少女は混乱を静めるべく、大立ち回りをする。
パーティが始まってから数時間。
会場では領主たちの懇親が続いていた。
「……あの、ウェルダー卿。例の融資の件は?」
「ああ、その件か。……申し訳ないが、其方との取引は難しいようだ」
「ッ!? ……そう、ですか」
領主マルコムは三度目の断りを受け、大きく肩を落とす。
(またか…………)
ここ数年、彼の領地は干ばつと不作が続き、財政は火の車だった。
一刻も早く融資を受け、領地を建て直さねば領民達の生活が危うい。
今回の親睦会は、最後の望みをかけて有力な領主たちに融資を頼み込むための場であった。
しかし見ての通り、結果は散々なものでしかない。
「おお、セルドリック卿! 例の融資の件についてですが……」
「……以前も言った通り、其方の領地の現状を回復させなければ、我々も共倒れになってしまう。融資を望むのなら、それ相応の状態にしなければ難しいよ」
「は、はい……おっしゃる通り……」
どの領主も、彼の願いを聞こうとしない。
状況が状況だけに、藁にもすがる勢いで頭を下げ、なんとか融資を受けられないかを懇願する。
しかし、ある者は露骨に顔を背け、ある者は嘲笑を含んだ視線を向ける。
「……やはり、こうなるか……」
先日、マルコムが懇意にしていた商人ですら、此方も限界が訪れそうだと見限ろうとしている報せが入ったばかりであった。
さらに先月、彼の一人娘が療養のために遠くの親戚のもとへ旅立った。
肺の病であり、治療費は莫大で支払いも滞っている。
(妻は働き詰めで身体を壊し、娘は病に臥せり、領地は借金まみれ……)
マルコムの胸に、焦りと絶望が渦巻いた。
領地を去った者たちの寂しそうな笑顔。
残った者たちの、必死に痩せ我慢をしながらの笑顔。
彼を支えてくれている妻の泣きそうな笑顔。
そして、今は遠くで一人闘病する娘の痛みに耐えながらも心配をかけまいとする笑顔。
重なる不幸。
失っていく全て。
領主としての誇りも、夫、そして父としての責任も、何一つ果たせていない。
(このままでは……妻や娘に合わせる顔がない……領民達にも……)
手に持つ杯を握る手が震え、視界が歪む。
周囲の笑い声が、嘲笑に聞こえる。
その時だった。
エリスを小馬鹿にしていた貴婦人たちが、数人でマルコムの方を見て、ひそひそと話し始めた。
「まあ、マルコム卿ったら、随分とおやつれになって」
「借金取りに追われて、あちこち断られて、可哀想にねえ」
「娘さんも重い病だそうですって。お金がなくて治療も満足にできないんだとか」
「あらまあ、それじゃあ娘さんもお気の毒ね。あんなお父様のもとに生まれて」
彼女たちは声を潜めたつもりだったが、酒の勢いもあってか、その声はマルコムの耳に明確に届いていた。
マルコムの顔から血の気が引いていく。
必死に働く妻、耐え続ける領民。
そして何より──今は遠くで一人闘病する娘のことを、そんな軽薄な口調で笑われる屈辱。
マルコムの中で、何かが切れた。
(どうせ……どうせなら……!)
その時、彼の手は無意識に腰の飾り短剣に伸びていた。
──次の瞬間、事は起こった。
◇ ◇ ◇ ◇
(──殺気!?)
第六感が急に渦巻いた殺意の念を察知し、たまらず振り返るエリス。
「どうしたんだい、エリスさん。顔が少々強張っているような──」
のんびりとしたアーサーの言葉は、突然の怒声に遮られた、
「うおおおおおっ!!!」
マルコムは突如狂乱状態に陥り、短剣を抜き放っていた。
その目は虚ろで、正気を失っているのが一目でわかるほどである。
そして、その剣先は──先ほど嘲笑っていた貴婦人たちの方へ向けられていた。
「ひいいいいっ!?」
「や、やめて! こっちに来ないで!」
先ほどまでマルコムを嘲笑っていた貴婦人たちが、悲鳴を上げて逃げ惑う。
テーブルが倒れ、杯が割れる音が響く。
優雅な宴の席は、あっという間に恐慌状態へと変貌した。
「終わりだ! 何もかも! ……ならば、この手で!!」
マルコムが雄叫びを上げながら、机を蹴り飛ばした。
料理や酒が宙を舞い、貴婦人たちの悲鳴がさらに大きくなる。
「まずい!……エリスさん、下がっていてください!」
危険を察知したアーサーが、咄嗟にエリスを庇おうとする。
しかし、エリスは構わず一歩前に出た。
「私は大丈夫です。――それより、少し席を外しますね」
「えっ? あ、ちょっと!!」
エリスは、アーサーの元から離れていく。
向かう先は――狂乱するマルコムの元。
「お、おい……あのローウェン卿の婚約者……!」
「やめろ! 戻ってくるんだ!」
周囲の貴族たちが止める声も聞かないまま、エリスは顔色ひとつ変えず、悠然に接近していく。
「来るな! 触るな! 近づくな!」
マルコムは動揺しながら、大ぶりで短剣を振り回している。
ヒュッと風を切る鋭い音が、その殺傷力を物語っている。
しかし、エリスは動じない。
「──っ!」
エリスの身体が、優雅に、そして電光石火の速さで動いた。
短剣の切っ先は、その黒髪を掠めるだけに終わる。
「な、なに……!?」
「避けた……? あの至近距離で……!?」
貴族たちの間に、驚愕の声が広がる。
「く、来るなっ!! 来るんじゃない!!」
マルコムはさらに激しく短剣を振り回す。
しかしエリスはそれを余裕の表情で全てかわしていく。
――そして、マルコムの呼吸が乱れ、動きが鈍った瞬間。
(――今ですッ!)
エリスはその懐に飛び込み、片手で関節を掴みながらもう片方の手で手首を掴む。
そして自身の横回転に巻き込みながらマルコムの体を地面に押し倒し、うつ伏せの状態で固定させた。
片膝で背中を軽く押さえ、腕は背後で固定されたまま、完全に動きを封じられた。
短剣がカラン、と乾いた音を立てて、石畳の床に落ちる。
「……す、すげえ……!」
「一瞬だ……一瞬で終わらせたぞ……!」
マルコムはうつ伏せのまま、肩を震わせて嗚咽を漏らした。
「……おしまいだ……全てが……終わりだ……!!」
その時、エリスはマルコムの耳元に口を寄せた。
そして、周囲に聞こえないよう、ごく小さな声で囁いた。
「──大丈夫。抵抗せずに、私に任せて」
マルコムはびくりと身体を震わせる。
そして、押さえつけられたまま、必死に顔だけを横に向けてエリスを見上げた。
その口は開いたり閉じたりを繰り返すが、言葉は出てこない。
ただ呆然と、微笑むエリスの顔を見つめるだけだった。
「マルコム卿……! 此度の暴逆は覚悟の上のことなのだろうな……!」
騒ぎを収めるため、ファルン大公が厳しい表情で近づいてくる。
「あ……ひっ……!?」
見下ろすファルン大公に、マルコムの表情は絶望に染まった。
しかしエリスは周囲に聞こえないよう、大公にごく小さな声で囁いた。
「大公様。彼が暴走したのは理由があります。ですが今は騒ぎを収めるのが先決。……あの貴婦人様方の少々お転婆じみたことは、後ほどお伝えしますね」
「お転婆?……どういうことだ? 其方は、何を考えている?」
聞く耳を持ってくれた太公に感謝し、エリスは続ける。
「――ご覧の通り、親睦会の前に大公様が提案された『鎮圧劇』、全力で役割を全うさせてもらいました。迫力を込めたおかげか、会場の皆様には本気にしていただけたようで、演者としてはこれ以上の幸福はありません」
「んん? 一体何のこと……! ――成程、そういうことか」
察しの良い太公に、エリスは微笑んだ。
そして太公もエリスの企みに気づき、そして不適な笑みを浮かべた。
――その策、乗らせてもらおう!
まるで、若き至らない頃を思い出すようかのような表情であった。
「――皆様、ご心配をおかけしました!」
エリスは立ち上がると、会場の貴族たちに向かって、大袈裟なぐらいに両手を広げて言った。
「これは、ファルン大公殿下がご提案なさった『演劇』でございます! 私がマルコム卿にお願いして、パーティを盛り上げるために一芝居打っていただきました! 私はそのお相手をさせていただいたまででございます!」
そのあまりの大袈裟な宣言に、会場は一瞬静まり返った。
「多少の余興は必要と思ったのでな。少々わざとらしさを覚えるような脚本と心配していたが、どうやら反応を見る限り、杞憂だったようで何よりである」
エリスの隣に立ち、意地の悪い笑顔をするファルン大公の姿は、先ほどまでの威厳を捨て、ただ悪児のように見える。
しかし、それが普段の大公の姿とのギャップを生んだのだろう。
そして、次の瞬間──
「な、なにぃ……演劇だったのか!」
「ははあ、そういうことか! 実に楽しませてもらったぞ!」
「大公様もなかなかお茶目でいらっしゃる!」
「それにしても、あの娘の動きは見事だったな!」
貴族たちは一斉に笑い出し、拍手と歓声が会場を包んだ。
誰もが、先ほどの緊迫感を引き摺らない、楽しげな雰囲気に満たされていく。
──先ほどまでマルコムを嘲笑っていた貴婦人たち以外は。
「………」
マルコムに狙いをつけられた一人の貴婦人は、未だ納得のいかない、訝しげな顔をしていた。
マルコムが、なぜエリスの言いなりになるのか理解できなかったからだ。
しかしその時、大公が一歩前に出て、貴族たちに向かって言った。
「私が提案した『鎮圧劇』、楽しんでくれたようで何よりである! そして、役者として大いに演じてくれたローウェン夫人、マルコム卿、本当によくやってくれた!」
二人に対し、万雷の拍手が向けられた。
エリスは深々と頭を下げ、マルコムはぼんやりとしながらも、それに続いた。
続いて、大公の声が少し厳しくなる。
「──しかし、親睦会という場であるのに、他者を嘲笑うような者を何人か見かけてしまったのは、残念であった。……誰とは言わないが、このような場所は互いに敬い、高め合うためにある。決して誰かを貶めるためにあるのではない」
貴族たちの間に、少しだけ痛い空気が流れた。
嘲っていた貴婦人たちは、顔を赤らめて俯いた。
しかし、大公はすぐに表情を緩め、両手を広げて言った。
「──とはいえ、辛気臭い話はこれまでだ! まだまだ親睦会は続くぞ! 踊れ、歌え、飲め! 今夜は思い切り楽しむがいい!」
その言葉に、貴族たちは再び盛り上がり、会場は一気に活気を取り戻した。
大公は満足げに笑い、エリスの方を向いて小さく頷く。
エリスもそれに応えるように、満面の笑みで頷いた。
「エリスさん……やはり、君は……」
先ほどの貴族達の心を掌握したこと。
そして今、大公の心までをも動かしたこと。
その姿に呆然としながら、アーサーは只々呟くのであった。
◇ ◇ ◇ ◇
マルコムの暴走があったとて、再び親睦会は元のように盛り上がり始めた時。
エリスはアーサーの元へ歩み寄り、小声で言った。
「アーサー様。お願いが」
「……なんだい?」
「マルコム卿についてです。彼の領地は飢餓や干魃がひどく、借金に追われ、領地を失いかけております。そして……娘さんが重い病だそうです」
マルコムの身に降りかかる不幸に、エリスは心を痛めていた。
だから、彼女は望んだ。
「どうか、マルコム卿を助けてあげてください。それが、私が何より望んでいることです」
アーサーは一瞬驚いたように目を見開いた。
確かにできることならなんでもするとは言った。
しかし、それはあくまでエリス自身のためになることだと予測していた分、心底驚いたのである。
だからこそ、アーサーは真剣な表情で確認した。
「……確かに僕は、君のためならなんでもすると言った。だが、それが君には何の関係もない、偶然この場で出会った他者のこと。……本当にそれでいいのかい?」
アーサーは確認する。
エリスの真意を。
だからエリスは微笑んだ。
間違いなく、真意であることを伝えるために。
「――ええ。誰かの助けになれること。それが、私の一番の望みですから」
その言葉を聞き、アーサーは目を瞑った。
エリスという少女が、己が抱いていた理想と何も変わらない存在であること。
それが、何よりも嬉しかったのだ。
「――そうか。君なら、そう言ってくれると思ったよ」
アーサーはマルコムの元へ歩み寄り、そっと肩に手を置いた。
「マルコム卿、あなたの事情は妻から聞きました。よろしければ、後日改めてお話を聞かせてください。娘さんの療養費も含め、力になれることがあれば」
マルコムは顔を上げ、涙ながらに何度も頷いた。
「あ、ありがとう……ございます……! ローウェン卿……! そして、ローウェン夫人……!」
その光景を見ながら、エリスはほっと胸を撫で下ろした。
そして、魔王の呆れたような声が心の中に響く。
《……甘いな、相変わらず》
(ふふ。でも、私らしいでしょう?)
エリスは微笑み、そっと肩の上の黒猫を撫でる。
その手の感触は、以前と同様の、誰にも優しくあろうとする存在の温かみを持っていた。
――魔王は想う。
そうだ、これがエリスだ。
愚純にも、他者に献身することを望み、見返りを何も求めない。
それが本人が言う通り、エリスらしさなのだ。
だから魔王は、エリスの言葉に対し、真っ直ぐ返した。
《――ああ。本当に、お前らしいと思うよ》




