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『勇者論』その四 〜陛下の決断は間違っていたのか〜


 第四の議題――『陛下の決断は間違っていたのか』


 提示された議題に、エリスは場の空気が重くなるのを感じた。

 

 責任がない立場から意見することは簡単だ。

 陛下と同様の立場でこそ、勇者を処刑したという判断が妥当であるかを評価できる。

 


 だからこそ、誰もが意見を出そうともしない状況に陥ってしまっていた。



 そんな学徒たちに 、オルディス教授は助け舟を出した。



「責任がないからなんとでも言える。それは確かであるが、例えそれが極論でも、軽はずみな言葉でも、意見は意見だ。その中から、光るものがあるかもしれぬ。――己の正しいと思うものを、どうか提示して欲しい」


 

 教授の言葉に、場にいる者達は顔を見合わせる。

 

 そして、目に光を宿らせ、意見を練り始めていった。

 

「えっと、あくまで私個人として思ったことですが……」


 最初に提示された意見は、最前列にいた学徒の少女のものだった。


「……判断自体は間違っていなかったと思います。勇者の力が暴走すれば、魔王以上の脅威になり得た。先手を打つ必要があったのは理解できます」


 背後にいる上段の青年が、勢いよく挙手をした。


「しかし、方法は他にもあったはずです! たとえば、勇者の力を管理する組織を作るとか、彼女自身に一定の制限を課すとか……」


「でもそれは、力を悪用する者に狙われる危険性が高まるだけではないでしょうか」

 

 別の学徒が手を上げる。


「もし管理するとなれば、勇者が狙われないような体制が整えられると思われる。信頼できる少数の者だけで構成すれば、情報漏洩のリスクも抑えられる。全くの無策よりは、ずっとマシだったはずだ」


「しかし、その『信頼できる少数』を誰が選ぶ? 陛下が選べば結局は陛下の意向に沿った組織になる。勇者自身が選べば、それを主軸としてクーデター予備軍と見做される危険性がある。なにせ世界を救った英雄だ。陛下よりも支持する者は多いだろう」


「制御はできないのか? 魔力を枯渇させ、一時的に力を封印することに成功した。ならばそれを永続的に続ければ……」


「誰が管理するというのだ。魔力を枯渇させるということは、あの拷問にも等しい投獄を行うことが前提だ。しかも、民衆の前に出すことはできないため、永遠に軟禁するしかない。――それこそ、非人道的だ!」


「そもそも勇者の力とは解明できているものなのか? ここで管理する、制御すると言っても、未知の力に等しいものであれば想定外のことが起きた時に対処なんてできないのでは?」


「……やはり、陛下の判断は正しかったのかもしれん」

 

 議論は尽きない。

 どの案にも利点と欠点があり、完全な解決策は見つからない。


 その時、研究者の一人が重い口を開いた。


「……皆が忘れている事実がある。勇者は儀式の前に、どれだけ凄惨な目にあっても、彼女は自分が処刑されることを肯定していた」


 講堂が静まり返り、その意見を一斉に傾聴し始めた。

 

「だが、それでも彼女は誰にも助けを求めなかった。抵抗もせずに監獄の中で、ただ静かにあの日が到来するのを待っていた――それは勇者自身、この方法しかないと理解していたからではないか?」


 己の力を知る者が、制御や管理を望まず、ただ己の消滅を願う。

 第三者から見れば、消滅するのが最善だと理解していたからとしか思えない。


 だからこそ、ミリアは恐る恐る聞いた。

 ――隣にいる、当事者であるエリスに。

 

「……あのさ、エリス」


「……私自身、あの力を正確に理解していた自信がありませんでしたから」


「そ、それじゃあ……!?」

 

「ええ。――だから、仕方がなかったんです」

 

 二人だけで共有できるよう、お互いの耳元で囁くように話す。

 寂しげな表情をするエリスに、ミリアは心が傷んだ。


「……ごめん。辛いこと思い出させちゃって」


「大丈夫ですよ、全ては過去のことですから」 



 仕方のないことだった。

 他に選択肢はなかった。

 

 昨日、エリスが見た『永劫回帰の儀』に関する本にも、肯定論として書かれていた通りだ。


 しかし、最上段に座る、とある一人の少女が今までにない意見を提示してきた。


「……勇者が望んだから、とは言いますが、勇者には、他に手立てがないことを確認したのでしょうか」


 場の空気が凍りついた。

 ミリアはもちろん、エリスも目を見開き、言葉が出なくなる。


「世界を救った英雄を火炙りにするのに、まさか確認も取らず、あらかじめ決まっていることを伝えただけ、なんてことはないですよね? 勇者がそれを否定しなかったから、彼女はこの末路を受け入れたはずだ――それって、あまりにも勝手すぎる判断じゃないですか?」


 言うなれば、勇者のやさしさにつけこんだということだ。

 国の都合が良い方法に帰結させるために。

 

「たとえ監獄に閉じ込めるにしても、人道的な扱いは可能だったはず。それができなかったのは、国が勇者を『人』として扱っていなかったからでは?」


 少女は一呼吸置き、さらに言葉を重ねる。


「処刑を急ぐ意味はあったのですか? 勇者の力が暴走しない手立てを、魔術師も、陛下も、民衆も、勇者と共に考えるべきだったのではないでしょうか」


 重い沈黙が、講堂全体を包み込んでいる。


 誰もが、自分の胸に問いかけていた。

 もし自分があの時、あの場所にいたら。


 勇者の隣に立つことができたなら、何か変わったのだろうか、と。


 

 オルディス教授が静かに口を開いた。


「……第四の議題に関する議論を振り返って、私なりの総括を述べさせていただく」


 彼は聴衆を見渡し、ゆっくりと言葉を紡ぎ始めた。


「結論から言えば、この問いに『正解』は存在しない。それは最初に申し上げた通りだ。しかし、議論を通じて、一つだけ確かなことが見えてきた」


 教授は少し間を置き、言葉を選ぶように続ける。


「陛下の決断は、ある視点から見れば合理的だった。勇者の力がもたらす危険性、それを制御することの困難さ、当時の国が置かれていた状況――これらを考慮すれば、先手を打つ必要があったという意見には、十分な説得力がある」


 彼は最前列の少女に軽く頷いた。


「しかし、同時に我々は問わなければならない。合理性の名の下に、見過ごしてきたものはなかったか、と。勇者という一個人の尊厳、彼女が『人』として扱われる権利、そして――彼女自身が選ぶことのできなかった、もう一つの可能性」


 講堂が静まり返る。


「管理組織、制御、封印、力の分散。これらの案にも、確かに問題はあった。完全な解決策とは言い難い。しかし――」


 教授の声に、初めて感情が込められた。


「勇者と共に考える時間を、我々は奪ってしまったのではないか。他に方法を探る機会を、彼女に与えなかったのではないか。それが、本日の議論を通じて、私が最も強く感じたことだ」


 彼は最上段の席――先ほどの少女が立っていた場所を、一瞬見上げた。


「勇者は、誰にも頼れなかった。誰も、勇者が頼られることを許さなかった。その指摘は、的を射ている。強すぎることが彼女を孤独にしたのではなく、誰もその強さの裏側にある弱さを受け止めようとしなかったことが、彼女を追い詰めたのだ」


 深い沈黙が、講堂を支配する。


「ゆえに、陛下の決断が『間違っていた』と断じることは、私にはできない。しかし――『より良くできた』と考えることは、決して許されないことではないだろう。いや、むしろ我々は、そう考えなければならない。なぜなら、それが勇者の犠牲を無駄にしない唯一の道だからだ」


 教授は深く息を吸い、静かに締めくくった。


「第四の議題の総括とさせていただく。――我々は、強大な力を持つ者を、『人』として扱うことを忘れてはならない。そして、その力を『管理』『制御』と括る前に、その人自身と向き合うことを、決して放棄してはならない。それが、本日の議論が我々に示した、一つの答えである」


 講堂に、静かな拍手が沸き起こった。

 それは盛大な称賛ではなく、それぞれの胸に刻まれた言葉への、静かな同意だった。


 教授は拍手が収まるのを待ち、改めて聴衆を見渡す。


「さて――第五の議題、そして本日最後の議題としよう」


 その声に、講堂の空気が再び引き締まる。


「第五の議題は――『我々は、この事実を持って何をすべきか』である」


 提示された議題に、学徒たちは互いに顔を見合わせる。


 先ほどの重い議論の余韻が、まだ場に残っていた。


「勇者は消えた。あの日、清浄なる炎と共に。その事実は、何者にも変えられない。しかし――」


 教授はゆっくりと、言葉を選びながら続ける。


「我々は、その事実をどのように受け止め、どのように未来へ繋げていくのか。過去を変えることはできない。だが、未来を選ぶことはできる。それを、どう紡いでいくのか――それが、最後の議題である」


 彼は一呼吸置き、優しくも力強い声で言った。


「繰り返すが、この討論に正解はない。ただ、己の信じる道を、言葉にするだけだ。勇者が教えてくれたこと、勇者から託されたこと、そして――勇者に問いたかったこと。それぞれの胸にあるものを、どうか、教えてほしい」


 講堂内には静かだが、確かな熱が生まれている。


 学徒たちはそれぞれ、自分の中に芽生えた言葉を必死に紡ごうとしていた。



 そんな誰もが真剣に、勇者のことを考えてくれている。


 嬉しいはずなのに、どこかこれは違う、と思ってしまう自分がいる。


 ――その空気に、エリスは心を痛めていた。

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