突然の再会
エリスが次に足を踏み入れた街は、辺境の地から続く場所にありながら、どこか驚くほど穏やかな空気に包まれていた。
石畳の道はきれいに整備され、行き交う人々の表情も落ち着いている。
どこか牧歌的な平和が流れているようだった。
「何事もなく、ただ素敵な毎日が過ぎ去っていく。これこそが、平和というものなのでしょうね」
大きく深呼吸をしながら、満面の笑みを浮かべるエリスは不安の一つも無いように見えた。
――だが、現実は甘くなかった。
《……ならばそれで、お前の望む“仕事”は見つかりそうにないが、どうするのだ》
「ゔっ……」
エリスの心に魔王の言葉がぐさりと突き刺さった。
その言葉はごもっともなことであり、現状の問題をわかりやすく表現されていたからだ。
――エリスの旅の資金は、もはや底をつきかけていた。
原因はおそらく、先日の元王国随一の騎士ガレスと心を通わせたことにあるだろう。
ガレスの真意を探るべく、あの街で結構な日数滞在する羽目になったことが、エリスの財布を一気に軽くしたのであった。
残っているのは、がま口財布の底に眠る少々の銅貨のみ。
宿に泊まるにも、次の街へ移動するにも、何より食事をするにも金が必要なのだ。
この程度の資金では、到底旅を続けることなど不可能である。
「……とりあえず、仕事を探しましょうか」
◇ ◇ ◇ ◇
エリスは肩を落としながら、街の中心部を散策していく。
この街には酒場がなく、依頼を張り出す掲示板すら無い。
誰もが人手を求めていることのない、平和そのものの街であった。
「こ、困りました……まさか本当に何も依頼がないとは……」
《……今日は野宿だな。節制をするために食事も控えなくては》
「うう……仕方ないことではありますが、言葉にされると辛いです」
《自分で蒔いた種だ。しっかりと味わうがいい》
皮肉る魔王の言葉すらも、エリスは真正面から受け止める。
全てが正論であり、むしろ魔王に迷惑をかけている自覚はあったからだ。
しかし、それでも魔王は過剰に自分を責め立てることはない。
その優しさに感謝しながら、エリスは歩みを止めることはなかった。
そして、街の中心街から少し外れた場所。
そこでエリスは、とある街灯に貼り付けられている紙を見つけた。
どうやら依頼の内容が書いてあるようだ。
「……『聖アンナ孤児院』、臨時のお手伝い募集。衣食住付き。報酬なし――ですかぁ」
《ほう、衣食住付きとはありがたい話ではないか。報酬はなくとも、屋根がある場所で寝泊まりでき、さらに食事まで提供してくれるとはな。よほど人手が足りていないのかもしれん》
魔王の細かいところまで見ている分析に、エリスは苦笑する。
だがその内容は、今の彼女にとっては天からの恵みと言っても過言ではないものであった。
「では、聞きに行ってみましょう!」
貼り紙に記された場所へ向かうと、そこにはこぢんまりとした教会があった。
白い壁に青い屋根。庭には色とりどりの花が咲き、子どもたちの遊ぶ声が聞こえる。
どこか懐かしい、温かい雰囲気の場所だった。
エリスが遠慮がちに門をくぐると、花壇の手入れをしていた白髪の老神父が顔を上げた。
「おや、お客さんですか?」
「あの……こちらで臨時のお手伝いを募集されていると聞きまして。私、エリスと申します。よろしければ、少しでもお役に立てればと思いまして」
老神父は一瞬、エリスの黒髪と赤い瞳を見つめ、少し驚いたような表情を浮かべる。
しかし、すぐに優しい笑顔に変わった。
「おお! これはこれは、わざわざありがとうございます! 本当に助かります! 実は最近、何人かの職員が相次いで病気をしましてね。今は私ともう一人で何とか回しているのですが、もう少し手が足りなくて……」
「そうだったんですか。それでは、ぜひお手伝いさせてください」
「ありがとう。では早速、仕事の内容を説明しながら、中を案内しましょう」
老神父はゆっくりと立ち上がり、エリスを教会の中へ招き入れた。
◇ ◇ ◇ ◇
まず案内されたのは、一階の広間だった。
長いテーブルが二列に並び、その両側に小さな椅子がきちんと整えられている。
壁には色あせた聖画が掛けられ、窓から差し込む午後の日差しが、木の床に柔らかな影を落としていた。
「ここが食堂です。朝と夕方、二回子どもたちが集まります。簡単な食事の準備と片付けをお願いすることになるでしょう」
「わかりました。食事の準備は慣れていますので、大丈夫です」
次に案内されたのは、台所だった。
大きな鍋やフライパンが壁に掛けられ、調理台の上にはまな板と包丁が置かれている。
地下に小さな貯蔵室があり、そこには多くの人数を賄えるくらいの食品の在庫が眠っていた。
「調理もお願いできますか?」
「はい。簡単なものなら問題ありません」
「それは助かる。実は最近、調理担当の者が体調を崩してしまってね。――最近きみと同じように働き始めた方も頑張ってはいるんだけど、あまり得意ではないようでね……」
「そうなんですか。そのお方にも一度ご挨拶しなくてはいけませんね」
「ああ、ただ今ちょうど出払っているところなんだ。あとで戻ってきた時にお願いしたい」
二階へ上がると、子どもたちの寝室があった。
いくつかの木製ベッドが並び、それぞれに名前が書かれた札が掛けられている。
シーツは少し色あせているが、丁寧に洗濯され、清潔そのものだ。
「ここで十人の子どもたちが寝ています。育ち盛りなのもあって、少し狭くなってしまいましたが……」
「お世話は、私もお手伝いしてもいいでしょうか?」
「もちろんです。子どもたちは人見知りしませんから、すぐに慣れるでしょう」
窓辺に飾られた造花に、エリスは心を動かされた。
金がないなりに、子どもたちの心を豊かにしようとする老神父の優しさが伝わってくるようだった。
教会の周りを一周し、再び正面玄関へ戻ってきた時だった。
「ひと通り見ていただきましたが、どうですか? 古びた場所ではありますが、良いところでしょう?」
「ええ、神父様の優しさが大いに伝わるような場所ですし、子供達も幸せだと思います」
「そう言ってくれるだけで嬉しいよ。本当にありがとう」
老神父は目を細めてエリスを見つめた。
その顔には、安堵と感謝の色がはっきりと浮かんでいた。
◇ ◇ ◇ ◇
そして、幾許かの時間が経過した頃のこと。
「そういえば、そろそろ君と同じように最近働き始めた青年が戻ってくるはずなんだが……」
「青年、ですか?」
「ええ。無口でぶっきらぼうですが、仕事は熱心でね。すぐに戻ると思ったのですが、それにしても遅い気が――」
老神父の言葉を遮るように、裏口の扉が開く音がした。
「ただいま戻った。爺さん、言われた通りの物を――っ!?」
エリスが振り返ると、そこには大きな麻袋を肩に担いだ一人の男が立っていた。
作業帽を深くかぶっているため、その顔ははっきりとは見えないが、なぜか此方を見て呆然としているようだ。
黒く短めの髪に、赤い瞳。
鍛え上げられた体格、そしてその立ち姿。
――それは、かつて出会ったことのある人物だった。
エリスの瞳が、大きく見開かれた。
「ば、バルドルさん!?」
思わず漏れたその声に、男の肩がびくりと震えた。
作業帽の下から現れた顔は――確かに、バルドルだった。
その顔色は、みるみる蒼白になっていく。
口がぱくぱくと動き、何かを言おうとしては、また閉じる。
まるで打ち上げられた魚のように、ただ無様に空気を吸っては吐くだけだった。
エリスもまた、次の言葉を失っていた。
静寂が、二人の間に流れる。
老神父が首をかしげて、その様子を不思議そうに見つめている。
そしてバルドルの額に、冷や汗が一筋、流れ落ちていくのであった。




