消えた白竜
「……カ……ウルカ……ディウルカ!」
暗闇の奥から、微かに自分を呼ぶ声が聞こえて来る。
誰だ、とは当然考えるが起きる気は無い。覚めかけた目を固く閉じ、再び深く眠りに沈もうとする。
「こういう時はこうすると良い」
「……む? 何を構えて……おい⁈」
別の高い声が言った。聞き覚えのある声だ。優しげだが酷く耳障りな気がする。
完全に意識を鎮める前に、脳天に重い痛みが走った。
「いっ⁈」
ディウルカは衝撃と痛みに飛び起きた。
「本当に起きた……」
加害者は振り下ろした自分の手刀を眺めていた。
セノカの見様見真似である。
ディウルカは鈍く痛む頭頂部を抑え、前に立つ人物を見上げた。
「レムノス……と、ヴィア?」
「寝ぼけてるの?」
仮にも脆仙には天使と呼ばれる彼女の言葉は冷たく、桜色の美しい瞳には軽蔑と嫌悪感がにじみ出ている。
その背後の自分を見ておろおろしている暗黒竜の方がまだ慈愛を感じられる。
ディウルカは寝起きでぼやける視界を晴らそうと目を細めた。
昼夜の区別の無い青空から降り注ぐ光源不明の日光が木の葉の隙間から差し込んでいる。それが緩やかに思考を醒ましていく。
ディウルカは一つの違和感に、周囲を見回した。
「ハルクは?」
何となく発した疑問だった。
しかし二人は互いに目くばせをした。
その問いに答えたのは、普段ハルクの面倒を任せられているゾルヴィアだった。
「それが……」
・・・
翌朝。
寮からの道を弾む足取りで歩きながら、ラぜメアは鼻歌を歌っていた。ウキウキしていた。
(今日の放課後はレイさんと喫茶店~!)
昨日新メニューを口実に誘ったところ、すんなりと了承を貰うことが出来た。そもそも彼が大の甘党なので喫茶店を選んだことが幸いしたのかもしれない。
二人とも放課後はまず劇の練習だが、その後でも十分な時間はある。
ラぜメアも裏方として立候補したため、時間合わせは問題ないだろう。
その時、上機嫌のラぜメアの視界に見慣れた後ろ姿が映った。
色素の薄い金髪に混じる青。長身。レイに間違いない。
ラぜメアは高鳴る心臓を抑え、半ば慌ててレイに駆け寄った。
だが。
「おはようございます! レイ……さ…………ん?」
駆け寄るごとに、空気が重くなっていくのを感じた。
ラぜメアはその真後ろまで近寄った辺りで、その謎の気配と魔力がレイから漏れ出ていることに気が付いた。
気づいたレイが振り向く。
その表情は、普段の無表情と比べても明らかに暗く沈み切っていた。憂き憂きしていた。
「……おはよう」
地の底から亡者が唸るような声。
ラぜメアは駆け寄った時の笑顔のまま固まった。
「ど、どうし、どうしたんですか?」
妹弟想いの彼のことだから、またセノカ辺りに何か言われたのか。それとも嫌な夢でも見たのか。
「知り合いが……行方不明になったと……報せが……」
長い睫毛の下の瞳が伏せられた。
思っていた以上に深刻な悩みに、ラぜメアは息を詰まらせた。
物憂げな瞳と言い、悲しみを背負った気配と言い、刺さる者には刺さる見た目なのだが、漏れ出る魔力と暗い気配の所為でかなり近寄りがたく、こちらまで気が沈む空気がその場に漂っている。
湿度が高く、あと数分放置すれば茸の一株や二株くらいは湧いて出て来そうなものである。
そこでようやく、ラぜメアはレイの周囲にのみ全く人が歩いていないことに気が付いた。
ラぜメアはどうにか声を発した。
「それは、大変、ですね……」
「ああ」
「無事だと良いですけど……」
「……そうだな。一応、別の知り合いが探しに出てくれたようなのだが……はあ」
無表情に口数もそこまで多くないレイがここまで目に見えて落ち込んでいるのだ。余程親しかったのだろう。
ラぜメアは返す言葉も見つからず、とぼとぼと歩くレイの隣に並んだ。
「……すまん」
「どうしてですか?」
「動揺故……魔力が操作できない……気分が悪くないか?」
「大丈夫ですよ! 自慢じゃないですけど、魔力に鈍いので」
「……そうか」
いつにもまして平坦な声が更に空気の重量を上げていく。
正直、割ときつい。
だがここで「やっぱり無理です」と言って悩んでいる想い人から逃げるなど乙女の名折れ。
ラぜメアはこっそり自分の魔力で膜を作った。
「……ラぜメア」
膜に気づいたレイが次に言葉を発する前に、ラぜメアは声を上げた。
「このくらい大丈夫です! それよりも、良かったら私に話してちょっとでも落ち着かせてください!」
「…………ありがとう」
僅かにレイの表情が和らいだ。
ラぜメアはほっとしたように肩を落とした。
・・・
「ハルクが居なくなったって言ってもさあ」
異空間内でディウルカは至極どうでも良さそうに言った。
「あの子のことだから狩りにでも行ったんじゃないの?」
「それは無い」
今ここに集まっている三人の中でおそらく最も心労の掛かっているであろうゾルヴィアが答えた。
従者の仲間入りを果たしてから数か月とまだ日は浅いが、その数か月間ハルクの執拗な戦闘要求に応えて面倒を見て来た彼には確信があるようだった。
「狩りなら昨日済ませた。そもそも聖白竜はそこまで食欲の強い種族ではない」
「じゃ、ヴィアとの戦闘に飽きて別の強者と戦いに行ったとか」
「そのような様子も無かったが……仮にそうだとしても、魔法による通信に応答が無い上に探知にもかからぬのだ」
無神経なことを言いだしたディウルカをレムノスが睨む。
ディウルカはわざとらしく目を逸らした。
「兎に角、探しに行くべき。レイ様が心配してる」
レムノスの手に先には魔法陣が浮かんでいる。既に転移の準備は万端だ。
「ほっとけば帰って来るよ、多分」
「帰って来なかった場合を考慮するとやっぱり探しに行くべき」
「……ちっ」
どうにか怠けたかったディウルカはレムノスの返答を聞いて舌打ちをした。
ハルクが無断で出かけるか出かけないかで言えば出かけるだろうが、前例が無い故に危機なのか彼の個人的な用なのかが分からないのである。
しかしディウルカは折れなかった。
「じゃあ君らだけで行ってきてよ。留守番はしておくからさ……って、うわあ⁈」
レムノスは再び寝転がろうとしたディウルカを肩に担いだ。
「何するのさ!」と喚くディウルカを無視し、転移魔法陣を展開する。
暴れる手足を魔力で拘束し、レムノスは転移魔法陣を通り抜けた。
ゾルヴィアはその後に続いた。
完全に動きを封じられたディウルカの視線の先で、魔法陣が消えるのはそのたった数秒後のことである。
・・・
「クソ蛮族」
「口も塞いでおく?」
レムノスがまた新たな魔法陣を浮かび上がらせると、ディウルカはようやく口を閉じた。
ゾルヴィアは背後から二人の喧嘩を見守っていた。
流石にここまで来て帰らないだろうと踏んだのか、レムノスはディウルカを雑に下ろす。その拍子に頭から地面に激突するが気にしてやる様子は無い。
ゾルヴィアは場所を確認しようと振り返った。
少し下の位置に見える建物の数々。日光を遮る木の葉。どこかの山中にでも飛んだか。
「何故ここに?」
「街の方からハルクの魔力痕を感じたから」
「つまり擬態して、街で何かしてたってこと。……ねえヴィア、ハルクの見た目って擬態するとどうなるの?」
「一度しか見たことは無いのだが……角と翼を隠して瞳孔と耳を丸くしていた。あとは普段と変わらぬ」
「この中で擬態が得意なのは……」
レムノスはゆっくりと、その視線を隣の神鬼へと向けた。
何度もテオ関連の用事で姿を変えているのだ。安定性も高い筈だ。
ディウルカは酷く忌々し気な表情を浮かべた。
「僕、あんまり混んでるとこ好きじゃないんだけど」
「今回ばかりは貴方に頼るのが最善。文句言わずに行って」
圧をかけるように放たれた魔力に、ディウルカは諦めて溜息を吐いた。
セノカとレイから教わった魔法式を頭の中で描き出し、魔法陣を展開させる。
ディウルカの周囲に魔力が満ちた。
神鬼の特徴である黒い角と翼が消え、縦長の瞳孔が円を描く。尖っていた耳の形が変化し、黒い貴族服が消える代わりに黒い平民服が現れる。
魔力はまだ神鬼らしさが残っているが、そう簡単にバレはしない。
「で、君たちはどうすんのさ」
「待ってる」
「はあ? 僕だけ労働させられるの?」
「手掛かりがないからこれ以上のことは出来ない」
「あっそ……その分後で僕より働いてよ」
「勿論だ。今は任せたぞ」
レムノスとゾルヴィアは山の更に奥へ歩き出した。
ディウルカはその内心を現したような猫背のまま街へ向かった。
・・・
「背の高い白髪の男が来なかった?」
「知らないわねえ。ところでアンタ、その隈大丈夫かい? ほら、これ持っていきな。若いんだからしっかり食べるんだよ」
「要らない」
「こういう感じの目つきで……」
「ふむ……覚えがないなあ」
「ちょっといい? 人探し中なんだけど」
「人探しだあ? 手前ここがどこだか分かってんのか!」
「ガキが来る場所じゃねえんだよ!」
「それとも何か? 俺らの相手してくれんのか、坊ちゃんよお」
「失礼しましたー」
「緑色の目で白髪の二〇歳くらいの男、知らない?」
「ああ、その人なら……」
・・・
「本やら果物やら買った後、山の方に歩いて行ったってさ」
山の中に戻り、擬態を解いたディウルカは早速得た情報を二人に伝えた。
老女には執拗に食い物を押し付けられ、ガラの悪い集団に絡まれたりと、脆仙特有の距離感を味わって来たディウルカは普段よりも疲れた顔をしていた。
「とりあえず危険な状況ではないってことは分かったでしょ。帰っていい?」
「待って」
転移魔法陣を展開しようとするディウルカの肩を、何やら俯いているレムノスが掴んだ。
「何」
「レムノス?」
「レイ様たちには報せる。けど……」
「けど?」
ディウルカは作りかけの魔法陣を解いた。
不意に、レムノスは顔を上げた。
「気になるから続ける」
「……何言ってんの?」
「どうして彼が突然居なくなって、どこに行ったのか解き明かしたい」
「そういうのは君一人でやってよ。僕とヴィアは帰るから」
ディウルカはレムノスに背を向け、ゾルヴィアの腕を引いた。
しかしゾルヴィアは動かなかった。
「ヴィア?」
「我はレムノスに同行する」
「君まで……」
見れば、普段穏やかな赤い瞳が少しの好奇心と仲間の安否への不安で揺れている。
「そういうこと。貴方も来て」
「嫌だよ。というか僕は」
「私は遣いたくもない気を遣ってあげてる。テオ様に最近怒られたって聞いた。そろそろ好印象を与えておいた方がいい」
ディウルカは口を噤んだ。
どうにか助けを求めてゾルヴィアを見るも、レムノスに賛同しているようだった。
暗黒竜の癖に天使に味方しやがって、と心の内で吐き捨て、ディウルカは天を仰いだ。




