『勇者論』その五 〜我々はこの事実を持って何をすべきか〜
最後の議題――『我々はこの事実を持って何をすべきか』
それが提示された途端、先ほどまでとは違い、挙手をする人数が明らかに増えていた。
皆、勇者に対する考えを持っており、共有したいのかもしれない。
自分の正しいという意見を、誰かに認めて欲しいのかもしれない。
――それでいい。意見を提示することを恐れるな。
オルディス教授は、深く皺を刻むような、優しい笑みを浮かべていた。
そして最初に手を上げたのは、中段に座る眼鏡の青年である。
「二度とこのような悲劇を繰り返さないために、制度を構築すべきです。たとえ最強の英雄であっても、国が排除しなければならない状況を作らないためのシステムを」
勇者の力の暴走を、受け止める仕組みを持つことが重要だという意見。
しかし、一段下の席に座る同年代の青年に、軽くあしらわれる。
「誰が管理するというんだ。 勇者の力は未だ解明されていない未知のものだ。簡単にものを言うべきではない」
「ぐっ……確かに……!」
ぐうの音も出ない物言いに、青年は悔しげに座る。
しかし、他にも何か意見を提示できないかを手元の手帳に筆を走らせ始めていた。
自分の持つ意見を否定されても、別の意見を考えればいい。
積極的な青年の行動に、教授は笑顔で頷いた。
第三列にいた少女から、別の視点が提示される。
「それよりも、真実を明らかにすべきだと思います。勇者が何をされたのか、なぜそうなったのかを」
「……その理由は?」
「真実を知る権利が民衆にはあります。多くの民衆は勇者が『概念』になったと信じていますが、それは国が流した虚構に過ぎない」
しかし負けじと疑問を呈し、さらに深掘りをしようとする者も出始めた。
「だが真実を知ったら、国への信頼は失われる。復興が進む中、余計な混乱が生まれるだけでは」
「それでも、隠し続けることが正しいのでしょうか。勇者は、最後まで誠実であろうとした。国もまた、誠実であるべきではありませんか」
「理想論に過ぎん。真実の公表には時期があり、国が不安定な状況で真実を明らかにすれば、混乱はまず避けられん。復興が一段落してからでも遅くはない」
「それは結局、都合の良い時に真実を明かすということでしかない。いつが適切な時期か、誰が決めるのか。 決められないまま、結局は隠し続けることになるのではないか?」
議論は深まるが、平行線をたどる。
どの意見にも一理あり、どの意見にも欠点がある。
誰もが正しさを求めながら、その正しさの形は一つに定まらない。
議論が収束しない中、講堂に少しの沈黙が訪れた。
その時を狙っていたのかはわからない。
「あの……私も、少しだけ意見を言ってもいいでしょうか」
――エリスが、ゆっくりと立ち上がったのだ。
隣でミリアが目を丸くするが、エリスは止まらない。
最上段の隅から全体を見渡す彼女に、講堂の視線が一斉に向かった。
「――どうぞ」
恐る恐る聞くその態度に、オルディス教授は不思議なものを感じ取る。
この少女の意見――逃すわけにはいかない、と。
「ありがとうございます。……では」
教授の許可を得たエリスは、深く息を吸い、真っ直ぐ前を向いた。
「『勇者』はきっと、自分のことを引きずってほしくない。……そう思っているんじゃないかと考えています」
行動に微かな騒めきが広がった。
今まで提示されたことのない意見だったからだ。
世界を救ったのに、その力を危険視され、消えなければいけない。
そんな過酷な運命なのに、それでいて引きずって欲しくないとは。
それは、あまりにも悲しすぎる自己犠牲の精神だった。
場にいる者達はエリスに反論をしない。
いや、できなかった。
自分の反論のようなことを、勇者が言うわけがない。
それを無意識に感じ取っていたからだ。
だからこそ、壇上のオルディス教授はエリスに問うた。
おそらく自分しか、尋ねることができなかったから。
「――なぜ、そう思う?」
エリスは今までの旅を思い出すかのように胸に手を当て、遠い目をしながら教授を見た。
「私は現地調査をする際に、『永劫回帰の儀』に関わった方たちにお会いする機会がありました」
「えっ……!?」
ミリアが小さな驚愕の声をあげた。
エリスが旅の中で、彼女を見殺しにした人達に会う機会があったとは、思わなかったからだ。
「――今から、その方々から聞いた話を、皆さんにお伝えしたいと思います。……よろしいでしょうか?」
「……どうぞ」
オルディス教授は深く頷き、エリスは語り始める。
目を瞑りながら、この旅で出会った贖罪に苛まれていた者達を思い出し始めた。
「まず、とある村で出会った青年兵士の話です。彼はかつて、王都に所属する兵士でした。彼は勇者が監獄にいる時も、火炙りにされる際にも、その場にいました」
それは、自分の命を粗末にし、村のために尽くしていた青年のこと。
「また別の街では、陛下直属の侍女だった方と出会いました。勇者が儀式に出向く、最期の時を迎える為のお世話をしたそうです」
それは、『看取り師』と呼ばれ、勇者を見捨てたことを悔やみながら、人々の最期の時を見送る仕事を続ける女性のこと。
「そして、もう一人。とある湖畔の街で、高位魔術師の方に出会いました。その魔力は、勇者の力を封じるために利用されたとのことです」
それは、『聖女』と呼ばれた、己の忌まわしき力を封印し、修道院に引きこもっていた女性のこと。
「皆、それぞれが勇者のことを悔やみながら生きていました。しかし、後悔しても勇者はもう概念と化し、消えてしまった。悔やんでも悔やみきれなくて、命を絶つことすら考えた人もいました」
講堂内が沈痛な空気に覆われる。
おそらく皆、自分が彼らと同じ立場だったとしても、同様に後悔に苛むことになっていたに違いないと思っていた。
「――ですがある時、夢を見たそうです。三人の方々全員が同じような夢を。……それは、概念と化した勇者が目の前に現れた夢でした」
講堂は静まり返り、エリスの澄み渡るような優しい声が響いていく。
まるで、詩人が聞き手に言葉を届けるように、ゆっくりと。
それでいて、しっかりとした意志を持つ言葉だった。
「信じられませんよね、皆さん同じ夢を見ただなんて。それも、勇者に対する贖罪を負っているという共通点がある人達が。――ですが、話してくれた彼らの目は真剣なものでした」
だからこそ、これは偶然ではなく運命である。
エリスはそう言いたげに、微笑んでいる。
「勇者に対する贖罪の意思が、赦してほしいという本人の気持ちが夢となったのかもしれません。都合がいいと思われるかもしれません。――ですが、夢の中で彼らが聞いた勇者の言葉は、まさに勇者本人のようだったとのことです」
勿論、レオをはじめとした者達は夢の中で勇者と出会ったわけじゃない。
勇者本人であるエリスと出会い、その言葉を持って赦されたのだから。
その赦しの言葉を、エリス本人が紡いでいく。
「青年兵士の方には『死んでしまうことは償いじゃない。精一杯生きて、できる限り多くの人を救ってあげてください』と言ったそうです」
レオに対して言った言葉は、命を粗末にすることを否定し、生きることを望むもの。
「陛下直属の侍女の方には、『たとえ罪滅ぼしのためにした仕事であってもいい。これからも、誰かの最期に寄り添ってあげて欲しい』と言ったそうです」
リリィに対して言った言葉は、過去の罪から始めた仕事でも、それが尊い使命であれば、誇りを持って続けてほしいと望むもの。
「高位魔術師の方には、『これからもあなたを必要としている人がいる限り、救ってあげて欲しい』と言ったそうです」
セシリア対して言った言葉は、己と同じ他者への献身の尊さを持っていることを誇りに思っていること。
そして、どうかこれからも、人を救う『聖女』であってほしいと望むもの。
「勇者は彼らに対し、『過去の罪の象徴』である己を引き摺らないで欲しいと願った。そして、平和になった『今』を生きてほしいと望んだのです」
贖罪に縛られ、罪という名の牢獄に閉じこもる必要はない。
今を生きて、自分のできることをしてほしい。
勇者は――『エリス』はそう望んだのだ。




