そして少女は婚約者役として、貴族の親睦会に参加する。
「どうか、三日後の領主や貴族達の親睦会に、私の婚約者役としてご同行いただけませんか?」
その言葉は、部屋にいる者全ての身体を貫くかのような衝撃を放っていた。
言われた当人もそうだが、特に衝撃が多かった者がいる。
それは――
《な……なんだと……!?》
魔王は愕然とするような珍しい態度を見せていた。
その身体はワナワナと震え、怒りで今にも飛びかかりそうな勢いを見せていた。
《この小僧、何たる無礼な申し出だ! エリスがそんな愚かな役割を引き受けられると思うのか!? 断れ! 今すぐにだ!》
魔王の怒声が心の中で轟くが、エリスは必死に平静を装った。
「アーサー様。光栄ではありますが、私はただの旅人です」
ゆっくりと、説得するようにエリスは続ける。
「貴族の方々との親睦会など出たこともありませんし、ドレスを着た経験も、ほんの一度だけ……それも、とても特別な時しか……」
最後は動揺を隠し切れなかったのか、声が少し上擦ってしまった。
それは『永劫回帰の儀』の時。
最期を迎えるために着せられた、真っ白なドレスが頭に過ったのだ。
思い出すだけで、胸の奥が締め付けられる。
――あの炎の熱さと、死を待つだけの、あの瞬間の感覚を。
《取り乱すな、エリス。過去は過去だ》
魔王の声が、苛立ちの中にもわずかな気遣いを込めて響く。
エリスはそっと目を閉じ、深く息を吸った。
「練習すれば大丈夫です!」
エリスの戸惑いもなんのその。
アーサーは身を乗り出し、目を輝かせて言った。
「エリスさんなら、きっとすぐに覚えられます! だって、先ほどのあの立ち振る舞い……パメラさんを説得する時の佇まい、幻影を前にした時の冷静さ……普通の旅人じゃありませんよね?」
アーサーの視線、そして好奇心はエリス本人に向いていた。
オズワルドも微かに頷き、エリスを観察している。
(……先程の戦いで目立ちすぎてしまったようですね)
エリスは内心で苦笑した。
自分を平凡な村娘のように装うことの難しさを痛感する。
長年にわたる修行と死線を越えた経験が、骨の髄にまで染み付いていたのだった。
「勿論報酬は弾みますし、できる限りのことはして差し上げることができます!」
アーサーはさらに熱心に訴えかける。
「それに、父の代から続く重要な取引先との関係を維持するために、この親睦会はどうしても必要なのです。ここ数年、他の貴族に出し抜かれかけており、この機会を逃せば多くの領民が仕事を失うかもしれません。――だから、どうか」
アーサーの瞳には領主としての責任感と、追い詰められた本気の悲壮感が浮かんでおり、エリスの胸が痛んだ。
領地の命運を背負っているというのは、想像もつかない程の重みがあるのだろう。
しかし、そんなことを魔王は気にもせず、怒り散らかしている。
(ふん! 領地経営が苦しいのはこの小僧の実力を反映しているだけだ! お前に関わることではないし、むしろ手を貸すことによって己の実力を勘違いしかねんぞ!)
魔王の反対の念は強い。
それはエリスを守りたいという想いからでもあると、彼女自身わかっていた。
大勢の貴族が参加する。
それは、万が一のことがあった時に勇者の生存を世間に公表するも同然だからだ。
それに、勇者が生きていることを知られれば、おそらく利用しようと企む者、王都への揺りに使う者。
そして――何よりアーサーとの関係性が偽りであることが明らかにされた時、どのようなことが起きるのかが未知数なのである。
魔王が拒絶するのも無理はなかった。
《……ふん。領主のくせに、自分で何とかできないのか。――まったく、世話の焼ける小僧だ》
しかし、アーサーの必死な表情を見ているうちに、魔王の怒りも徐々に和らいでいくようだった。
その声には、さっきまでの激しい怒りではなく、諦めと若干の呆れが混じり始めている。
「……わかりました。お手伝いさせてください、アーサー様」
エリスの口から、静かでありながら揺るぎない意志を持った声が漏れた。
《……エリス、お前と言う奴は》
(アーサー様だけでなく、領民の多くの方にも影響する話です。見捨てるわけにはいきませんよ)
エリスは微笑んだ。
それは、眼前にいる困っている人を可能な範囲で助けたいという、彼女の本性から湧き上がる優しさだった。
アーサーは飛び上がらんばかりに喜び、ソファから立ち上がった。
「本当ですか!? ありがとうございます、エリスさん!」
「ただし、条件が二つあります」
エリスはきっぱりと言い、一本指を立てた。
「一つ。これはあくまで“お手伝い”であり、“役”を演じるだけです。パーティが終われば、私達の関係は元に戻ります」
「もちろんです!」
二本目の指を立てて、続ける。
「二つ。私の相棒であるこの子も、一緒に連れて行きます」
エリスは肩の上の黒猫をそっと撫でた。
《――ふん、当然だ。田舎娘であるお前を一人にしておけば、厄介なことにしかならん》
(ふふ、ありがとうございます)
皮肉る魔王だが、ただ素直じゃないだけである。
エリスを一人にしたくないのは、魔王の本心そのものだったからだ。
どうやらアーサーの追い詰められた表情を見たことで、怒りも徐々におさまってきているようだった。
「猫、ですか……うーん……」
アーサーは真っ黒な猫を見つめ、考え込むような表情を浮かべた。
オズワルドが微かに眉をひそめる。
高貴な血統を持っていない、そこいらにいるような唯の黒猫と共にする。
その時点で、エリスが婚約者として相応しくないと見られるのではないか。
そんな不安もあったようだが、アーサーはすぐに顔を綻ばせ、大きく頷いた。
「わかりました! “マオ”くん、でしたね? ペットの同伴は通常認められていませんが、特別に許可を取ります! エリスさんがついているなら、きっと大人しくしてくれるでしょうしね!」
《大人しくなどせぬ。振る舞い等、徹底的に指摘して修正してやる。覚悟しておけ》
魔王の不満そうな声に、エリスは思わず苦笑してしまう。
お手柔らかに、と心の中で呟くのであった。
「話は決まりだ! これから三日間、特訓と準備を始めましょう!」
アーサーは興奮気味に手を叩き、空気を一変させた。
「オズワルド、すぐにドレスや必要なものを手配してくれ! エリスさんに似合う、一番素敵なドレスをだ!」
「かしこまりました、アーサー様」
オズワルドは深々と頭を下げ、エリスに向き直る。
厳格でありながらも、どこか温かい眼差しを向けて微笑んだ。
「エリス様、ご安心ください。私が貴族の礼儀作法、立ち振る舞い、会話の仕方に至るまで、しっかりとご指導いたします」
「よ、よろしくお願いします……」
オズワルドは強くエリスと握手をした。
主人の危機に協力してくれることが、何よりもありがたかったのだろう。
その瞳は震えているようにも見えた。
「わ、私も手伝う!」
ミリアは顔を赤らめ、慌てて言った。
「エリス、私も協力するよ! 私自身、田舎出身だけど、女の子同士でしかできないことだってあると思う!」
確かにこの場には、ミリア以外女性はいない(縛られているパメラは除く)。
ミリアの必死な姿に、エリスは心の底から温かい気持ちが湧き上がるのを感じた。
「ありがとうございます、ミリアさん」
エリスは深々と頭を下げた。
そして、アーサーとオズワルドに向き直る。
「――できる限り、努力してみます。よろしくお願いいたします」
(……ふん、世話の焼けるやつだ)
エリスには聞こえぬよう、魔王は心中で深いため息を吐いた。
もはや怒りなど微塵もなく、諦めと若干の呆れが混じった響きだった。
(だが仕方あるまい。余は何かあった時にはすぐに頼れと約束した。だから万が一にも、恥をかかされたり、傷ついたりするようなことがあったとしたらその時は――余がなんとかしてやる)
魔王の瞳に決意の光が宿った。
「あ……」
エリスは何かを思い出したように呟くと、そっと肩の上の黒猫を撫でながらアーサーに告げる。
「この子のことも、親睦会に参加できるようよろしくお願いしますね。私の、誰よりも大切な相棒ですから」
エリスの言葉に、魔王は短く一声鳴くと顔を背けてしまう。
《……べ、別にそんなことをせずとも、うまく立ち回って見せる!――余の“相棒”が恥をかくのは我慢ならんからな!》
その心の声は、以前ほど強がっては聞こえなかった。
むしろ、どこか照れくさそうで、そして確かな絆を感じさせるものだった。




