手繰れど悲劇、縋れど絶望 三
数刻前。
セノカ達は風を切り、従者たちを追って聖白竜の里へと向かっていた。
従者たちの魔力が消えて数十分。未だに魔力探知に引っかかるのは偽物の魔力だけだ。
「姉さん」
後ろを飛んでいたテオが言った。
レイに次いで従者たちの安否を気にしている弟の声は不安で低まっている。
「本当に、その魔力って偽物? 本物である可能性は無いの?」
「無い」
このような状況下でも揺らがない淡々とした声色に、テオは反論も返事もせずに黙った。
「先ほど反応のあった場所に視覚を飛ばしたが、あったのは魔力の塊だけだ」
だから態々見に行く必要は無い、というわけだ。
従者の身を案じているならそれでも向かうべきだとは思うが、レイは口に出さなかった。セノカに道徳的な行動を求めても無駄だ。彼女が道徳心に欠けていると考えているわけではないが、今彼女の中の優先順位は偽物の確認ではなく本物の捜索。効率の面でも、確実な発見の面でもそれは正しい。
セノカは一寸のぶれも無く、まっすぐに目的地へ向かう。レイとテオはそれに同行するしかない。
一応常時高精度の探知を発動させてはいる。が、矢張り三人の探知にはそれらしい反応が無い。
隠されているにしても異常だ。
何故ならこの世界には……少なくとも脆仙領には、他者の魔力を完全に消す魔法も呪術も無いのだから。
聖脈の結界なら聖脈を持つ種族以外に対してなら可能かもしれないが、移動の痕跡まで消すことなど不可能だ。
何か、更に上の存在が関わっている。
もしくは既に、三人が死んでいる。
頭に過るその二つの可能性に動じず、セノカは飛行を続けた。
すると、その時。
「……!」
レイが止まった。
「どうした?」
セノカもその場で前進を止め、レイに振り返る。テオは突然様子の変わった兄の顔を覗き込んでいた。
「兄さん?」
「……ヴィアが……」
その口から出たのは、彼の従者の呼び名だった。
テオの顔が青くなり、体が石像のように固まった。
「ヴィアが刺された。相手は聖白竜。今は東北東の里跡地で交戦している。ディウルカとレムノスも一緒だ」
「刺され……って、大丈夫なの⁈」
「問題ないだろう。ヴィアには聖脈耐性を付けさせている。そして三人には増血剤を持たせたので、変に取り乱しさえしなければ危険は無い」
セノカは安心させるでもなく、喜ぶでもなく、ただただ事実を述べるようにあっさりと言った。
セノカの血から生成した増血剤。回復魔法の欠陥を埋めることの出来る唯一の薬だ。
二人はその返答に僅かに安堵したのか、強張っていた表情を緩めた。
「居場所が分かったなら追うぞ。東北東だな」
「間違いない」
セノカは片腕を前に掲げた。
三人の身長以上の直径のある水縹色の魔法陣が、中心から描き出され淡く光を放つ。
「転移魔法なんて使って良いの? 聖白竜との話し合いが目的なのに、警戒されちゃうんじゃ……」
「転移が完了する頃には済んでいるはずだ」
魔法陣が完成していく。
本来転移魔法は戦地に赴くための手段。それは脆仙のみならず全ての種族に共通する認識だ。
覚えの無い転移魔法陣が現れた際は、迷わず武器を取り備えること。この世界での戦いの鉄則である。
「行くぞ」
セノカは腕を下ろし、魔法陣の中へ飛び込もうとした。
しかし。
_____ぱき、と、硝子に亀裂が入るような音がした。
音の発生源は、セノカの転移魔法陣。
セノカは直前で動きを止め、後ろへ下がる。
亀裂が広がっていく。あらゆる方向から音と共に亀裂が入り、やがて魔法陣全体を覆うようになっていく。
そしてある瞬間。
水縹色が散った。
「な、に……?」
テオが掠れた声で呟いた。
それもその筈。
魔法式構築完了の前に邪魔してしまえば、確かに魔法の発動は失敗する。だが今回は違う。
魔法発動失敗の時、魔法陣は解けるように消えていき、その魔力は持ち主に帰されるのだ。
それが今回は破壊されるように魔法陣が砕け散った。そして、その魔力は空中で霧散した。セノカには帰っていない。
魔法そのものを破壊された。
そう考えざるを得ない状況だった。
「ふむ」
セノカはもう一度魔法陣を展開する。威力の低い炎魔法の魔法陣だ。
魔法陣は完成するにはする。しかし炎を放つ前に砕け散る。
「この領域で魔法を使えなくなっているようだ。視覚を飛ばす魔法も切れた」
「だとすれば、飛んで結界外へ出て行くしかないか」
セノカとレイは空中を蹴って飛んだ。
テオも慌ててそれに続く。
「ちょ、ちょっと、待ってよ二人とも! 何でそんな冷静なの⁈」
「何で、とは?」
「だってこれ、明らかにオレらが知ってる魔法封印の結界とは違うでしょ⁈」
「そうだな。俺も驚いている」
「ああ、驚いてはいたんだ……」
レイの無表情は全く崩れていない。
テオは自分だけが動揺していることを恥じたのか、荒げていた声を静めた。
セノカは結界の端を探しながら、意識を全方向に向ける。
(獲得能力で飛行できるよう鍛錬していたのは正解だった……しかし、先刻から魔力操作が僅かに狂っている……端も見えん……何だこの空間は。魔法封印結界とは別の何か。魔力を封じるのではなく、魔法式を破壊されている。呪術でも神聖魔法でもない。ならばこれも魔法? だが、このような魔法はこの世界に存在していない筈。だとすれば、私たちのように自分で作り上げた魔法式か。このような高度な魔法、それにこの結界を維持するには相当な魔力が必要だ。一体誰が……)
藤色の目が細められた。
その時。
「!」
「わっ⁈」
セノカはテオに飛んできた光を受け止めた。
光には実体があった。形状は巨大な棘のようであり、漏れ出る力に掌が痺れる。
光はセノカの手の中で砕け、地上へ落ちて行った。
テオとレイは光の飛んできた方向を睨んだ。
「何者だ」
セノカは冷淡な声で言った。
しばらくの無音。風の音だけが通り過ぎていき、下に見える木々の葉が揺れる。
三人はその時を待った。
すると。
奥に見える山の景色が、微かに歪み始めた。
捻じれるように緑と青が混ざり合い、ぐにゃりと不快な音を立てる。
限界まで歪められた景色の中心に、透明な穴のようなものが開いた。
そこから溢れ出る聖脈の気配を、三人は感じ取った。
「悪の使徒に名乗る名など無い」
穴の奥から声がした。
同時に、穴が急激に収縮し、歪みが正されるように景色が逆方向に捻じれる。
三つの人影が現れた。
聖白竜だ。
「悪の使徒……どういう意味だ」
「隠しても無駄だ。神の声の導きに、間違いなどありはしない。貴様らは我が里を狙う暗黒竜の仲間なのだろう?」
「……神……。一つ聞きたいが、その神の声と言うのは機械音……抑揚の乏しい異質な声か? 姿を見たことは? どこに居るかは知っているか?」
「何を真剣に質問している。答えるわけが無かろう」
動揺を表さず次々と尋ねる少女に聖白竜が鋭く答えた。
その手は聖脈を纏っている。加えて巨大な羽に鱗のような紋様からして、本気で三人を倒そうとしている様子だった。
テオはその気迫と敵意を感じ取ったらしく息を微かに震わせた。
「……テオ」
不意に、レイが言った。
「魔法は使えなくなったが、獲得能力を使えば勝ち筋は残っている。落ち着いて対処しろ」
「落ち着いて、って……話が全然見えてこないよ、神って何のこと? 聖白竜と何かあったの?」
テオは見るからに混乱していた。
当たり前だ。何せテオには、ゾルヴィアのことを呪術の師として迎え入れた、としか説明していないのだ。神を名乗る謎の子供の話も、聖白竜と五玉竜との関係も、テオは何も知らない。
覚えのない敵意に困惑と怯えを浮かべ、テオはレイを見上げていた。
しかしレイがそのことについて説明する間は無かった。
「無駄な時間を割くつもりは無い。我々はさっさと貴様らを倒し、里を守らねばならないのだからな」
聖白竜が聖脈を纏った手を天へ伸ばした。
三人は同時に身構えた。
何かが発動する前に、セノカが飛び出す。
手刀に魔力を纏わせ、強度を上げる。相手の手を切り落とすつもりだ。
しかし、手が届く直前に、それは起こった。
天へ伸びた手を中心に、眩い光が周囲を覆った。
「喜べ悪よ。我々聖白竜が直々に、一対一で相手をしてやろうではないか」
光はセノカとその男を、レイと聖白竜の少年を、テオともう一人の聖白竜の女性を隠すように、三つの球体へと変化した。
出口の無い球体に敵と閉じ込められたテオは異物どころか窪みの一つも見当たらない白い壁を見回した。
「眩しっ! 何これ、神聖魔法の簡易異空間……⁈」
「ご名答」
耳元に迫っていた声に、テオは目を見開いた。
そして首元に迫る風圧に、反射的に腕を上げた。
爪が細腕を抉った。
骨まで到達した辺りで腕の高度を急激に上げる。
骨が軋み、爪との接触面から火花が散った。
「面白い技を使うのね。流石は神の告げた悪の使徒」
「……」
白い肌に対して真っ赤な、色の悪い血が落ち、白い結界を汚した。
女性は冷たい無表情で腕を抑えて俯くテオを見下ろした。
「その姿で私たちを騙せると思ったのかしら。本当は醜く恐ろしい姿をしているのでしょう?」
挑発交じりに女性が言った。
テオは答えない。
獲得能力によって、深い傷は跡形もなく癒されていく。服に組み込まれている筈の魔法式は発動せず、破れて血に汚れたままになっていた。
空間魔法を封じられているため武器を取り出すことが出来ず、今のテオは丸腰の状態だった。
しかし女性は油断の色を見せず、テオから距離を取る。
魔法が扱えないこの状況なら、相手の筋力は完全に見た目通り。少女のような少年の細腕に負ける可能性は万に一つも無い。
女性は神聖魔法の魔法陣を出現させた。
「塵にしてあげるわ」
聖脈が溜まっていく。
テオは顔を上げなかった。癒えた腕の傷を確認するように眺めている。
その行動が、女性にはどこか異様に感じられた。
神聖魔法が完成する。
魔法陣から、白い光線が放たれようとした。
だが、その時だった。
少年は、突然顔を上げた。
女性は背筋に冷たい何かが降りるのを感じた。
その顔の、その口角は、緩やかではあるが、確かに……
「醜い、だなんて___」
____酷いことを言う。
・・・
「あの子供が心配?」
聖白竜の少年は神聖魔法の光を放ちながら、飛び回るレイに尋ねた。
レイはテオが居るであろう方向を気にするように敵から視線を外している。
更にレイが放つ攻撃は少年ではなく、結界に当たっては少し傷をつけて消えていく。完全に、少年の相手をする気は無いといった風な様子だった。
光がしつこく追い回して来るのも気にせず結界に意識を向けるレイに、少年は苛立ちを見せ始めていた。
「ねえ、敵はこっちだよ」
攻撃の威力を強めて叫ぶも、レイは一瞬の視線も寄越さない。
余程視力が優れていなければ視認できない小さな傷が、結界内で増えていく。
隙あらば鋭い斧の音が反響し、少年は顔を顰めた。
「おい」
低まった声で叫ぶが、それでもレイは見向きもしない。
少年は眉間にしわを寄せ、ついに大声で怒鳴った。
「おいってば!!」
聖脈を含んだ咆哮が、斧の音を掻き消して広がった。
これで少しは反応があるだろうと、少年はレイの動きを目で追う。
しかし。
「……」
「…………」
矢張り何も答えず、結界の破壊に集中していた。
少年は砕けそうなほどに奥歯を強く噛み締めた。
そして巨大な翼を広げ、自ら敵の元へ向かった。
聖脈で強化された爪を構え、全速力で飛行する。
そこでようやく、藍緑の瞳が少年の方を向いた。
少年は息を止めた。
自分の十分の一も生きていないであろう目の前の脆仙が見せたその眼。
そのような眼を、一度も見たことが無い。
無関心。
ただそれだけ。敵意も、辟易も、同情も無い、ただ心底どうでもいいと言うような視線。
それが神経を酷く逆なでした。
「ちっ……!」
その体に爪を立てようと、少年は腕を振り上げた。
が。
「邪魔するな」
レイが言った。
次の瞬間、少年の視線の端に黒い何かが映った。
突然のことに視線を動かせない。反応も出来ない。
直後、頭の横から凄まじい衝撃が少年の脳を激しく揺さぶった。
同時に意識を手放し、少年は結界の底に向かって行った。
レイは落ちていく少年からさっと目を離し、斧を振り上げた。
(……硬い。その上魔法が使えない分攻撃威力が落ちている。テオとヴィアを助けに向かえるまで何分……否、何時間かかるのだろうか)
レイは表情を動かさず、操作の狂った魔力に微かな揺らぎを生んだ。
・・・
(さて……)
結界の底で倒れる敵を藤色の瞳が見下ろした。
結界内に閉じ込めた瞬間に額を殴られ、鳩尾に蹴りを入れられ、どこからか出て来た紐できつく縛られた聖白竜の男は、額からだらだらと血を流しながらセノカを睨み上げた。
セノカは男の髪を掴み上げ、自らも屈んで視線を合わせた。
男の目には敵意こそ籠っているが、強く殴ったためか視線は安定しない。
「今から私の問いに答えてもらう。異論は無しだ。虚言を吐いたまたは返答を拒否した場合はお前の爪を、その次は指を、次は目玉を取る。まずは___」
「誰が……答えるか……悪、め……!」
男はかすれ声で反抗の言葉を吐いた。
その瞬間。
「ぐぅっ……!!」
セノカは男の手を押さえつけ、上に向けて爪を引っ張った。
剥がれる音と血が垂れる音が男の鼓膜を揺らす。
男は目を見開いて呻く。
「言った筈だぞ、爪を剥ぐと」
「この程度の、痛みで……」
「そうか」
セノカは男の手を離し、腕を掴んだ。
そして急激に捻じった。
「ぐぁあっ⁈」
「お前たちの信じる神と言うのは、魔力、呪力、聖脈の全てを持ち、異質な声を持つ子供か?」
男の腕を折ったセノカは、変わらない淡々とした声で尋ね直す。
荒い呼吸を繰り返す男は、苦痛に耐えるように残った手を握り締めた。
「無駄だぞ……我らは、決して神を、裏切っ……⁈」
セノカは男の肩を握り潰した。
鈍い痛みが広がり、男は呼吸を忘れて壊れた笛のような音を喉から漏らした。
鎖骨に届く衝撃に耐え、骨を痛めないように慎重に呼吸を始める。
しかし無慈悲にも、重いつま先が鳩尾にめり込んだ。
「かはっ……!」
「こうも手間のかかる拷問は久方振りだ。並の者なら威圧のみで吐いたというのに」
セノカは吹っ飛ばされた相手につかつかと歩み寄り、手を伸ばした。
潰れた肩を掴み上げて強引に上半身を起こすと、男はついに絶叫に近い声を上げた。
「もう一度聞く。神と言うのは魔力、呪力、聖脈を持つ異質な声の子供か?」
良く通る声が絶叫を貫通し、男の耳に届く。
「く……無駄だと、言っている……!」
「……らしいな」
セノカは肩から手を離した。
男が結界の白い床の上に崩れ落ち、肩に走った衝撃にまた小さく呻いた。
安堵したように呼吸を整えようとする男に、セノカはまた淡々と言い放った。
「母親は居ない。父はルーゼ、姉が一人、メレーナ、弟が二人、ケルクとマルタ」
その言葉に、男の顔から血の気が引いて行った。
セノカは男に背を向け、暗唱するように続けた。
「特に仲の良い友人は四人か。顔に見合わず社交的だな。名前はフィーネ、レンダ、ヘレット、セレン」
「ま、待て! 何故、その名前を……!」
「お前のことも知っている。ガインだろう?」
「……!」
突然出て来た自分の名前に男……ガインは肩を震わせた。
セノカは再び屈み、空虚な無表情のまま告げた。
「従者が煩いので避けたかったが、ここまで来ると仕方が無い」
感情の無い声色で話を続けるセノカに、ガインは妙な寒気を感じた。
セノカは言葉を失うガインの目を覗き込んだ。
「もしお前がこのまま答えないと言うのならば、家族と友人に私から危害を加えさせてもらう」
「危害……だと……?」
「そうだ。具体的に言うと_____少なくともお前と同じ目には合ってもらおう。その上で、私には薬学の知識があるので、何かしらの毒薬を飲ませても良い。他にすることとしては……目の前で、順番に殺していこう。勿論そこにはお前も居るぞ。今ここで殺す必要は無いのでな」
セノカは考えるように下を向いていた視線をガインに合わせた。
冷たい虚無が、心底恐ろしく感じられた。
「端的に言うと、拷問死させる」
あまりにも軽く放たれた言葉に、ガインの中で情報処理が僅かに狂い、遅れた。
「決めるのはお前だ、ガイン。家族の命を捨て、下らない信仰を優先するか?」
「……止めてくれ」
震える声が喉の奥から絞り出された。
「何?」
「……話す。家族と、友には手を出さないでくれ」
「……おめでとう。正しい判断だ」




