カインの幼馴染は語る。当時起きた出来事を。
カインとの接触を始めてから三日が過ぎた頃のこと。
エリスは相変わらず村の小さな宿に泊まりながら、毎日決まった時刻にカインの小屋を訪れていた。
初めて会話したあの日から、一度もしっかりと話せていない。
しかしエリスは挫けず、なおもカインとの会話を試みようとしている。
そして今日もまた、エリスはカインの小屋の側にいた。
入り口から程よい距離をとりながら、即席で作った木の椅子に座って静かにカインが出てくるのを待っている。
肩の上の魔王は、昼寝でもするように目を細めていた。
《あの小僧、相変わらず頑なだな。なかなか心を開かぬ》
「ええ、でもこういうのは時間をゆっくりとかけるべきことですから」
エリスが魔王にそう囁いた時、一人の少女がおずおずと近づいてくるのが見えた。
年齢はカインと同じ十歳前後のようにも見える。
よく手入れされた茶色の三つ編みが特徴的で、洗いざらした服にはいくつか丁寧な継ぎ当てがしてあった。
少女は周囲をきょろきょろと見回し、誰かに見られていないことを確認するようにしていた。
「あの……すみません。旅のお方、ですよね?」
少女はエリスを見つめ、恐る恐る声をかけた。
その腕の中には、様々な果物が大量に詰まれた重そうな籠を抱えている。
「はい、名はエリスと申します。何か御用ですか?」
エリスが優しく応じると、少女は籠をぎゅっと抱え込むと、顔を見上げながら言った。
「カインくんのことなんですけど、元気にしていましたか? 最近、あなたが話しに来ているのを見かけて……」
エリスは驚いた。
これまでカインを気遣う村人はほとんどいなかったからだ。
少女はカインの小屋の入り口にそっと果物のはいった籠を置くと、そそくさと距離をとった。
その行動には、カインに対する怯えのようなものが見え隠れしている。
「それは……もしかしてカインさんの食べ物ですか?」
「あ、はい。大体三日おきに持ってきているんです。私がカインくんにできることなんて、これくらいしかないから……」
その言葉を聞いたエリスは、少女のために即席の椅子を空け、招くように手を振った。
「……あなたはカインさんのお知り合い、ですね。もしかして、カインさんの力について何か知っていたりしますか?」
「……私、ルナっていいます。昔、カインくんの謎の力で怪我をした一人です」
少女は俯き、声をひそめて言った。
その目には、複雑な感情が渦巻いているのが見て取れる。
「っ! ……そうだったんですね、お身体はもう大丈夫なんですか?」
「はい、大丈夫です。そもそも大した怪我じゃなかったですし、ほんの少し膝を擦りむいただけでした」
ルナはスカートを捲り上げ、膝小僧をエリスに見せる。
今はもう傷痕一つない、綺麗な膝であった。
「カインさんの力について、村の人から話を聞いております。……覚えていたらでいいのですが、当時、何か異変のようなものはありましたか?」
「いえ……思い出す限りでは特に何も。カインくんが急に身体が熱いと蹲り始めたくらいでしょうか」
「そうですか……」
原因を解明する手がかりはないようで、やはり本人に聞くしかないようだ。
エリスは顎に指を添えながら、カインと話すための打開策を考え始める。
すると、ルナが当時の状況を続けて話し始めた。
「……カインくんのあの力は、今思い出しても怖い。あの時は運が良かったから軽い怪我で済んだけど、いつ大怪我するかわからないから」
「カインさんも、自分では制御できないとのことをおっしゃってましたから仕方ないですよ。……ですが、ルナさんはカインさんのことを放って置けないんですよね?」
「……本当は、前みたいに仲良くしたい。でも、あの時以来、近づくのが怖くなってしまって……本当にごめんなさい」
「謝らなくて大丈夫です。誰だって、怖いでしょうから。むしろ、カインさん自身もそう思ってますよ、きっと」
エリスは静かにうなずきながらルナを肯定しつつ、そしてその肩に手を添えた。
「未知のものに対する恐怖は自然な感情ですから、お気持ちはよくわかります。私だって、その場にいたらきっと恐怖してたでしょう」
「でも……でも……」
ルナの声が震え、目尻が赤くなった。
「カインくんがひとりぼっちなのは、私にも責任があります。怪我をした時、もっと平気だよと主張したり、落ち着いていれば……だって、あの事件の前までは、皆仲良く一緒に遊んでいたんです」
ルナは後悔に苛むように俯き、膝の上で握り拳を作る。
その上に、一粒、二粒と水滴が落ちていき、頬にはとめどなく涙が流れていた。
エリスはルナの後悔に強く共感し、そしてその瞳を真っ直ぐに見つめ、優しく問いかけた。
「ルナさん――あなたは今、どうしたいのですか?」
「えっ……?」
「カインさんは今、人を信じることが難しい状況になっていると思います。だから、この状況を変えるには、カインさん以外の人が動かなければなりません」
「…………」
「怖いのであれば仕方ありません。いつか恐怖が無くなるまで、こうして時が経つのを待つのもいいと思います――ですが、ルナさんは、そうは思っていませんよね?」
ルナは唇を噛みしめ、涙で曇った目を上げた。
「……私は――カインくんともう一度、話す機会が欲しい。怪我をするのは怖い……だけど、もう一度だけでも、話すことができれば……!」
透き通った涙声が、小屋前に響き渡る。
おそらく、中にいるカインにも、ルナの主張は聞こえたはずだ。
しかし、それでも何も反応を示さなかった。
だけど、今はまだこれでいい。
「カインさん。ルナさんの言葉、聞こえましたね。今日とは言いません。また今度、落ち着いた頃に一度、お話しする機会を作りましょう! 私も、その際にはお供します!」
おそらく扉の向こうで話を聞いているカインに、聞こえるような声でエリスは大きく話しかける。
真っ直ぐとした姿勢から放たれる澄んだ声は、カインの耳にきっと届いているはずだ。
「――今日はとりあえず、ここまでにしましょう。また明日、明後日、その次の日にでも、カインさんとお話しする機会ができれば」
「はい! ……カインくん! 美味しい果物とパンを持ってきたから、よければ食べてね!」
そうして、エリスはルナと共にその場をあとにした。
そして少し歩いていると、背後から扉が開いた音がした。
エリスもルナも、あえて振り向かない。
今振り向いて、駆け寄ったとしても頑なに心を変えないのはわかっていたからだ。
「ルナ……エリスさん……」
二人の背中を眺める少年の顔は複雑な顔をしている。
だがそれ以上に、自分が心を閉ざしてしまっていることを悔やんでいるようにも見えるのであった。




