呪いの子との出会い
夕暮れが辺境の地を包む中、エリスは魔王を連れて小さな村へと続く道を歩いていた。
空は茜色から濃い紫色へと移り変わり、遠くの山並みはシルエットだけを残して闇に飲まれていく。
この数日間、人間の気配を追って黙々と旅をしていたが、ここに来てようやく人の暮らしのある場所に辿り着いたのだった。
《随分と閑散とした村だな。活気がまるで感じられん》
「そうですね……何かあるのかもしれません」
エリスの第六感が、微かな違和感を捉えていた。
それは悪意や敵意ではなく、むしろ――隠すような、怯えるような空気だった。
「ん? あの小屋は……」
村の入り口に辿り着く前に、一軒の小屋がぽつりと建っているのが目に入る。
荒れ果ててはいないが、明らかに人の手入れが行き届いているとは言い難い、寂れた外観となっている。
それはまるで、意図的に隔離されているかのようであった。
そして、小屋の前に一人の黒髪の少年が佇んでいる。
彼は村の方へと続く道を、じっと見つめていた。
(あの子は……?)
エリスの胸に、微かな疼きのようなものが走る。
第六感が鋭く反応した証であり、なにか普通ではないことが起きているのが明確であった。
年齢は十歳前後だろうか。
粗末な衣服をまとい、特に印象的なのはその黒く乱れた髪と、夕焼けに映えて不気味なほどに赤く輝く瞳であった。
その瞳は年齢の割に深く、諦めに満ちていた。
《どうしたエリス。あの小僧に何か用か?》
「……ええ。あの子、何だかとても寂しそうで……胸が苦しくなるのです」
エリスには、少年の全身から滲み出る深い孤独と、諦観に似た静かな悲しみが手に取るように伝わってくる。
かつて勇者であった彼女の持つ、卓越した“共感力“がそれを察知していたのだ。
《ふん。見た目だけなら、ただのやせ細った小僧だが――》
肩の上の黒猫は不満そうに尾を振りながら、真剣味を帯びた声を出す。
しかし、急に思い返したのか、その言葉の続きを明らかにしなかった。
《……いや、確証を持てぬことは言うべきではないな。村の者に聞いてみればわかるかもしれん》
「……魔王?」
珍しい魔王の態度に、エリスは疑問に思う。
それは、明らかに口に出したくなかったという魔王の想いであることはわかっていた。
それだけに、魔王が何を感じ取ったのかが気になるのであった。
(あの赤い瞳。そして、かすかながら感じる魔力の残滓。もしや奴は――)
魔王は、自らの記憶を探る。
かつての配下にあのような幼な子がいなかった。
だとすれば――。
(……止めだ。村の者に聞けばはっきりとするはずだ)
魔王は頭に過った可能性に目を瞑り、エリスと共に村に訪れるのであった。
◇ ◇ ◇ ◇
村の入り口に差し掛かると、数人の村人が立ち話をしていた。
しかし、旅人であるエリスの姿を見るなり会話をぱったりと止め、警戒した目を向けた。
「あの……旅人ですが、泊まる場所を探していまして」
エリスがそう告げると、村人達は顔を見合わせてホッとしたような顔をする。
そして、それぞれが口を開いていく。
「なんだ旅人さんか。何もない村だが歓迎するよ、お嬢ちゃん」
「よかったらあそこの宿を使いな。うちの村には見せ物はないが、安く泊めてもらえるよ」
最初は警戒心に満ちていた表情が和らいでいく。
優しい村人に感謝し、礼をしながらエリスは次の話題に移る。
「ありがとうございます。――ところで、村の外れの小屋に住んでいる、黒髪の少年について、ご存知でしょうか?」
エリスのその言葉で、村人達の表情が一瞬で曇った。
互いに顔を見合わせ、ため息をつく者もいる。
その目には、複雑な色が浮かんでいた。
「カインのことか。……あの子とは関わらない方がいい」
「……どういうことでしょう? もし差し支えなければ、お聞かせいただけませんか」
村人達はそれぞれ顔を伺い合い、陰鬱な表情になる。
先程までの笑顔が全くと言っていいほど見えなくなった。
「あの子は『呪いの子』だ。お嬢ちゃんみたいな旅人は、関わらない方が身のためだよ」
呪いの子。
――その言葉に、エリスの胸がざわりとした。
「なぜ、そう呼ばれているのですか?」
「あの子の両親の話からしなければなるまい。そして、決していい気分になる話ではないが……それでもいいのであれば。もちろん、知らない方がいいとだけは言っておこう」
「構いません。お願いします」
エリスの頑なな意志が籠った瞳を向けられた村人はしばし考え込み、ゆっくりと語り始めた。
◇ ◆
「魔王がまだ幅を利かせていた時代の話だ。魔王の配下の騎士を名乗る男と、この村の一人娘が、どういうわけか心を通わせてな。異なる種族のモノ同士が、だ」
「そ、そんなことが……」
《……ふむ》
エリスの目がわずかに見開かれる。
そんな事実が存在すること自体、考えたことすらなかったからだ。
一方、心の中に直接響く魔王の声には仄かな驚きと共に、興味深そうな感慨が込められていた。
「そりゃ驚くだろうね。魔族の騎士は、魔王軍の中でもかなりの強者だったらしいが、なぜか情の深い男でな。村には一切危害を加えず、むしろ魔物から守ってくれたこともあった」
「だからこそ、村も彼と――リーンと呼ばれた娘の関係を、完全には否定できなかったんだ」
村人達は互いに懐かしむように、遠い目をしながら語っていく。
「魔王軍が各地でその勢力を伸ばしていく中、彼らは子供を授かった。それがカインだ」
「魔王がいなくなってからではなく、猛威を奮っていた頃、ですか」
「カインが産まれてからも、魔王の手先は騎士を軍に戻そうと村を襲おうとしたんだが、全て返り討ちにして村を護ってくれたんだ。――彼は、結局名乗ることはなかったが、間違いなく英雄だった」
《……余の配下ではあった頃から、余よりも命を賭する存在が他にできた、というわけか。――中々に興味深い》
それは、当時魔王の配下であったにも関わらず、主の命令に背いて敵である人間側についたということだ。
その選択をする背景は、尋常ではないほどの覚悟があったに違いなかった。
「……だが騎士とリーンはある日、急に消息を絶った。その理由はわからないし、村の皆も必死に探したよ。……だが、結局見つかることはなかった」
「カインさんを、置いていかなくてはならない事情があったのでしょうか?」
「あいつらは、子供を捨てて逃げるような責任感のない者達ではない。だからきっと何か事件に巻き込まれた。そうに違いない」
「では、カインさんはその頃から……あの小屋でずっと一人で?」
「違う!」
村人の一人は声を荒げてしまった。
他の者に宥められながら「すまん」とひとつ謝罪をしながら、その言葉の意味を紡いでいく。
「恩人の子であったし、誰もが見捨てるわけにはいかないと思っていたからこそ、村の者全員が協力してカインを我が子のように扱った。ただ……今から数年前くらいのある時から、誰も近づがなくなった」
「……その理由は?」
「すまん、これ以上の詳しいことはカイン自身に聞いて欲しい。ただ、村の皆はカインが憎くてああしているわけではない。……それだけは、知っておいてくれ」
村人達の表情には恐怖と憐れみ、そしてかつての夫婦への思いが入り混じっていた。
彼らにとっては、これが精一杯の情けだったのだろう。
◇ ◆
エリスは村人達に礼を言うと、再び村の外れへと視線を向けた。
《……それで、小僧の元へはいつ行こうというのだ》
「まだ行くとは言ってませんが」
《誤魔化しても無駄だ。お前は小僧を放っておけないし、ヤツと村人との確執を解消したいと思っている。違うか?》
「……ふふっ、全てお見通しにされちゃってますね」
《ふん、余を誰だと思っている》
試すような魔王の言葉にエリスは微笑み、愛しむような顔を向ける。
「――私のことを全て理解してくれる『相棒』。そうですよね?」
《……ふん、まあお前がそうあってほしいのであれば、そういうことにしておいてやる》
自分には理解者がいる。
かつては敵同士であり、己の命、存在を賭してまで戦い、そしてお互いに消え去る運命になった者同士である。
誰よりもお互いを理解してくれる。
それは共通認識となっていた。
(だけど、きっとあの子は違う)
無償の愛を向けてくれるはずの両親がいなくなり、村の人達から遠ざけられ、孤独となっている。
誰からも理解されずに、今何を思っているのだろうか。
――まずは、確認しないといけない。
「明日朝、すぐにでも行きましょう。成すべきことを、成すために」
《そうこなくてはな。ただし、相手は小僧とはいえ魔族であり、しかも人間との分血の者だ。決して油断するなよ。何かあれば遠慮なく余の力を求めろ。……わかったな?》
「はい。よろしくお願いします」
魔王も知らない、魔王と人間の分血の存在。
子供とはいえ、普通の魔族や人間とは違う力を持っている可能性は否定できないことを、エリスも感じ取っている。
だけど、それでもエリスは放っておけないのだ。
全てを諦め、絶望したような瞳を持ちながらも、誰にも聞こえない悲痛な叫びを発しているのが手に取るようにわかるから。
エリスは深く息を吸い込み、夕闇に沈みゆく小屋へと視線を向けた。
(必ず、助けますからね)
その決意を胸に、エリスは宿に向かうために村の中を歩き始めた。




