手繰れど悲劇、縋れど絶望 四
「祭事の準備が整ったよ」
誰かの声が言った。
「ああ。今着替える」
水音と共に立ち上がり、入り口に向かって歩く。滴る水を魔法で除き、岩の上に置かれる豪奢な装飾の施された布の束に手を伸ばした。
熱い夕日と、涼しい風が心地よい。矢張り夕刻が一番好きだ。少しばかり空腹だが、それでこそ狩りに熱中できるというもの。
同族に、私を良く思う者はそう多くない。
戦いを好み、獲物を狩ることに喜びを感じる。異端児、などと揶揄い半分に呼ばれた時は意味など分からず、相手の笑った表情から勝手に誉め言葉だと捉えていたのは何百年前までのことだっただろうか。
里の中で実力のある者には殆ど勝ち尽くしてしまい、唯一未だ地に膝すら付かせられていない長は年老いたからと他の者から挑戦を阻止されてしまう。
最近では近づいただけで警戒する者も出て来た。
それでも私は戦いが唯一の趣味であることを恥じたりはしていない。
強くなりたい。強くなれば里を守れる。皆を守れる。
そして、仲間を守り、隣に並ぶことも。
否、もしかしたら、ただ漠然とそのような欲求を持っているだけなのかもしれない。
白い儀式用の衣装を、教わった通り丁寧に着ながら考えていると、後ろから軽く頭を殴られた。
「っ、何をする」
「ぼーっとしてるように見えたから」
そいつは謝罪の意思も無く答えて来た。
里では美人だのなんだのともてはやされているが、実際の所はこれだ。すぐに手が出てそれを反省する様子は無い。
「皆待ってるんだから、早くしてよね、まったくもう」
そして吐く言葉は大抵他人への指示か愚痴である。
これと共に生活できていた自分に何度感心したことか。
衣服を汚さないよう、慎重に靴を履く。動きづらいが、もう数刻の辛抱だ。
無事に成し遂げれば、長も褒めて下さる。
清らかな水の溜まる暗闇から出て、眩しさに一瞬目を細めた。
そこには、私を待つ何十人もの同胞の姿があった。
普段は親し気に話しかけてくれる者も、堅苦しい表情で下を向いている。
何度繰り返しても、この空気が私は苦手だった。
歩きづらい靴で自然に歩けるようになるまで、七十年はかかった。同胞たちが開けた道を、狂わさず真っすぐに進んでいく。
両隣に付く者に遅れず追い越さない一定の速度で、木々の下をくぐる。
足音が重なり始める。
道が閉じる寸前、背後からあいつの声が聞こえて来た。
「頑張って来なさいよ____ハルク」
・・・
「ほれ、どうした暗黒竜。まだ私に傷一つ付けられていないぞ?」
「くっ……!」
ゾルヴィアは蓄積したダメージに顔を顰めた。
戦闘が始まってから、それほど時間は経っていない。しかし目の前の聖白竜はその角が表す年齢に反して異常な戦闘力を持っていた。
(ここまで、既に六回は回復魔法を使用している……消耗する前に倒さねば)
ロガが繰り出した蹴りを命中の寸前に腕で受け止め、威力を殺しながら後ろに跳ぶ。
そのまま翼を広げ、周囲に無数の魔法陣を展開した。
〈開戦黒柱〉
影の柱がロガの立つ地面に差した。
ロガは舞うように影の隙間を通り抜け、自身の魔法陣をその手に出現させる。
ゾルヴィアの下の地面に巨大な魔法陣が浮かび上がった。
〈白天の法〉
魔法陣の中から白く輝く鎖が飛び出してきた。
「さあ、悪を捕え罰する聖鎖から、お前は逃れることが出来るかな?」
鎖はゾルヴィアを捕えようと生き物のように動き、逃げ道を塞ぐ。
完全に繋がれる前に、ゾルヴィアは転移魔法で拘束を逃れた。
そして手を掲げた。
〈黒喰〉
展開した魔法陣の中から、大蛇のような影がロガに伸びる。
「見事。しかし____届かん」
〈獄雷〉
しかし蛇の影は雷鳴と閃光によって掻き消され、後には魔力の塵だけが残された。
直後、再び地上から白い鎖がゾルヴィアに迫った。
縦横無尽に飛び回り、鎖から逃れる。意思を持った鎖は執拗に追い回して来るが、速度はゾルヴィアのほうが上だ。
激しい動きの中で敵を捉え、次の魔法を組み始める。
〈深黒の悪心〉
ゾルヴィアの掌の先の魔法陣と連動するように、ロガを中心に地面に巨大な魔法陣が浮かんだ。
「これは……」
ロガは動こうとしない。好奇心を僅かに含んだ緑の瞳が足元を見下ろす。
重い魔力が魔法陣の周辺に満ちる。
次の瞬間、得体の知れない重量そのものがロガの上に落ちた。
「貴方が裁きを下す者ならば、こちらは混沌で答えるまで」
「成程、中々に面白い魔法だ」
ロガは朗らかに笑い、重圧に逆らって立ち上がった。
そして魔法の影響を受けているとはとても思えない安定した足取りで歩き始める。
ゾルヴィアは目を見開いた。
「何だと……⁈」
ロガには竜三頭分ほどの重圧をかけている筈。抵抗は出来ても歩くことはおろか直立すら殆ど不可能だ。
ロガは軽く腕を振って見せた。
すると、闇魔法の魔力の重圧は霧が晴れるように消え失せた。
ゾルヴィアは相手が仕掛けて来る前に上空へ飛び、距離を稼ぐ。
〈白天の法〉
ロガの展開した神聖魔法陣から、新たな鎖が殺到した。
〈影の者〉
闇魔法の腕が鎖を掴む。
魔法陣を発生源とする鎖は黒い腕の握力に逆らえず、その先端はゾルヴィアを追いつつも腕から逃れようと暴れている。
ゾルヴィアは攻撃魔法を放とうとロガに向けて腕を掲げた。
が、既に背後には神聖魔法陣が待ち構えていた。
「しまっ……」
〈終戦光柱〉
標的を囲む魔法陣から光が撃ち出された。
光の中に黒い翼が消え、光の一部はそのまま草原を焼く。
苦痛に漏れる声も掻き消され、輝きと轟音だけがその場を埋め尽くす。
「ふうん……」
ロガはその様子を気楽に眺めながら別の魔法陣を展開した。
神聖魔法の持続時間が切れ、消えた光の中からゾルヴィアが現れた。荒い息をつき、傷ついた翼を羽ばたかせている。
その時、ロガが展開していた魔法陣から光の矢が飛んだ。
鳩尾に向かうそれの威力を咄嗟の防御魔法で殺し、ゾルヴィアは急激に降下しながら回復魔法を発動させる。
翼の傷が塞がり、火傷が消える。
しかしその背後にはいつの間にか、爪を構えたロガの姿があった。
(速い……!)
どうにか頭を逸らして斬撃を避ける。完全には躱せず、首に細い傷が走った。
また距離を取り、草原に着地した傍から回復する。
「先ほどから回避と回復しかしておらんではないか。攻撃を当ててみよ」
「当てさせてくれるなら……」
ゾルヴィアはロガの背後に回り、黒い爪を尖らせた。
「な!」
「良い動きだ」
背後の敵に動揺せず、ロガはふっと笑みを浮かべる。
そして一気に姿勢を低め、魔力を帯びた爪を避けると、隙の出来たゾルヴィアの腹に肘をめり込ませた。
衝撃で骨が軋み、耐え切れずに砕ける。
「かはっ……!」
肺から空気を絞り出され、姿勢が崩れた。
相手が立ち上がる前に、ロガは首に向けて蹴りを放つ。
間一髪翼で防ぐが、次は翼に通っている骨が折れた。
その勢いのまま、ゾルヴィアの体が水平に飛ぶ。
地面に何度も打ち付けられ、至る所から血が流れ出す。
回復魔法によって傷を癒し、再び立ち上がるが、失血によって視界が揺れる。
簡易異空間内からセノカに渡された増血剤を取り出し、躊躇なく腹に針を突き立てる。液体が侵入し、視界が色を取り戻した。
「ほう、その薬品で血液を補給したのか。一体誰の技術だ?」
「それを、話すと……地獄を見ることになる故……答えられぬ」
「そうか。だが量は無いのであろう? お前の思慮深さならば、貧血を起こす前に摂取している筈だからなあ」
ロガは試すように言った。
その通りだった。増血剤の調合には数か月近く時間がかかる。セノカの血以外の素材は極めて希少なもので、血を出す度に使うには数が少なかった。
「早めに使い切らせてしまおう」
聖脈の光の剣を作り出し、ロガは笑ったまま冷たく敵を見据えた。
「ならば、そうなる前に終わらせる」
ゾルヴィアは荒い息を整えた。
ロガは剣を構え、飛び掛かろうと脚に力を溜める。
一方でゾルヴィアはその場に立ったまま動く気配が無い。
(戦意を喪失したのか?)
だとすれば、次の攻撃で喉を裂いてしまえば終わる。その後はハルクの洗脳を解き、残りの仲間を撃破して聖白竜たちを再び平和な生活に戻すだけだ。
しかし次の瞬間。
ゾルヴィアの魔力と呪力が膨れ上がった。
「む……?」
黒い風がゾルヴィアの足元から湧き上がる。
突然変わった気配に、ロガは気楽な表情を硬くした。
ゾルヴィアの角と翼が巨大化した。黒髪は膝裏まで伸び、竜の鱗のような紋様が浮かび上がり、赤い瞳を囲う白が黒に変わる。
〈戦竜解放・黒〉
重い魔力の波が、純白の聖竜を襲う。
長い白髪を揺られながらロガは目を細めた。
「聖白竜の……それも一部の実力者のみが使用する技だぞ。迷宮に封じられていた暗黒竜がどうやって……」
「我が主の頭脳と、ハルクの技術が授けてくれた。実戦で使うのは今回が初めてだ」
「ハルク……十年ほど前に突然消えたと思ったら、暗黒竜に惑わされたか。丁度帰っていることだ、後で洗脳を解いてやらねばならんな」
「ハルクは仲間だ。惑わしてなどおらぬ」
「それを認めさせるために戦っておるのであろう? 戦いでその真意を見せるか、私に勝たねばお前の言葉を信じることは出来んぞ」
ゾルヴィアは悲し気に目を伏せた。
「そうか」
「何だその」
その時。
ロガの目の前にゾルヴィアが現れた。
「なっ……!」
振り下ろされた魔力の剣を、防御結界で受け止める。
つい先ほどまでとは比べ物にならない力に、ロガは歯を食いしばった。
ゾルヴィアは翼を羽ばたかせ、剣を更に押し込む。
その速度と力に、防御結界にひびが入り始める。
「よくぞそこまで……!」
ロガは不敵な笑みを浮かべた。
防御結界が砕け、同時にロガは魔力を爆発させて剣の起動をずらす。しかし完全には流しきれず、避けた拍子に大きく隙が出来てしまった。
ゾルヴィアはすぐに態勢を直し、魔法陣を向けた。
〈黒蛟胎〉
魔法陣から闇が押し寄せ、ロガとゾルヴィアを飲み込んだ。
「何だこれは……⁈」
「見るのは初めてか、聖白竜。これが上位の闇魔法式だ」
闇が視界を覆う。ゾルヴィアの姿も、その闇の向こうに消えた。
ロガは光魔法を発動させる。しかしそれでも、闇は晴れる気配が無かった。
音も聞こえない。地面を踏んでいる感覚も無い。
(五感を遮断する魔法か……? 否、体を動かす感覚はある。それに他者の感覚に直接作用するならこれは呪術の類。聖白竜には効かん筈だ。つまり……)
ロガは意識を集中させた。
見えない目を伏せ、気配を探る。
そして背後に向けて腕を振った。
聖脈の剣が何かを引き裂く。引き裂かれた何かが、硬い音を響かせ砕け散った。
(闇魔法の範囲攻撃か)
暗闇の中から黒い槍のような何かが飛び出して来る。
気配でその動きを読み、躱しつつ確実に砕いていく。
「この程度の暗闇で私を無力化したつもりか? 正面から殴り合った方が早かろう!」
「我はそう思わぬ」
ゾルヴィアの声がどこからか答えた。
魔法の範囲外か、範囲内か、どこに居るのかは分からない。ただ、その声は異様に落ち着いていた。
「……!」
ロガの表情に初めて焦りが浮かんだ。
七千年間研ぎ澄まされてきた感覚が察知したのは、闇から放たれる無数の槍。
完全に避けきるには数が多すぎる。
ロガは聖脈の剣を構え、姿勢を低めた。
(侮れんな、暗黒竜……仕方ない)
槍の嵐が、音を立てずにロガに襲い掛かった。
呼吸を整え、魔法で触覚以外の感覚を遮断する。
聖脈と魔力を全身に巡らせる。
そして剣を振るった。
〈墜黒昇光〉
闇の中に、何も照らさぬ閃光が幾度となく走った。
剣が触れ、槍が落ち、砕け、闇に沈み、消える。
その中心で剣を振るい続けるロガに迷いも揺らぎも無い。
槍の数も勢いも衰えない中、機械と化したロガは疲弊する素振りを見せない。
無音と暗黒をものともせず、光の剣は闇を斬る。
絶えず降り続ける槍と、それを落とす機械。どちらが先に限界を迎えるか。
効果範囲外で魔法を維持するゾルヴィアは、内部を魔力を通して監視しながら残った片手で別の魔法陣を作り出した。
〈開戦黒柱〉
魔法陣から前兆である黒い光が漏れ出す。
先刻の意趣返しだ。
しかし命を奪うような真似はしない。
槍は全て頭と心臓を避けるように降っている。命中したとしてもすぐに回復すれば命に別状はない程度だ。今回の目的はあくまで誤解を解き、『彼の者』の情報を得ることなのだから。
そして、遂に〈黒蛟胎〉の効果時間が切れた。
その瞬間に黒い柱がロガの姿を隠した。
ここまででかなり魔力を消耗してしまった。聖白竜の技術である〈戦竜解放〉を暗黒竜が使ったところで所詮は真似事だ、聖白竜程の効果は期待できない。
(魔力切れを起こす前に決着を___)
「お前を見くびっていたことを謝らせてもらう」
不意に、ロガの声がした。
まだ柱は消えていない。威力の増した魔法攻撃を喰らって、未だ無傷だとでも言うのか。
「平穏を尊ぶ暗黒竜が、よくぞここまで力を付けられたものだ。その力は仲間のためか、それとも我らを平伏させるためか、さて、またややこしいことになったなあ」
容姿に反し、年相応の口調。
崩れない余裕に、ゾルヴィアは警戒を高める。
ここで魔法を強めても良い。しかし相手を殺さない寸前の威力をこれ以上高めるわけにはいかない。
「お前のため、そして私のためだ」
突然、ロガの気配が変わった。
黒柱が晴れる。その中心のロガは、辛うじて無傷ではなかった。
しかしその口元には柔らかい笑みが浮かんでいる。
「本番と行こう」
ゾルヴィアは魔法陣を展開し、ロガに照準を合わせる。
だが、少し遅かった。
________〈戦竜解放〉




