とある雪の街にて
これはとある雪の日の出来事。
エリスと魔王が途方もない旅路の中、雪が降り頻る地方に出向いた時のお話である。
◇ ◇ ◇ ◇
真冬の訪れは、今年もまた厳しかった。
空からは粉雪が絶え間なく舞い落ち、地上には新たな雪が積もり続ける。
窓から宿の外を見れば、世界は白一色に覆われており、時折吹きすさぶ風が戸板を震わせていた。
「ふぅ、身体が温まりますね……」
エリスは小さな旅籠の一室で、暖炉の火に当たりながら一杯の温かい紅茶をゆっくりと啜っていた。
外では街ゆく人々が本格的な冬の装いを纏っており、足早に目的地へと向かっている。
(外に出るのは厳しい寒さですね……今日は大人しくしておくべきかもしれません)
エリスはそう思いつつ、ふとベッドの上の存在に気を取られた。
そこでは、漆黒の毛並みを逆立てた黒猫が横になって丸まりながらも、極めて不満げな顔をしている。
《……クシュン!》
小さなクシャミが、エリスの耳元で響いた。
「魔王、大丈夫ですか?」
エリスは心配そうに魔王を見下ろす。
猫の姿とはいえ、さすがにこの寒さには耐えられないようだ。
《べ、別に大したことではない! ただ埃が……クシュン!》
「……何も着ていないわけですもんね。寒いわけです」
「だから違うと言っているというのに! ……クシュン!」
エリスの決めつけに、魔王は怒りを露にするかの如く、牙を向いた。
しかし、もう一度クシャミが出て、魔王はますます機嫌を悪くした。
《ふ、ふん! この身体は実に不便だ! 細かな埃ですら吸い込めばすぐにクシャミが出てしまう。全くもって不便である!》
「でも身体が震えていますから、やはり寒いのでしょう」
「なんだと! ──っ!?」
魔王が反応する間もなく、エリスにそっと抱き上げられ、暖炉の近くに移動させられた。
《放せ、エリス! 余がそんなに弱く見えるか!》
「じっとしててくださいな。埃が舞いあがっちゃいますよ」
魔王はジタバタともがきながら怒っているが、やがて暖炉の熱にさらされると、つい 気持ち良さそうに目を細めてしまう。
《む……ふぅ》
(やっぱり、温かいのが嬉しいんですね)
エリスは微笑みながら、魔王の本心を見透かした。
「魔王、今あなたは猫の身体なんですよ。寒さを感じるのはt当然ですから、そんな我慢しちゃダメです」
《……ふん》
魔王は不機嫌そうに顔を背けたが、否定はしなかった。
(このままでは、魔王が風邪をひいてしまうかもしれません。何か防寒対策をしないと……)
エリスは窓の外を見つめ、雪が多く降り頻る様子を憂いながらも、ある決意を固める。
そして、そっと立ち上がり、外套を手に取った。
「魔王、ちょっと街に出ませんか?」
《何だ? こんな吹雪の中を出かけると言うのか?》
「ええ、あなたのために、防寒具を買いに行こうと思うんです」
《なっ!? 防寒具だと!?》
魔王の声は驚きと憤りで震えていた。
《余がそんな…そんな飼い猫のような扱いを受けると思うな! かつては世界に恐怖を与えし魔王だぞ!》
「でも、今はクシャミをする猫です」
エリスのいたって冷静な指摘に、魔王は言葉を失った。
《ぐ……ぐぬぬ……》
「それに、風邪をひいて動けなくなったら旅もできません。私も困りますし、何より魔王自身が一番辛いでしょう?」
エリスは魔王を真っ直ぐに見つめながら、静かに言った。
「あなたの健康のためです。どうか付き合ってくださいな」
《……》
魔王はしばし沈黙した後、大きなため息をついた。
《……仕方あるまい。だが、人目につかぬよう配慮せよ。そして余の寒風対策も忘れずにな》
「ふふ、了解しました」
エリスは微笑み外套を着込むと、魔王をその襟元にそっと収めた。
魔王の顔だけが、外に出ている状態であった。
◇ ◇ ◇ ◇
雪が降り頻る中、二人は街へと繰り出した。
足元の雪は深く、一歩一歩が重い。
冷たい風が頬を刺すように痛いが、エリスは襟元の小さな存在を守るように、掌を添えながら歩いていく。
《この街、思ったより賑わっているな》
魔王の声がエリスの耳元で響く。
確かに大雪にも関わらず、街の人々はそれぞれの用事で行き交っている。
「皆さん、寒さに慣れているのでしょうね。でも、ちゃんと防寒はされているようです」
エリスは通りすがる人々の服装を見ながら、うなずいた。
どの人も厚手の外套に毛糸の帽子、手袋と完全防備である。
《ふん、人間どもは弱いな。寒さなど魔力で凌げばよいものを》
「魔王、魔力の使えない今のあなたも『寒さに弱い猫』ですよ」
《……黙れ》
しばらく歩くと、小さな雑貨屋が見えてきた。
看板には「冬の装い、各種取り揃えております」と書かれている。
「ここなら、何かあるかもしれませんね」
《……なんてことだ。まさか本当にこんな店に来るとは》
魔王の声は諦めに満ちていたが、エリスは無視しながら扉を開け、店内へと足を踏み入れた。
店内は外の寒さとはうって変わり、暖かな空気が漂っていた。
あちこちに冬の装備が所狭しと並べられ、編み物の良い香りが仄かにしている。
「いらっしゃいませ」
店の奥から、優しそうな老婆が現れた。
「寒い中、よくいらっしゃいましたね。何かお探しですか?」
「はい、実は……」
エリスは少し躊躇いながらも、襟元の魔王を示した。
「猫の防寒具を探しているんです」
《エリス! 余のことをさもペットのように紹介するな!》
魔王の抗議の声は、もちろん老婆には聞こえない。
「まあまあ、可愛い猫さんですね」
老婆は微笑みながら、魔王に近づいた。
「黒猫は冬の寒さが苦手ですからね。よく来てくれましたよ」
《な、なにをする!? 近づくでない、人間!》
老婆は魔王を撫でようとするが、魔王は牙を剥きながら威嚇をする。
「ごめんなさい、少し人見知りでして」
「ふふ、大丈夫ですよ。猫ってそういう子もいますから」
エリスは慌てて魔王を庇いながら苦笑いをすると、老婆は悪戯っぽく微笑み、店内の奥へと歩いていく。
「ちょっと待っててくださいね。猫ちゃん用の良いものがありますから」
老婆が去った後、エリスは魔王に小声で言った。
「魔王、もう少し協力的になってくださいよ」
《余が猫の防寒具などというものを許容しているだけでも驚嘆に値すると思うがいい! そしてさらにあの老婆に撫でられるなど、魔王としての威信に関わる!》
「今は魔王ではなくただの黒猫ですから、大丈夫ですよ」
《お、お前って奴は……!》
怒りで身を震わせる魔王にエリスは優しく撫で、なんとか気持ちを落ち着かせようとする。
すると、老婆がいくつかの品物を持って戻ってきた。
「さて、これなんかどうでしょう?」
老婆が取り出したのは、猫用の服と、編込の首当て、そして小さな靴のセットだった。
「これは羊毛で編んだ服で、とても暖かいんですよ。それに、この首当ては猫ちゃん達に大変人気があります」
《な、なんだこの品は!? 余がこんな色とりどりのものを纏うとでも思うのか!?》
魔王の声はパニック気味だった。
確かに、赤と緑色の服は、特別な日を迎えたことをめでたく思う感じがする。
漆黒の黒猫には、かなり目立つデザインだ。
「あの……もう少し、地味なものはありませんか?」
エリスは魔王に気遣いながら尋ねる。
今度は老婆が暗い色で統一された服と首あてを取り出した。
「黒の毛皮に合うものなら……これはどうですか? これは毛の薄い猫ちゃん向けに作った防寒着で、見た目に反して暖かいんです。毛並みにも馴染みますよ」
《こ、これはまだマシだな》
魔王の声に、ほっとした安堵がにじんでいた。
「では、試着してみてもいいですか?」
「どうぞどうぞ」
エリスは魔王をそっと抱き上げ、小さな防寒具を着せてみた。
《な、なにをする、エリス! 人前で余を抱き上げるでない!》
(ちょっとだけ、じっとしててくださいね)
エリスは真剣な表情で、小さな服の紐を結びつけていく。
《うっ……窮屈だ! 動きにくい!》
(でも、暖かいでしょう?)
《…それは、確かに》
魔王は不本意ながらも認めざるを得ないようだ。
服の暖かさは、明らかに効果的だったからだ。
「それと、これもどうですか?」
老婆がさらに小さな靴を取り出した。
「雪の日は肉球が冷えますから、これがあると便利ですよ」
《まさか足まで覆うと言うのか!? 余の優雅な足元を…こんなもので!?》
(でも、寒いのは嫌ですよね?)
《……》
魔王は沈黙した。
これは、つまりは認めたということだ。
エリスは笑顔のまま、小さな靴を魔王の足に履かせた。
その手は優しく、丁寧で見ているだけでも微笑ましいものであった。
「どうです? 暖かいでしょう」
《……ふん、まあな》
魔王は不機嫌そうに俯きながらも、その効果を認めざるを得なかった。
「それでは、この服と首当て、そして靴のセットをいただけますか?」
「お買い上げありがとうございます。寒い季節ですから、お互い体に気をつけましょうね」
老婆は温かい笑顔で包装を始めた
それを見ながら、魔王はエリスの耳元でこっそりと告げた。
《エリス、首当ては要らん。あの模様は余の風格に合わん》
(でも、首元を冷やすと風邪をひきやすいですよ)
《構わん! 縞模様の首当てなど絶対に嫌だ!》
ごねる魔王を宥めるように顎を撫でまわし、お会計が終わるのをエリスは待つ。
こうして、魔王用の防寒具一式を購入することができた一行
支払いを済ませ、店を出ようとすると老婆が一言告げた。
「お嬢さん、猫ちゃんをとても可愛がっていますね。その子もきっと、幸せですよ」
エリスは微笑みながらうなずいた。
「ええ、とても大切な相棒ですから」
《……ふん、調子のいい奴だ》
魔王は呆れているような言葉を吐くが、その顔は笑みが浮かんでいる。
嬉しさが隠せていないようであった。
◇ ◇ ◇ ◇
外に出ると、未だ大雪が降りしきっている。
エリスは襟元ではなく、肩の上に座る着込んだ魔王に語りかけた。
「どうですか、魔王。もう寒くないですよね」
《……そうだな。思ったよりは寒さを凌げそうだ》
魔王の声音には、わずかながらも感謝の気持ちが込められていた。
《……エリス》
「はい?」
《……礼を言う。わざわざ寒い中、買いに出向いてくれたことを》
魔王の声はほとんど聞き取れないほど小さかったが、エリスにはしっかりと届いた。
「いいえ、どういたしまして。魔王の健康は私の健康そのものですもの」
エリスは優しく微笑みながら、そう返した。
雪はまだ止む気配を見せないが、二人の心の中には温かなものが満ちていた。
寒い冬も、こうして誰かと共に過ごせば、きっと温かく過ごせるのだろう。
お互いにそう思いながら、宿への帰路を歩いていくのであった。




