魔王の配下は語る。人間に対する想いの変遷を。
「そういえばバルドルさん。どうして孤児院でお仕事を?」
厨房への道すがら、エリスはそっと問いかけるとバルドルはもごもごと言葉を紡ぎ、手に持った麻袋をぎゅっと握りしめる。
「……ただの仕事の都合だ」
「仕事? バルドルさんが孤児院で?」
「違う!……食料の配給の仕事をしていて……たまたまここに来ただけだ」
なんて意外な、と言わんばかりのエリスのきょとんとした顔にバルドルは慌てて首を振り、必死に否定した。
「そうそう、バルドル君は元々食料の配給の仕事に携わっていたんだ。けどある日から、ここの手伝いをしてくれるようになって今に至る、というわけだ」
「なっ!? そ……それは他言無用だと……」
「そうだったか? だけど、バルドル君がいかに善良かを伝えたかったんだ。お節介だったかな?」
「い、いや……もういい」
神父の悪気のなさに肩を落とすバルドル。
褒められていることは理解できるのだが、むず痒い気持ちが抑えずに苦虫を噛み潰したような顔をしてしまう。
《……どうやら生計を立てる傍ら、時折この孤児院の手伝いをしているようだな》
魔王が興味深そうに分析する。
その言葉には、むしろ孤児院の手伝いの方が主目的であると看破している響きがあった。
「バルドルさん、この孤児院の大事な役割を持っているのですね」
「そうなんだよ、バルドル君は時々、重い物の運搬や街までの買い出しを手伝ってくれるんだ。無口で少し近づきにくいけど、根はとても優しい子でね……」
「子……ふふっ」
「わ、笑うんじゃない!」
エリスは思わず微笑んだ。
外見は確かに20代の青年だが、その実態はおそらくその何倍もの時を過ごした魔族。
しかもあの世界を恐怖で染め上げた魔王の幹部であるバルドルが、「子」呼ばわりされる落差が大きかったからだ。
「神父様、それ以上はもう……!」
バルドルは軽くむせ込み、さらに顔を赤くしながら神父を止めようとする。
しかしその時、数人の子供達が駆け寄ってきた。
「あっバルドルお兄さん、ようやく戻ってきた!」
「今日のお昼は何? あっ、料理はしなくていいからね」
「抱っこ! 抱っこして!」
先程から待ちかねていた子供達が、バルドルの周囲に纏わりつき始めたのだ。
子供達に囲まれたバルドルは、さらに当惑した様子だ。
「お、おい……離れてくれ。あ、危ないぞ……」
子供達も懐いていて、しっかりとした信頼関係が伺える。
その光景を見て、エリスは思わず微笑みを零した。
「バルドルさん……ここでは『お兄さん』って呼ばれてるんですね」
「し、知らん……」
「否定してるわけじゃないので安心してくださいな。子供達と一緒にいると、お兄さんって感じしますよ」
「ええい! それ以上はよせ!」
バルドルはさらに顔を真っ赤にしながら、なんとか話題を変えようと急に顔を上げた。
「そ、そんなことより、お前はなぜここにいる。旅をしているのではなかったのか?」
「私ですか? 金欠なので、お仕事を探していたのです。ここでは住み込みのお手伝いを募集していると聞きまして、報酬はありませんがちょうど良かったのです」
たははと頭を掻きながら、以前バルドルに出会った頃の金欠ぶりを思い出し、エリスは恥じらう。
「………………」
「も、もうっ! その『こいつ、いつも金欠だな』って目をやめてください! ちゃんと懐が温かい時もあったんですから……うう……」
バルドルの哀れんだ視線にエリスは必死に反論する。
しかし、事実は事実であるため、声はか細くなっていった。
「そういえば言ってなかったね。今日からエリスさんもこの孤児院で働いてくれるんだ。二人とも、よろしく頼むね」
「なっ……俺が、この娘と仕事を……?」
バルドルは絶句した。
魔王を倒した勇者が、孤児院で子供達の世話をしようとしている事実。
しかも敵同士(エリス自身は敵意はないが)が、同じ屋根の下で。
その事実があまりにも現実離れしていて、脳が処理できていないようだった。
(……どうやら奴の理解が追いついていないな、エリス)
「あの、バルドルさん? 大丈夫ですか? まさか具合が悪いんじゃ……」
「違う!」
魔王が面白そうに呟き、エリスは心配そうに尋ねる。
そしてバルドルは思わず声を荒げてしまうが、すぐに周囲の子供達と神父の視線に気づき、声をひそめる。
老神父が優しく二人に言った。
「まあまあ、せっかくのご縁だ。お二人で協力して、この孤児院を助けてくれないかね?」
「はい! 喜んで!」
エリスはにっこりと笑い、即答した。
一方のバルドルは、ただただ呆然と立ち尽くすしかなかった。
「さあ、食事の時間にしましょうか。腕にかけて料理を作ってあげますからね! ……バルドルさん、厨房へ急ぎましょう!」
「わーい! お姉ちゃんよろしくね!」
エリス達が先導して孤児院の奥へ行くのを、バルドルはただ眺めることしかできない
そして、食料品の麻袋を握った手がわずかに震え、ようやく絞り出すように呟いた。
「……まさか、この俺が……あの勇者と共に、孤児院の手伝いをする、だと?」
同じ屋根の下で、しかも協力する立場としての再会。
――想定外すぎる現状に、感情が追いつかないままであった。
◇ ◇ ◇ ◇
午後の穏やかな日差しが、孤児院の中庭に差し込んでいる。
子供達は昼寝をしており、エリス達にようやく静かな一時が訪れていた。
「ふう、とりあえず一息つけますね。お疲れ様でした」
二人は、中庭の長椅子で休憩を取りながら、お互い何も言わずに一息ついている。
エリスは少し汗を拭い、バルドルは無言で水筒の水を飲んでいる。
ぎこちなさはあるものの、不思議と険悪な雰囲気ではなかった。
「バルドルさん、こうして人間社会に溶け込んでお仕事されていたのですね。なんだか嬉しいです」
エリスはそっとため息をつき、穏やかな笑みを浮かべてバルドルに向き合った。
「……いきなり何を言い出すのだ」
バルドルは水筒を飲む手を止め、少し警戒したような視線をエリスに向けた。
「ふふっ。以前戦って別れた後、あの酒場の店主さんに聞いたんです。バルドルさんが、人間社会に溶け込みながら暮らしているって」
「……あのお節介焼きが!」
「前に会った時も、お店ではきちんと礼節を守っていて、今はこうして孤児院まで手伝っていらっしゃる。魔王の配下としてではなく、一人の存在として、ちゃんとここで生きている」
バルドルは默り込み、俯き加減になる。
その表情は、褒められてることを素直に受け止められない不器用さが滲み出ていた。
そして、エリスは真剣な表情に変貌する。
どうしても確かめたいことがあり、それこそが本題だからだ。
「――どうして、人間社会に溶け込もうと思われたんですか?」
その問いにバルドルは沈黙し、長い沈黙が流れた。
風がそっと木々の葉を揺らす音だけが聞こえる。
「……最初は、生きるためだった」
バルドルがようやく出した声は、低く嗄れていた。
「魔王様亡き後、魔族は生き残るために潜むしかなかった。無駄な殺生は嫌いだ。ならば人間のふりをして、その中に潜むのが最善だと判断した」
エリスは何も言わず、その言葉に耳を傾け続けている。
「潜伏し、いつか魔王様復活を果たした末には、愚かな人間に復讐を、と思っていた。しかし、時が経つにつれ、複雑な気持ちになった」
その瞳で見てきた今までを思い出しながら、バルドルは拳を握りしめる。
「人間は思っていた以上に、多様だった。弱者を虐げる卑劣な者もいれば……あの神父のように、無償で他者を助ける者もいる」
「そうですね。……本当に、尊い行いです」
「酒場の店主は俺が魔族だと知っていながらも、常連として扱ってくれた。仕事をくれた者たちは、俺の力を評価し対価を払ってくれた。そして、ここでは……」
バルドルは孤児院の建物を見上げた。
その表情は、誰よりも優しいものに見えた。
「――無力なはずの子供達が、俺を恐れずに近づいてきてくれる」
「バルドルさん……」
「面倒で、理解できぬことばかりだ。しかし、悪くはないとも思ってしまった」
「本当ですか?」
「勘違いするな! ……人間は、嫌いだ」
エリスの目がぱっと輝いたが、それを否定するようにバルドルがピシャリと言い放つ。
そして、照れくさそうに顔を背けた。
「……ただ武人として、一定の規則に則りながら対価を得て生きるというこの秩序は、ある意味では理解しやすい」
おまけに、小声で付け加える。
それこそが主目的だと思われそうな、わざとらしさを残して。
「――子供達の笑顔も、見ていると悪い気分ではないしな」
エリスは思わず、にっこりと笑顔を浮かべた。
その笑顔に、バルドルはさらに顔を赤らめ、完全に視線を逸らしてしまった。
「ありがとうございます、バルドルさん。そんなふうに感じてくださって……本当に嬉しいです」
「別に、お前のためでは……」
バルドルは複雑な表情になりながら、聞こえにくい声をもごもごと出す。
「ええ、わかっています。でも、だからこそ……もっと多くの魔族の方々が、バルドルさんのように人間社会で穏やかに過ごせているかもしれないって思うと、希望が湧いてくるんです」
「……勇者とは思えんほどの言葉だな。魔族のことをそこまでして考えるとは。……現実はそれほど甘くはないぞ」
「でも、バルドルさんが証明してくれたじゃないですか。変われるって、適応できるって」
「――休憩は終わりだ。仕事に戻るぞ」
バルドルは深く息を吸い、ゆっくりと立ち上がった。
そして、エリスを振り返らずに孤児院の中へと歩き去っていった。
しかし、その背中には最初の頃のような拒絶の態度はない。
どこか共感に満ちた、敵意がまるでない感情が滲みだしているように見えた。
「――はい! 戻りましょう!」
エリスはその背中の後を追いながら、そっと胸に手を当てた。
胸の中では、かつての敵同士だったお互いに新たな理解が、静かに育ち始めているのを感じた。
それは、ただ“敵ではない“ことを超えた、新たな関係の芽生えなのかもしれない。
そして、この小さな孤児院での何気ない会話が、将来の大きな変化の礎となるとは、まだ誰も知る由がなかった。




