手繰れど悲劇、縋れど絶望 一
「聖白竜の里……」
そこにハルクが居るかもしれない。
里帰りならば危険な目に遭っている可能性はまず無いと考えてよさそうだ。
聖白竜の里は特殊な結界で隠されている上に、彼ら自身滅多に遠くに離れることは無い。二千年前の襲撃の際にあちらからゾルヴィアと少年を攻撃してきたのは、単に二人が里を襲いに来たと勘違いしたためである。
ディウルカの表情が微かに上機嫌に戻った。
「じゃ、行かない方が良いってこと」
「……ああ。ハルク以外の聖白竜が真実を知っているとは思えぬ。我が近づけば間違いなく敵と見なされる」
「だってさ。これでもう続ける理由は無くなっちゃった。ねえレムノス?」
愉悦を含んだ紅の瞳がレムノスに向けられる。
しかし、ディウルカはその表情に違和感を覚えた。
このような状況だというのに、落胆と諦めの色が見えないのである。
「なら尚更行くしかない」
ディウルカとゾルヴィアからすれば信じがたい言葉が放たれた。
「今の話聞いてた?」
「聞いてた」
「どういう思考でそんな判断になるわけ」
ねえ、と、ディウルカはゾルヴィアに同意を求めた。
ゾルヴィアは何も言わず、しかし困惑したままレムノスを見ている。
レムノスには確かな覚悟と決意があった。
「聖白竜たちの誤解を解く」
告げられた言葉に、ゾルヴィアは目を見開いた。ディウルカの表情は再び曇った。
レムノスは淡々と続けた。
「上手くいけば協力者を増やせるかもしれない。あっちにはハルクも居るから、きっと信じてもらえる。それに……単純にこのまま放っておけないから」
「……あーあ」
ディウルカが呟いた。
「折角帰れると思ったのに」
そして忌々し気に顔を顰めた。
レムノスは驚いたようにそれを凝視していた。
「何?」
「……そんな素直に協力してくれるなんて思ってなかった」
「はあ? 君が言ったんでしょ。そろそろテオ様がヤバいからついて来いって。別に僕の意思じゃないし」
ディウルカは顔を背けた。
レムノスは無表情を僅かに綻ばせた。
ゾルヴィアは未だに困惑を隠せずにいた。
「……良いのか?」
「さっきも言った。これは私たちの利益にもなる。貴方のためでもあるけど、それだけじゃない」
「……済まぬ。ありがとう」
ゾルヴィアは微笑んで言った。
レムノスが小さく頷き、ディウルカは何も答えず目を逸らした。
「で、里の場所は分からないの? 見たことあるんでしょ」
「分からぬ。竜種は三百年ごとに里を移す。加えてあのようなことがあった後だ、かなり場所が変わっているだろう」
「なら、聖脈が少しでも残っている場所を探索するしかない」
「結構距離あるのに?」
「貴方たちと違って神仙は聖脈にも魔力と同程度に反応できるから。さっきここに来るときも使った」
魔力探知は自身の魔力を薄く広げ、対象の位置を炙り出す。つまり聖脈を持つ神仙、聖白竜、聖仙、宵聖仙の四種族はそれと同じことが可能なのだ。
レムノスは片腕を掲げた。
そして目を閉じ、意識を集中させた。
〈聖脈探知〉
レムノスを中心に、聖脈が遥か遠くまで広げられていく。
常時発動させている探知の数十倍の精度で里とその跡を探す。
魔力探知と同様に、薄められた聖脈に生物が反応することは無い。しかし、広範囲に使用するには並々ならぬ集中力と技術が求められる。セノカ達のように種族領全体に常時探知を発動させるなど一般人はおろか上位の魔物でもまず不可能だ。
(……あった。六〇〇年以内と思われる聖脈痕)
その時、レムノスの探知に複数の反応があった。
それらの場所だけ僅かに濃い聖脈が漂っている。
肝心の里の位置までは特定できない。結界により巧みに隠されているというのは嘘ではなさそうだ。
しかしその反応の中に里があることは間違いない。魔力もそうだが、痕跡というのはどこまで努力しても完璧に消すことの出来るものではない。それこそ主人たちのように、魔力を無に近いほど抑えてそもそもの痕跡を作らないでもしない限り。
「東北東に一つ、南に一つ、北北西に一つ。……少なくとも神仙の痕跡ではない。足跡も無いことから、宵聖仙と聖仙の可能性も低い」
「つまりは、殆どの確率で聖白竜の里の跡だ、ってこと」
レムノスは静かに頷いた。
「もし結界が神聖魔法由来なら、近づけば私は感知できる。行けば里か痕跡か分かる筈」
態々結界を使うということは、その結界は間違いなく単なる防御用ではなく敵の視覚から隠れるためのものだろう。
探すことに関しては完全にレムノス頼りだ。
「……行こう」
純白の翼が広げられた。
羽毛が柔い音を立て、周囲の魔力が揺らぎ聖脈が波紋を起こした。
ディウルカは禍々しい黒翼を開いた。重苦しい魔力がかき乱された。
ゾルヴィアは巨大な黒い竜の翼を広げた。微かな呪力の風が舞った。
羽ばたきが風圧を起こす。同時に、三人の体は宙に浮かんだ。
瞬き一度にも満たない内に、その姿は森から消え失せていた。
・・・
「ここ」
レムノスが高度を落としながら言った。
それに続いてディウルカとゾルヴィアの二人もゆっくりと地表に降りて行った。
そこは深い森の奥だった。周囲には僅かに獣と蟲の反応があり、木の葉が弱い風に揺られて擦れる音が静かに響く。
木々にはそれらしい隙間が無く、聖脈を感じ取ることの出来ないディウルカは周囲を見回した。
「とても竜種が住んでるようには思えないけど」
「確かにここは跡。けれど間違いなくここに住んでた。自然に漂っているにしては聖脈が濃い。……そういえば神鬼も魔力探知は得意でしょう。分からない?」
「数百年前の魔力痕なんて、余程持ち主の魔力量が多くないと、かつ垂れ流してないと殆ど残らないからね。……まあでも」
ディウルカは不意に背後右斜め上を振り返った。
レムノスとディウルカもその視線を追った。
そして何かに気づいたように戦闘態勢に入った。
ディウルカの右手に黒い光の球が浮かび上がる。それは瞬時に形を変え、巨大な鎌の形を作った。
「この程度の誤魔化しなら、簡単に見破れるけどね」
直後。
ゾルヴィアの真正面に、一筋の閃光が降りた。
気づいて避けていなければ喰らっていた。完全にゾルヴィアを狙っていたとしか考えられない。
光の中から、また閃光が走った。
心臓を貫かんとするそれを、ゾルヴィアは間一髪体の向きを変えて躱す。
避けきれなかった光が腕を掠った。紅い線が走ると共に、傷口から血が流れた。
続いて上空から二つの影が迫る。
ゾルヴィアは即座に結界を張り、魔法と爪を防ぐ。硬い音が響き、風圧が木の葉を散らせた。
二つの影は地上に着地した。
「……よく来た、暗黒竜。早速で悪いが、その命、我らが同胞のために狩らせてもらうぞ」
純白の竜の翼。鋭い爪。白髪に、深い緑の瞳。聖職者のような服。
聖白竜。
深緑は、正義と敵意に満ち溢れていた。
「私たちは里を離れるときに必ず罠を仕掛けておく。里を狙う者を感知し、即座に道を絶てるように」
「俺たち二人は道を絶ち、里を守る役目を任されている。戦って退けられなかった者は居ない」
若い男女の二人組だった。
どちらも強大な聖脈の気配を纏い、微塵の隙も見せずゾルヴィアたちを睨んでいる。
「しかしまさか、迷宮に封印された筈の暗黒竜が再び狙って来るなんて驚いたわ。そんなに私たちの血肉が美味かったのかしら」
女性が嘲笑混じりに言った。
ゾルヴィアの背後で、レムノスの魔力が揺らぐ気配がした。
分かりづらくとも彼は大の仲間思いである。仲間を侮辱されたことによって相手に少なからず敵意が湧いたらしい。
レムノスが爆発する前に、ゾルヴィアは一歩前に出た。
「違う! 里を襲ったのは暗黒竜ではない! 我らは騙されたのだ、神を名乗る仮面の子供に」
「……ほう」
男が構えを崩した。
魔力の緊張が解け、硬い表情が僅かに緩む。
「……敵意を見せてはまずい。二人とも、手を出すな」
「……分かった」
ゾルヴィアは安堵したように肩を落とした。レムノスとディウルカも武器を下ろした。
「仮面の子供か、成程。その者が俺たちを唆した、と」
男は無防備にもゾルヴィアに歩み寄った。
女性は男の行動に一瞬目を見開く。しかしすぐに男と同様に戦闘態勢を解いた。
魔力の制限もせず、自然な動作でゾルヴィアの目の前まで男が近づく。
「そうだ、故に、我は_____」
その時だった。
どす、と鈍い音が鳴った。
突然の異音に、ゾルヴィアは状況が飲み込めずに呆然としていた。
が、その視線はすぐにその下、自分の腹部へと向かった。
焼けつくような痛みと、異物が体内に侵入する感覚に、刃を深々と捻じ込まれてようやく気付いた。
聖脈で作られた刃が捻られ、傷口が嫌な音を立てて広げられた。
抜かれた刃には鮮血が滴っている。
「ヴィア!」
レムノスが叫んだ。
不意打ちで刺されたことをゾルヴィアが理解するのは、男が刃を再び振り上げた時だった。
「くっ……!」
首を落とそうとした斬撃を咄嗟に結界で防ぐ。
地面に膝を付くが、何とか刃を押し返す。
「……聖脈の剣で刺したはずだが、何故麻痺しない」
「聖脈には、既に……耐性をつけた……!」
「何? どうやって……まあいい。その分ではすぐには動けまい」
腹から血が流れると共にゾルヴィアの力が弱まっていく。
今すぐ回復しなければ数分の内に完全に動けなくなる。だが結界を維持しなければ死ぬ。
「祭事の妨害だけに飽き足らず、我らが恩人である神まで侮辱するとはな」
男の声が耳鳴りの奥へ遠のく。
出血によって意識が徐々に薄れていく。
結界にひびが入り始めた。
次の瞬間。
ゾルヴィアの背後からレムノスが飛び出してきた。
致命傷にならない程度の距離で剣を振る。殺意の無い攻撃に反応出来ず、血が線を描き出す。
男は背後に飛び、回復魔法を発動させた。
男はようやくレムノスに聖脈の気配があることに気づいた。
「貴女は……神仙なのか……?」
「だったら何」
「神の使いである貴女様が、何故暗黒竜の味方をしておられるのだ!」
「貴方達が誤解してるだけ。暗黒竜は悪じゃない」
「そんなわけはない! 確かに二千年前のあの日、暗黒竜が里を襲ったのを見た! 貴女は騙されているのです! その暗黒竜と悪魔に」
男はゾルヴィアとディウルカを睨んだ。
レムノスの魔力が再び苛立ちと怒りに揺らいだ。
「騙されてるのは貴方達の方。貴方達が信じているのは、神であっても信じるような神じゃない」
「そんなことは……」
神仙から告げられた言葉に、動きが止まった。
「くそ……!」
女性が苛立ったように呟いた。
そして男を叱咤するように叫んだ。
「何をしてるのよ! 神は暗黒竜を信じるなと言った! ならその神仙は騙されてるか偽物でしょ!」
「……そう、か……!」
「私は暗黒竜をやる! 頼むわよ!」
「ああ!」
男はレムノスに剣を振るった。
「ハルクは何処」
「……何故、彼の名を?」
「私たちはハルクの仲間。彼に聞けば全部分かる」
「ならば、教えるわけにはいかない」
男は炎魔法を放ちながら言った。
「あの子はまだ若い。暗黒竜と悪魔に毒されてしまう恐れがある」
「……そう」
レムノスは愚かな者を憐れみ、その決断を悲しみ怒るように目を細めた。
女性が高く跳躍し、ゾルヴィアの背後に着地した。
短剣を振り上げ、出血と苦痛で大幅に動きの鈍っているゾルヴィアを背後から刺そうとする。
しかし刃が届く前に、その手が切り落とされた。
「ヴィアの分」
「貴様……!」
「僕は二人と違って優しくないから」
ディウルカは気だるげな無表情を崩さない。
だがその瞳には静かな怒りが籠っていた。
手と武器を失った女性を、ディウルカは鎌を引っかけて後ろに倒す。
そしてその首元に刃先を突き立てた。
「動かない方が良いよ。もしこれ以上向かってくるなら、この女の頸動脈を引き裂いてやる」
「ディウルカ!」
過激な行動に、レムノスは声を荒げた。
ディウルカは視線のみをレムノスに向けた。
「その子を離して。ヴィアの回復をお願い」
ディウルカはぞっとするほど冷たい目で女性を見下ろした。
その気配に息を止める女性の襟首を、ディウルカは乱暴に掴んだ。
ゴミを捨てるように男の方へ女性を投げる。木の幹に激突した女性が呻くが、ディウルカは気にせずゾルヴィアに近づく。
それでも攻撃を続けようとする女性を、澄んだ魔力の糸が制止した。
ディウルカは久々の回復魔法の魔法陣を完成させた。
既にゾルヴィアの足元には血だまりが出来ている。顔色を見れば目の焦点が合っていない上に呼吸が荒く、意識を保つことが精一杯になっているようだった。
魔法で腹の傷を癒し、異空間から一本、錐のような、柄のついた針を取り出した。透明な針の内部には細い管のようなものが見えていた。
「ちょっと失礼」
ディウルカは躊躇なくゾルヴィアの背に針を突き刺した。
管を通って薄い赤の液体が体内へと侵入していく。
柄の部分に溜まっていたのであろう液体が切れると、ディウルカは針を抜いた。
直後、ゾルヴィアの目に生気が戻って来た。
「……済まぬ」
「謝罪は結構。後でセノカ様にお礼しておいてよ」
ディウルカは用済みとなった針を塵にしながら言った。
二人の聖白竜は立ち上がるゾルヴィアを凝視して絶句していた。
本来回復魔法は血液量の回復までは不可能の筈。
勿論それはディウルカたちも、その主人たちも例外ではない。
使ったのはセノカが生成した血液量回復用の薬品だ。形が注射器でも瓶でもないのは、セノカ曰く「どのような状況に置いても最も効率的に薬を流し込めるから」らしいが、そこで短刀にしなかったのはテオとディウルカが猛抗議した末の一応温情と呼べる対応である。
動揺の隙を突き、レムノスは魔法陣を展開させた。
「これ以上の話は不毛。直接里の竜を説得する」
二人は翼で防御を図るが、もう遅い。
〈獄雷〉
威力を抑えた雷が聖白竜を貫いた。
叫び声を上げることも出来ず、一瞬にして意識が焼き切れる。
しかし命を奪うような攻撃ではない。数時間もすれば問題なく目覚める程度だ。
二人の手から武器が落ちた。
白い光が散って消え、立ったまま気絶していた聖白竜二人が地面に倒れ伏した。
「安心して。気絶させただけ」
レムノスは二人の傍にかがんだ。
ディウルカは怒りが収まりきらないのか、無防備に倒れる二人に鋭い視線を向けている。
「さっきこの男は『祭事』と言っていた」
しばらく意識を失ったままであろう二人を魔法で拘束しながらレムノスが言った。
「多分ハルクが居なくなったのはそれが理由」
「あのハルクが祭事、ねえ」
信仰とは無縁そうな彼も、一応聖白竜なのか。
ディウルカは神を崇めるハルクの姿を想像し、緩い嫌悪感を顔に出した。
「というかセノカ様たちに頼れば良いんじゃない? そうすれば何もかも丸く収まるでしょ」
「駄目。気づいているはずなのにここまで放置してるってことは、セノカ様には手伝う気が無い。レイ様とテオ様も止められてると考えたほうがいい」
レムノスはセノカに忠誠を誓っている。尊敬もしている。
しかし理想像は持っていない。セノカの効率主義もよく理解している。
「何にせよ、早く里に行くしかない。この二人が目覚めるより先に、ハルクに会って皆の誤解を解かないと」
三人が翼を開く。
落ちた葉が舞い上がるとともに三人は空高くに飛び上がった。
呪力、聖脈、魔力を宿す翼が高所の薄い空気を裂く。
空の色は微かに赤を帯びていた。
ゾルヴィアはレムノスの後に続きながら、先程の女の言葉を思い出していた。
『神は暗黒竜を信じるなと言った』
それはつまり、神を名乗る「彼の者」の目的が「竜種同士を争わせること」である、ということ。
その目的の理由は何なのか。
ゾルヴィアの脳裏に、美しい仮面の子供の姿が浮かんだ。
彼の正体は……呪力、聖脈、魔力の全てを持つ種族が、果たしてこの世界に存在していただろうか。
もしかすると、本当に___この世の者ではないのか。
その考えに辿り着いた直後、目の前でレムノスが体勢を変えて止まった。
「……レムノス?」
「……嫌な感じがする……」
その呟きに、他の二人が身構えた。
「何が起こるか分からない。警戒して」
レムノスは再び目的地に向かって飛行を始めた。
天使の言う「予感」というものが、どの程度当たるのかは分からない。
しかしこの世界で最も神に近い者の言葉は確かな重みを持っている。
レムノスの言葉が何を意味するのか、他の二人と、レムノス自身は未だ知る由も無かった。
不吉な風が吹く。
この先起こる災いを囁きかけるように。




