少女は語る。勇者とは、どうあるべき存在かを。
エリスの提示した意見に圧倒された学徒や研究者は、反応することができず、黙ってしまっている。
一方、立て続けに意見を提示し続けたせいか、エリスは息苦しさを感じ、少しだけ深呼吸を行った。
あれだけ緊張に塗れ、議論の応酬を見ているだけだったのが、嘘のようだった。
今は晴れやかな気分である。
そんなエリスに、オルディス教授が質問を投げかける。
「その高位魔術師というのは……もしやミストレイクという街にいるお方ではないだろうか」
まるで、知り合いのことを尋ねるかのような言葉だった。
「ええ。街を覆っていた深い霧も、今は晴れて美しき湖が広がっていますよ」
「……どうやら嘘ではないようだな」
「勿論です。嘘をつく意味がありませんから。医者のいないあの街に、再び『聖女』が動き始めたのも、この目で見ました」
エリスは肯定し、さらにあの街の出来事を伝える。
オルディス教授は安心したように目尻の皺が深くなった。
「……そうか。セシリア様が、ようやく立ち直られたのだな。――本当に良かった」
「セシリアさん……いえ、『聖女』様とお知り合いなんですか?」
「ああ、彼女もここに長い間在籍していた。非常に優秀な方で、誰もが尊敬していたよ」
懐かしむように、かつてセシリアがこの場にいたことを思い出す。
その口ぶりからして、学院でもかなりの有名人なのだろう。
場にいる者たちの『セシリア様が』という言葉がところどころ湧き始めた。
エリスの言ったことは嘘ではない。
それを確信したオルディス教授は、息を大きく吐きながら主張した。
「――皆の者。今の意見、大いに傾ける意味のあるものであることを覚えておいてほしい。彼女が言ったことは間違いなく真実であるからだ」
講堂内は再び騒めき、ある学徒はメモをとっていなかったことを後悔し、とある研究者は今までの考えを覆されたことに頭を抱えてしまう。
各々が、エリスの語った贖罪を負っていた者達についてを噛み締め、自分の意見を考え始めている。
当の本人であるエリスは微笑みながら、ただまっすぐ前を向いていた。
「あと一つだけ、言いたいことがあるのですが」
再び意見を提示するために、挙手をしながらエリスは希望する。
場にいる者たちは音を消し、エリスの意見を逃さないよう集中した。
心遣いに感謝したエリスは、礼をして再び意見を紡ぎ始めた。
「……先ほどの三名の方々は今を生きるべく、前を向いていました。贖罪の意識は消えてはいないけれど、それに縛られてもいませんでした。――いつまでも笑っていられるように」
そこでエリスは、講堂にいる全員に言葉を投げかけた。
「――皆さんは、勇者が『永劫回帰の儀』で炎に包まれる前に告げた言葉をご存知ですか?」
場にいる者達は顔を見合わせ、首を横に振り、考え始めるが一向に分からないままだった。
それもそのはず。
――勇者が告げた最後の言葉は、この世にあるどの書籍にも記載されていない。
その場にいた、処刑される勇者を間近で見た者のみが知っており、他者に言いふらすようなことはできなかったからだ。
「……どんな言葉か、お聞きしてもよろしいかな」
オルディスは興味深いように、エリスに尋ねた。
そしてエリスは胸に手を置きながら、かつて経験したあの時――『永劫回帰の儀』の時を繰り返すように話た。
「『どうかいつまでも笑っていてください。皆さんが笑顔でいてくれる……それだけで、悔いなく旅立つことができる』――勇者はそう言っていました」
「そ、それじゃあ……!」
隣にいるミリアが驚愕の声を上げる。
確信した物言いだったが、周囲の反応も同じようなものだった。
エリスは頷き、肯定する。
「ええ。青年兵士の方含めた三名とも、勇者の最後の言葉の通りに生きようと思っていたのかもしれません」
そして、最後にエリスは再び咳払いをする。
自分の意見をまとめ、述べるために。
講堂内に響くのは、エリスの声だけとなっていた。
――誰もが、エリスの意見を深く傾聴し、静まり返っていたのだ。
「だから、私は思うんです。――勇者は、自分のことを引きずって欲しくない。今を生きてほしい、と」
それが、勇者であり、エリスの結論であった。
言葉を終えたエリスは、妙な満足感を得ていた。
目を瞑り、ほっと一息吐きながら、深呼吸をしている。
講堂内はしばらく沈黙で占められていた。
しかし――
「――素晴らしい! あなたの意見、この場で聞けて光栄でした!」
一人の学徒の賞賛と共に、万雷の拍手と歓声が講堂内に湧き上がった。
「勇者について、これほど説得力のある論を立てる者がいるとは……しかもあんなお若いとは、勇者論の将来はきっと明るいな!」
「あの子、この学院の生徒だよね? 知らない子だ……でもすごい! 本当にすごかった!」
「クソッ!もっと真面目に彼女の言葉の一句一句を書き写しておくべきだった……! あんな論、今後聞くことができなければ一生後悔する……!」
ただ一人の少女の意見でしかない。
しかし、その言葉には強い説得力と、真に迫るものがあったため、場にいる者たちに深い感銘を与えたようだ。
教授であるオルディスすら、そう思っていた。
「……静粛に!」
場をまとめるため、オルディスは三度、大きく手を叩いた。
パン、パン、パンという破裂音が学徒たちを我にかえらせ、自身も咳払いをする。
しかし、オルディスも彼らの気持ちがわからないわけでもなかった。
自分も、エリスの意見に深く心を揺さぶられた一人だったからだ。
だから最後に、オルディスはエリスに尋ねた。
「意見の提示、誠に感謝する。……本当に素晴らしかった」
「いえ、それほどでもありません」
「……最後にひとつ、聞きたいことがあるのだが、よろしいかな」
「――勿論」
オルディスの瞳に深い光が宿ったのを見て、エリスは察した。
――今から提示される問いが、『勇者論』の真の核となる問いであることを。
「――勇者とは、どうあるべき存在だと思うか」
その問いかけに、エリスは目を瞑りながら少しだけ考えた。
――勇者。
かつての己の残影であり、それでも今の自分を構成している存在。
その存在は、今も己の旅をする目的として息づいている。
自分であるのに、もはや自分ではない過去の存在。
そんな彼女に、己自身に語りかけるように、聞いてみる。
――勇者とはどうあるべきか、と。
かつての勇者であった己が、微笑みながら語りかけてくれる。
それを、今ここにいる皆と共有するために。
エリスはゆっくりと、はっきりと言葉を紡いでいった。
「勇者とは――人々が悲しみに暮れる時には立ち上がり、その力となるべき存在です」
その存在意義は、己がかつて勇者であった頃から、その手で、その足で実行してきた内容だった。
「誰かが助けを求めれば、即座に駆けつけ、助けに行く。誰かが苦しんでいれば、すぐに手を差し伸べる。どこかで困っている人がいれば、例え自分が苦しい状態にあったとしても、まっすぐ向かっていく」
ただ、誰かのために、何かのために自分を蔑ろにして、助けに行く。
「――ただ、それだけのために、勇者は存在していたのでしょう」
講堂の誰もが、息を殺して聞き入っている。
「そして、世に平和が訪れ、人々が笑顔で暮らす頃にはその役割を終えたと悟り、一人で静かに消えゆくべき存在でもあります。――例え、長い時の中で、己の存在が忘れられてしまっても、人々が平和に過ごしていれば、それでいい」
寂しげに微笑みながら、エリスはただ己の赴くままに意見を紡いでいく。
――それが、勇者であった己が、今ここでやるべきことだったから。
「自分の力がどれだけ危ういか、誰よりも理解していたからこそ、自らの消え方を選ぶ。誰にも迷惑をかけず、誰にも悲しみを残さないように」
見返りを求めず、ただ献身の心を持って行動し、そして消える時は一人孤独に消えていく。
あまりにも悲しい末路だけれど、それでよかったのだ。
「それが、勇者という存在のあるべき姿だと思います。――きっと彼女なら、そう言うと思うから」
魔王という、人類の脅威が発生し、人々が恐怖に慄く時、唯一立ち上がる存在だった。
そして、同時に見返りを求めない、他者の救済を優先する存在だった。
勇者エリスは、人々を救うために生きた。
そして、人々を縛らないために消えた。
それが、エリスの定義する「勇者」という存在だったのだ。
「――その意見を聞けて、本当に良かった」
オルディスは深く感謝し、深く礼をした。




