手繰れど悲劇、縋れど絶望 二
数時間前。
帝国立第一学院。
『レイ』
授業を受けていたレイの脳内に妹の声が送り込まれた。
授業中ではあるが内容は既習であり、受ける必要は無いので形だけの出席となっている。
隣ではラぜメアが難しい顔をしながら教科書とメモの字を睨んでいる。
レイは一応話を聞いている風を装い、セノカからの通信に応える。
『どうした?』
『レムノスたちはハルクを探しに出たのだろう? 何か連絡は無いのか?』
『今のところは無いが……』
『……そうか』
レイはその返答に一瞬耳を疑った。
心配しているのか? 従者のことを、あのセノカが?
通信に心の声が入らないように何とか抑える。とは言えセノカのことなので、怒らないだけで思考は全て見通されているのかもしれない。
などと考えていた次の瞬間、再びセノカの声が聞こえた。
『三人を追いかける。準備しろ』
レイの心拍が僅かに跳ねた。
そしてもう一つの魔力が通信に混じった。
『授業中に何の前触れもなく伝念してくるの止めてくれないかなあ』
テオの声が言った。
既習の範囲でも律儀に受講しているらしい。
セノカの言葉の意味はまだ完全には分からない。
しかしセノカが態々出向こうとする程だ。緊急事態であることに違いない。
レイは周囲の生徒と教師に気づかれないよう気配を消し、転移魔法と同時に記憶改竄の魔法を発動させた。
セノカが人格を取り戻した瞬間から六年かけて開発した魔法によって、「今日は検診があるため三つ子は学院外に出ている」と、生徒とシラー以外の教員たちの記憶を変える。
レイの姿と荷物が教室から跡形もなく消え失せるが、それに気づく者はおろかレイがそこに居たという事実を覚えている者すら居なかった。
・・・
転移空間内で仕事衣装に着替えたレイは、集合場所となっている異空間に出た。
そこには自分と同じように仕事衣装に着替えたセノカとテオが立っていた。
「全員集まったか」
セノカが呟いた。
テオが何か尋ねようとしたが、言葉を発する前にセノカは異空間外に出る転移魔法陣を開いた。
「移動しながら説明する。目的地は北北西、聖白竜の里だ」
・・・
「いつの間に聖白竜の里なんて見つけてたんだ」
「従者の故郷など、裏切りを考慮して出会った瞬間に特定しない方がどうかしている」
「……ああ」
「そんなことは無いと思う。絶対」
しれっととんでもないことを言ったセノカと、同意したレイににテオは奇異の目を向けた。
局の中で裏切り者を見つけ出しては拷問にかけて殺していたセノカとレイにとっては常識的なことだが、そんなことをテオが知っているわけはない。
幻影魔法で姿を消し、空を飛びながら三人は従者たちを探している。
「態々学院を出てまで奴らを探しに来た理由だが」
不意にセノカが言った。
「魔力探知に反応が無いからだ」
告げられた言葉に、テオとレイは目を見張った。
「否、反応自体はあるが偽物だろう。ハルクの行動、レムノスとヴィアの思考回路からして聖白竜の里に向かったことは分かるが、おそらく状況が相当まずい」
「待て、何故そのことを俺に言わない」
「そのままレムノスが里で協力者を増やしてくれるなら手を出すつもりは無かったのでな。阿呆でも分かることだ。……私はお前が気づいていなかったことに驚きたいのだが」
セノカは変わらず冷淡な目つきでレイを睨む。
レイは俯いた。テオは苦笑した。
「お前はもう少し身内に理性を持て」
「……面目ない」
「ま、まあまあ。兄さんは仲間思いだから、さ」
「話を戻すぞ」
セノカは傷つく兄とそれを必死にフォローする弟をよそに説明を続けた。
「一つ言っておく。これから言うことはただの予感だ。しかし経験上、私の予感は大抵当たる」
「あー……」
テオは何かを思い出したように視線を上に向けた。
レイにも思い当たることが少なからずあった。
前世からセノカの予感は当たりやすい。どころか彼女が何かしらの予感を口にした時、必ずそれに近しいことが起こる。
彼女自身の病の発作、地震、機械類の不具合、拠点周辺での事故。
頭脳では予測の出来ない事象をセノカの予感は言い当てる。そのおかげで幾つもの不幸から自他を救うことが出来たのだ。
しかし重大な事柄をあまりにも淡白に、日常会話のように告げるため、聞き逃してしまうことも稀にあった。
嫌な可能性がレイの頭を過った。
セノカは普段通りの淡々とした感情の読めない声で告げた。
「今回の一件で、我々の従者四人の一人が____」
それは、その声に反してあまりにも、現実性を欠き、残酷な予告だった。
「___死ぬ」
・・・
「ねえヴィア、一つ聞いても良い?」
禍々しい黒翼を羽ばたかせながらディウルカが尋ねた。
「何だ?」
「竜種の性格について、少し引っかかってさ」
「性格、か……他の竜種とは深く関わっていないので、詳しいわけではないぞ」
ディウルカはゾルヴィアとの距離を僅かに縮めた。
ゾルヴィアは正面を向いたまま語り始めた。
「簡単に言うと、聖白竜は正義を、暗黒竜は平穏を、五玉竜は誇りを重んじる。勿論、それが全てではない。共通して最も尊ばれるのは仲間の存在だ」
「まあ数が少ない上に種類ごとに特性の差異が大きい竜に仲間意識が無いと、とっくのとうに絶滅してるだろうからね」
「尊い友情を論理的に分析しないで」
前を飛んでいたレムノスが小さく眉を顰めた。
一方のゾルヴィアには特に気にした様子は無い。
平穏を重んじる、と言うだけあってゾルヴィアが他人に怒りの感情を向けた場面をディウルカとレムノスは殆ど見た記憶が無かった。余程激しく侮辱しない限り、非常に穏やかな竜である。
そんな暗黒竜が聖白竜の里を襲った。聖白竜が違和感を持たなかったのは、彼らの言う神とやらの所為なのか。
ディウルカは元の距離に戻りながら言った。
「参考になったよ」
「引っかかった、と言っていたな。何か分かったのか?」
「まだはっきりとは。でも、何か気持ち悪い感覚が……勘に近いけど、重大なことに気づきそうな気がする」
ディウルカの瞳は虚空を眺めていた。
ゾルヴィアとレムノスは珍しく真剣に考えているその姿を奇妙な光景……セノカが満面の作り笑いを浮かべたのを見た時のように凝視していた。
ディウルカは二人に視線を返した。
「何見てんの」
そして二人から読み取れた失礼極まりない思考を何となく察したのか、ディウルカは二人を軽く睨んだ。
二人はさっと目を逸らした。
「で、まだなの? 聖白竜の里は」
「もうじき着く」
「随分遠いな」
「もうかれこれ二十分は飛んでるのに、今まで一度も位置を悟られなかったわけだね」
これだけ遠ければ本気で見つけようとしても困難だろう。竜種の中で最も正義感と警戒心が強いと言われるだけある。
更に今飛んでいる位置と先程の跡から察するに、脆仙、聖仙、宵聖仙が近づきたがらない、人里から遠く離れた種族間の結界付近に里を置いている。
結界の弱った今なら尚更恐れられ、見つかりにくいのだ。
レムノスはとある岩山の上で止まった。
山々に隠れ、遠目からでは視認することの出来ない小さな山。苔に覆われ、剥き出しの部分は鈍く日光を反射している。
「ここ___」
その時だった。
「!」
迫る殺気にレムノスの表情が強張った。
腕を振り、それに気づいていない二人に叫ぶ。
「避けて!」
殆ど同時に、二人は後ろへ飛んだ。
目の前を眩い矢が貫き、空の彼方へと消えて行った。
三人は敵の正体を掴もうと地上を見下ろす。
しかし。
「何も居ない……魔力の反応も無い」
「ということは、ここが……」
「間違いない」
不意にレムノスが片手を掲げた。
レムノスの体から神々しい気配が溢れる。この世界で最も神に近しい種である神仙の、どことなく異質な聖脈が満ちていく。
白い手が握られる。
同時に、岩山に立体感の無い、何もかもを吸い込むような穴が生まれた。
穴の直径はゾルヴィアの身長よりもやや大きく、光に縁どられ待つように口を開けている。
「すぐに閉じてしまう。急いで」
レムノスを先頭に、三人は穴の中へと勢いよく飛び込んだ。
微かな光と共に穴が閉じるのは、数秒後のことだった。
岩山の中に飛び込んだ三人は軽く目を疑った。
確かに物体の内部に侵入した筈。しかし背後を見遣ればそこに壁か天井のような仕切りは無く、日が沈み始めて淡く朱色に色づき始めた空が広がっていた。
見下ろしても、そこに岩山の存在を感じさせるものは無い。
代わりに何百もの敵意が三人を出迎えていた。
簡素な屋根。疎らに生える木々。亜麻色の地面。
そして、白い翼と角を生やし、純白の聖職者のような服を纏った白髪に緑の瞳の集団。
「……ようやく、か」
ディウルカが小さく呟いた。
眼前の光景を前に、疑う余地は無い。
ここが探し求めていた場所。
聖白竜の里。
そして案の定と言うべきか、爪か武器を構え翼を広げ、侵入者を睨み上げる聖白竜たち。
ゾルヴィアは息を詰まらせた。
次の瞬間、地上から大量の光___神聖魔法の雨が三人に向かって飛んだ。
レムノスは外へはたくように翼を振る。聖脈の風圧が神聖魔法を掻き消し、光が散って虚空へ消える。
背中合わせになり、周囲からの攻撃を警戒しながら三人が下降する。
記憶の中の宿敵である暗黒竜、堕天使の末裔でありこの世界最強の種族である神鬼、神の使いである神仙。その奇妙な組み合わせと絶大な力の気配に、聖白竜たちが後ずさる。
地上に靴底を付け、三人は翼を畳んだ。
まず声を発したのはレムノスだった。
「私たちは間違いを正しに来ただけ。話をさせて。戦うつもりは無い」
出来る限り敵意を込めないようにと、淡々とした声が結界内に響く。
「里長かハルクを連れてきて。駄目なら私たちから向っても構わない。兎に角、敵意を交えず冷静に話せる人を……」
「必要ない」
レムノスの言葉を、低い声が遮った。
三人と、その場の聖白竜が同時に声の主を見た。
しかし集団の中に隠れているのか、辛うじて見えるのは角の先だけだった。
軽い足音がゆっくりと近づく。聖白竜たちが道を開け、声の主の姿が露になった。
予想していた場所に頭は無く、三人の視線が下る。
そこには、一際神々しい神官の衣装に身を包んだ、長い白髪の少年の姿があった。
「暗黒竜、神鬼、神仙……我が竜生においてまたとない奇妙な光景だな」
十代前半あたりに見える、あどけない少年の口から発せられる青年のような声。所作にも外見相応の幼さは無い。
「ハルクは祭事で忙しい。私が相手をしよう」
深緑の瞳には悠久の時を生きて来た仙人のような叡智が宿っている。
見た目と声の差にレムノスとディウルカが混乱する中、ゾルヴィアが前に出た。
「貴方が里長か?」
「いかにも」
少年がヴェールを揺らし、深く頷いた。
「こんな幼い子が……?」
「失礼な。七千は超えとるわ」
レムノスの呟きに里長が口を尖らせた。自分の美貌を自覚している故の表情だ。
「うざ……」
ディウルカは忌々し気に目を細めた。
ふとその角に視線を移すと、大きく四度枝分かれしている。年を重ねている証拠だ。
ゾルヴィアが次の言葉を発する前に、一人の聖白竜が開けられた道から飛び出してきた。
「いけません、長!」
壮年の男だ。年齢を表す角の分岐を見るに、ゾルヴィアよりもやや年上くらいだろう。
「ノーマとリゼラゴが戻っていません。おそらくはこいつらが……」
「態々言わんでも分かっとる」
少年の姿をした里長が軽く睨むと、男は頭を下げ、集団の中へ引っ込んで行った。
少年は穏やかな笑顔を三人に向けた。
「すまんな。敵とは言え、客人を待たせてしまったことを許してほしい」
気さくな物言いに、素直に返事をしそうになる。
しかし少年が確かに発した単語に、ゾルヴィアの表情が強張った。
敵。少年も自分たちを拒絶する対象だと認識している。
レムノスとディウルカも解きかけていた警戒心を呼び起こした。
「自己紹介が遅れたな」
里長は胸に手を置いた。
「私は聖白竜の里の長、ロガティカロル。気軽にロガ、とでも呼ぶが良い」
ロガは再びにこりと笑った。
聖白竜の長、その地位にふさわしい美しい笑みに一瞬息が止まる。
一方でその瞳は鋭く三人を見据えていた。
「さて、何が狙いでここへ来た? 我らの血肉か? 暗黒竜」
「……敵対するつもりは無い。暗黒竜は無実であることを伝えに来た」
「無実、か……神の言葉に反している以上、信じることは出来んぞ」
「その神に……否、神を名乗る子供に騙されていると言っているのだ」
「ふむ……」
ロガは悩まし気に首を傾げて見せた。
わざとらしい、とても真剣に考えているとは思えない動作だが、今は頼るしかない。
その背後の集団は揺るがない敵意をゾルヴィアに向けている。
「私もかなり長い時を生きている故言わせてもらうが……確かにお主が嘘を吐いているようには見えんな」
「! ならば」
「だが、敵と神、どちらを信じるかと言われれば、神を選ばざるを得ん。私は聖白竜だぞ?」
諦めろ、と言わんばかりの冷たい苦笑にゾルヴィアの魔力と呪力が揺らいだ。
暗黒竜か五玉竜ならば、まだ話は通じたかもしれない。ゾルヴィア自身も神を名乗る子供ではなくセノカ達を信じた。しかし今回の相手は、よりにもよって正義感が強く信心深い聖白竜、その長だ。
ゾルヴィアは小さく顔を顰めた。
「……」
その時、ロガが突然翼を開いた。
三人は即座に臨戦態勢に移る。
聖脈が満ち始め、他の聖白竜が距離を取った。
次の瞬間、ロガの姿が消えた。
その行方を探ろうと、三人が視線を振るより前に。
ゾルヴィアの肩に手が置かれた。
ロガだ。
「借りるぞ」
軽い声が言った。
直後、二人の姿が消えた。
先程までゾルヴィアが立っていた、ただの虚空となってしまった場所をレムノスとディウルカが振り返る。呪力と魔力、そして微かな聖脈が残っているだけだった。
二人は周囲の敵意に気づき、集団に向き直る。
黒と白が背中を合わせ、それぞれ鎌と剣を無から出現させた。
「ヴィアの行方は?」
「読めない」
「じゃ、さっさとこいつら倒して探しに行くよ」
「うん」
二人は同時に足を踏み込んだ。
・・・
ゾルヴィアが肩の上の手を振り払い、後ろに跳んだ。既に景色は夕焼けの下の里の中ではなかった。
「ここは……」
「異空間に転移させてもらった。里の者たちを巻き込んでしまうからな」
精度の高い魔力探知を発動させ、ロガの動きを警戒しつつ周囲を観察する。
半球状の白い天井。足元の白い草原。セノカ達が鍛錬用に使うものとは異なり無限ではない、簡易異空間に近いものだ。
「さあ、構えろ暗黒竜」
ロガが言った。
ゾルヴィアは視線を戻し、黒い爪を構えた。
呪力と魔力を鎮め、姿勢を低める。
「これは私から与えてやった機会だ。ここで私に勝てば、お主の言葉を認めよう」
「何?」
「私は里最強の聖白竜だ。そんな私に勝つことさえ出来れば里の者も私も抵抗など出来まい。負ける気など毛頭ないがな。____それに」
ロガは右腕を掲げた。
その先で強い光が瞬いた。
細長い剣が、光の殻を破って現れる。
聖脈を纏う刃が、その場に漂う一切の穢れを斬る気配がした。
「命の危機にこそ、本性は見えるものだろう?」
ロガの全身から、重い聖脈が溢れ出た。
ゾルヴィアはその圧倒的な力の波に、深紅の目を細めた。




