ち込んだよ。」
「引き分けくらいいいじゃない!気にしないでよ!」
母親の温かい言葉に大場政夫は申し訳なく思い涙が溢れてきた。
「ごめん、俺これから全部KO勝ちするって約束したのに、果たせなかった。」
「謝らなくていいわよ。よく頑張ったじゃない。御飯食べて行きなさい!」
優しい母親の言葉に大場政夫は安堵した。 大場政夫が居間に向かう途中で大場 はなさんは話しかける。
「それにしても立派になったわね!ついこの前迄は走り屋のマネなんかしていたのに今じゃWBA世界バンタム級チャンピオンだものね!」
「よせよ!照れるじゃねーか!」
大場政夫は顔を赤くしてまんざらでもないとでも言いたげな笑みをこぼした。
「今から政夫の好物のハンバーグを作るわね!」
「うっひょーーーーーーー!嬉しいな!ハンバーグ大好きだ!」
※彼は極貧の家庭で育ったため、子供時代やプロ入り当初は高級な食べ物にあまり縁がなく、ハンバーグを食べたときに「こんなうまいものがあったのか」と感動したというエピソードが、長野ハルマネジャーなどの関係者から伝えられています。Yahoo!知恵袋などの質問でも、同じく「ハンバーグを食べて感動していた」という記憶が挙げられており、複数のソースで一致しています。また、ジム(帝拳ジム)の寮を夜中に抜け出してハンバーグを食べに行った話も関連して語られることがあります。大場は減量が厳しいフライ級のボクサーで、普段は美食を控えていたようですが、そんな中でのハンバーグ体験が印象に残ったようです。このエピソードは、彼の短い人生や「永遠のチャンピオン」と呼ばれる伝説的なキャリアを彩る、人間味あふれる逸話の一つとしてボクシングファンに知られています。
桑田勲がストーカーのように大場政夫がいそうな所を片っ端から探して遂に探し当てた。
「ちょっと政夫君!?いるかな?おーーーい!政夫君?いるんでしょ!」
車のエンジン音と共に奴は現れた。桑田勲である。彼は大場政夫に一時たりともボクシングを忘れさせてはくれない。
ドンドンドンドン!
「いるんだよねー!?知っているよ?ここに政夫君が来た気がするんだ!」
ドンドンドンドンドン!
それはまるでホラーのように桑田勲が玄関ドアを叩いていた。そこに大場 はなさんが出ていき止めさせる。
「ちょっと止めて下さいよ!近所迷惑です!」
「でもこんなにボクシングのマッチメイクが来ているんだ!一度政夫君にもジムに来て選んで欲しいなと思って連絡しに来たんだ。」
その目は諦めることを知らない。
「政夫は今疲れています。休ませてあげて下さい!」
「分かった。じゃあ明日ジム来なよ!ジムで誰とマッチメイクするか聞かせて貰うからね!」
勝てば勝つほど周りの期待が大きくなるという重圧に大場政夫は逃げたくなった。
(逃げたい....今すぐボクシングから逃げたい.....でもボクシングから逃げたら周りの連中から目の敵にされそうで怖い....)
それは王者の孤独だった。試合をすればするほど傷付くが周りはそんなことお構いなしに強者とのマッチメイクを望みベストバウトを望む。その重圧が苦しくて逃げ出したくて人生一回目に車を猛スピードで走り事故死した。
(これじゃ人生一回目と大して変わっていないのではないだろうか?)
そんな一抹の不安が脳裏によぎった。そんな時大場 はなさんの声が聞こえた。
「もう直ぐハンバーグ出来るわよ!これを食べてボクシングで精を出しなさい!貴方にはボクシングの神様が付いているんだからそんなにクヨクヨする必要ないわよ!」
その言葉に大場政夫は救われた気がした。そして出来立てほやほやのハンバーグが食卓を囲んだ。その光景は圧巻だった。
「頂きます。」
大場政夫がそう言うと、ハンバーグにナイフを入れた。とても美味しそうで見るものの心を奪うほど肉汁が溢れ出した。
「うんまーーーーーーーーーーーーーーーい!」
その声は絶頂にも似た歓喜の咆哮であった。
一方その頃ミゲル・カントは大場政夫と引き分けになり満足していた。
「こんな試合内容だけど実質勝ちだな!」
そう言うには理由があった。ミゲル・カントは人生三回目で一回目は総試合数74戦61勝(15KO)9敗4引き分けでWBC世界フライ級王座(防衛14)し素晴らしい結果で78歳で没した。だが死後またボクシングの為の人生にするという決意により二回目もボクシングをしていた。そして二回目は大場政夫に7RKO負けしていたのだ。リベンジをしようとした矢先に大場政夫は交通事故死した。そこで三回目に大場政夫を完全アウェー+ミゲル・カントの洞察力により引き分け迄持って行った。尚ミゲル・カントの人生二回目の記憶はこの世界の大場政夫と世界線が異なる為この世界の大場政夫はそんなこと知らない。
「俺の人生をやり直して更に強くなってやる!」
ミゲル・カントのKO率は徐々に上がっていく予感がしていた。
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