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『勇者論』を終えて


 講義が終わり、学徒たちがぞろぞろと退出していく中、エリスとミリアは最後に席を立った。


 大講堂を出ると、空はすでに茜色に染まっていた。

 長い影が石畳に伸び、今日という日の重みを静かに物語っている。


 なんて充実した一日だったんだろう。

 夕日の眩しさに目を細めながら、満足感を胸に学院の外へと向かう道を歩いていく。

 

 すると、そんな二人と入れ違いに、数人の学徒がエリスに声をかけてきた。


「先ほどの討論お疲れ様でした! あなたの意見、すごく考えさせられました。よかったら今度、他のことについてお勉強会をしませんか?」


「あの、よければ私たちの研究室にも……!」


 エリスは困ったように笑いながらも、丁寧に答えた。


「すみません、私、これから行かなければいけない調査がありますので」


 その言葉に学徒達は肩を落としながらも、「今度また別の公開討論で会いましょう」と去っていく。


 エリスは心の中で謝罪しながら、本来はこの学院の生徒でないことに心を痛めた。




 すると、目の前に黒い小さな存在が現れた。

 魔王が、出迎えてくれたのだ。


「ただいま、マオ」


「にゃあ」


 呑気な鳴き声を一つ発したのち、魔王は肩に乗りながら目を細めた。

 

《随分と熱弁していたな》


(はい、とても良い時間でした)


 エリスの心の声は、どこか晴れやかだった。

 講義が始まる前の緊張や不安は、もうそこにはない。


《……言いたいことは、しっかりと言えたか?》


 魔王の問いは、珍しくエリスを気にしている声をしていた。

 その耳が微かに垂れており、心配している証拠だった。


(はい。ずっと胸の中にあったことを、ようやく言葉にできました)


《そうか》


 魔王は、たったそれだけ言った。

 そして、小さく尾を振った。


 魔王は決して素直には言えない。

 尊大な態度を崩さない。


 けれど、その不器用な態度の奥に、穏やかな温もりがあった。


(魔王)


《なんだ?》


(私に再びこのような人生を与えてくれて、本当にありがとうございました)


《……ふん》

 

 

 遠くでは、帰宅する学徒たちの声が聞こえるが、それも次第に遠ざかっていく。


 

 そしてエリスは、先ほどからずっと隣を歩く、ミリアの静けさに気づいた。


 彼女はずっと俯いたまま、一言も発していない。

 普段の明るさはどこへやら。

 

 その足取りは重く、影のように沈んでいた。


「……どうかしましたか?」

 

 エリスが声をかけると、ミリアははっとして顔を上げた。

 その目は少し潤んでいて、何かを必死に堪えているように見えた。


 ミリアはしばらく黙っていたが、やがて小声で呟いた。


「ねえ、エリス。さっきの討論で言ってたこと……本当?」


「言ってたこと、とは?」


「自分のことを引き摺らないでほしいって言葉。――あれは、本当にエリスが思ってることなの?」


 エリスの足が、自然と止まった。

 夕日が横顔を照らし、その表情を橙色に染めている。


 そして、少しだけ間を置いて、静かに頷いた。


 

「――はい。本当ですよ」


 

 ミリアも足を止めた。


 俯いたまま、声はさらに小さくなる。


「でも……引き摺らないでいたら、いつかみんな、勇者様のことを忘れちゃうよ。世界を平和にしてくれた救世主なのに。何百年も語り継がれるべき偉人なのに。そんなの……絶対おかしいよ」


 その声には、子供のような純粋な悲しみが込められていた。

 エリスは、その姿にかつての自分を見るような気がした。


 誰かを忘れたくない。

 誰かに忘れられたくない。


 そう願っていた、あの日の自分を。


 しかし、エリスは寂しく微笑んだ。



「それでいいんです」


「どうして……!」


ミリアが顔を上げる。その目には、涙が溜まっていた。


「勇者が何をしたか、誰が世界を救ったか、なんて百年もすれば、ただの物語になる。それはきっと、仕方のないことなんです」


「……そんなの、あんまりだよ」


ミリアの声が震える。エリスは、その肩にそっと手を置いた。


「でも、それでいいんです。たとえ誰かの心に残らなくても、私のことが忘れ去られても、この平和が続くなら……それでいい」


 エリスの声は、優しく、そしてどこか遠くを見つめるようだった。


 それは、講義の中でエリスが語った『勇者』という存在のあるべき姿だ。

 平和の世に、勇者という存在は記憶だけであっても必要ない。


 その時、ミリアが強く首を振った。

 ぱっと顔を上げ、エリスの目を真っ直ぐに見つめる。


 その瞳には、先ほどまでの悲しみが、決意に変わっていた。


 そして、我慢できなかったのか、エリスに急に抱きついた。


 エリスは困った表情をするが、ミリアは涙ながらに言葉を向けた。

 

「……忘れない」


「ミリアさん……」


「私だけは、絶対に忘れない」



 ミリアは、エリスの背中をギュッと抱きしめる。

 胸元に顔を埋め、肩を震わしながらも、気丈に振る舞おうと。


「勇者様が、エリスが、世界を救ってくれたこと。すごく優しくて、すごく強くて――大好きなエリスのこと。私だけは、絶対に忘れないから。いつまでも、そして、これからもずっと」


 夕日が、二人を包み込む。

 

 エリスは、しばらくその背中を摩っていた。

 そして、今自分の胸の中で泣きじゃくる少女に対し、エリスは思う。

 

 人に、こんな大切に想われていることは本当に嬉しい。

 かつて勇者であっただけの、今はただの村娘でしかない自分を、ここまで強く想っていくれるなんて。


 その尊さを思い切り噛み締めながら、心の中でつぶやいた。


 ――自分は、本当に幸せ者だ。と


 

 エリスは、深く目を瞑りながら、ミリアにそっと微笑んだ。


 

「ありがとうございます、ミリアさん」



 その声は、今までミリアが聞いたものの中で、一番優しかった。




◇ ◇ ◇ ◇



 いつの間にか二人の足は、学院から出ていた。

 エリスは宿に、ミリアは寮へと帰らなければならない。


 ここで、お別れなのだ。



 しかしミリアは、涙を拭いながら上目遣いをして、お願いをした。

 


「エリス、お願いがあるの」


「何ですか?」


 ミリアは一瞬躊躇したが、意を決して言った。


「……今日だけは、私と一緒にいてくれない? どこかに行ったりしないで、今夜だけでいいから」


 その声には、切実な願いが込められていた。

 エリスが何かを言いかけるより先に、ミリアは早口で続ける。


「だって……だって私は、エリスのことをちゃんと知りたい。『勇者論』で語られていたような『勇者』じゃなくて、目の前にいる『エリス』のことを。今まで、ずっと聞きたかったことも、話したかったことも、いっぱいあるんだ」


 少し詰まりながらも、ミリアは健気に喋る。

 エリスは、ミリアの言葉に胸が熱くなるのを感じた。


「わかってる。エリスは私に、いつまでも過去を引き摺ってほしくないって言ってくれた。それはすごく嬉しい。でも……私は『今』を大切にするために、エリスのことを覚えていたい」


 その言葉に、エリスは思わず笑みをこぼした。

 

 ミリアは、あの日と変わらない。

 屈託がなくて真っ直ぐで、誰よりも優しい元気な子だ。


「だから、お願い。今日だけは、私のわがままを聞いて欲しい。エリスと一緒に、ゆっくり話したい」


 ミリアは望んでいた。


 勇者であるエリスの話ではなくて、今のエリスの話を。

 好きな食べ物とか、どこに行ってみたいとか、そういう話を。


 等身大のエリスを、ミリアは望んでいたのだ。


 嬉しさが込み上げる己が心に、エリスは苦笑しながらミリアの手を握り返した。


「――わかりました。今日は、お邪魔させていただきますね」

 

 ミリアの顔が、ぱっと輝いた。


「本当!? じゃあ、早く帰ろう! 寮のおばさんに、友達が泊まると伝えないと! それから、夕ご飯、何がいい? この街、美味しいパン屋さんがあるんだよ。それに、市場で干し果物も買って……あ、エリスは何が好き?」


「私は、何でも美味しくいただけますよ」


「もう!何でもはダメダメ! はっきり好きなものを言って欲しい! ……それじゃあこれからエリスの好きなもの、一緒に探しに行こうね!」




 ミリアはエリスの手を引いて、都市の中を飛び出していく。

 

 夕暮れの光が、二人の影を長く伸ばし、ぽつりぽつりと灯る都市の光が二人のこれからを歓迎しているかのようだった。



 いつの間にか肩から降りた魔王が、遠ざかる二人の背中を眺めている。


 一人であることが当然であると言っていた勇者の少女。


 しかし今は、誰が見ても友人と共に楽しく街中をいく一人の少女である。


 そんな彼女を見ながら、魔王は目を細め、微笑しながら呟いた。

 


《――良かったな、エリス》


 

 その呟きは、誰にも聞かれることなく、魔王のみ響いていった。













====================================


ここまでお読みいただきありがとうございます。

作者の観葉植物です。


魔法都市編『勇者論』、いかがでしたでしょうか。

討論という形でのエリスの勇者という存在の問い掛けでしたが、読んでくださった皆様に少しでも、これも一つの『勇者』の在り方として受け止めていただけたら幸いです。


また、魔法都市編もいよいよ佳境に入ります。

次は久しぶりにエリスが戦うお話になっていくかと思います。


どうぞ皆様よろしくお願いします!


もしここまでお読みいただき、少しでもこの作品に対して何か思うところがありましたら、感想、フォロー、評価、全て大歓迎でございます!

一つ一つを噛み締めながら作者が泣いて大喜びします!


今後とも、よろしくお願いします!!

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